ホームドアの運用が始まった

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 私の住まいの最寄り駅、東武スカイツリーライン「新越谷」駅でも、ホームドアの運用が始まった。

 安全で、良いことである。

今週雑想

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おまいう(笑)

 沖縄県知事は「法治国家ではない」と吐き捨てたそうだが、いや、それなら辺野古の判決を踏みにじるアンタでしょうが。いやほんと、まさに今はやりのネットスラング、「おまいう(お前が言うか)」である。

平和と安全

 だいぶ前からだが、この「平和」「安全」という言葉は、すっかり「危険な言葉」になってしまった。とても良い言葉なのに……。

 これは、政府やマスコミが、この良い言葉を「軍事」「戦争」などの言葉の置き換えに使うようになったからだ。

 最初のうちはよかったが、最近では直接意味が通るようになってしまったため、例えば、元々は「平和・安全」という言葉を聞くと、左のようなほのぼの画像がイメージできていた。

 ところが、最近はもう、「平和ッ!」「安全ッ!」ってメディアに出てくると、こういう画像が脳裏に浮かんでしまうのである。

 これのどこが平和で安全なのだ。

 こういう風になってしまうと、今度は本当の意味で「平和」「安全」ということを言いたいときに、これらの言葉を使ったとたん、相手が「戦争ですかッ!」「軍事ですかっ!」と、違うイメージを持ってしまうから、実に具合が悪い。

 もう、こういう、猥褻な言い換えをやめたほうがよいと思う。「国際協力法制」とかはまだいいけど、たとえ露悪的だろうと、ちゃんと「軍事法制」とか、正直に言った方がいいと思うね。

言葉
鼎立(ていりつ)

 「鼎談(ていだん)」と同じように、三者並び立つような状況を言うそうな。

(ゆるがせ)

 これで「(ゆるがせ)」と()むそうな。「粗忽者(そこつもの)」という漢語から、おのずとその意味は通る。

 この読み方、産経のコラムで見た。

 この中に、夏目漱石の文になる「明治天皇奉悼之辞(ほうとうのじ)」が引用されており、

(以下囲み内は夏目漱石「明治天皇奉悼之辞」、上の記事から引用)

過去四十五年間に発展せる最も光輝ある我が帝国の歴史と終始して忘るべからざる

 大行天皇去月三十日を以て崩ぜらる

 天皇御在位の頃学問を重んじ給ひ明治三十二年以降我が帝国大学の卒業式毎に行幸の事あり日露戦役の折は特に時の文部大臣を召して軍国多事の際と(いえど)も教育の事は(ゆるがせ)にすべからず其局に当る者()く励精せよとの勅諚(ちょくじょう)を賜はる

 御重患後臣民の祈願其効なく遂に崩御の告示に会ふ我等臣民の一部分として籍を学界に置くもの顧みて

 天皇の徳を(おも)

 天皇の恩を(おも)ひ謹んで哀衷を巻首に()

 ……とあり、そこではじめて知った。「せ」と送って「(ゆるが)せ」としてもよいようだ。

 (ちな)みに、この「忽」という字、これで「ち」と送れば「(たちま)ち」、「か」と送れば「(おろそ)か」、となる。

 また、「たちまち」の意味からは非常に小さい数の事も表すのだという。即ち、「1(こつ)」というと「10のマイナス5乗(10^{-5})」を表すのだそうな。

 この漢字の少数単位で私たちが知っているのは、普通は

  •  1()(0.1、10分の1、10^{-1})
  •  1(りん)(0.01、100分の1、10^{-2})

……ぐらいまでだが、その下には更に

  •  1(もう)(0.001、1000分の1、10^{-3})
  •  1()(0.0001、1万分の1、10^{-4})

