ぬ考

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 昨日、関東甲信越では梅雨が明けた。私の住まう越谷市でも、さながら機械装置のスイッチをポンと切り替えたかのように突然雨が止み、蝉が鳴き、雲の峰がむくむくと輝きながらせり上がっている。

 まさしく夏は()ぬ、である。

夏は来ぬ
佐佐木信綱作詞

卯の花の 匂ふ垣根に
時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

 名曲「夏は来ぬ」。何度読んでも歌っても、美しい日本語だなあとしみじみ思う。

 この歌詞を味わっていて、ふと思い出すことがある。

 次女が中学生だったか、小学校高学年だったか。学校の国語か音楽の授業でこの歌が出たらしく、覚えて家に帰り、細く高い澄んだ声で口ずさみはじめた。

〽 う~のはな~のにおうかきねに ほぉ~ととぎぃ~すはやもきなきて しぃ~の~びぃ~ねもぉらあす~ なつ~ぅはぁこ~ぬ~

 ん、あれ、「ぬ」? 何?

「おい智香、ちょっ “ぬ考” の続きを読む

()からざらん()

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 天皇誕生日によせた祝日エントリで、筆のすさびならぬ、キーボードの進むままに「()(たっと)()からざらん()」などと書き結び、書いてからふとこの一文が気になった。

 「べからざらんや」というのが、人様にわかってもらえるかどうか、気になったのだ。

 Googleで「べからざらんや」を検索すると、なるほど、「Yahoo!知恵袋」などがヒットしてくる。学生らしい質問者が国語の勉強の上でだろう、「どういう意味でしょうか」と問うているわけである。

 教科書的な回答が数多くあるが、しかし、私としては次のように説明を試みてみたい。

 「祝う」という語が「祝うべからざらんや」となるまで、反語で強められていく変化の過程を例に示すことで説明に代えたい。

口語体 文語体
祝う 祝ふ
祝うべきだ 祝ふべし
祝うべきではない、祝ってはならない 祝ふべからず
祝ってはならない(もの) 祝ふべからざる(もの)
祝ってはならないだろう 祝ふべからざらん
祝ってはならないだろうということがあるだろうか?(いや、そんなことはない) 祝ふべからざらん

 このように変化させて考えていくと、文語的表現はピシリと引き締まり、文字も少なくてすむことがよくわかる。

 私は俳句を詠むのが趣味だが、五・七・五の限られた文字数でできる限りの表現をしようとすると、文語体の方が色々詰め込むことができる、ということは上のようなことからも多少否めないと思う。

聖書でも読もうか

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 クリスマスだが、一昨日家族のために新調したハードディスクレコーダー(PanasocicのDIGA DMR-UCX4060)が昨日届き、その使い方などを試していたから、いつものように読書三昧というわけにはいかなかった。

 今日は更に、日立の乾燥機が届いた。今日届く予定というから、外出もせず今か今かと待ち受けていたら夜の20時近くにもなって届く始末である。

 乾燥機は大きいので、これをえっちらおっちら運ぶやら、開梱するやら、説明書を読むやら。本格的な据え付けは明日にするとして、結局今の時間になった。22時半。

 さて、クリスマスである。

 毎年毎年同じことをこのブログに書いているが、私はキリスト教徒ではないから、クリスマスに縁はない。むしろ、キリスト教など嫌いである。

 伝説の宗教者、ナザレのイエスがいつ生まれたのであろうと、はたまたいつどこで死んだのであろうと、自分にはまったく関係ない。

 だが、子供の頃から大人になるまで、クリスマスにはプレゼントを交換したり御馳走を食べたりケーキを切ったり、そういう楽しみ方はしていた。キリスト教が好きとか嫌いとか言うような観念がなかったし、何より自分も周囲もそうすることが楽しかったからである。

 長じて結婚し、子供が生まれてからも、自分自身が子供の頃、父母が私にそうしたように、自分の子供たちも楽しませてやろうと思ったので、殊更クリスマスを否定することはなく、御馳走を作ったりケーキを焼いたりプレゼントを奮発したり、のみならずクリスマスツリーの飾り付けは年々大きくなり、しまいには2メートルにもなんなんとするポップアップ式のものに満艦飾にオーナメントをぶら下げたりもしてきた。

 勿論、今も「否定」まではしていない。キリスト教徒が大切にしている祭日を、頭ごなしに唾棄するようなことは、人間らしくない。他人が大切にしているものは、やはり尊重すべきであろう。

