アナタは評価されなくても、組織は正しい方向へ行く。

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 熟慮した決定案を上司に持っていくと、上司はそれを「変えるのが仕事」と感じてしまい、あっちこっちいじくり出して収拾がつかなくなる。

 しかし、幾つか案を並べ、決めずに持っていくと、上司はそれを「選ぶのが仕事」と感じ、その中からどれか正しい案を選ぶ。

 ……という話を、どこかで見るか聞くかした。

 (けだ)し、至見といえよう。

 付け加えるなら、今、壮年である者は、大抵は「改革病」というものに(かか)っている。土光臨調、行政改革、などというあたりから始まって、子供の頃から改革改革と洗脳され続け、もう、なんでもかんでも変えさえすれば褒められる、という成長の仕方をした人が多いのである。

 時間の制約などで、多案を作る暇がなく、決定案を持っていくしかない場合がある。こういう時にこの「改革病」の人に「正しい案」を持って行ってはいけない。改革病に罹った今の壮年は、それをへんちくりんに変更しておかしくしてしまうことこそが正義だというふうに洗脳されてしまっているから、最初から正しい案を持って行ってしまうと、それが通らなくなってしまうのだ。

 そこで、こういう上司が相手の場合は、「間違った案」を作って持っていくとよい。そうすると、上司は「何だこの案は!まったく最近の若い奴はなっちょらん!!バカ者が!」と怒り出す。コッチの評価は下がり、給料は増えないが、しかし、上司は正しい方向へ案をカスタマイズしはじめるので、組織としては正しい方向へ進む。

 まあ、こういうワザは、私のように出世を捨てた世捨て人でないとキメられませんので、おすすめはできませんね。

オリジナルを編み出す力のない者は

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 オリジナルを編み出す力のない者は、既存のものにチョッピリ手を加えて、関係者が右往左往するのを眺めて悦に入り、「改革だ」と改革の正義なることを力説している気がする。

 新規は、改革と違う。

無情と無常

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 中学校か高校では、鴨長明の「方丈記」を「無常を凝視した文学である」などと習うわけだが、あの上古文語体の冷え冷えとした印象、国文の先生からピシピシと叱られる授業の風景から、無常=無情であると混同してしまっている方は、たいへん多いのではなかろうか。

 無常は、無情ではない。むしろ、無常は現代の「改革病」にもつながることで、重なるところがないではないにもせよ、人情がないことを言う「無情」とは角度が違う。

 そのようなことをモヤモヤと考え、いずれどこかで「無常と無情はまったく違いますよ」という抗議の気持ちを文字列化しなければ生きている甲斐がないなどと思い詰めていたら、ある時、

「Arm Joe」

という漫画に出会い、「こ、これが俺の言いたかったことだああああ!」と三肯四肯、首が折れてしまうのではないかと思ったことであった。

 この漫画は、稀代の「変な漫画を描く人」、泉昌之氏の傑作である。

 主人公の黒人奴隷が人生のすべてを腕っぷしの力に賭けるという、いわば「苦労人の一代記」なのであるが、最後にそれが前提から何からすべてムチャクチャに瓦解するという、支離滅裂の泰斗を表徴するすばらしい作品である。

 こうして無常こそ無情、などと達観の境地に誤落してしまう私なのであった。

改革病

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 「土光臨調」「三公社五現業」という言葉は、私などが小学生の頃に新聞やテレビでしょっちゅう流れていた言葉である。社会科の教科書にも出ていたかもしれない。

 私と同じ歳で、──私は昭和41年生まれだ──リアルな耳への実感でこれらの言葉を覚えている人は、多くはないと思う。新聞を読んだりニュースを見たりする子は、同級生にはまれだったものだ。しかし、私は小学校低学年から新聞を読んだりニュースを見たりする変な子供だったので、これらの言葉を実感で覚えている。土光臨調の時には私は中学生だったが、周囲の者は多分高校の受験勉強に忙しかったから、リアルタイムではこの言葉は知らないと思う。知っていたとしても、リアルタイムではなく、後から知ったことだろう。

 臨調、などの言葉は、そのまま「行政改革」につながっていく。改革という文字が新聞に載らない日とてはなく、文盲率の低い文明国の悲しさ、知能の高い人であればあるほど、新聞から脳に、毎日「改革」と言う言葉が注入され続けた。それが、昭和55~57年頃(1981年頃)のことだ。

 土光臨調や行政改革の是非については、私にはよくわからない。だが、その意義や目的を理解することなく、とにかく改革、という人々が増殖したことは確かだ。

 それは、いけないことだったと思う。この時代に成長した人たちは、なんでもいいから引っこ抜き、踏み荒らし、変更し、他人に意思を強要しさえすれば「偉いねえ、頑張ったねえ、すごいねえ」と、親にも先生にも上司にも褒められて育つことになったからだ。

 その人たちが悪いのではない。そのように誰かに吹き込まれて育ったのだから、それを遵奉しようとするのは当然のことだ。そしてまた、時代が悪いわけでも、社会が悪いわけでもない。すべて正しかったのだ。だが、正しいものがすべていいことかというと、それは違う。かつて戦争は正義の眷属(けんぞく)であった、と言えばわかりやすい。

 改革が正義であるから、変えるべきものがなくなってくると、この人たちは言い知れない不安に襲われる。正義が否定されるのだ。人間は正しくなければならない。ただしくあるためには、変更だ、差し替えだ!!優れた人であればあるほど、正義のために自らも変わろうと努力し続ける。いいかげんなことは許さん!!…かくて、目的も理念も忘れた、正義の「ためにする」改革が繰り返され続けていく。

 これがまた、「改め」かつ「あらたなものを露出させる(=「革」という字は、古いカワをはがしてあたらしい中身が出てくるという意味がある)」ことになっていればいいのだが、凡人にはどうしても、「なにかよい手本をよそから持ってきて、差し替える」くらいのことしかできない。カワをはがす(革)ではなく、ペンキでゴテゴテと上っ面の色を小汚く塗り重ねるだけだ。つまり、ただの「変更」だ。そして、たいていの優れた人は、凡人だ。

 そう、「変更」が正義だ、というところが、困ったことなのだ。「生む・産む」ことではない。「あらためる」ことでもない。オリジナルを産むのではなく、アメリカ風なものに「差し替え」だ。凡人にできる改革など、そんなものだ。

 昭和後半に否定され続けたものは、実は「生まれたもの」でもある。声高にヤレ改革だ革命だと叫ばなくったって、明治維新以来、日本はレボリューションやらイノベーションやら、嵐のような改革と激動に揉まれ続けていた。新幹線が敗戦の痛手から立ち直ってゼロから新しく作られた、などと思い込んでいる向きも多いが、じつは新幹線は昭和の初期から開発が引き続き行われていたことは、満州鉄道史などを少し調べればすぐにわかる。戦時中の航空機開発史などを見ると、信じられないほどの水準と速度でものを生み続けていたこともよくわかる。

 不易流行、という言葉がある。古色蒼然として、カビか苔でも生えていそうな言葉だ。だが、この言葉が好きだ。変わってはならないオリジンの上に、しっかりと変容を受け止めていく。個人においても、組織においても、ゆらぎのない個の確立の上に、変容は迎え入れられる。

 改革だ改革だ、と、憑かれたように言い続ける必要は、ない。明治維新以来の私たちの、もともとのベースに、それは組み込まれている。