浅草でやげん堀の七味唐辛子を買う

投稿日:

 正月も三が日が明け、4日となった。

 料理、とりわけ鍋物、饂飩、蕎麦などに使う薬味に、七味唐辛子は欠かせないが、切らせてしまった。

 七味唐辛子は「浅草・やげん堀」に限る。

 一日、浅草へ買い物に行き、七味唐辛子を買うついで、「並木・藪」と「神谷バー」で一杯やって帰ってきた。

 楽しかったので動画を編集し、YouTubeにアップロードした。

運慶展

投稿日:

 このところ、二、三日暑い日が続くな、と思うと今度は少し雨となる。繰り返しだ。晴雨交互の(たび)に涼しくなっていく。秋らしい。

 既に近所の柿が色づき、熟し始めた。

 今日は秋雨だ。朝から霧雨が()()えとあたりを包んでいる。

 昨日、「運慶展」が催されていることを知った。通勤電車内で、ポスターを見て知ったのだ。上野の国立博物館で催されているという。

 早速昨日のうちに上野に寄った。私は毎日秋葉原で乗り換えるので、上野は通勤経路だ。仕事の帰りに寄ったのである。これはすぐに運慶展を見るためではなく、(あらかじ)め図録を買うためだ。

 私は時々こういうことをする。図録だけ先に買い、金曜の夜にゆっくり図録を眺めて予習をするわけである。歴史や背景などの理屈、諸々のエピソードなどを予習してから、土曜に実物を見に行くわけだ。こうすることで、実物を見るときに展示物以外のことに気を散らさないで済み、作品に集中出来る(わけ)である。丁度(ちょうど)昨日は金曜だ。

 運慶・快慶の作品は、学校の教科書に出てくるから、誰でもよく覚えている。東大寺の金剛力士像や、興福寺の四天王(してんのう)立像(りゅうぞう)などは日本人には懐かしくさえあるものだ。

 正岡子規に

無著(むじゃく)天親(てんじん)その()の仏秋の風

……という句がある。今回の展覧会は、興福寺に伝わる、その「無著菩薩」「世親(天親)菩薩」の立像(りゅうぞう)は無論、高野山金剛峯寺の八大童子立像(はちだいどうじりゅうぞう)や、運慶の直接作品ではないらしいまでも、多大に運慶の影響を受けていると伝わる十二神将立像(りゅうぞう)など、過去なかったほどに運慶及び所謂(いわゆる)「慶派の仏師」の作品を集めて開かれている。

 やはり目当ては興福寺の運慶作である。

 実は子供の頃、興福寺にも東大寺にも、何度も行っている。東大寺の金剛力士像は勿論のこと、興福寺の無著菩薩も世親菩薩も、また四天王立像など、数多くの運慶作品に親しんできた。ただ、そうしたものをしょっちゅう見られる事が()(がた)い事だとは、子供の頃にはわかる筈もなかった。

 事前の情報ではかなり混むということだったが、今日は生憎(あいにく)秋雨(あきさめ)のせいか人々の出足が鈍いらしく、待ち時間0分で入場できた。

 会場は平成館の2階で、第1会場と第2会場に分かれている。年代順に前期が第1会場、後期が第2会場だ。

 いやもう、眼福、眼福、眼福、これあるのみであった。

無著菩薩立像

 なんと言っても、見どころは無著菩薩立像(むじゃくぼさつりゅうぞう)だろう。

 粘土でかたどるブロンズなどとは違い、彫り直しのきかない木彫(もくちょう)だ。その制約のもと、一体どうやって、この悲しみとも内省ともつかぬ深い精神、慈悲と言うとかえって当たり過ぎで、逆に軽く感じてしまって十分に形容できない、鎮々沈々として、かつ()()みとした人生の表情を彫り出したのだろうか。しかも、これは実在の無著を写したものではない。「多分、無著と言う人はこういう表情を(たた)えていたであろう」という想像によって彫られている。しかもその想像は、800年も後の私たちをして(うべな)わしむるに足る。

 東大寺の金剛力士像の迫力とはまた違った説得力を持っているのがこの無著菩薩立像である。

 評論家の西尾幹二は東大寺の金剛力士像を、その通俗ゆえにか、バッサリ「愚作」と切り捨てている。だがしかし、通俗のものは、違う角度から見た本物と言うべきであろう。金剛力士像もまた運慶の面目躍如たる作品であり、切り捨ててしまうのはあまりにも果断に過ぎる。そうは言うものの、西尾幹二が金剛力士像を愚作と言い切ってまでこの無著菩薩立像に入れ込む気持ちもよくわかる。

 四天王の足下に踏み(しだ)かれる邪鬼(じゃき)に目を奪われる。人外の者であることを表す四本指に二本(ひづめ)、踏みつけにされて飛び出た目玉、見れば見るほど考え込まされる。

