あることへの、ある人の感想がやり玉に挙がっている。
「オートバイや航空機などいまの製品につながる技術のルーツがあるとして」なるほど、デュアルユースを強調して武器開発の重要性をアピールか。だがこれは紛れもなく武器、「人殺しの道具」だ。軍事企業が戦時を懐かしみ武器を復刻、本当に気持ち悪い。https://t.co/pxLHRFfYxM
— きむらとも (@kimuratomo) October 13, 2016
戦闘機とか戦艦とか戦車とか、これらの「人殺しの道具」をカッコイイとか、美しいとか、素晴らしいとか喜んでいるミリオタ達の感性。これら「人殺しの道具」を、互いの親子を殺しあう戦場での道具と別物であるとして、分けて考えてしまう感性。これぞ脳内お花畑。血を知らぬ「平和ボケ」。最たる愚だ。
— きむらとも (@kimuratomo) October 14, 2016
上の記事に対する、まあ、どうでもいいような無名の人の、ボソッとしたツイートが右なのだが……
これがもう、えっらい炎上っぷりである。
- 武器を復元することが許せない正義の人(Togetter)
私は頭の悪い好戦右翼だが、しかし、どうも、この「きむらとも @kimuratomo 」なる炎上元の人を叩く気にはなれない。
この「きむらとも」という人に、何か、未熟で
この人が唾のように吐いて捨てた感情は、「人間は戦争をする。だから人間は気持ち悪い、許せない。人間など滅びてしまえばよい。諸悪の根源だから」というのとかなり近いと思う。
だが人間は、間違ったことをしながら良いことをする。人殺しが慈善活動をする例、篤志家が人を殺す例、そんなものは掃いて捨てるほど世の中に転がっている。
悪事を働きながら、罪を犯しながら、だがその一方でまた人を思いやり、愛する、恋する、それが人間というものだ。人間は両極性を持っている、
そんな多様性を持つ一人の人間が、1億、10億、50億と束になればどうだろう。彼らは、虐殺しながら、戦争をしながら、原爆を開発して炸裂させながら、それにもかかわらず、もう一方の手で人を愛し、神を畏れ、徳を磨き、世界を発展させるのだ。その多様性はもはや評価も批判も拒絶していると言わざるを得ない。
大日本帝国が戦争の末期近くなって開発・投入した、この「三式戦闘機・飛燕」だって、現代の私達から見れば人殺し機械の相貌を持っていながら、実は一方では無辜の民を殺戮する悪魔の重爆撃機・B-29を打ち払ってくれる愛の
言っては何だが、この人のツイートは言葉のアヤみたいなもので、どうやら医者らしいが、このダイバーシティ礼賛の世の中、医者ともあろうものが人間のそうした多様性を深く考えたことがないなどと言うはずはあるまい。きっとそういう思考を深刻に経てきた人であることは間違いない。
むしろ医者として、これから大成するよう祈る。