図書館~蓮玉庵~不忍池(しのばずのいけ)

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蕎麦通・天婦羅通

 図書館へ本を読みに行く。この前から読みかけの「蕎麦通・天婦羅通」という戦前の本の復刻だ。

 最近珍しい本を読むことが多く、市立・県立の図書館にはないようなものに限って読みたくもなるもので、それで国会図書館へばかり行っていた。

 国会図書館には古今のあらゆる本があり、漫画や雑誌まで含めて全て読むことができる。だが、ただ一点の難は借り出しができないことだ。なので、文字の多い本を数日かけてじっくり読むと言う事ができない。

 この本、「蕎麦通・天婦羅通」は、先日たまたま市立図書館で見つけた。市立の図書館なので、この本は借り出すことができる。

 読み始めた時には拾い読みする積もりで、借り出す気はなかったのだが、面白いから全部読みたくなってしまい、結局、今日になって借り出した。

蓮玉庵

 こういう本を読んでいると本当に腹が減ってしまう。蕎麦の本だから蕎麦を手繰(たぐ)りたくなるのは自然の理屈だ。

 前々から気になっていて、だが入ったことのなかった、上野・池之端、仲町通り入り口に近い「蓮玉庵」へ行ってみることにした。

 上野・池之端と言うと「池之端藪蕎麦」に限ったくらいのものだったが、残念ながら先頃閉店してしまった。今は店も取り壊されて、すっかり更地だ。

 だがこの「蓮玉庵」も、なかなかどうして、江戸時代創業の有名店なのである。

 樋口一葉の日記や野村胡堂の作品などにも登場する古い蕎麦(みせ)だ。

 上野・池之端の仲町通りはピンサロなどの客引きが多くて閉口するが、そんな中、この蕎麦屋は貫禄のある古い店構えで、ひときわ目立つ。

 臆せず入ってみる。

 表の店構えは相当に古びているのだが、一歩店内に入ると、美しく調度されており、非常に清潔な店内である。壁の造り付け棚に蕎麦猪口(そばちょく)が飾られてあり、見飽きない。

 品書きはそれほど多くはない。酒の銘柄がいろいろ揃っているというわけでもない。だがそれだけに迷わず楽しめるのだ。

 酒をぬる燗で一合、肴に焼海苔をとる。

 焼海苔はシンプルにお皿に乗せて出してくる。通しものは煮豆だ。やさしく、かつ味わい濃く煮てあって、これは酒に良い。

 盃一杯ほど酒の残っている頃おい、蕎麦をたのむ。私は蕎麦屋に入ったら、いつもは大抵、「もり」や「せいろ」、あるいは「かけ」をたのむことにしているのだが、今日はこの店名代(なだい)の「古式せいろそば別打ち入り三枚重ね」というのをとってみた。

 1枚目と3枚目は新蕎麦風味の蒸篭(せいろ)蕎麦だ。基本に忠実な蕎麦で、旨い。

 2枚目に、季節ごとの変わり蕎麦が入っており、今の時季は「桜切り」である。写真の左側のものだ。馥郁と桜の香りがする。桜の花と葉が練り込んであるのだ。

 実に旨い。

 蕎麦(つゆ)は濃いが辛くなく、出汁(だし)が利き、変わり蕎麦の桜の風味にも絶妙に絡む。

 蕎麦湯は銅の薬缶(やかん)にたっぷりと入ってくる。

酒 一合 700円
焼海苔 400円
古式せいろそば別打ち入り三枚重ね 1000円
合計 2100円

 本当に東京の蕎麦屋らしい蕎麦屋で、のんびりと飲みかつ手繰(たぐ)ることができ、満足した。

不忍池(しのばずのいけ)をうろつく

 この前まで不忍池の周りは工事中で、東京オリンピックや外国人観光客の誘致を狙ったものか、舗装などを相当直したようだ。

 今日は工事が完成していて、沢山の人で賑わっていた。

 桜は七分咲きというところだが、折()しく雨がぱらついて寒い。ところが、気も(そぞ)ろというところなのだろうか、もう敷物を拡げて、賑やかに花見宴を繰り広げている人たちも多くおり、本当に花見が好きだなあ、と感心してしまった。

弁天参詣

 折角だから弁天に詣でる。

 布施をして、「融通守銭」というのを頂き、お香も寄進する。

 花見の時季を当て込んでか、相当数の露店が出ていて、美味しそうな匂いをふりまきつつ、焼いたり煮たり、声を枯らして客を呼び込んでいる。昔の風景と違うんだろうな、と思うのは「ケバブ」の店が何店かあることだ。それに、縁日などを見物に出かけていつも思うことだが、寺の境内で肉類の露店、豚焼きや焼き鳥などがあるのも面白い。これは関東の特色だろうか。