 だから、今の私は聖書などを紐解くことにしている。

 私が若い頃から持っている聖書はこの文語訳の「(きゅう)新約聖書」だ。美しく格調高い文語体のものである。

 日が変わる前に、「マタイ(でん)」から(さら)ってみよう。

日本聖書協会小形引照付聖書より引用。ルビは佐藤俊夫による現代かなづかい。
以下の<blockquote>タグ同じ。
「マタイ傳福音書」より

 イエス・キリストの誕生は()のごとし。 その母マリヤ、ヨセフと許嫁(いいなづけ)したるのみにて、未だ(とも)にならざりしに、聖靈(せいれい)によりて(みごも)り、その孕りたること(あらわ)れたり。夫ヨセフは正しき人にして、之を公然にするを好まず、(ひそか)に離縁せんと思ふ。かくて、これらの事を思ひ(めぐ)らしをるとき、()よ、主の使、夢に現れて言ふ『ダビデの子ヨセフよ、妻マリヤを()るる事を恐るな。 その(はら)に宿る者は聖靈によるなり。かれ子を生まん、汝その名をイエスと名づくべし。 己が民をその罪より救ひ給ふ故なり』すべて此の事の起りしは、預言者によりて主の云ひ給ひし言の成就せん爲なり。 曰く、『視よ、處女(おとめ)みごもりて子を生まん。その名はインマヌエルと(とな)へられん』(これ)(ひもと)けば、神われらと(とも)(いま)すといふ意なり。ヨセフ(ねむり)より起き、主の使の命ぜし如くして妻を納れたり。されど子の生るるまでは、相知る事なかりき。 かくてその子をイエスと名づけたり。

「ルカ傳福音書」より

 ユダヤの王ヘロデの時、アビヤの組の祭司に、ザカリヤという人あり。その妻はアロンの(すえ)にて、名をエリサベツといふ。二人ながら神の前に正しくして、主の誡命(いましめ)定規(さだめ)とを、みな(かけ)なく行へり。エリサベツ石女(うまずめ)なれば、彼らに子なし、また二人とも年(すす)みぬ。

 さてザカリヤその組の順番(まわり)(あた)りて、神の前に祭司の(つとめ)を行ふとき、祭司の慣例にしたがひて、(くじ)をひき主の聖所に入りて、香を()くこととなりぬ。香を燒くとき、民の群みな外にありて祈りゐたり。時に主の使あらはれて、香壇の右に立ちたれば、ザカリヤ之を見て、心さわぎ(おそれ)を生ず。御使いふ『ザカリヤよ、懼るな、汝の(ねがい)()かれたり。汝の妻エリサベツ男子を生まん、汝その名をヨハネと名づくべし。なんぢに喜悦(よろこび)歡樂(たのしみ)とあらん、又おほく(多く)の人もその生るるを喜ぶべし。この子、主の前に(おおい)ならん、また葡萄酒と濃き酒とを飮まず、母の胎を出づるや聖靈にて滿されん。また多くのイスラエルの子らを、主なる彼らの神に歸らしめ、且エリヤの靈と能力(ちから)とをもて、主の前に往かん。これ父の心を子に、戻れる者を義人の聰明に(かえ)らせて、整へたる民を主のために備へんとてなり』ザカリヤ御使にいふ『何に()りてか此の事あるを知らん。我は老人にて、妻もまた年(すす)みたり』御使(みつかい)こたへて言ふ『われは神の御前に立つガブリエルなり、汝に語りてこの()音信(おとづれ)を告げん(ため)(つかわ)さる。()よ、時いたらば必ず成就すべき我が(ことば)を信ぜぬに()り、なんぢ物言へずなりて、(これ)らの事の成る日までは語ること(あた)()じ』民はザカリヤを()ちゐて、其の聖所の内に久しく留まるを怪しむ。遂に出で來りたれど語ること能はねば、彼らその聖所の内にて異象を見たることを悟る。ザカリヤは、ただ首にて示すのみ、なほ(おうし)なりき。(かく)(つとめ)の日滿ちたれば、家に歸りぬ。

 此の後その妻エリサベツ孕りて、五月ほど隱れをりて言ふ、『主わが恥を人の中に(すす)がせんとて、我を顧み給ふときは、斯く爲し給ふなり』

 その六月めに、御使ガブリエル、ナザレといふガリラヤの町にをる處女(おとめ)のもとに、神より遣さる。この處女はダビデの家のヨセフといふ人と許嫁(いいなずけ)せし者にて、其の名をマリヤと云ふ。御使、處女の許にきたりて言ふ『めでたし、惠まるる者よ、主なんぢと(とも)(いま)せり』マリヤこの言によりて心いたく騷ぎ、(かか)る挨拶は如何なる事ぞと思ひ廻らしたるに、御使いふ『マリヤよ、懼るな、汝は神の御前(みまえ)(めぐみ)を得たり。視よ、なんぢ孕りて男子を生まん、其の名をイエスと名づくべし。彼は大ならん、至高者(いとたかきもの)の子と(とな)へられん。また主たる神、これに其の父ダビデの座位(くらい)をあたへ給へば、ヤコブの家を永遠に治めん。その國は終ることなかるべし』マリヤ御使に言ふ『われ未だ人を知らぬに、如何にして此の事のあるべき』御使こたへて言ふ『聖靈なんぢに臨み、至高者の能力(ちから)なんぢを(おお)はん。此の故に汝が生むところの聖なる者は、神の子と稱へらるべし。視よ、なんぢの親族エリサベツも、年老いたれど、男子を孕めり。石女といはれたる者なるに、今は孕りてはや六月(むつき)になりぬ。それ神の(ことば)には(あた)()ぬ所なし』マリヤ言ふ『視よ、われは主の婢女(はしため)なり。汝の言のごとく、我に成れかし』つひに御使はなれ去りぬ。

