音韻詠「しん」

投稿日:
一心に(おろが)む男春彼岸
うらゝかや墓碑に信女(しんにょ)の文字()りて
しん〳〵と上下左右に石鹸(しゃぼん)(だま)
文法に飽く日やしんと釈奠(おきまつり)
春の蠅町内会の打診()

佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #jtbt

 「夏雲システム」で関谷氏が運営しておられる「じたばた句会」に投句したものです。

秋分の日

投稿日:

天皇陛下万歳

秋分の日 祝日「秋分の日」である。自宅の軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 (かしこ)し、皇室におかれては「秋季皇霊祭」、また我々庶民にとっては秋彼岸の(ちゅう)(にち)で、いずれも先祖の霊を敬う日である。

 考えてみれば、あらゆる人には何万年前、何十万年も前の、文字もない時代の先祖がいる。欧州、アジア、アメリカ、アフリカ、その他あらゆる地方の人に親があり、先祖がある。

 まことにもったいなく、ありがたいことだ。自分が今いることが、どれほどの天文学的確率をかいくぐった偶然であるか、思い見ると茫然となってしまう。

 それを、先祖への感謝としたい。

彼岸

投稿日:
(こう)祖父(そふ)の遺影の()(がん)(いえ)()ゆも   佐藤俊夫

#kigo #jhaiku #haiku #jtbt

 「夏雲システム」で関谷氏が運営しておられる「じたばた句会」に投句したものです。

正月だろうと盆だろうとそんなの個人の自由にしてはどうか

投稿日:

 「働き方改革」へのアイデアを思い付いた。

 正月や盆に一斉に休むのは、非合理である。

 先祖の霊への礼拝や、人生の節目をそれに認めるといった意義は宗教的なものであり、人によって基準は違う。盆や法事に意味を認めなくとも、恋人と初めてセックスをした記念日としてクリスマスを大仰(おおぎょう)かつ下品に祝う者だって、この多様性を飲み込もうとしている世相においては認められなければならぬ。

 ならば、盆に休みたければ勝手に休めばよいし、クリスマスにラブホテルにシケこみたければそうすればよいし、イースターか過越(すぎこし)か、はたまた萬鬼節(ハロウィーン)かなんか知らんが、そうしたければ勝手にそうすればよい。旧正月でも正月でも、各人が祝いたいように祝えばよい。

 そのようにしないと、さまざまな習慣や信仰を持っている何十億と言う数多(あまた)の人間に対応していくことはできない。

 仏教徒以外は盆の時期にノンベンダラリと休んでなどいず、一意徹底、勤労することにしてはどうか。盆など、これは宗教的意義のもの以外の何物でもないからだ。

 宗教をもって休むのが差別で、こんなのはダメだとかなんとか言うなら、働く者の休暇を1年中に分散して社会的影響を低減すべきである。

 休みたいときに勝手に休み、盆だろうと正月だろうと、はたまたゴールデンウィークだろうとシルバーウィークだろうと、萬鬼節(ハロウィーン)でも節分でも逾越(イースター)でも、適当に旅行でも何でもして遊ぶなり、仏壇や墓石に額づいて号泣するなり、好きなようにすればよい。

 それで会社に睨まれたとか馘首(クビ)になったとか、そんなの各人の自由であり勝手である。休んで上司に睨まれ、退職に追い込まれるというのなら、それも自由というものだ。

 そのように考えてきてみると、土曜・日曜というのも不自然である。人工的で、人間の自由を縛ろうとするものだ。何も人間のリズムが7日に強制される必要などない。10日でも30日でも働きたいバカもいれば、毎日休みっぱなしでないと身が持たないという者だっている。

 1年365日には、無論冬や夏があり、それには人間がどうしたって調整することのできないリズムがある。会社の事務所だけが人間の働き場所ではなく、農業や土木の職業には春夏秋冬は変更できない規律である。だから、そういう仕事は、そういう仕事で独自にリズムを刻むがよろしい。

春分の日

投稿日:

天皇陛下万歳

 祝日「春分の日」である。軒先に国旗を掲げ拝礼する。

 春彼岸の中日(ちゅうじつ)であり、また皇室におかれては春季皇霊祭を執り行いあそばされる。

春分の日

投稿日:

天皇陛下万歳

 祝日「春分の日」である。あいにくと私の住まいする越谷市は雨模様だが、かまわず国旗を軒先に掲揚し、拝礼する。

 春分の日、ということは彼岸の中日であり、かつまた、皇室の「春季皇霊祭」でもある。畏し、今上陛下におかせられて、御親祭あそばす最後の大祭ということとなろうか。

秋分の日

投稿日:

天皇陛下万歳

 祝日「秋分の日」である。国旗を掲揚し拝礼する。

 戦前は秋季皇霊祭であったが、民間でも昔から「彼岸の中日」でもあり、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」というこの祝日の主旨と一致する。