……というのがある。「(もう)」くらいまではちょっとした大人なら知っているが、「糸」になるとだいぶ物知りの人でないと知らないだろう。

 いよいよその次にこの「(こつ)」があり、これはかなり物知りの人でないと知らない。「1(こつ)」は「10万分の1」「0.00001」「10^{-5}」のことを言う。これは「忽然(こつぜん)として……」という言葉に「非常に速く・急に」という意味があることから(けだ)()に落ちるものがある。

邪魔なゲーム客とHUD

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 携帯電話(スマホ)でゲームをやっている人が邪魔である。通勤ラッシュ時など、電車を待つ間ホームでゲームをやっている人は、熱中するあまり、大抵動き出すのが数秒遅れ、電車のドアが開いても動き出さないものだ。こういう人が列の前のほうにいたりすると本当に邪魔で、周囲の人の迷惑である。

 ゲームのポーズ機能をサッと使い、少しの間中断して電車に乗り込み、落ち着いて再開すればいいようなものだが、大抵の人はここ一番、今一点取ればハイスコア!みたいな勝負がエンドレスで続いているのだろう、「ああ、電車!?わかってるよンナこたァけどもう0.1秒でこのステージクリアちょっとぐらい後ろで待っとけやそこのオッサンらええええええいゲームオーバー!ど畜生!!ぐああああ!腹立つな!」くらいのものである。

 これが、本や新聞を読んでいる人だと、ゲームに比べて中断に躊躇がなく、さっさと歩き出すことがほとんどだから、そんなに邪魔ではない。

 電車でのゲームを禁止しろ!!まったく最近の若い奴ァ!!……などと激昂しようというのではない。ドアの前で少しゲームを仕舞うくらいのことができねえのかよ小学生じゃあるまいし、邪魔な野郎(あるいは阿女(アマ))だな、……とぐらいは思うが、この件に関する私の主たる思いは別のところにある。

 若い人たちがどうしてもゲームで遊びたくなり、夢中になってしまうのは、反面これも人情というものだ。ゲーム会社も商売だから、それくらい人々が熱中するようなものを作ってナンボなのである。くだらん子供の遊びとはいえ、ゲーム業界はソフトウェア産業の重要な一分野でもあり、技術者ファームの様相をすら帯びているのであって、この業界の育成を掣肘(せいちゅう)することはIT全般、ひいては日本の経済全般にとって良くない。

 そこで、である。

 軍事上、戦闘機などで一般化しているHUD(ヘッドアップ・ディスプレイ)思想が携帯などに持ち込まれないものか、と切に思うのである。

 バカでかいヘッドアップディスプレイつきヘルメットなぞをかぶるのはいくらなんでもファッショナブルではなく、通勤客には流行しないだろうから、何か、Google glassに類するような、安価で高解像度のヘッドアップ・ディスプレイがあれば、うつむいてゲームに熱中しているがために周囲の人に迷惑をかけるような者も減るのではなかろうか。まっすぐ正面を向いて、外界をきちんと視野に入れつつ、何面でも気にせずクリアしていくらでもボーナスポイントを貰い、かつ、さっさと電車に乗ればよろしい。

 また、これにあわせて、ヘッドアップで利用できるような、何らかの巧妙な文字入力デバイスを考案すれば、頭を上げてメールを書くこともできるようになる。うつむき姿勢と凝視による眼精疲労を抑え、女性の悩みの頭痛や肩こりを緩和し、血行の改善により美容に効能を発揮するとともに、総合的なストレスの低減をもたらすことで精神疾患が減り、国民全般の健康増進に寄与するだろう。

 これはまた、ゲームやメール、SNSへの熱中に起因する駅のホームからの転落を防止できるから、安全上きわめて有利であって、人命保護の観点からも効果大なるものがあるはずだ。また、ぶつかったの肩が触れたのといった利用客の間の無用のトラブルを防止することにもつながるだろう。

 国民全般に携帯電話(スマホ)HUD(ヘッドアップ・ディスプレイ)を普及させることが携帯キャリア各社並びにIT業界の急務である。