開高健の「最後の晩餐」と入れ替えに、この本、「酒と肴と旅の空」を図書館から借り出す。
食べ物に関する随筆集で、編者は池波正太郎だ。
言葉
瓊浦 ・崎陽
この本収載の丸谷才一の随筆に出てくる。「幕末の味・
そういえば「
- 佐藤の読書リスト(Google スプレッドシート)
オッサンは生きている。
開高健の「最後の晩餐」と入れ替えに、この本、「酒と肴と旅の空」を図書館から借り出す。
食べ物に関する随筆集で、編者は池波正太郎だ。
この本収載の丸谷才一の随筆に出てくる。「幕末の味・
そういえば「
庭
全国各地では停滞する梅雨前線の影響による豪雨被害のために
ところが、一体に関東、特に東京周辺は静かなもので、そのギャップに
Twitterなどちょっと覗いてみると、無策の政府を非難する声と、サッカーの中継以外に能のないマスコミを非難する声が
そんな昨日今日であるが、個人が盲動また妄動してどうなるものでもない。垂れ込めて、引き続き開高健「最後の晩餐」を読む。
ベデカー(独: Verlag Karl Baedeker)は、近代的旅行案内書の草分け的存在を出版しているドイツの出版社、および、その会社が出版する旅行案内書。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
1 長く使っている間に、手のあぶらがついて自然に出たつや。転じて、故人が身近において愛用したもの。
2 「手沢本」の略。
類語
手垢(てあか)
食通。著書に「食」。
しかしマァ、ボンボンそのものではあるワナ。そりゃ、世界各地の野食美食のあれこれに精通もできようて。
ずぅ~っと、ずっと、「ていえいかん」だとばっかり思っていた。漢字の
しかし、Googleに「ていえいかん」と入れると、検索アシストに「
小さい頃から可愛がってくれた伯母だ。弔電を打ち、香典を書留で送る。しかし折柄、身動きもならぬ。仕方もなし。
じっとしているより他ない。夕刻、バタピーなぞで一杯やる。言うなら「乾きて
開高健「最後の晩餐」、ゆっくり読む。
まず、「
ルイ16世はニコニコ笑って大喜びし、もう一度やってくれとたのむ。おかみさん連中はいよいよはずみ、大声で身ぶり手ぶりを入れつつ合唱したとのことである。こういうエピソードを読んでいると、つい、どうしても千代田区丸の内・一の一の一にある竹の園生と思いくらべずにはいられなくなるが、
「食いしん坊」のことを表す古語としてこの「
では、饕餮から。
これは古代の中国人が創造した食いしん坊、大食家、美食家の文字であり、イメージであるが、ただの美食家、大食家ではすまないで、貪婪の怪物だというイメージである。殷代の青銅の
鼎 の胴によく文字とも文様ともつかぬ古怪、玄妖の獣がうずくまってこちらをギロギロ睨 んでいるが、あれだ。ほとんど抽象化されかかっているけれど、怪獣である。一つの体に頭が二つあって、足は六本。顔は竜、虎、人間、さまざまである。左右、正確な対称になっている。『饕餮文』と呼ばれているが、青銅器だけではなく、ときどき皿に描かれていることもある。食というものの底知れなさ、物凄さという本質を古人はすでに早く見抜いてそれに対する畏怖からこういう怪物を創りあげたのだとすると、それら無名人たちの想像力と抽象力は非凡なものだといわねばなるまい。大食いをするとこんな怪物になっちまうぞという警告であるのならば、それもまたみごと。
「味覚日乗」。先々週、市立図書館南部分室でなんとなく借りた。それほど大著でもないのだが、ダラダラ読んで、2週間以上もかかった。
デパートの商品の値段に難癖をつけたり若者を非難するあたりは老人の繰り言めいていて愉快ではないが、料理の数々が丁寧な文体で、質素かつおいしそうに述べられており、まあ、面白かった。
次に、開高健の「最後の晩餐」。これも市立図書館南部分室で借りた。