 重要文化財「十二神将立像」は、もとは京都の浄瑠璃寺の所蔵であったが、今は国立博物館と静嘉堂文庫美術館が別々に蔵しているため、一度に見ることができない。この展覧会では、これらが四十数年ぶりに一か所に集められた。めったに見られない展示で、これも見ものであった。十二支(じゅうにし)、つまり干支(えと)のそれぞれをわかりやすくかたどった神将群で、それぞれ額に子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥(ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い)のシンボルを頂いている。直接の運慶作ではないらしいが、運慶の名は当時の彫刻ジェネレーションを象徴してもいて、運慶ムーブメントのうちであると言っていいのだろう。

 昼遅く、たっぷりと運慶展を見終わる。

 せっかく国立博物館に来たのだから、ということで、常設展も一回りすることにした。

名物(めいぶつ)三日月宗近(みかづきむねちか)」こと三条宗近(さんじょうむねちか)太刀(たち)

 面白かったのが、刀剣の展示に若い女性が行列をなして群がっていたことだ。

 「名物(めいぶつ)三日月宗近(みかづきむねちか)」こと三条宗近(さんじょうむねちか)太刀(たち)を見るための列が、ほぼ「30分以上待ち」であった。刀剣の鑑賞が女性の間で流行っているということは知っていたが、30分も並んで刀剣を鑑賞するほどの流行になっているとまでは知らなかった。こんな風に「流行」と言ってしまうと、「違うわよ、私は芯から本物の刀剣愛好家よ!ちょっとやそっとの流行と一緒にしないでよ!!」と女性陣に叱られる気もするが……。

 さておき。

 国立博物館は、一度入ってしまうとさながら罠のように私を(から)め捕える。いつまでも入り浸っていたいのだが、いい加減のところで未練を切らないと、出られなくなってしまう。後ろ髪を惹かれるようにして、15時頃、博物館を後にした。

 上野公園では何か「にっぽん文楽」という催しをやっていた。和風の扮装の一団が音楽に合わせて踊り演ずるものだ。一部始終を面白おかしく見物した。

 仲町通りで一杯、それからアメ横の藪蕎麦で「なめこ蕎麦」を啜り込み、帰路につく。

 帰宅すると、いい感じに18時である。楽しい土曜日であった。

池の端藪蕎麦の写真があった

投稿日:

 自作の「東京蕎麦名店マップ」。ここには、東京の蕎麦屋さんを訪ねては自分で撮った写真を載せている。

 しかし、一店だけ、何度か訪れて写真を撮ったはずなのに、どうしても見つからないものがあった。今取り壊されている「池の端藪蕎麦」の写真である。

 以前まだ盛業のおりに撮っておいた写真があるはずだったのだが、どこかへ紛れてしまい、どうしても見つからなかった。訪れた日にちも記憶が曖昧で、よくわからない。

 ところが、今日、Facebookの自分のタイムラインを繰っていたら、不意にその写真が見つかった。

 %e6%b1%a0%e3%81%ae%e7%ab%af%e8%97%aa%e8%95%8e%e9%ba%a62014-8-28

 この写真によると、平成26年の8月に訪れていることがわかる。

 早速名店マップに写真をアップロードしておく。

浅草・並木藪蕎麦

投稿日:

 忙中有閑。

 最近、蕎麦と言うと赤坂の室町砂場へばかり行っていたが、今日は久しぶりに浅草・並木籔蕎麦へ行った。平成26年の3月以来だったか。ほぼ3年ぶりだ。

 昼時は混んでいるから、行くなら14時半ごろが適当だ。これは東京の蕎麦名店全部に言えることである。この店は中休みをとらないので、なおのこと午後の遅い時間に行くのが良い。

img_4886 とりあえず酒を一合。通しものは固く練った蕎麦味噌で、これが案外に甘く、香ばしい。

 以前は浅い青磁の盃を出してくれていたように思うが、今日は切子硝子(きりこガラス)の盃で出してくれた。酒はいつも通りの菊正宗、落ち着く旨さだ。

 以前に来たときは、客の世話をしていたのはすべて女の人ばかりだったが、今日は若いお兄さんが一人いたのも興味を惹いた。

img_4887 肴に焼海苔をたのむ。この店も下に熾火の入った炭櫃で出してくれる。乾いていてうまい。ごく濃い口の醤油と山葵を添えてくれる。

img_4888 盃に一杯ほど残っている頃おいに、「ざる」を一枚たのむ。

 この(みせ)の最大の特徴は、東京随一とも言える、この辛汁(からつゆ)だろう。だが、単に醤油がキツいとか、塩辛いというのとは違う。複雑な味が様々に溶け込んでいて、旨い。

 蕎麦湯は土瓶で出してくれる。(つゆ)の塩気がきいているので、蕎麦湯に少しずつ差せば全部飲み切ってしまえる旨さだ。

菊正宗 1合 750円
焼海苔 750円
ざる 750円
合計 2250円

 この店の値段は、更科と砂場のちょうど中間ぐらいである。50円ほど値上げしたのかな、と思ったが、記憶違いかもしれない。

 のんびり飲み、藪蕎麦ここにあり、というほどの蕎麦を名代(なだい)辛汁(からつゆ)で手繰って、まあ、安いという程ではないにもせよ、「そんなに高くない」のであるから、まことに幸せである。

 自作「東京蕎麦名店マップ」に写真を足しておく。