天皇陛下万歳
もとは「明治節」であり、更に遡って明治大帝ご在世の間は「天長節」すなわち
オッサンは生きている。
天皇陛下万歳
本日は法律で定められた祝日ではないが、上皇陛下の御誕生日である。昨年まで祝日であったことは誰しも等しく知るところである。
明治以降、天皇陛下の生誕日は「天長節」と唱え奉っていたが、大東亜戦争後「天皇誕生日」と呼ぶよう改められた。
明治天皇の天長節は、崩御後「明治節」とされ、残ることとなった。また、明治節は戦後「文化の日」と名を改めて残ることとなった。
大正天皇は御在位が短かったこともあってか、今は皇室以外では御誕生日が記念されていないのは誠に残念なことである。大正天皇の御誕生日は8月31日である。
昭和天皇の御誕生日は「昭和の日」として記念されている。
上皇陛下の御誕生日も、記念したいものである。私は一国民としてこれを願うものであるが、もし国が公式に上皇陛下の御誕生日を記念するのであれば、全国民的な請願運動がなければならない。
天皇誕生日は英語では「National holiday of The Emperor’s birthday」とでも言うのだと思うが、上皇陛下の御誕生日は、「His Majesty the Emperor Emeritus’s birthday」とでもなるのであろうか。
明治時代の大事件、「大津事件」を、吉村昭独特の淡々とした、かつ臨場感あふれる筆致で描いた佳作である。
本当は、先日、司馬遼太郎が高田屋嘉兵衛の生涯を描いた「菜の花の沖」を読んだので、その連想から吉村昭の「大黒屋光太夫」を読もうと図書館に行ったのだが、上下2巻のうちの上巻が貸し出し中で書架になく、がっかりして、ふと目を移すとこの「ニコライ遭難」があったので、あまり深く考えずに借りて帰ったのである。
しかし、高田屋嘉兵衛も、大黒屋光太夫も、大津事件も、一続きの歴史の事象であるように思えてならない。
思うに、
「大黒屋光太夫」→「高田屋嘉兵衛」(菜の花の沖)→「大津事件」(ニコライ遭難)→「日露戦争」(坂の上の雲)……
……と読み進むことは、日露関係、ひいては周辺国共産主義陣営との関係を考える上で、なにやら意義ありげな気もする。
私の読書順は上のように整然としてはおらず、坂の上の雲が最初ではあるが……。
去年の正月、皇居の一般参賀に行ったが、今年も行くことにした。
ゆっくりと行列の尻に取り付いたが、なんと混雑すること。
後でニュースを見たが、平成最多の13万人近くが訪れたというのだから、さもあるべし。
そうは言うものの、せいぜい3時間待ちというところで、12時40分頃には長和殿前広場に入ることができた。午後最初の御光臨は13時半で、それに先立つ50分ほど前だから、まあ、丁度良いというところだろう。
それにしても人、人、人の波である。
天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下、皇太子妃殿下、皇族方が定刻にお出ましになり、巨大な波のように人々がどよもす。
私も感極まって「天皇陛下万歳!」と、肺腑も破れよとばかり絶叫し続けていたら、すっかり喉が枯れ、ルイ・アームストロングか浪花亭綾太郎ばりのシヴい声になった。
しかし、去年のように周囲に面白いおじさんや迷惑な男女がいるわけではなく、まあ、至って平静な感じの参賀であった。
今年はたまたま、背伸びなどしなくても長和殿のバルコニーが直視可能なごく近いところに位置することができたのだが、残念ながら逆光で、しかも皇居の豊かな緑がガラスに照り映え、
竹橋まで歩く。東西線・竹橋から飯田橋、JRに乗り換えて代々木、代々木から原宿まで行く。
明治神宮に参拝するのだ。今上天皇を参賀したら、今度は明治大帝を偲び、
ともかく参拝を済ませる。わずかな奉納で聖寿万歳から世界平和から自分の生活までよろしくと神頼みするのだから、そりゃまあ、虫の良すぎる話ではある。
お守りに鏑矢(破魔矢)を一つ頂き、御神籤をひく。明治神宮の御神籤は吉だの凶だのとは一切書いておらず、明治大帝の「おおみこころ」が書き記された誠にありがたいものである。
朝から何も食わずに家を出、新越谷のスタバでコーヒー一杯飲んだだけなので、夕方にもなってくるとさすがに腹が減り、北参道(JR代々木駅側)を出たところの露店でお好み焼きなぞ喰う。たまには良い。
酔っ払ってベランダに出てみると、思った通り、今日の月齢は望で、大きな大きな、明るく真ん丸のお月様である。
今日いただいてきた明治神宮の鏑矢と、多摩陵・多摩東陵両陵墓印(大正天皇・貞明皇后)・武蔵野陵・武蔵野東陵両陵墓印(昭和天皇・香淳皇后)を並べてみて、また今日参賀してきた今上天皇陛下・皇后陛下の聖寿万歳を思い、前世紀と今世紀について深く考えるのである。
朝鮮半島情勢が予断を許さない。
しかし、目先の騒ぎはいろいろと考えることができても、日本にとって好ましい将来のビジョンみたいなものはまったく描けない。だいたい、そんなことを描いたところで、「余計なお世話だ!ウルサイ!」と、朝鮮人たちの激昂を招くだけだろう。アメリカ様のご意向を伺うしかないが、アメリカも変化しつづける国柄で、そんな「将来の東アジアビジョン」みたいなものは、どうもないみたいだ。
第2次朝鮮戦争勃発後のPKOへ自衛隊派遣、そこでの巻き込まれ戦闘、激昂する朝鮮人の暴動、というような妄想をして、暗澹たる気持ちになる。それが半島の着地点だとすると、アジアの将来は暗い。
う~ん、わからんな。トランスジェンダー云々じゃなくて、普通に男子学生を入学させりゃいいんじゃねぇの?確か女子大の大学院とか、学部では至学館大学だったか、普通に男子学生がいるって聞くぜ?