 弁天堂の参詣列にヒジャブを被ったイスラム教徒が並び、手を合わせている。……いや、コッチはいいんですがね。正月に皇居の一般参賀に行った時にも思ったことだが、あなたがた、イスラムのバチが当たるんじゃないですかと、他人事ながら心配してしまう。

下町風俗資料館

 弁天島からボート乗り場に隣り合う堤を歩いて行って、池之端の方に戻り、ふと思いついて「下町風俗資料館」へ入ってみる。

 昔の長屋の暮らしが再現されており、座敷へ入ってみることもでき、大変面白かった。

 微醺(びくん)を帯びて帰宅する。

 小雨の桜もいいものだな、と思った。

悪い材料が腕前を鍛える

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 承前、図書館へ来て蕎麦本を読んでいる。

 戦前に名人と言われた蕎麦職人、「やぶ忠」こと村瀬忠太郎が口述し、昭和5年(1930)に「通叢書」シリーズの中の一冊として四六書院から発行されたのが「蕎麦通」という本である。最近になってこれを評論家の坪内祐三が、別本の「天婦羅通」と合わせて監修・解説し、廣済堂出版から発行したのが「蕎麦通・天婦羅通」だ。

 この中に、面白い記述があった。次のようなことだ。

「蕎麦通・天婦羅通」(廣済堂出版 平成23年(2011)12月1日 ISBN 978-4-331-65482-2) p.42~43から引用

 昔の蕎麦粉の製法は、蕎麦の実を殻そのまま石臼で()きつぶし、目の(あら)(ふるい)で手篩にしたのであるから、外皮や甘皮の壊れたのが交じっていて粉の色が黒くなり、したがって足(粘着力)がない。こんな粉を打って作った蕎麦はぼきぼきと折れやすいところから、自然つなぎというものをいれなければならなくなる。今でも田舎では商陸(やまごぼう)の葉や海草の一種をつなぎに用いているが、時間が経ると打った蕎麦が硬くなる憂いがある。薯蕷(やまのいも)や鶏卵でつなぐのは蕎麦の風味に影響するけれども、つなぎの方法として往々(おうおう)秘伝としていた地方さえあったのである。

 江戸では早くから饂飩粉をつなぎにしてその風味を向上することに研究を積んだ、二八(にはち)三七(さんしち)などの称呼が起こったのも、その調合の歩合をいったもので、実際蕎麦には他のつなぎよりも饂飩粉のつなぎが最も適当なのである。

 それに江戸向きの蕎麦は、殻を全然排除して外皮のついた実を臼に入れ、最初に出るアラ粉を除き、一番粉二番粉三番粉四番粉と取り分け、終わりのものは末粉として用い、最後に残るものはサナゴと称する。

 更科(さらしな)は一番粉で製する蕎麦で、色は白いが香気は乏しい。それは米の精白米のようなもので、香気を持つ甘皮を入れないからである。

 生蕎麦(きそば)、二八蕎麦には二番粉から用いる。ヌキから一番粉を取り、二番粉になると甘皮の香気を含み、蕎麦としては最も風味のあるものが出来る。

 三番粉、四番粉は()いところを抜いて次位のものであるから、値段も安くなる。これが第二流以下の蕎麦屋に廻り、安直な駄蕎麦に作られる。

 末粉に至っては馬方(うまかた)蕎麦に用いられる。馬方蕎麦は風味よりも盛りの多いのに重きをおいて、それで安直なものだから、原料の下るのは是非がない。この末粉にサナゴを加える蕎麦屋さえあって、打ち方には非常に骨が折れるのだが、板前の腕を磨くには、この馬方蕎麦の職人となったものほど達者であったのだ。

 私が注目したいのはこの末尾のほうにある、「板前の腕を磨くには、この馬方蕎麦の職人となったものほど達者であったのだ」というところである。

 兎角(とかく)ものごとの腕前を磨くのに高価なものを(もと)めては、大してものにもならず放り出すなどということは世間によくある。高価なジョギングシューズ、ダイエット器具、などと言われてズキリと痛みを覚える向きも多かろう。

 だが、この著者は「駄蕎麦粉が職人を鍛える」というのである。

 このこと、まことに示唆に富む。「弘法筆を不択(えらばず)」とはよく言われすぎて看過してしまいそうだが、まったくそのとおりと二肯三肯する。