六本木・ダリ展 → 麻布十番・更科堀井

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ダリ展

 朝から土砂降りの雨である。雨の範囲は大して広くはないように思うのだが、どうも東京周辺はひどい降りようだ。

 そんな中、六本木の国立新美術館へ「ダリ展」を見に行った。

 大変な人気で、大勢の人が詰めかけていたが、混雑で見られないというほどでもなく、むしろ、列が進みづらいことで、かえってじっくり鑑賞することができた。

 思っていたより盛りだくさんの内容で、大作の絵画だけでなく、ダリが挿絵を描いた「不思議の国のアリス」や、またその他数々の挿絵、ダリが制作した前衛映画「アンダルシアの犬」他2編の映像作品の上映、デザインした宝飾品の展示など、充実した内容だった。

 戦前から戦後にかけて、作風が少しづつ変わりながら、よりエキセントリックに、より前衛に、かつ多様に尖っていく様子、また晩年に至って壮年期のパラノイア的方向へ回帰していく様子などがよくわかる展示になっていた。

 遠景ほど克明に、かつ強烈な光を当てて描き込むあの独自の表現を存分に鑑賞することができた。ああいう長命した画家には当然のことながら、ダリも作風はデビュー前から死ぬまでに少しづつ変化しており、今挙げた遠景に強烈な光を当てる、「これぞダリ」というあの画風は、アメリカに亡命する前後の「シュールレアリスム」の、気鋭の若手の一人だった頃のことのようだ。

img_4758 いつものように図録を買った。美しく盛りだくさんの内容であり、私としては購入しがいのある、コストパフォーマンスの高い出来栄えの図録であるように思う。2900円。

img_4759 いつも思うのだが、図録が先に買えたら、あらかじめ理屈のようなことは納得してから見に行けるので、美術館ではかえって集中して作品が鑑賞できるようになって良いのだが、今回はそういう着意はなかったのが残念である。

総本家 更科堀井(さらしなほりい) 麻布十番本店

 以前から心に決めていたことは、六本木に行くことがあったら、必ずそのすぐ近く、麻布十番の「更科(さらしな)御三家」のどれかに行こうということである。

 以前書いたが、更科御三家(更科堀井・永坂更科・永坂更科布屋太兵衛)は、元は信州方面からやってきた布商人が元祖となった店で、江戸に定着して以来、経営主体はさまざまに変わって3つに分かれながらも、今も長く麻布十番で暖簾を守っている。

 ダリ展を見に六本木へ行くからには、「総本家 更科堀井 麻布十番本店」へも行ってみようと(かね)てから考えていた。そこで、先日「目黒のさんま祭り」へ一緒に行った旧友F君に声をかけ、ダリ展を見終わってから麻布十番の駅で落ち合い、更科堀井へ向かった。

img_4760 「更科堀井」は地下鉄麻布十番駅の7番出口から出ると近い。歩いてものの3、4分というところだろう。建物は左掲写真に御覧のとおり、ビルの1階にある。

 寛政元年(1798年)の創業以来(このかた)200年あまり、先の大戦後からの一時期、しばらくの中断はあったものの再興し、営々と続いてきた老舗である。

 この店独特の「更科蕎麦」は、蕎麦の実の芯の白いところのみを使ったもので、東京で他に有名な藪、砂場のどちらとも異なるものだ。

img_4765 まずはとにかく、酒に、肴である。

 通しものにはこの店名代(なだい)の更科蕎麦を軽く揚げ、程よく塩味を付けたものが出る。

img_4767 今日は畏友F君と一緒に来たので、純米「名倉山」を2合。肴にそれぞれ焼海苔と卵焼きをとる。

 焼海苔は藪などでも見られる、炭櫃の下に小さな熾火(おきび)の入ったもので供され、パリパリに乾いてうまい。

img_4768 卵焼きは東京風に甘じょっぱく、蕎麦(つゆ)出汁(ダシ)がきいたふんわり焼きである。大根おろしに蕎麦(つゆ)をよくまぶしたものが付け合わせになっており、これが濃醇甘口の名倉山に大変よく合う。