朝貢、ッスかww
ソフトバンクとかトヨタは、これは「皇帝にとりいる大商人たち」みたいなことですかね。……持っていくのは日本人のカネ。
あー、……。
別の方向からだけど、実は私も、武士道武士道言うの、嫌いなんだよな。武士道武士道と連呼されると、へっ、何が武士だよ、……と鼻白んでしまうのだ。
軍人勅諭を読んでいると、
……
打續 ける昇平に狃 れて朝廷の政務も漸 文弱に流れけれは 兵農おのつ から二 に分れ古 の徴兵はいつとなく壯兵の姿に變 り遂に武士となり兵馬の權 は一向に其武士と もの棟梁たる者に歸 し世の亂 と共に政治の大權も亦 其手に落ち凡 七百年の間武家の政治とはなりぬ世の樣の移り換りて斯 なれるは人力 もて挽回すへ きにあらす とはいひなから且 は我 國體 に戻り且は我祖宗の御制 に背き奉り浅間 しき次第なりき……
……と、明治大帝が武士の世を「あさましき次第なりき」とまで言って嘆いていることがわかる。
そういうわけで、私のような右翼は武士道なんか嫌なのである。だいたい、私の先祖は武士ではない。百姓だ。百姓がなんで武士道なんか強要されなくちゃならんのだ。コッチは「おおみたから」だぞ、なんじゃい武士道なんか、知るかそんなもん、と言いたい。
武士の方から見ても、武士の風上にも置けないという程度ならまだしも、ハナッから武士なんかではないヘナヘナしたカスみたいな連中が武士道だ武士道だ言うのは、武士に対する侮辱みたいなもので、迷惑だろう。
韓国のTHAAD配備に対する中国の非難を指しての「強盗が民家の戸締りを非難して『俺を殺す気か』と騒ぐようなもの」という例えがグッドで、笑った。
サイバー体制強化、なんていう報道や論評がたくさん出てるんだけど、これ、ねえ。
個人のメールに標的型の何かが送り付けられて、結果、パソコンが壊れました、なんていうしょうもない話と、国家的なテロリズムに関係する社会インフラや兵器システムに侵入して何かされましたという話を一緒くたにはできないのではないかと思うが、どうもそういうことが一緒くたに語られていて、違うんじゃねえの、と感じる。
毎日新聞で上の記事のようにPKO撤収の事が出ていて、まあ、それはいいんだけど、記事の後ろの方に、またあの「左翼の祟り、共産党の疫病神というかお荷物、SEALDs」のコメントが出ている。引用すると、
安全保障関連法への反対を訴え、解散したSEALDs(シールズ)の元メンバー、千葉泰真さん(25)は、賢明な判断だとした上で「駆け付け警護の実績を残すために危険を承知で派遣したのではないか」と指摘。「日報の破棄問題や、戦闘と武力衝突の言い換え問題を検証すべきだ」と話した。
……もうね、アホかと。わざとそう言ったのか、記事側で言った内容を省略したのかはよくわからないけど、本当にこの通りに言ったんだったら、こ奴は相当頭が悪いよ、中卒の私よりもよっぽど、ね。
だって、南スーダンのPKOは、安保法制騒ぎのず~っと前、民進党(当時民主党)の野田が出したんだよ? 当時、最初っから「あそこは危ない、やめといたほうがいいのでは?」って言われてたんだよ。
出したのには大した理由なんかなかった。成り行きで出したのだ。
それが、何? 「駆けつけ警護の実績を残すため南スーダンPKOに自衛隊出した」だ? 笑わせるな、南スーダンにPKO出したの、駆けつけ警護の法律が出来る前だよ。民進党野田政権が出したんだよ。「なんかあったら現地の邦人守れよな。守るときには悪いけど法律違反だから、行動した自衛官は逮捕な。だって、そもそも憲法違反だから、今更法律なんかなくったって、どうってことネェだろ? じゃ、あとよろしく」って、無責任に法律もなしに自衛隊出したんだよ。
SEALDsかコンドームか知らんが、何を言ってやがるんだこのガキぁ、と思う。お前らの大好きな蓮舫に聞いてみろ、そう言うから。
祝日「文化の日」である。国旗を掲揚する。
文化の日の趣旨が「自由と平和を愛し、文化をすすめる。」ことにあるのは、「祝日法」によって明らかであるが、その制定経緯を
戦後、政府は明治大帝の天長節(天皇誕生日)であった明治節を、「文化の日」として定着・記念することに成功した。GHQの影響まだ極めて大なる時代であるにもかかわらず、である。
当時の国民の選択と、またその選択をできる限り
