豆腐の肴も、温かいものが旨い季節になった。
そこで、「あんかけ豆腐」を作り、一杯やるところを動画に撮ってYouTubeに上げた。
生姜味をきかせ、まことに旨かった。
動画の中では、正岡子規の「仰臥漫録」を読んでいる。
オッサンは生きている。
豆腐の肴も、温かいものが旨い季節になった。
そこで、「あんかけ豆腐」を作り、一杯やるところを動画に撮ってYouTubeに上げた。
生姜味をきかせ、まことに旨かった。
動画の中では、正岡子規の「仰臥漫録」を読んでいる。
インフルエンザのため寝たままである。非常にしんどいのに、腹だけ猛烈に減る。普段あまり大食をしない私なのだが、何でなんだろう。
暇なので食ったものなど書き留める。塩煎餅三枚、ぽん柑ふたつ、緑茶大湯呑に二杯……なんぞと書いていくと、さながら子規の「仰臥漫録」めいて、気分が出る。
子規は今で言うブロガーみたいなものだったように思えるが、病床で暇だったのだろうなあ、ということが実感される。いや、私如き、たかが寝込んで2日くらいなのだが、それでもこんな風に思うわけだから、死病に取り憑かれた子規はもっとそう思ったであろう、というところだ。
このところ、二、三日暑い日が続くな、と思うと今度は少し雨となる。繰り返しだ。晴雨交互の
既に近所の柿が色づき、熟し始めた。
今日は秋雨だ。朝から霧雨が
昨日、「運慶展」が催されていることを知った。通勤電車内で、ポスターを見て知ったのだ。上野の国立博物館で催されているという。
早速昨日のうちに上野に寄った。私は毎日秋葉原で乗り換えるので、上野は通勤経路だ。仕事の帰りに寄ったのである。これはすぐに運慶展を見るためではなく、
私は時々こういうことをする。図録だけ先に買い、金曜の夜にゆっくり図録を眺めて予習をするわけである。歴史や背景などの理屈、諸々のエピソードなどを予習してから、土曜に実物を見に行くわけだ。こうすることで、実物を見るときに展示物以外のことに気を散らさないで済み、作品に集中出来る
運慶・快慶の作品は、学校の教科書に出てくるから、誰でもよく覚えている。東大寺の金剛力士像や、興福寺の
正岡子規に
……という句がある。今回の展覧会は、興福寺に伝わる、その「無著菩薩」「世親(天親)菩薩」の
やはり目当ては興福寺の運慶作である。
実は子供の頃、興福寺にも東大寺にも、何度も行っている。東大寺の金剛力士像は勿論のこと、興福寺の無著菩薩も世親菩薩も、また四天王立像など、数多くの運慶作品に親しんできた。ただ、そうしたものをしょっちゅう見られる事が
事前の情報ではかなり混むということだったが、今日は
会場は平成館の2階で、第1会場と第2会場に分かれている。年代順に前期が第1会場、後期が第2会場だ。
いやもう、眼福、眼福、眼福、これあるのみであった。
なんと言っても、見どころは
粘土でかたどるブロンズなどとは違い、彫り直しのきかない
東大寺の金剛力士像の迫力とはまた違った説得力を持っているのがこの無著菩薩立像である。
評論家の西尾幹二は東大寺の金剛力士像を、その通俗ゆえにか、バッサリ「愚作」と切り捨てている。だがしかし、通俗のものは、違う角度から見た本物と言うべきであろう。金剛力士像もまた運慶の面目躍如たる作品であり、切り捨ててしまうのはあまりにも果断に過ぎる。そうは言うものの、西尾幹二が金剛力士像を愚作と言い切ってまでこの無著菩薩立像に入れ込む気持ちもよくわかる。
四天王の足下に踏み
重要文化財「十二神将立像」は、もとは京都の浄瑠璃寺の所蔵であったが、今は国立博物館と静嘉堂文庫美術館が別々に蔵しているため、一度に見ることができない。この展覧会では、これらが四十数年ぶりに一か所に集められた。めったに見られない展示で、これも見ものであった。
昼遅く、たっぷりと運慶展を見終わる。
せっかく国立博物館に来たのだから、ということで、常設展も一回りすることにした。
面白かったのが、刀剣の展示に若い女性が行列をなして群がっていたことだ。
「
さておき。
国立博物館は、一度入ってしまうとさながら罠のように私を
上野公園では何か「にっぽん文楽」という催しをやっていた。和風の扮装の一団が音楽に合わせて踊り演ずるものだ。一部始終を面白おかしく見物した。
仲町通りで一杯、それからアメ横の藪蕎麦で「なめこ蕎麦」を啜り込み、帰路につく。
帰宅すると、いい感じに18時である。楽しい土曜日であった。
夜来秋涼が快かったので、窓を開け放って寝た。
明け方、虫の声が風鈴のように高く澄んで心地よく、聴いたまま
もうすぐ節季は白露ともなれば、仲秋も近い。
たしか、岡本綺堂の随筆で読んだのだったか。関東大震災以前の東京には、明治維新より前の江戸の色がまだ濃く残っており、裏長屋には「虫売り」が行商に来たものだそうだ。
これは今のペットショップのような子供相手の商売ではなく、風雅の飾り物、しかも「音の飾り物」で、小さな虫篭に鈴虫を入れ、家の軒端にぶら下げてその音を愛でたそうである。
建て込んだ東京の街は季節を感じにくいため、朝顔売りや金魚売り、虫売りなどからそれぞれ風雅を
その話は、たしか「綺堂むかし語り」で読んだのだったと思う。「綺堂むかし語り」は青空文庫でも読めるし、Kindleにも0円でコントリビュートされている。
岡本綺堂に言わせれば、「秋になって盛大に虫が鳴き始めるのなどは当たり前で、面白くない。まだ夏も
起き出して、コーヒーを飲む。この秋はじめての熱いコーヒーにしてみる。沁み入るように美味い。朝食がわりにチョコレートを3
コーヒーを啜りつつ、ふと思い出す。亡くなる前の正岡子規の句に
秋もはや
塩煎餅 に渋茶 哉
……という川柳風なものがある。涼しさが増してからの久しぶりの渋茶の美味しさ、煎餅の香ばしさ、それどころか周囲の秋の空気の匂いまでが、このたった17文字の句から伝わってくるように思う。この作品は「仰臥漫録」の最初の日、明治34年の9月2日に記されている。今日は9月3日なので、今から丁度116年前の事だ。