休み明けには、「俺って、心底、仕事が大嫌いなんだなあ」ということを毎回毎回再確認している。
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【暴言】だから野球はダメなんだッ
こういう差別的・抑圧的・前時代的・軍隊的スポーツであるから、野球はダメなんである。
- 大分の女子マネが甲子園のグラウンドに 大会関係者慌てて制止(デイリースポーツ)
この時代に
矢沢永吉出演のコマーシャルは支持できない
昨日夜遅く、くたびれ果てて帰ってくると、妻子がテレビを見ている。見るともなしにそれに耳が向いた。
不世出の歌手、矢沢永吉が自動車のコマーシャルに出演している。
何か、
「やりたくないことをやる人生など面白くない。やりたくないことをやる人生など愚かだ。俺はやりたいことだけをやってきて、愉快だ。そういう人生を送るべきだ。」
……というような意味のことを言っている。
こっちはそんな言葉を聞かされて、不愉快だ。
無論、矢沢永吉の言葉ではあるまい。チャラチャラした広告屋の台本だろう。それにしてもしかし、生活人たるもの、やりたくないことでも我慢し、何かのために奉仕して生きる、そこに何らかの意味を見出す、苦しくともそれに喜びを見つける、そういう態度が必要なのと違うか?
あんなふざけたコマーシャルを作るのが年に給料1000万貰っている電通か博報堂の社員だか何だか知らんが、まったく賛同できない。あんな言葉を聞かされて、そうだそうだと愉快がる人間が一体世の中にどれくらいを占めているか、そんなことにすら見当がつかない連中があんなコマーシャルを作って世間に垂れ流している。
テレビを見ると、そういう連中に金を払うことになるから、だからテレビはあまり見ない方が良い。
テレビは大嫌いだ。テレビ屋も、こういう映像づくりばかりしていると、どんどん視聴者が減り、自分の首をじわじわ絞めることになると心しておいた方がよかろう。
珍しくコメントをいただいた
ここ最近には本当にめずらしく、コメントを頂いた。
音楽が好きな人のようで、ブログは音楽中心にやっていらっしゃる。
「くつき」さんは、体の事情で夏はあまり好きではないようだ。
しかし思うに、音楽ファンには夏ははずせぬ季節でもあろう。多くののミュージシャンはサマーセッション、ツアーなどのビッグイベントを夏に持ってくるものだと私は認識している。
いずれにせよ、「ブログ人のトラ場」では、「夏は嫌い派」は少数ではあるようだ。
あなたは夏が好きですか?
このほどの「トラ場」は、標記のとおりであるという。
・・・夏が好きですか、か・・・。
本当に、夏ほど濃密な季節はあるまい。なにしろ、「夏は好きですか」と問うだけで、それが明確な詩情ですらある。数多の詩人と歌手が、どれほど夏について説明してきたことか。
子供の頃、無論、夏が好きだった。夏休みというそれだけで、夏を好きになれた。だがしかし、今振り返ると、夏は私にとって難行苦行の試練の季節でもあった。勉強がどうとか宿題がどうとか言うのではない。喘息と鼻炎、これであった。夏に喘息や鼻炎を病むのは知れきったことで、とどのつまり、不潔な家に住んでいたという、理由はただそれだけのことにとどまる。
どうしてあの苦しい夏を、それでも好きと言って憚らなかったのだろう。兄も姉も夏を好きといい、「もうすぐ夏休みやで」と期待を持たせる言い方で両親もそれを盛り上げ、「夏は好かねばならぬもの」と、少々頭の弱い私にそんな常識ををすり込んだものでもあろうか。
喘鳴の夏。呼吸という自然な行為がその一つ一つに努力を要する喘息病みの夏。鼻炎による嚔のため、勉強もできぬ夏、そしてそのため怒鳴りつけられ、今にして思うにそんなわけのわからない劣等感にさいなまれて夏を呪う夏。呪うているクセに、皆が夏を好きだから、とて、妙に引きつったような異常な表情で、「もちろん夏休み大好き!」などと大声で言ってみる、腹の底から夏が好きですと自分を信じ込ませようとする子供らしくもない努力を強いる、屈託と精神病的な馬鹿な夏。
ややあって、それから20年後の私は、「俺が最も嫌いな季節は、夏だ」と、公言して憚らぬようになっていた。真に自由な夏は、この時来た。俺は季節を他人の定義によらず、自分の魂によってようやく評価できるようになったのだ、そんな自由を思うさま吐き捨てることができた。
今、私は、夏が好きである。理由は簡単である。二人の娘が明るい表情で、額に汗を浮かべて、疲れも知らず遊びまわっているからだ。
結局こうして、私の夏が好きという感情は、自分以外の官能によって持ち運ばれていく、そういう、どうにもならない情けなさによって営まれていくものなのであろうか。
二人の娘は、夏が好きなのであろうか。