 いよいよ二人で、この店独特の「更科蕎麦」の「もり」を一枚づつ頼んでみた。これが驚くべし、さながら素麺(そうめん)冷麦(ひやむぎ)のように白いのである。よく見れば少し色づいているので冷麦ではないとわかるのみである。

img_4771 ところがこれを手繰りこめば、その香りと味はまごうことなき蕎麦。だが噛み応えものど越しもあくまでしなやかであり、いわゆる「挽きぐるみ」の色の濃い蕎麦とは一線も二線も画する独特のものだ。

 店の(しおり)によればこの品の良さから、戦前など「(かしこ)きあたり……」へ、なんと出前すら仰せつかったものであったそうな。

 「さらしな もり」930円、大盛りは270円プラス、焼海苔670円、卵焼き740円、名倉山純米1合700円であり、「びっくりするほど高いわけではない」値段である。

 うまい肴で呑み、まことに気持ちの良い蕎麦を手繰り、微醺を帯びて出ると、土砂降りだった雨がすっかり上がり、陽光が垣間見える夕方に換わっていた。

 F君と別れて、浮かれた調子で帰りの地下鉄に乗る。きこしめした「名倉山」の酔い心地は(すこぶ)る快く、帰りの電車の睡魔の、なんと心地よかったこと。

 暗くなって帰宅した。秋分の日、残念にも土砂降りの秋雨とは言いながら、芸術の秋と食欲の秋、どちらも堪能できた面白い休日であった。

天皇陛下万歳。

 国旗を降下する。

アンダルシアの犬

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 ダリのシュールレアリスム作品映画の傑作「アンダルシアの犬」の登場人物の男が、つげ義春の一時期の漫画に出てきそうな顔そっくりで、ちょっと面白かった。つげ義春はダリに影響を受けたのかも知れんな。

日展と銀杏

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 妻と六本木の国立新美術館へ出かけた。今日は日展の最終日だからである。

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 どうして日展を見に行くかと言うと、私の義姉が書道家で、ここ数年、日展の常連だからである。いつも招待してくれるので、ありがたく鑑賞に行くのだ。

 しかし、義姉の得意とするところは「かな」で、これがまた、素人には鑑賞することが大変難しい。同じ日本語なのに、1000年もたつと文字すら読めなくなるのである。

 義姉はいつも万葉集を作品に取り上げている。今回の作品の一部はこれだ。

日展作品

 これがスラスラ読めるという人もあまりいないと思う。私も半分くらいしか駄目だ。しかし、

夕月夜(ゆふつくよ)心も(しの)に白露の置くこの庭に蟋蟀(こをろぎ)鳴くも(湯原王)

夕されば小倉(をくら)の山に鳴く鹿のこよゐは鳴かず(ゐね)にけらしも(崗本天皇)

秋萩は咲くべくあらし我がやどの浅茅(あさぢ)が花の散りゆく見れば(穂積皇子)

……とまで、なんとかかんとか、わかった。それがどの部分か、お分かりになるだろうか。

 歌をよく反芻しながら作品を見ると、墨の濃淡や行の間隔の置き方に意味を持たせているところがよくわかる。

 六本木の美術館をたっぷり半日見物して、神宮外苑に脚を運ぶ。今日は「いちょう祭り」というのが行われていて、その最終日だったからだ。

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 外苑の銀杏は見事なものなのだが、今年は色づくのが遅く、今日までかかったのだという。

 神宮発行の資料によれば、この並木銀杏は明治時代から大切に育成され、既に樹齢は100年を超える。樹高は最大28メートル、胴回り2.9mに及ぶという。堂々たる巨木群である。すべて純粋な実生(みしょう)の木で、新宿御苑の銀杏から種をとり、丹精をこめて育ててきたものなのだそうな。

 大変な人出で、にぎやかであった。銀杏を見上げて写真をとり、陶器(やきもの)市などをチョイとひやかして、あまり人波には揉まれず、怱々(そうそう)に退散した。

 次女がテストで100点を取ったので、帰宅後、褒美に焼き肉へ連れて行ってやる。我ながら親ばかだ。