 その頃マリヤ立ちて山里に急ぎ往き、ユダの町にいたり、ザカリヤの家に入りてエリサベツに挨拶せしに、エリサベツその挨拶を聞くや、兒は胎内にて躍れり。エリサベツ聖靈にて滿され、(こえ)高らかに(よば)()りて言ふ『をんなの中にて汝は祝福せられ、その(たい)()もまた祝福せられたり。わが主の母われに來る、われ何によりてか(これ)()し。()よ、なんぢの挨拶の(こえ)、わが耳に入るや、我が()、胎内にて喜びをど()れり。信ぜし者は幸福(さいわい)なるかな、主の語り給ふことは必ず成就すべければなり』マリヤ言ふ、『わが心、主を(あが)め、わが靈はわが救主(すくいぬし)なる神を喜びまつる。その婢女の卑しきをも(かえり)み給へばなり。視よ、今よりのち萬世(よろずよ)の人、われを幸福とせん。全能者われに大なる事を爲したまへばなり。その御名(みな)(せい)なり、その憐憫(あわれみ)代々(よよ)(かしこ)み恐るる者に臨むなり。神は御腕(みうで)にて權力をあらはし、心の(おもい)に高ぶる者を散らし、權勢ある者を座位(くらい)より下し、いやしき者を高うし、飢ゑたる者を善き物に飽かせ、富める者を空しく去らせ給ふ。また我らの先祖に告げ給ひし如く、アブラハムとその裔とに(たい)するあはれみを永遠に忘れじとて、(しもべ)イスラエルを助け(たま)へり』かくてマリヤは、三月ばかりエリサベツと(とも)に居りて、己が家に(かえ)れり。

 さてエリサベツ産む(とき)みちて男子を生みたれば、その最寄のもの親族の者ども、主の(おおい)なる憐憫(あわれみ)をエリサベツに垂れ給ひしことを聞きて、彼とともに喜ぶ。八日(ようか)めになりて、其の子に割禮(かつれい)を行はんとて人々きたり、父の名に(ちな)みてザカリヤと名づけんとせしに、母こたへて言ふ『否、ヨハネと名づくべし』かれら言ふ『なんぢの親族の中には此の名をつけたる者なし』(しか)して父に(こうべ)にて示し、いかに名づけんと思ふか、問ひたるに、ザカリヤ書板(かきいた)を求めて『その名はヨハネなり』と書きしかば、みな怪しむ。

 ザカリヤの口たちどころに開け、舌ゆるみ、物いひて神を()めたり。最寄に住む者みな(おそれ)をいだき、又すべて此等のこと(あまね)くユダヤの山里に言ひ(はや)されたれば、聞く者みな之を心にとめて言ふ『この子は如何なる者にか成らん』主の手かれと偕に在りしなり。かくて父ザカリヤ聖靈にて滿され預言して言ふ、『讃むべきかな、主イスラエルの神、その民をかへりみて贖罪(あがない)をなし、我らのために(すくい)(つの)を、その(しもべ)ダビデの家に立て給へり。これぞ古へより聖預言者の口をもて言ひ給ひし如く、我らを仇より、(すべ)て我らを憎む者の手より、取り出したまふ(すくい)なる。我らの先祖に憐憫(あわれ)を垂れ、その聖なる契約を(おぼ)し、我らの先祖アブラハムに立て給ひし御誓(みちかい)を忘れずして、我らを(あだ)の手より救ひ、生涯、主の御前(みまえ)に、聖と義とをもて(おそれ)なく(つか)へしめたまふなり。幼兒(おさなご)よ、なんぢは至高者(いとたかきもの)の預言者と()へられん。これ主の御前に先だちゆきて、其の道を備へ、主の民に罪の(ゆるし)による(すくい)を知らしむればなり。これ我らの神の深き憐憫(あわれみ)によるなり。この憐憫によりて朝のひかり、上より臨み、暗黒と死の蔭とに坐する者をてらし、我らの足を平和の(みち)にみちびかん』かくて幼兒は(やや)に成長し、その靈強くなり、イスラエルに現るる日まで荒野にゐたり。

 その頃、天下の人を戸籍に()かすべき詔令、カイザル・アウグストより出づ。この戸籍登録は、クレニオ、シリヤの總督(そうとく)たりし時に行はれし初のものなり。さて人みな戸籍に著かんとて、各自その故郷(ふるさと)に歸る。ヨセフもダビデの家系また血統(ちすじ)なれば、既に(はら)める許嫁の妻マリヤとともに、戸籍に著かんとて、ガリラヤの町ナザレを出でてユダヤに上り、ダビデの町ベツレヘムといふ處に到りぬ。此處(ここ)に居るほどに、マリヤ月滿ちて、初子(ういご)をうみ、之を布に包みて馬槽(うまぶね)()させたり。旅舍(はたごや)にをる(ところ)なかりし(ゆえ)なり。

