勤労感謝の日

投稿日:

天皇陛下万歳

 祝日「勤労感謝の日」である。

 このところ(かしこ)きあたりにおかせられては、大嘗祭(だいじょうさい)をお()り行いあそばされたところであるが、一方、本日は古く飛鳥時代、皇極天皇が創始された「新嘗(にいなめ)祭」の日である。皇極天皇と言えば、齊明(さいめい)天皇として重祚(ちょうそ)なされた女性天皇であることなどを学校の歴史で習った記憶のある向きも多いかと思われる。

 さておき、この「新嘗祭」は毎年行われる皇室の祭祀であるが、即位あそばされた後初めて行う一世一代の新嘗祭のことを「大嘗祭」というのである。

 農業国家として作物を通じて百姓(おほみたから)とその労働を称え、天神(てんしん)地祇(ちぎ)に拝礼することが新嘗祭の姿であってみれば、(けだ)(うべ)なるかな、(ひるがえ)ってこの日が「勤労感謝の日」となったのは当然のことと言えよう。

 余談ながら、日本書紀では「百姓」と記して「お()みたから」と()ませる。「(おお)()(たから)」の意であって、まことに有り難く、(かたじけな)い称名であると思われる。天皇と国民の関係は、この「おほみたから」という呼び方ひとつをとっても、諸外国の法王~皇帝~国王と国民の関係とは異なるのだ、という感じが新たになるように思う。

勤労感謝の日

投稿日:

天皇陛下万歳

 祝日「勤労感謝の日」である。

 戦前は「新嘗祭(にいなめさい)」と言ったもので、戦後はその意義・意味をも踏襲し、「勤労感謝の日」と改められたのである。

 言うまでもなく今日のこの日は「日本書紀」にその起こりを見ることができる日で、遠く飛鳥時代、皇極天皇の時代にまでさかのぼる。

 荒天で、朝から本降りだが、玄関先に国旗を掲揚する。

勤労感謝の日

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%e5%8b%a4%e5%8a%b4%e6%84%9f%e8%ac%9d%e3%81%ae%e6%97%a5天皇陛下万歳。

 祝日・勤労感謝の日である。国旗を掲揚し拝礼する。

 今日は遠く飛鳥時代、皇極天皇の御世にその起源を(さかのぼ)る「新嘗(にいなめ)祭」の日である。皇極天皇というと「重祚(ちょうそ)」と言って、後に斉明天皇と名を改めて再び即位した女帝であり、これは日本史で習うから、覚えている人も多いことだろう。

 日本書紀巻第二十四「皇極天皇」紀には、

十一月壬子朔癸丑、大雨雷。丙辰夜半、雷一鳴於西北角。己未、雷五鳴於西北角。庚申、天暖如春氣。辛酉、雨下。壬戌、天暖如春氣。甲子、雷一鳴於北方、而風發。丁卯、天皇御新嘗。是曰、皇子・大臣、各自新嘗。

(十一月(しもつき)壬子(みずのえね)(ついたち)癸丑(みずのとうしのひ)に、大雨(おおあめ)ふり(いかづち)なる。丙辰(ひのとたつのひ)夜半(よなか)に、雷(ひとたび)西北(いぬゐ)(すみ)()る。己未(つちのとのひつじのひ)に、雷(いつたび)西北の角に鳴る。庚申(かのえさるのひ)に、(あめ)(あたたか)なること春の(しるし)の如し。辛酉(かのとのとりのひ)に、雨()る。壬戌(みずのえいぬのひ)に、天の暖なること春の氣の如し。甲子(きのえねのひ)に、雷(ひとたび)北の(かた)に鳴りて、風(おこ)る。丁卯(ひのとのうのひ)に、天皇(すめらみこと)新嘗(にひなへ)(きこしめ)す。是の曰に、皇子(みこ)大臣(おほおみ)(おのおの)(みづか)新嘗(にひなへ)す。)

 と、その年の天変などとともにこの新嘗の記述があり、日本書紀の中ではっきりと新嘗の記述が現れるのはこの箇所が最初であることから、これが新嘗祭の起源となっている。

 この新嘗祭は、重要な宮中祭祀であるため、明治時代から祝日として定められていた。

 戦後、「勤労感謝の日」と改められたが、宮中においては今も変わらず、天皇陛下おん(みずか)神嘉殿(しんかでん)において古式ゆかしくこの祭祀を執り行われると漏れ伝え聞く。

 本来、「新嘗祭」は新収穫を(みかど)自らおしいただいて、五穀豊穣を天地神祇に納め祈る日であったことから、無論これは農業を慈しみ奨めることに通じており、これが近代的に発展して「勤労感謝」となったことはおかしいことではなく、当時の政府はGHQの影響下、国民世論をも取り込んで、名称変更を上手い具合にまとめたものだと思う。