無情と無常

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 中学校か高校では、鴨長明の「方丈記」を「無常を凝視した文学である」などと習うわけだが、あの上古文語体の冷え冷えとした印象、国文の先生からピシピシと叱られる授業の風景から、無常=無情であると混同してしまっている方は、たいへん多いのではなかろうか。

 無常は、無情ではない。むしろ、無常は現代の「改革病」にもつながることで、重なるところがないではないにもせよ、人情がないことを言う「無情」とは角度が違う。

 そのようなことをモヤモヤと考え、いずれどこかで「無常と無情はまったく違いますよ」という抗議の気持ちを文字列化しなければ生きている甲斐がないなどと思い詰めていたら、ある時、

「Arm Joe」

という漫画に出会い、「こ、これが俺の言いたかったことだああああ!」と三肯四肯、首が折れてしまうのではないかと思ったことであった。

 この漫画は、稀代の「変な漫画を描く人」、泉昌之氏の傑作である。

 主人公の黒人奴隷が人生のすべてを腕っぷしの力に賭けるという、いわば「苦労人の一代記」なのであるが、最後にそれが前提から何からすべてムチャクチャに瓦解するという、支離滅裂の泰斗を表徴するすばらしい作品である。

 こうして無常こそ無情、などと達観の境地に誤落してしまう私なのであった。