 この地に野宿して夜、群を守りをる牧者(ひつじかい)ありしが、主の使その(かたわ)らに立ち、主の榮光(えいこう)その周圍(まわり)を照したれば、(いた)(おそ)る。御使(みつかい)かれらに言ふ『懼るな、視よ、この民一般に及ぶべき、大なる歡喜(よろこび)音信(おとづれ)を我なんぢらに告ぐ。今日ダビデの町にて汝らの爲に救主(すくいぬし)うまれ給へり、これ主キリストなり。なんぢら布にて包まれ、馬槽に臥しをる嬰兒(みどりご)を見ん、(これ)その(しるし)なり』(たちま)ちあまたの天の軍勢、御使に加はり、神を讃美して言ふ、『いと高き處には榮光、神にあれ。地には平和、主の悦び給ふ人にあれ』御使(みつかい)(たち)さりて天に往きしとき、牧者(ひつじかい)たがひに語る『いざ、ベツレヘムにいたり、主の示し給ひし起れる事を見ん』(すなわ)ち急ぎ()きて、マリヤとヨセフと、馬槽に臥したる嬰兒とに尋ねあふ。既に見て、この子につき御使の語りしことを告げたれば、聞く者はみな牧者の語りしことを怪しみたり。而してマリヤは(すべ)て此等のことを心に留めて思ひ(まわ)せり。牧者は御使の語りしごとく凡ての事を見聞せしによりて、神を崇めかつ讃美しつつ歸れり。

 八日みちて幼兒に割禮を施すべき日となりたれば、未だ胎内に宿らぬ先に御使の名づけし如く、その名をイエスと名づけたり。

読書

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 注文しておいた岩波の「北槎聞略」、夕刻帰宅したら届いていた。さっそく読み始める。

 文語体とは言っても中世のものとは違って江戸時代のものだからかなり読み易い。また漢字の異体字は通用のものに直す等してあるので、かなり楽に読める。

花と早春賦と文語体

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 「花」や「早春賦」をYoutubeで聴く。

 ああ、明治時代の詩は、どうしてこうも美しいのだろう。なんで、文語体でないとこの美しさが出ないんだろう。

 というか、多分、そんなふうに思う私は変人なんだろう。

 多くの人は文語体なんてクソだしダメだし理解不能だし死んでしまえ、それより英語サイコー!……と思っているに違いない。

けしからん考

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 文語体で書くときの現在推量の助動詞に「らむ(らん)」がある。

 「今まさにこうであろうなあ」という場合に使う助動詞で、私などは俳句を()むとき、この「らむ」をよく使う。去る秋、こんな俳句を詠んだ。

松茸の土やかの空青むらむ
(https://satotoshio.net/blog/?p=2893)

 この松茸のとれたところの、空が今ちょうど、青くなってるんだろうなあ、と思ったので、即吟、そのまま詠んだのだ。ちなみに、似た働きを持つ助動詞に「けむ」がある。これは「過去推量」だ。「多分、これ、こうだったんだろうなあ」という時に「けむ」を使う。

老母さぞ舞ひけむ祇園囃子過ぐ
(https://satotoshio.net/blog/?p=1488)

 これは夏に詠んだ句だ。祇園ばやしを昔舞ったものなんだろうなあ、と思ったので、そのまま詠んだのだ。

 ところで、過日、憎んでいる人物について文章を綴っていて──いや、私だって、嫌いな奴、許せない奴はいますよ、社会に生きるおっさんですからね──その人物のことを「けしからぬ奴」と書いてから、ふと、筆が止まった。

 これは、多分間違っている。

 「けしからん」の最後の「らん」は、現在推量の「らむ(らん)」ではなかろうか。

 おそらく、「けしからん」は、「()しく」「ある」「らん」のつづまったものだと思われる。つまり、「たぶん、彼奴(あやつ)はイヤでダメであろう」という現在推量だ。

 そうすると、最後の「ん」は、否定の「ぬ(ん)」ではなく、「む(ん)」である。音読するときにはどちらも同じ「ん」でも、「ぬ」と「む」では意味が違うのだ。

 「けしからん」という言葉で「けしからない(けしからず)・けしかって・けしかる・けしかれば……」などと活用を試みると、これはもう直覚的に「そんな活用はナイ」ということがよくわかる。「けしからない」なんて言い方はないのだから、文語的な「けしからぬ」というのもないはずだ。そこからも、「けしからん奴」の「らん」は、現在推量の「らん」だろう、と思われるのだ。

 ただ、ではというので「けしからむ奴」と書いてそれが通るかと言うと、通るまい。こういう書き方も見たことがない。だから、正しいのはやっぱり「けしからん奴」だろう。

 他方、池波正太郎の小説など読んでいると、「けしからぬ…」という使い方がよく出ていたように思う。

 それで通るなら、まあ、それもアリかな、と思う。大小説家にしてはじめて許される、愛すべき言葉の芸と言える。こういうのは可なのだ。

(ただし、コッチにはこういうふうに書いてある;「けしからんとは」http://yain.jp/i/%E3%81%91%E3%81%97%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%93;どうも、わからんね。多分これも正しいんだろう。)

 だがしかし、私にはそれは許されまい。やはり、私如き辺りは、「けしからん奴」と書くのが良い。

クリスマス(聖誕節)に聖書繰らなかったな

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 私はキリスト教が嫌いだが、クリスマス(聖誕節)に聖書を読むということを毎年やる。

 恰好(カッコ)を付けているわけではない。嫌いなものでも、それをよく理解するということが必要だと思うからだ。生理が遠ざけよう遠ざけようとするものをムリヤリ読もうというのだから、自分なりに工夫がいる。

 こういう読書には、読む気になるような、読書の楽しみが得られるような、ちょっと持って回った工夫が必要だ。世間も私も心の浮つくクリスマスにそれをやる、というのも私の工夫の一つだ。

