デケェ(ささや)き声

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 あれはたしか、定年で自衛隊を()める1年くらい前、最終ポストの、情報セキュリティや守秘の責任室長(情報保証・保全室長)をしていた頃のことだったか。新コロの猖獗(しょうけつ)っぷりたるや、もはや最大火力と言ってよいほどの猛威を極めていたが、紙の秘密文書を(つかさど)らなければならない仕事の特性上、テレワークへのシフトが難しく、私はガラ空きになってしまった通勤電車で毎朝毎晩、自宅から市ヶ谷まで通勤していた。

 その日、私は早めに仕事を切り上げ帰りの電車の中の人となった。都心から北千住に向かう日比谷線は三ノ輪と南千住の間で地上に出る。次第次第に陽永(ひなが)となる心地よさ、暮れ(なず)んでいる黄色い光の中を電車はのんびりと走っ “デケェ(ささや)き声” の続きを読む

幸せ男

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幸せな男

 私は、自分が幸せな男なのではないかと思う。否、正確な表現ではない。自分が幸せだと思いやすい傾向をもった男なのではなかろうか、……こう表現すると正確かもしれない。

 と、言うのも……。

自衛隊の就職援護

 私は先月、9月30日の金曜日に、陸上自衛隊を定年で辞めた。ちょうど “幸せ男” の続きを読む

自衛隊を定年で辞めた

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屈託の心情を文字列化

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 はあ、永遠も半ばを過ぎて、どころじゃない。お先真っ暗、ならまだいい。真っ暗になるべき「先」ってものが存在してねぇんだもんな、俺。

 「永遠(とわ)も半ばを過ぎて」というのは、自分で考えた文句ではない。他人の表現を借りたのだ。これは小説の題名だ。

 若いときは自分の目の前に横たわる、80年もの年月にウンザリしていた。「また日本人の平均寿命が延びた」などとテレビや新聞で言われるたびに、もう、辟易とした。80年もこんなことが続くのか、はやく終わってくれ、と思った。とっとと用事を済ませて、全部終わらせてゆっくり休みたい、と思っていたのである。

 ならばとっとと死ねばいいようなものだが、それは嫌なのである。自嘲気味に我と我が身を愛するが所以(ゆえん)だろうか。

 「キミたちにはまだまだ、将来・未来がある」と、大人や先輩に言われるたびに、「だから、その『将来や未来』にウンザリしてるんですよ」と内心は思った。80年だって!?冗談じゃない、それは「永久」とほとんど同じ言葉だ!

 アレを終わらせればコレ、コレを終わらせればまたアレ。アイツを打ち負かせば更に強いコッチの敵、課長になれば部長に負け、部長になれば社長に負け、社長になれば会長に負け、会長になればゴミ政治家に負け…。永遠に何者かに膝を屈し続ける永遠の80年。一本立ちの人になったって無駄で、例えば個人で商売をすればそりゃあ一国一城の(あるじ)と呼ばれもしようが、その主は客に負けるのだ。

 80年が大げさなら、定年までのほぼ40年だって、「40年だと!?やってられるか!!」と思ったものだ。

 だが、俺も50歳目前に差し掛かり、その永久も、半ばをとうに過ぎた。永久に過半があるなぞとは思ってもみなかった。給料を貰うようになって今34年目、早期定年の職場だから、あと数年で定年を迎える。定年まで数えれば全部で39年、もういくらも残っていない。

東海道歩き旅行

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 定年で辞めたら、東海道を江戸から大坂まで、歩いて旅してみたい、と急に思いついた。別にハングリーを鍛えようなんてことではない。途中酒の一杯も飲み、ダラダラ歩き旅をするのだ。

 19歳の頃、伊豆半島を歩いて旅したことがある。休暇はそんなになかったから、4日で2百数十キロ歩いた。一日50キロ強というところだった。さすがにその頃の体力をもってしても、多少身にこたえた記憶がある。

 今の脚力だと、そんなにがつがつは歩けまい。まして定年の頃には、今以上にあちこちガタが来ているだろうから、1日せいぜい30キロ歩けば沢山だろう。