時事漫然

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寄付

(かしこ)

 天皇陛下におかせられては、災害関連の団体にお手元金を下しおかれたと漏れ伝え聞く。

 誠に(おそ)れ多いことである。

細川隆元(りゅうげん)

 「時事」と言うと、少し思い出すことがある。

 私などが子供の頃から青年頃まで活躍していた保守論客に標記細川隆元(りゅうげん)という人がいた。

 同じ保守論客の藤原弘達(こうたつ)という人や、「まァだいたいやねェ~」というのが口癖の竹村健一なんぞという人とともに日曜日「時事放談」という番組に出ていた。

 子供心に時事放談という番組名が「爺放談」に聞こえ、その聞こえた通り、画面に出ている二人は爺ィであったから、面白くもない番組なのに面白かった。

 で、この細川隆元氏、上記Wikipediaによると隆元(りゅうげん)ではなく隆元(たかちか)なのだそうであり、保守論客だから右翼だと思っていたら、同じくWikipediaによると、戦後すぐ衆議院議員を勤めた時は社会党からの出馬であったそうな。

あらま~……

 こりゃナンボなんでも、アカン(苦笑)。

 いやはや、慶大医学部といい、出てくるわ出てくるわ。

 しかしまあ、こうなってくると、若者を甘やかすのもどうなのかという感じは、するねえ。今は何でもかんでも「xxハラ」なんていって、下手に若者に厳しくなんかすると裁判で負け、コッチがオマンマの食い上げになる。だから、「やめろ!」なんて言えない。逆に、爺ィには「いい加減にしろ!」と怒鳴りつけても大丈夫である。むしろ「よく言った!」ともてはやされるぐらいだ。

 ……ふふ、嫌な世の中だよ(笑)。

WHOとさえ言えば許してしまう我々日本人

 マスク着用に関する変節・ブレなど、WHOなる機関も、本当に大丈夫なのかと不安を感じざるを得ぬ。ところがしかし、敗戦国民日本人の悲しさ、国連とアメリカと白人こそが全部偉いし正しい、というふうに直覚してしまうわけだ。

 「WHOが『マスクになんか効果はない』と言っているのだから、それは真理だ」

……なんぞと言っていた連中の、そのWHOが「マスクを推奨」だなどと言いだしてからの黙りっぷりを見てみなさい。

 ところが、この行儀の悪いトランプ何某。言ってのけるわ言ってのけるわ。これでこそ大米帝国皇帝陛下である。

PCRナンチャラと「サンプル調査」「部分抽出による全体の推定」手法の暴論的否定と

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 「大学の入試は、各科目について学力の部分部分を検するもので、体系的・全体的な学力・能力の検出が行われているとは言えない。したがって、東大だろうと京大だろうと、合格した者のあらゆる入学は無効である。」

 「民意を測定するための世論調査は、時間とともに民意が移ろいゆくものであることから、長くても30分以内の至短時間に、約1億3千万国民の全員を対象にアンケートを行わなければまったく意味がなく、長時間をかけてせいぜい1000人ほどの抽出しかしていない朝日の世論調査や毎日の世論調査は、民意を測定しているとは到底言えず、すべて無効である。」

 「新型コロナウイルスのPCR検査は抽出数が少なく……(中略)アベ(中略)オリンピック(中略)森友(以下略)」

 起こってみなければわからないことについて最尤(さいゆう)な推定をしたり、あるいはすべての数を調査することが不可能な場合に一部から全体を推定するために、「確率」や「統計」という技法・手法があります。不確かなものは定量的に不確かに、確実なものは定量的にその確実さを表すことができるよう、「信頼区間」というような指標もあります。

 一部分の抽出の手段にも、浅学にしてよくは知りませんが、層化抽出技法など、いくつかの手段があると聞きます。

 しかし、こと新型コロナウイルスの検査に関する限り、皆さん、立派な学校を出ている割には、そういう抽出や推定に関するセンスが全然ないんですね。

 私は中卒ですが、それくらいのことは知っていますよ。

 ……ええ、皮肉です。

表裏(おもてうら)のない若い人

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 私のそばに、表裏(おもてうら)のない人がいる。私よりうんと若い人で、頭がよく、スピードもあり、恬淡としていて、体が頑強で、真面目だ。それらよりまして、正直なことがその人の良いところだ。尊敬すべき人物である。儒語に曰く、「後生(こうしょう)(おそ)るべし」というのはこういうことだと思う。

 その人を見ていて、自分を振り返ると感懐去来する。私はもともと、正直な人物ではなかった。それが芯から底から嫌になったことがあった。そのため、私も表裏のない人になろうとしたのである。人の悪口を陰で言ったりするのをやめよう、その人の前で言えないことは、陰で決して言うまい、陰で言うのなら、その人に直接言おう、極端な話、その人をバカだと思うのなら直接バカと言って怒られよう、というわけだ。

 決意は立派だったが、元来が正直に育った性質(たち)ではないから、正直さが骨の髄まで沁みとおってなどいない。長じてから他人の正直さを羨んでやってみようと思っただけの事だから、所詮、付け(やいば)、やっているふりに過ぎない。

 そんなふうに、中途半端に裏表のない性格の人になろうとしたものだから、変にこじれて、人に対して皮肉を言うようになってしまった。

 つまり、正直さ、表裏のなさから来る人間対人間の摩擦がしんどく、省力化をしようとする。

 人に対して表裏なくふるまうことは結構大変なことで、力が()る、それを省力化しようとして、無駄な部分を削り落とすことにしたのだが、間違ってその弊害の部分、悪い部分、しかも中途半端に悪い部分だけを残して良い部分を削りおとしてしまったのだ。すなわち、バカにバカと言うと相手を怒らせてしまってコッチもしんどいから、「あなたのやり方はあなたの頭脳から言えば上々のうちには入りますよ」などという、よく聞くと「あんたはバカだ」と言っているのだが、かえってひどい言い方で相手を傷つけるという、中途半端な正直さの人、要するに「皮肉家」になってしまったのである。

 今度はそれをも反省してその性格を直そうとしたのだが、これがまたなかなか直らない。最近になってだいぶ直ったが、まだ他人に皮肉を言う悪い癖が残っている。

 何にしたって、人を傷つけるようなことを言うのは、やめようと思う。よく考えても言い方がわからないときは、黙っていようとも思う。