 また、次のような、ベースとなる工夫もある。私が若い頃から持っている聖書は日本聖書協会の「新旧約聖書 引照附」(ISBN-13: 978-4820210078)、この一点のみである。

 読んで面白いと思える聖書はこれだけだ。その特徴は「文語訳であること」、一点これあるのみである。キリスト教の、不自由でキッツい感じ、神との契約に責め立てられるキビしいマゾ感、高圧的で頭ごなしに怒鳴りつけてくるようなムリヤリ感、チョッピリ嘘をついただけで「お前は死刑」と言われるデジタル感、幅のなさ、狭量な感じ、これは、文語体で読まなければ官能あるいは肉の痛みとして脳裏に味わうことができないと思うのである。

 で、例年はクリスマスの夜更けに興味の湧いた個所を繰り返し読むということをするのだが、どうしたわけか、忙しかったことも有之(これあり)、今年はこれをしなかった。

 回教徒に心を寄せると同時に、キリスト教徒にもやはり心を寄せ、これを理解するようつとめなければならぬ。私はキリスト教が嫌いだが、嫌いなものも嫌わないようにしないといけない。受け付けぬものも飲み込まなければ立派な人にはなれぬ。子供が無理やりピーマンやニンジンやセロリを食うようなものであろうか。キリスト教に栄養価があるとは思えないが、それでも、それを飲み干さねばならぬ。

 精神衛生には悪いが、内容をよく把握し、研究することである。しかるをもって、毎年毎年、この苦行、とはいえ、表裏一体としての読書の楽しみを続けている。

無情と無常

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 中学校か高校では、鴨長明の「方丈記」を「無常を凝視した文学である」などと習うわけだが、あの上古文語体の冷え冷えとした印象、国文の先生からピシピシと叱られる授業の風景から、無常=無情であると混同してしまっている方は、たいへん多いのではなかろうか。

 無常は、無情ではない。むしろ、無常は現代の「改革病」にもつながることで、重なるところがないではないにもせよ、人情がないことを言う「無情」とは角度が違う。

 そのようなことをモヤモヤと考え、いずれどこかで「無常と無情はまったく違いますよ」という抗議の気持ちを文字列化しなければ生きている甲斐がないなどと思い詰めていたら、ある時、

「Arm Joe」

という漫画に出会い、「こ、これが俺の言いたかったことだああああ!」と三肯四肯、首が折れてしまうのではないかと思ったことであった。

 この漫画は、稀代の「変な漫画を描く人」、泉昌之氏の傑作である。

 主人公の黒人奴隷が人生のすべてを腕っぷしの力に賭けるという、いわば「苦労人の一代記」なのであるが、最後にそれが前提から何からすべてムチャクチャに瓦解するという、支離滅裂の泰斗を表徴するすばらしい作品である。

 こうして無常こそ無情、などと達観の境地に誤落してしまう私なのであった。

ルバイヤート集成

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 大して良い酒が飲めるほどの金持ちではないのにもかかわらず、あいかわらずだらしのない酒飲みの私だ。

 そのくせ一人前の格好だけはつけていたくて、花鳥の色につけ酒の味につけ、何か詩句論説講釈のたぐい、能書きの一つも(ひろ)げて見せてからでないとはじまらないというのだから、まず我ながら見栄坊もいい加減ではある。

 さて、だからと言うのではないが、文学というものの数ある中に、酒飲みが引用するといかにも賢そうに見えるという、そういうネタがあるということを開陳しておかねばなるまい。

 ネタ強度の点では、まずランボォだのヴェルレーヌだの、このあたりで能書きをタレておけばいいのではないか。なにしろ酔っぱらいそのもの、頭の中に脳味噌のかわりに酒粕でも詰めておくと多分ああいう詩が書けるようになるだろうというほどのものであるから、まずこれで知識人ぶることができるのは間違いはないだろう。

 西洋が嫌なら、東洋文学だ。「唐詩選」あたりから何か引っ張るというのもテだろう。「葡萄の美酒夜光の杯、酔ふて沙場に臥すとも君嗤ふこと莫れ…云々」、なんぞと微吟しつつ飲んでおれば、いっぱしの知識人に間違われること請け合いだ。

 そんなアホな引用のコツに凝る似非(えせ)知識人の私としては、ワケの分からない異文化の手触り、エキゾチシズムの香りで周りをケムに巻けるという点で、この詩人、アラビア・ペルシアの誇る四行詩の泰斗にして同時に極北、オマール・ハイヤームを挙げておくのがもっともピタリと来る。なにしろ、のべつ酔っ払って酒をほめると言う点では世界に並ぶものなしだ。

 オマール・ハイヤームの詩集「ルバイヤート」は、現在簡単に入手可能なものとしては岩波の小川亮作訳がある。また、これは著作権切れで青空文庫にも収録されており、無料で読むこともできる。

 ただ惜しむらくは、この岩波の小川訳は口語体で、しかも味わいの上から韻文に遠いことだ。それが格調に制限を加えている。

 実は、そのように思わせる原因は、岩波文庫のあとがきにある(岩波のあとがきはまだ著作権が切れていないので、青空文庫では読めない。)。あとがきにはフィッツジェラルドの訳業のあらましと一緒に、我が国におけるルバイヤートの訳出のあらましが記されてあり、無視すべからざる翻訳として、矢野峰人という文学者によって大正時代から昭和初期にかけてなされた文語体の名訳がわずかにふたつだけ紹介されているのである。

