ぬ考

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 昨日、関東甲信越では梅雨が明けた。私の住まう越谷市でも、さながら機械装置のスイッチをポンと切り替えたかのように突然雨が止み、蝉が鳴き、雲の峰がむくむくと輝きながらせり上がっている。

 まさしく夏は()ぬ、である。

夏は来ぬ
佐佐木信綱作詞

卯の花の 匂ふ垣根に
時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

 名曲「夏は来ぬ」。何度読んでも歌っても、美しい日本語だなあとしみじみ思う。

 この歌詞を味わっていて、ふと思い出すことがある。

 次女が中学生だったか、小学校高学年だったか。学校の国語か音楽の授業でこの歌が出たらしく、覚えて家に帰り、細く高い澄んだ声で口ずさみはじめた。

〽 う~のはな~のにおうかきねに ほぉ~ととぎぃ~すはやもきなきて しぃ~の~びぃ~ねもぉらあす~ なつ~ぅはぁこ~ぬ~

 ん、あれ、「ぬ」? 何?

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入れ込み

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 池波正太郎の小説を読んでいると、飲食店の描写などで、よく「入れ込みの座敷」というのが出てくる。

 私はこの「入れ込みの座敷」というのを、「小上がり」のことだとばかり思い込んでいたのだが、昨日読み終わった「酒場百選」という本で、全然意味が違うということを知った。

 酒場百選によると、「入れ込み」というのは、「客が来た順にどんどん混ぜて座らせる」ことを言うそうである。繁盛している居酒屋の方式だ。

 だから、池波正太郎の「入れ込みの座敷」というのは、客がどんどん、「(そで)すり合うも他生(たしょう)(えにし)」とばかり座り合う、大衆的な座敷、のことなのであった。

 うーむ、知命(50歳)にしてまだまだ知らん言葉は多い。国語の勉強は果てしない。