時事瞥睨(べつげい)

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新型コロナより怖い

 まったく、秋とは名ばかりである。

 さすがに、都内でたった6日間のうちに30人近くの死者は、新コロでは出てないもんな。暑熱のほうがよっぽど恐ろしい。

渡哲也氏死去

 織田信長役や、晩年の東郷平八郎役など、実に味わい深いものがあった。祈冥福(めいふくをいのる
)

ああ、嫌だねえ、老害は。……俺もか(苦笑)

 多分この爺、「正しいことをした」とか思い込んでるんだろうなあ。おそらく警察のお世話になっても考えを変えることはなかろう。正味な話、こういう馬鹿は死ななきゃ治らんよ。

 瞋恚(しんに)を去る。……こんな昔から言われていることが、今や「アンガーマネジメント」などという横文字の化粧を施した嘘臭い言葉で言って回らないと理解されない。嫌な世の中である。耳順(じじゅん)従心(じゅうしん)にもなろうかという歳の者でもこうなのだから、始末に負えぬ。

 後生おそるべし、そういう気持ちで若者や子供を観ないといけない。

嘘に決まってンだろそんなの

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 ……馬鹿々々しい、アクセルが戻らないだなんて、嘘に決まってンだろ。何十人も人轢いて、よくそんなイケしゃあしゃあと公表できるもんだぜ。

敬老の日

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天皇陛下万歳

 祝日「敬老の日」である。国旗を掲揚し拝礼する。

 今や、老人があまりにも複雑な状況に置かれる世相となった。しかし、老害だなどと批判に晒されるのは、半面手厚い保護と尊敬があるからでもある。

 何にせよ、老いることを忌避すべきことと思うまい、悲しむべきことと思うまい、懊悩すべきことと思うまい。それは寿(ことほ)ぐべきことだ。もし自分の老いる日々が想像の外にあったとしても。

 なぜなら、その日々は全く来ないか、確実にやってくるかの二者択一なのだから。老いる前に死ぬか、老いるかの二者だ。

 まったくやって来ないものは、確実に来るもの同様に現実感をともなって感じられる場合もある。つまり、老いる前に死ぬのを想像することは、現実に老いるよりもなお老いの感覚を濃厚にする。

自分でそれと知らぬまま保守化した革新老人

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 なるほど、快刀乱麻を断つが如し、の感。

体育の日だってのに、嫌な話題だなあ

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 体育の日だってのに、また、嫌な話題だなあ。ツイッターでもトレンド入りしている。

 なんというか、劣化していってるなあ、我々。

 幼稚園や保育園建設の反対運動が起きる話とか、な。

 まあ、限度ってものはあって、度を越して大声出してるとか中学生が卑猥な単語を叫んでいるとか言うんだったら、多少文句を言うぐらいのことはあるかも知れないが、一切声を出さないとか無言練習とか、そういうのも極端だ。

 そう言えば昔、自衛隊の駐屯地で「起床喇叭(きしょうラッパ)」など日課時限のラッパを伝統通り吹奏していたら、近隣の住民が「軍国化だ」「再び若者を戦場に送る気か!」などと激昂し、ラッパの吹奏を自粛した、なんてのも聞いたことがある。自治体議会などが社会主義者で埋まった一頃のことのようだ。ま、これは話の角度が少し異なるが。

笑っちまうくらい老獪

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 いやはや、なんて老獪な予防線。

 もう、自分に累が及ぶと見るや、サッ!!と、この(なす)り付けコメント、また「木っ端役人が全ての元凶」系の方向性も、もう、見事なくらいブレなくて老獪。

 むしろ老人らしくて、笑っちまうぜ。