 小川訳も、もちろん良い。だが、矢野訳のしびれるような訳は、どうしても捨てがたいのである。

【口語訳】

この壺も、おれと同じ、人を恋う嘆きの姿、
黒髪に身を捕われの境涯か。
この壺に手がある、これこそはいつの日か
よき人の肩にかかった腕なのだ。

【文語訳】

この壺も人恋ひし嘆きの姿
黒髪に身を囚われの我のごと
見よ壺に手もありこれぞいつの日か
佳き人の肩にかかりし腕ならめ

(若干の解説をするなら、人は死んで土になる、王も賎民もいっしょくただ。こうして土になった人々は、何千年もしてから焼物師の手にかかって粘土としてこねられ、壺になる。だが、出来損ないとしてその壺は打ち砕かれることもある。焼物師よ、ちょっと待て待て、その壺は、昔々美女だったかも知れぬではないか、打ち砕くのをちょっと待ってやれよ…というような含みが前提としてある詩である。)

 文語訳のほうがやっぱりピシリと締まった格調の高さが感じられるのである。

 私は22、3歳のころだったか、岩波の小川訳にシビれ、だらだらと酒を飲む口実にしてきた。だが、そのあとがきにある2篇ほどの文語訳が心に残り、これを忘れたことがない。

 しかし、長らく文語訳のルバイヤートは絶版で、読むことはできなかった。

 そうして長い年月が打ち過ぎた。ところが、である。つい先日のことだが、インターネット時代というのはなんと便利なことだろう。暗唱していた文語訳の詩文をGoogleに入力してみたら、瞬時をわかたず、出るではないの、出版元が!

 10年ほど前、この文語訳のルバイヤートが国書刊行会から出ていたことがわかったのだ!。

 しかしそれにしても、1冊5千円は、た、高い。

 それで、今日は国会図書館へ行き、じっくりと読んできた。

 以下に、書き写してきた文語体のいくつかを摘記する。著作権はとうに切れているから、特に問題はない。


第三十四歌

生の秘義をばまなばんと
わがくちづくる坏の言ふ——
「世にあるかぎりただ呑めよ、
逝けばかへらぬ人の身ぞ。」

p.43
第三十九歌

如何にひさしくかれこれを
あげつらひまた追ふことぞ、
空しきものに泣かむより
酒に酔ふこそかしこけれ。

p.47
第四十三歌

げにこの酒ぞ相せめぐ
七十二宗うち論破(やぶ)り、
いのちの鉛たまゆらに
黄金に化する錬金師。

p.52
第四十八歌

河堤(つつみ)に薔薇の咲ける間に
老カイヤムと酒酌めよ、
かくて天使のおとなはば
ひるまず干せよ死の酒を。

p.56
第五十二歌

人のはらばひ生き死ぬる
上なる空は伏せし碗、
その大空も人のごと
非力のままにめぐれるを。

p.61
第五十七歌

わが行く道に罠あまた
もうけたまへる神なれば
よし酒ゆゑに堕ちんとも
不信とわれをとがむまじ。

p.63〜
第五十九歌〜

新月もまだ見えそめぬ
断食月(ラマザン)果つるゆふまぐれ、
土器(かはらけ)あまた居ならべる
かの陶人(すゑびと)の店訪ひぬ。

言ふも不思議やそのなかに
片言かたるものありて
こころせはしく問ふやうは——
「誰ぞ陶人は、陶物は?」

次なるもののかたるらく——
「われをば土器につくりてし
『彼』またわれを()となせば、
なぞ(あだ)ならむこの身かな。」

また次の言ふ——「悪童も
おのが愛器をこぼたねば、
なじかは神がみづからの
つくりしものをこぼつべき。」

()もいらへせず、ややありて
かたちみにくき(かめ)のいふ——
「かくわがすがたゆがめるは
陶人の手やふるひけむ?」

次なるは言ふ——「『(あるじ)』をば、
あしざまに言ひ、てきびしき
試煉をおづるものあれど、
『かれ』こそは()(をのこ)なれ」

次なる甕の嘆ずらく——
「乾きはてたる身なれども
なつかしの酒充たしなば
日を待たでよみがへるらむ。」

かくかたるとき、待かねし
新月のかげ見えしかば、
肩つきあひて甕のいふ——
「酒をはこべる軽子(かるこ)見よ。」

 なんというか、茫然自失するような訳だと思う。

「風立ちぬ」の文語文法

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 一昨日、宮崎駿のアニメ「風立ちぬ」を見た。そこから連なって、堀辰雄の同題の代表作「風立ちぬ」を読みつつある。

 宮崎アニメ「風立ちぬ」は、この堀辰雄の代表作の主人公を、零式艦上戦闘機の設計者として知られる堀越二郎氏に差し替え、叙情高く描き上げた傑作である。

 全編をつらぬいて、フランスの詩人、ポール・ヴァレリーの詩の一節が通奏低音のように潜んでいる。「風立ちぬ」のテーマだ。

Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
(Paul Valéry – Le Cimetière Marin (The Graveyard by the Sea))

 英語で語を()って書けば

The wind is rising, we must endeavor to live.

