時事

投稿日:
森友

 いやもう、こんな話、もうどうでもいいよ。仕事しろよって。

 ブン屋もさー、他の記事書けよ。いつまでこんなところほじくってンだよ、ほんと。それしか能がないんかいっちゅーねん。

アメリカ人に文句言ったってしょうがねえだろ(笑)

 ……いや、それ、アメリカ人の心の中の問題で、そこに「危惧」とか言ったってしょうがねえだろ。

 だいたい、アメリカなんて国はさ、乱射事件が起こると、「それ、規制が始まる前に買っちゃえ!!」って、駆け込み需要で銃が飛ぶように売れ、コルトだのスミスアンドウェッソンだのの株価が急騰するんだぜ?そんな国の人々の頭の中に文句つけたってしょうがねぇよ。

 アメリカへ旅行に行き、ウォルマートなどの大型モールへ行くと、ホームセンター的な売り場の、農機具なんかの横には「フツ~に」銃売り場があって、ボール箱に入った銃が雑然とガラスケースの中に積み上げられていて、これが日本の玩具ショップのモデルガンコーナーみたいに見え、「本物感」が全然ないのだ。

 しかしまぎれもなくそれらは実銃で、その周りには「セール!38口径スペシャル100発が今なら驚きの何ドル!」とか、安売りの弾丸のポップがベタベタ貼り付けられてたりするもんな。そりゃ乱射事件だって起こるわい。

寒波

 北日本の気象は大荒れとのことである。

 職務に殉じて亡くなった方には、心から哀悼の意を表したい。まだ若いのに気の毒である。

 翻って、欧州でもあまりの寒さの為に死人が続出しているそうな。

もはや誰も言わぬ「KY」、そして「忖度」悪し、へ

投稿日:

 もう7~8年ほども経つだろうか。ひと頃、「KY」という言い方が大流行した。曰く、「(K)気が(Y)めない」というのである。

 無神経な人を指して、よくこういうことが言われた。「アイツは『KY』だ」と。

 だがそれからもう何年も経ち、人々の口にはこの言葉はのぼらなくなった。私も、もう「KY」だなんて言葉は忘れてしまっていた。

 ところで、私は蕎麦が好きだ。東京の名店を訪ねては息抜きをするというのがこのところの習慣になっている。

 蕎麦の名店会が出している「新そば」という無料の季刊誌がある。有名な店に行くとカウンターや帳場のあたりにこれが置かれている。蕎麦好きの有名人がコラムを載せていたりして、これがなかなか楽しいので、よく貰って帰る。

 先日、赤坂の室町砂場へ行ったら新しいのが出ていたので1冊貰った。女優の若村麻由美氏のインタビュー記事が出ている。その中に、ヒット中の舞台「ザ・空気」についてのやり取りがあったのだが、読んでハッとした。

以下「季刊『新そば』No.157」から引用

――「ザ・空気」という意味深なタイトルは、そのあたりに関係がありますか。

若村「KY(空気が・読めない)」という言葉が流行ったときは、空気を読めないのはダメみたいな使い方をされましたけれど、空気を「読みすぎる」のは自己規制につながりますよね。

 「これを言ったらイヤな空気になるだろう」というのを恐れて、当たり障りのないコミュニケーションを続けてしまう。

 今の世の中は「おかしいな」と思っていても声を上げられずに、その場の空気に従うことが多いんじゃないでしょうか。

以上引用

 さて、以前このブログに「忖度(そんたく)」という言葉について書いたことがある。今、言外に含められた様々な意図を汲み取るという意味で使われるこの「忖度」という言葉が、大阪の森友学園~籠池氏~財務省の不透明な経理……などと言った「悪いイメージとともに」クローズアップされている。

 「空気を読む」ことはよいことで、「忖度」は悪い政治家や官僚がする悪いことだ、というわけである。なるほど、それはその通りかもしれない。だいいち、「KY」と「忖度」では意味も違うし、言葉が指している領域(ドメイン)も違うように感じられる。

 だが、それはそれとして、人の心って、流行に従って読んだり、流行でないから読まなかったりするものだろうか?

 違う。読むべきであれば読み、読むべきでなければ読まない、そういうものであるはずだ。そうするためには不易の自己を確立することが必要だ。そうした人間として最低限のあり方に、変化や改革は必要ない。

 まったく無常な世の中である。こういうことがあるから、空気を読めと言ったり忖度悪しきことなどと言い立て、人を煽って変化を志向せよとする連中が嫌いなんだ。昨日のことにも異を唱える。その責任を取る奴なんて、誰もいない。

へぇ~、ここですか

投稿日:

 ははほ~、ここでございますか、そのゴミ捨て場とかいうのは。えっらいこってすのう。

 なんでこんな街中の一角が「国土交通省が管理するゴミ捨て場」になってたのかという、むしろそういうそもそものところに非常に興味が湧きますがねえ。