変なマナー作ろうとするな馬鹿

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 何か、「公的な場では布マスクではなく、不織布マスクを着けるのがマナー」みたいな、変な空気が醸成されようとしている。

 まったく馬鹿々々しい。

 左の動画で報告されている、理化学研究所で行われた研究がこの変な風潮の元になっているようだ。

 確かにこの動画では不織布の性能がよい、と指摘されているが、中身をよく見なければならない。動画内では顔にフィットしない不織布マスクの隙間から多くの飛沫が飛散していることも同時に指摘しているのだ。フィルター性能が高ければ高いほど、呼気の通行も妨げられるということもこの研究は指摘しており、それはすなわち、性能が高いとされるマスクでは、かえって呼気が逃げ場を求めてマスクの周囲から通行してしまう、ということをも示唆している。

 だから、この研究の上っ面だけをとらえて「不織布マスクが今後の正しいマナーだ」などと短絡するのは間違いなのだ。坪倉博士は上の動画内でも「経済性や置かれている状況その他を総合的に判断して選択するものであり、一般の人がどのような場合でも必ず不織布マスクを選択すべきだなどと言うことは一概には言えない」という意味のことを付言してもいる。

 したがって、新聞・テレビが「使い捨ての不織布マスクが新たなマナー」みたいなことを言い出すなど、支離滅裂である。さなきだに、昨年来、あれだけマスク不足だなんだと新聞・テレビが煽ったから社会が混乱したのではなかったか。今、ようやく一般人が布マスクなどで自衛することが定着したところなのだ。

 私などは、この悪性コロナウイルス騒ぎの前から自作の布製マスクを使用している。市販の不織布マスクが自分の顔の形に合わず、頬骨や目への無用の圧迫がある上、呼気のほとんどがマスク周囲の隙間から出入りしており、これでは意味がないと感じたからだ。目の間隔や鼻の高さ、顎の幅など、自分の顔の寸法を定規やノギスで測り、立体的に縫製し、顔にピッタリと合わせてあるので、周囲からの空気の漏れはほとんどなく、呼気は布を通る。なおかつ、着けていて変なところが痛むということもない。そのため、昨年のマスク不足騒ぎの時には全く痛痒なく、何の影響も受けなかった。

 これをしも「マナーに違背するから不織布マスクを着けてこい」などとされるのは、不愉快千万である。

受け入れがたいことを受け入れ、そこに意味を見出す

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 ウソ論文を書いて証明してみろやと追い込まれる科学者もおれば、ウソ記事を書いて大学の先生になりおおせたような不審人物が守られる大学もある。

 似たようなことをしでかしていても、これだけ社会の扱いは違う。いや、もしかすると迷惑をかけた人数で言えば、ウソ論文のネェチャンより、ウソ記事の大先生のほうがよっぽど悪いかもしれない。

 しかし、そうした社会の反応の良し悪しは言うまい。

 人間の作る社会は、物理的な適否や論理的な正邪など超越した、感情的な好悪で動いている。そういうものなのである。

 われわれ無力な、世界になにもなすところのない人物は、到底受け入れがたいことでも、学長閣下その他、ボスのいうことであれば受け入れ、受け入れたことに意味を見いだしていくより他はない。