…となる。

 堀辰雄はこれを

「風立ちぬ いざ生きめやも」

と訳した。

 名訳である。

 だが、堀辰雄が用いた「風立ち いざ生きめやも」という文語の表現は、読んでもわからない人がほとんどだと思う。まして、こういう言い方・書き方で自分の言いたいことが言え、書ける、という人は今の世の中にほとんどいないだろう。

 私は多少、文語や旧仮名遣いを用いて創作をする。俳句をよく()むのだが、作品はほとんど文語・旧仮名遣いで詠む。口語で作るものは百句読んで一句あるかないかだ。だから、ごく一般の方に比べれば、少しはこの詩句を文語文法の面から評論できる資格もあると自負する。

 そこで僭越ながら、この「」「めやも」について記しておきたい。


○ 風立ちぬ

 まず、「風立ちぬ」の「ぬ」から書いてみよう。

 「風立ちぬ」を装飾なく書けば、普通に動詞の終止形は「風立つ」であり、口語文法とあまり変わらない。では、なぜわざわざ「風立ちぬ」などと書くのか。

 「ぬ」というのは、文法で言うと、「完了および強意の助動詞」である。助動詞というからには、文字通りこれは動詞を助けるものだ。

 助動詞は動詞とくっつかなければ役に立たないから、付属語というものに分類されるが、そのうちでも「活用」、すなわち場合によって形が変わる語を助動詞という。

 「完了の助動詞」という面から見ると、「向こうのほうで勝手に動いてしまっている、自然な動詞(自動詞)につなげて、それが完全に終わったことを言いたいとき」に使う。

 「強意の助動詞」という面から見ると、「非常に強くそれが完了したことを言いたいとき」に使う。口語にはこれがない。もし口語で言うと「非常に」とか「かならず」とか、若者言葉なら「ゼッタイ」とか、そういう言葉で文章を彩りたい場合に、文語ではこれを使うと見ればいいだろう。

 一例を挙げてみよう。

卯の花の匂ふ垣根に
不如帰(ほととぎす)早も()鳴きて
忍音(しのびね)もらす 夏は()

(佐々木信綱「夏は来ぬ」、下線筆者)

 「ああ、本当に、本当に、夏が来たなあ」という、詠み手の感激が、しみじみと伝わってくるではないか。

 つまり、「風立ちぬ」を口語訳する際、「風が吹いた」と普通に終止形にしてしまうと、原文に含まれる、この一文の作り手が感じ取った促されるような風の意思、決然とした、それでいて静かな、しみじみとした感じが出てこないのである。大げさに訳せば、「ああ、なんと、風が吹いた…!」ぐらいの感じが、この簡潔な文語体の一文「風立ちぬ」には含まれている。だからこそ、堀辰雄は「強意の助動詞『ぬ』」を用いたのである。

 さて、この「ぬ」を使うときは、接続する動詞は連用形につなげることになっている。

 連用形につなぐ、ということを述べる前に、活用形について思い出してみよう。文語の活用形を考えるときには、注意すべき点が一つある。

 文語の文法は口語と違って「仮定形」がない。そのかわり、「()然形」という、「既にものごとが終わり決まった形」がある。ここだけが変わる他は、学校で暗記させられた「未然・連用・終止…」というのとほぼ同じだ。

 私の場合は、「ズ・テ・コト・バ」なぞと文語動詞の活用を覚えている。すなわち、「未然・連用・終止・連体・()然・命令」の活用語尾の接続の形だ。この「立つ」でいうと、

活用形 接続
未然 「ズ」に続く 立たズ
連用 「テ」に続く 立ちテ
終止 何にも続かない 立つ
連体 「コト」に続く 立つコト
已然 「バ」に続く 立てバ
命令 命令する 立て


…などとなる。したがって、「ぬ」という助動詞を使うときは、連用形の「立ち」にくっつけて「立ちぬ」、「風立ちぬ」になるのである。

○ 生きめやも

 次に「生きめやも」だ。

 これは、最初に書いておくが、大変難しい。堀辰雄の屈折がこめられて文学的反語が二重にかかり、原文を更に高く翻案したとも言いうる、アンニュイな詩性を持つ超訳だからだ。

 「めやも」は、「め」と「やも」を組み合わせてある。

 「め」は推量の助動詞である。推量の助動詞は、非常に意味の幅が広い。なぜかというと、日本語には動詞の「過去形」や「未来形」があまり強く決められていないからである。そこで、それらのことは助動詞をもって助ける。ところがこうなると、助動詞には過去や未来がごちゃまぜに入り、意味が広くなる。今、教科書どおり推量の助動詞「め」について挙げれば、「推量・意思・適当・勧誘・仮定・婉曲」の意味がある、となる。

 これは蛇足だが、文語体でよく使われるものに「係り受け」というのがある。一種の定型文だ。この「め」は、「~こそ」にかかって受けることが多い。誰でも知っている使い方に「蛍の光」の一節「今こそ別れ」や、「海ゆかば」の一節「大君の 辺にこそ死な」などがある。