キサマらは全員たるんでいる。今日という日を単に「三連休の中日」としか呼べないようでは、何が日本だ何がグローバルだ。0点である。良い学校を出てテストで100点を取っていても、日本人としてキサマらは0点だ。日本人でないものは、国際人ではない。最低限日本人たりえて、初めて国際人と言えるのだ。今日が何の日か答えてみろ。
「文化の日です」だと?50点だ。
100点満点の答えは、
「戦後、11月3日は「祝日・文化の日」と定められましたが、もともとこの日は、畏し、明治天皇の誕生日、明治節です。」
…これである。
今日というこの日に、明治天皇を称揚する人は誰もいない。だから、俺だけがホメちぎることにする。明治大帝超
以下、明治天皇をホメちぎるから、そう思え。
○ 文明をひらき、産業を起こし、戦争に打ち勝ち、独自の方法、すなわち五箇条の御誓文をもって議会制民主主義を徹底し、文字通りアジアの人たちを鼓舞した巨大天皇、明治大帝の誕生日が、今日である。
○ 明治天皇は質素の人であった。日清戦争の折には当時天皇として進出できる最大限の戦地近端の要所、広島に行宮をあそばし、古机ひとつ傍に置いたきりで、戦争指揮をされたのである。留まること二百日以上にも及んだという。
○ いつまでも同じ
○ 朝鮮人は何かというと明治天皇の悪口を言うが、明治天皇は西郷隆盛の征韓論を非常の命令「勅旨」でもってやめさせた隠忍・自重・我慢の人でもあるのである。
○ あほうな非現実平和主義左翼は、大東亜戦争の惨禍で国民が血を流して勝ち取った議会制民主主義により今の日本の政治がなされているという妄想論をほざくことがあるが、これはもちろん全部誤りである。日本の現在の議会制度は、明治天皇の五箇条の御誓文第一条「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」が今もってなお根拠となっているのである。
○ 明治神宮があそこまで大きいのは、このように明治天皇が偉いからだ。
○ 明治天皇が整えた皇室制度は、なんと、国民の税金は使わなかった。知らない人が多いだろうが、驚くべきことに、戦前の皇室は、「独立採算制」だったのである。そのからくりは林野事業だ。国有林の材木商売で皇室は運営されていた。国民の税金で飲み食いしなかったので、皇室は国民から愛されたが、その礎を確立したのは明治天皇である。戦後、マッカーサーの下品で暴力的なイジメにあい、国有林その他の財産が皇室から全部剥奪されてしまったのは、まことに残念なことであったが…。
○ 西洋式の「ノーブレス・オブリージュ」を取り入れ、元来武士ではなかった皇族を、そのはたすべき義務として、皆軍人として戦うように制度をととのえたのは、明治天皇である。
○ アメリカ・イギリスにだまされて結んだ不平等条約の屈辱を、40年有余にわたる血の努力と呻吟の末、ついにはねつけ返し、日本を完全な不屈の独立国にしたのは、明治天皇だ。
○ 昭和聖帝が大東亜戦争の開戦時に御前会議において繰り返しお読み上げになったという「よもの海みなはらからと思う世になど波風のたちさわぐらむ」の御製は、いうまでもなく、明治天皇が詠まれたものだ。
○ そもそも、日本が核爆弾を二発もブチ込まれるという人類史上類例を見ない核戦争の屈辱を浴びてなお、ジプシーやロマやユダヤのように、「解散!」となって国を失くし、奴隷化して世界を彷徨させられるような事態にならなかったのはなぜか。それは畢竟、明治天皇が整えた国家基盤が強固だったからである。
○ 明治天皇は教育勅語を発せられて教育制度の根拠を強力に定めたが、これにより日本の教育制度はどんな田舎にも迅速に徹底された。明治一桁代(1870年代)には日本の義務教育は制度を完結し、就学率は8割を超えた。が、文明先進国と思い込まれているイギリスはどうであったか。その頃のイギリス人は、なんと全国民の半分くらいしか小学校に行ってない。つまり、日本人みんなが文字を読み書きし、文明の暮らしができるのは、明治天皇の業績によるのであるから万民は感謝すべきである。
○ 鉄道マニアの人に言っておくが、日本に鉄道を走らせてくだすったのは、明治天皇である。安穏と鉄ヲタやってられるのは、明治天皇のおかげである。
○ 明治天皇は映画とかレコードの普及にも尽力されたのである。キサマらオタク連中がアニメだなんだと言って耽溺しておれるのは、もとはと言えば明治大帝のおかげなんであるから、感謝しやがれ。