差別根性露呈ウイルス

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 依然、コロナウイルスは猖獗(しょうけつ)を極めている。

 日本人お断りだとか中国人入国禁止だとか、そんなことを言っていても、結局は欧州(ヨーロッパ)で大流行している。人々はそのうち、欧州(ヨーロッパ)白人入国禁止、なんぞと言い出しかねないが、日本に入国する外国人の圧倒的大多数は中国人・韓国人なので、その点、欧州からの入国を禁止しようがしまいが、大したことではなかろうけれども、それにしても。

 事ここに至って、つくづく、人間と言うのは差別を餌に生きる、愚かな存在だと思う。なんとなら、(なに)人だとかカニ人だとか、何国からだとかどこ国からだとか、そんなことはもはや、何の関係もなくなっていると考えられるからだ。

 「人が人に病気をうつす」のだ。「(なに)国人からうつった」なんて追及は、今や既に意味を持っていない。

 それでも人々は、何国ではとか、(なに)人は、とか言わないと生きて行けない。

 人間の(みにく)性根(しょうね)が、ウイルスによって露呈(ろてい)されたと言える。

 「行政が」とか「政府が」とか「アベが」とか「野党が」とか、そんな言い分も結局同じことだ。

 私は、差別を好み、誰であれ他人を見下し、責任を(なす)り付け合わないと(おのれ)を保てない、そんな自分の(いや)しい精神を()じ、世界人類の愛と平和を真面目に考えてこなかったことを反省し、そういう反省の機会を与えてくれたコロナウイルスに感謝することにしたい。これぞ仏罰、神罰、試練と言えよう。私自身の精神が飛躍する絶好の機会なのだ。そこから逃げようとする怯懦(きょうだ)をこそ自ら(いまし)めねばならぬ。

 なあに、自分が感染したら、そして、あるいは死ぬようなことがあれば、そうしたら(いさぎよ)くそれを受け止めるまでである。

新型コロナ感染世界マップ

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 日経新聞のビジュアル・マップがなかなか見やすい。

 日本政府の努力ぶりがよくわかると思う。

私心と争鳴と任務と沈黙

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 誰も彼もがネットですぐに発言できる時代だ。浅ましいもので、福島の原発の時は誰も彼も核物理学者、コロナウイルスでは猫も杓子も感染症の専門家である。

 Twitterでは検疫中のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」号に潜り込んだ研究者が叩かれている。

 そりゃあ、叩かれもするだろう。そもそもこの船は外国船舶で、本来はイギリスが法的義務と責任を持っている。しかし、何分にも今後が憂慮される事態であるから、日本の当局としては、やむなく緊急の処置をもって何とかしようと努力しているわけである。それを、あの手この手を尽くして潜り込んだわけだから、いろいろ言われるのはやむを得ない。

 岩田教授というこの研究者は、(もっと)もらしく動画で自説を訴えておられるが、当局にも当局の言い分があり、どちらにも(うべな)うべき点がある。

 この教授も変なところがある。「個人の見解だ」などとおっしゃっているが、それなら「私は神戸大学の教授で、感染症の専門家だ」などと肩書をチラつかせる必要などない。

 まあ、やむにやまれぬ使命感で、なんとか世の中の力になりたいと思っておられるのであろうことは理解できるが、それであれば、こんな騒ぎなど起こさなくても、御自分の本分を勤務先で尽くされることで、十分以上に世の為人の為になると思う。

 で、それに提灯を付ける大新聞もあって、まあ、忍び笑いも漏れようというものだ。

 それをまた、「勝手なことをしおって」みたいに、抗議しているのは政治家先生である。これがまた、政治家先生なんてものは人気商売なのに、ネットで(じか)発言なんかするものだから、変な喰い付かれ方をしている。

 誰も彼も、訳知りぶるのも結構だが、ちょっとは私心を滅却して大人(おとな)しく出来ぬものなのか。逆に、沈黙して働き、任務に殉ずることがどれほど尊いか、むしろ浮き彫りになってきているように思う。

ウイルス王

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 コロナウイルスによる重症肺炎が中国を起点に蔓延(まんえん)猖獗(しょうけつ)を極めつつある。

 ところで、このコロナウイルスの「コロナ」とは何であるかというと、これは「王冠(クラウン) Crown」のことを希臘(ギリシア)語で「コロナ Corona」と言い、このウイルスの顕微鏡的所見がさながら王冠を上から見たような形状であるからだという。

 「ウィルスの王」と言ってみるとなんだか強そうである。

 しかし、上のリンクにある科学的所見によれば、インフルエンザウイルスなどと同じく、遺伝情報が直接弱い膜に囲まれ、その外側に蛋白質の粒が王冠のように並んでいるそうだ。細かく言えば、インフルエンザウイルスの場合、外側膜は人の細胞膜の一部を盗み取ったものだそうだが、コロナウイルスの外側膜は「(あぶら)」である。

 単細胞生物である細菌が、ウイルスと違って細胞膜に覆われていることを「卵」で例えると、これは「卵の殻」で柔らかな白身と黄身が守られているようなものである。他方、純粋遺伝情報のみを持つウイルスは「白身と黄身が宙に浮いて露出しているようなもの」である。但し、それでは瞬時に消滅してしまうので、「油膜で遺伝子を覆ってある」のである。卵のたとえで言うと、殻を取り去り、内側の白い卵膜だけにしたプヨプヨの卵のようなものである。

 しかも、コロナウイルスの場合、その膜は「脂」に過ぎない。

 石鹸による洗浄がウイルスに有効な理由はここにあるという。すなわち、石鹸の持つ単純だが強力で物理的な界面活性効果は、ウイルスの遺伝情報の外側を守る油膜の界面を壊して水に溶かし、ウイルスの構造を壊してしまうのだ。卵の中身が壊れてしまうように、ウイルス内部のRNAは外に出されると死ぬ。

 我々一般人は強力な感染症から身を守る(すべ)とてはなく、国・自治体等関係当局の処置に待つ他はないが、せめては、科学的知識を渉猟(しょうりょう)し、その弱点を見極めて対応するより他にない。(ひん)回、石鹸による洗浄を行うだけでも、手指等で目・鼻・口を触ることによる感染は相当防ぐことができるだろう。

 「王冠ウイルス」と言えばなにやら強そうだが、石鹸で壊れる如き、むしろ「ビール瓶のふた(王冠)に似ている」と言ってやれば、多少は胸の不安も晴れる。