 この「め」は、活用形だ。何の活用形かと言うと、基本形「む」を、「已然形」に活用したものだ。この助動詞「む」は、活用は3種類しかなく、終止・連体・已然のみであり、それぞれ「む・む・め」である。

 先に少し記したが、文語体の活用形には「仮定形」の代わりに「已然形」が入る。これは、「ミゼンケイ」でも「キゼンケイ」でもない。「イゼンケイ」と()む。よく見ると漢字が違うことに気づかれるだろう。「己」とも「巳」とも違う、左側のところが、少し突き抜け、なおかつ上にくっつかないところのある「已」という漢字であり、意味も訓みもまったく違う。これは「已(ヤ)む」「已(オワ)る」と訓む。つまり「已然形」は、「しかり、やむ」と言う意味で、ものごとがしかるべく終わった形をあらわす。形は口語の「仮定形」に似ているが、意味が全然異なる。

 已然形のわかりやすい例に、正岡子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句の「食へば」がある。口語なら「もし柿をたべたなら…」という仮定形と言うことになるだろうが、柿を食べたことによって鐘が鳴らされるなどという、イタリアン・バールじゃあるまいし、そんなことはありえない。これは、「柿を食べおわった。そうしたら、やおら鐘が鳴った」というような、しかるべくものごとが終わった形、「已然形」なのである。

 つまり、「俺は、生きるのであーる!」という、「すでにしかるべく決まった意志」が、この「生きめ」までのところに入っている、と言ってよい。

 推量の助動詞の役割の幅について考えてみる。普通、推量の助動詞の意味は人称で見分ける。この「生きめ」には主語が省略されているが、もし、言っている本人「私」が主語なら、これは「意志」となり、「いざ」に着目して、誰かに呼びかけているならこれは「適当」「勧誘」になる。

 「適当」というのは、ズサンにテキトーにやる、というテキトー、ではもちろんない。「…するのがもっとも良い!」という意味だ。つまり、「生きるのが一番いい!」という意味にもなる。

 この「生きめ」は、一緒にいる人への呼びかけ、すなわち、「勧誘」にもとれる。

 実際に味わうためには、この三つの意味「意志・適当・勧誘」を同時に文意に認めても面白いのではないか。

 さて、最後に「やも」だ。ここが一番難しい。注意深く検討しなければならない。

「やも」は「反語の終助詞」だ。学校で習う言い方なら「XXすることがあろうか、(いいや、ない!)」というような局面で使う。

 この「やも」を分解すると、「や」と「も」でできている。この、「や」の直前に已然形が来たときは、これは反語になる。「思はめや」で、「思うなんてことがあるだろうか(いいや、ない)」と言う意味になる。

 ここに、さらにそれを強める「詠嘆の助詞『も』」がつく。例えば「恋ひめやも」なら、「恋するだなんて、ああ、そんなことがあるだろうか(いいや、ない)」というぐらい、しみじみとした気持ちが「も」に入る。

 さて、大切なところだ。ここで我々は、細心に堀辰雄の訳を味わって見なければならない。

 なぜと言うに、私が挙げた

「XXすることがあろうか、(いいや、ない!)」

ではなく、

「XXしないことがあろうか、(いいや、ない!)」

の意味にするためには、

「生きざらめやも」

と、もう一度否定しないと、変になるのだ。「生きざらめやも」、つまり「生きないだなんて、そんなことがあるだろうか(いいや、ない)」として、はじめて「さあ、生きましょう」という意味になるからだ。

 「いざ生きめ」までだと、「め」の意味を「勧誘」の助動詞に取れば「さあ、生きましょう」となり、そこに「反語」の終助詞「やも」がつくと、

「さあ、生きましょうなんてことがあるでしょうか、(いいや、ない!)」

 これでは、そのままだと「一緒に死にましょう」ということになってしまう。

 ここが、難しいところだ。

 私たちは、これが「詩」だ、ということに注意を払って鑑賞しなければならない。そして、元の文章、

Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
(英語逐語:The wind is rising, we must endeavor to live.)

を、もう一度、味わって見なければならない。

 堀辰雄は、ここに、言外の、さらなる否定を付け加えたのだ。

 この、二重の否定「やも」に、更に堀辰雄が強くつけくわえた言外の否定を補って、むりやり現代語にすれば、次のようになる。

 「(当然、生きるに決まっている僕たちが、あえて、)「さあ、生きましょう」なんてことを言う必要が、はたしてあるでしょうか(いいや、ない!)」

 これが、堀辰雄の採った、原詩の超・日本語訳なのである。

 堀辰雄の「超訳」である、と私が言うゆえんは、ここにある。堀辰雄のように、原文のフランス語をここまで超訳してこそ、やがて死することを予感しながら手に手を取る二人を描いた「風立ちぬ」の全体像にこれが合致する、と私は思う。

 これだけの意味を、この、たった一行のフランスの詩の引用と翻訳に含ませようとすると、これは、口語では不可能なのである。

 堀辰雄が、簡潔に

「風立ちぬ いざ生きめやも」

と以外に、書きようも表現のしようもなかった気持ちが、私にはよくわかる。


 堀辰雄の訳が正しい、ということを言うために、私は、自分の文語文法に関する素養を開陳する必要があった。それもあって、少し詳しく記した。