玩具(オモチャ)をふりかざす

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 また変な男がとっつかまっている。

 「(あお)り運転」というのは今丁度世間で大きく取沙汰されている要素だ。まったく迷惑極まる。これを機会にこの如き迷惑者が少しでも減ればよいと思う。

 一方、このニュースにはもう一つ、面白い要素がある。「エアガン」だ。

 エアガン、と言っても、狩猟などに使う空気銃ではない。玩具(オモチャ)のピストルだ。

 モデルガンやエアガンというのは、日本独特のものだ。

 日本では銃器の所持は原則禁止であり、狩猟などの生業や射撃競技などに限り限定的に許可される。それも猟銃の場合薬室含めて4連発までとされるなど、構造に厳格な制限がある。銃猟のためのライフル銃の許可は更に厳しく、散弾銃等で10年の無事故を継続しなければ許可されない。機関銃等の全自動銃は全部禁止、拳銃も全部禁止で、これらを所持できるのは警察や自衛隊、厚生省の麻薬取締官などの公務員と、オリンピックに出場する射撃選手など、許可を受けた僅かな人のみである。公務員でも、自動拳銃は自衛隊しか使っておらず、警察官の拳銃は基本的にリボルバーが使われる。

 そのため、単に拳銃が好きだという者は、アメリカやハワイ、グアム、韓国、中国などへ旅行して射撃場へ行くか、その金がなければ、モデルガンやエアガンを購入して気を紛らせるわけである。

 エアガンは本物の拳銃に似せてあるが、まるで何の役にも立たぬ代物で、BB弾等と呼ばれるプラスチックの球が出るが、だからどうしたという程の意味しかないものである。勿論、これで撃たれれば痛いし、眼になど当たれば失明の危険もある。物を傷つけることも可能だが、しかし所詮は玩具(オモチャ)である。眺めても大人の賞翫に堪えるものではないし、発射してもヘナチョコなプラスチックの粒が飛び出るだけで、当たっても眼になどさえ当たらなければ「イテッ!!」ぐらいの効果しかない。

 不惑(40歳)も過ぎたような大の大人が、そんな「オモチャのピストル」を自動車の窓から突き出して撃ち、振り回して怒り(たけ)る、という構図は、あまりにもシュールすぎて、それはギャグか何かなのでしょうかと問わざるを得ない。なんというか、可愛すぎて、小学校3年生くらいの男の子かと思えてしまうが、そんな風に思うのは、実際の小学校3年生に失礼というものではあろう。

 要するに、「オモチャのピストルを振り回して逮捕された40男・佐藤竜彦」

 お前のお父さんお母さん、親戚一同は泣いておるぞ(笑)。


注: この文章には、趣味でエアガンを集めたり、サバイバルゲームなどを楽しんでいる方々を馬鹿にするような意図は毛頭もありません。正当・遵法に物事を楽しんでいるのは、結構なことだと思います。

目線の高さを合わせる

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 子供に話しかけるなら、しゃがむなり、腰を(かが)めるなりして、子供の顔に目線の高さを合わせてやることが大切だ。子供も子供なりに人格を認められたと感じることだろう。

 難しいのは、「背伸びをしてこちらの高さに合わせようとしている子」の目線の高さに合わせることだ。背伸びをしなくていいようにこちらの目線を少し低くしてやると、子供は「バカにされている」と感じるし、かといって背伸びした高さに合わせると、つま先立ちの不安定さからやがて子供はよろめき、あるいは立ち転び・居転びしてしまうかもしれない。

 どの高さに目線を合わせてやるべきかは状況により様々であり、正解はないが、いずれにしてもこういう子供は慎重に扱ってやらなければならないことは確かだろう。

 が、時間が経てば、子供の背は伸びる。せいぜい20年で、対等に喋ることができるようになる。つまりは、単純に時間が必要なだけだ。

 ……言うまでもないが、上記は社会人における人間関係の例え話である。

命令でも号令でも

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 令和の「令」が「命令」の「令」でも「号令」の「令」でも、私は別に構わない。いや、むしろそのほうがいっそ清々(すがすが)しい。

 なんとなれば、わたしは改革を嫌い、秩序を好むものだからた。革命を憎み、伝統を愛するものだからだ。

 規律を正義と見、放逸を邪悪と見る。安寧に近づき、動揺を遠ざける。興奮を好むのは幼児、落ち着きを尊ぶのは老成である。

素直に取り組む

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 今日、7月1日は、私にとっては、感慨深い日です。

 徹底的に頑張り抜くとか、死ぬまでやります、どんなことがあろうと負けずに完遂します、私が死にさえすれば皆のためになるからそうします、五体尽きるともなお撃ちてし止まん……というような、そんなことは、すみませんが今の私にはできません。それが私に期待されていることだというのなら、申し訳ないですがご期待には沿えません。

 これまで知らずにしでかしてしまった数々の失敗を全て糊塗できるならそうしたいですが、それは無理というものですから、糊塗もしません。口先でお詫びしたって、それは詮無いことです。責は甘んじて受けますから、責めてください。

 それよりも、素直な気持ちで、人の気持ちや努力に報いたい、どうにかして、なんとか上手に整えたいのです。下手糞のくせに上手に整えたいなどとは、言う人に言わせれば笑止千万でしょうが、でも、それが今の私の正直な気持ちです。

 なれるものなら、空っぽの湖のような、完全に澄んだ素直な気持ちになりたいのですが、五十歳過ぎの、色々と引きずっているオッサンには、そうした完璧な気持ちになり切ると言うのは困難です。でも、そういう中にも、追求できる素直さはあると思いますから、なんとか素直にします。

 バカにされようと、頑是ない子供のように教えを請いたいと思うのです。なんでも聞きまくる子供の素直さを真似たいのですが、本当にそうしたら、私は笑われてしまうでしょうし、面倒くさいおっさんだと思われるでしょう。それでも、本当に子供の真似をしましょう。

 これまで私は、大人のふりをして、知ったかぶりをしてきました。何かを始めることは難しいですが、何かをやめるということは、わりあいに簡単にできます。それなら、私の悪い癖である、知ったかぶりをやめたいと思います。