子供が可哀想(かわいそう)ではないか

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 コロナウイルス蔓延騒動で、小中高は休みにすべしとの政府コメントが出た。ところが、ここへ来て

「普段仕事で忙しく、わが子と一緒に過ごす時間をこれまで全然持てなかった。思いがけず子供と過ごすことができます。安倍総理ありがとう」

……ではなく、

「子供の面倒見るために仕事休まなくちゃなんねェだろうが、学童保育はどうするんだ、経済損失をどうする気だ、アベはどう責任を取るつもりなのか!」

というのが知能の高い人々の考え方らしい。

 もはや「経済(ゼニカネ)の邪魔者扱い」の子供たちが、あまりにも可哀想である。

 学校が休みでカネが儲からなくなった、などと、新聞やテレビが大きな字と子供に聞こえるような大きな声で、ガンガン書き立て言い立てるようなことではない。

 せめて子供と沁々(しみじみ)と過ごす一時(ひととき)に感謝すべきではなかろうか。

あなたは夏が好きですか?

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 このほどの「トラ場」は、標記のとおりであるという。
 ・・・夏が好きですか、か・・・。
 本当に、夏ほど濃密な季節はあるまい。なにしろ、「夏は好きですか」と問うだけで、それが明確な詩情ですらある。数多の詩人と歌手が、どれほど夏について説明してきたことか。
 子供の頃、無論、夏が好きだった。夏休みというそれだけで、夏を好きになれた。だがしかし、今振り返ると、夏は私にとって難行苦行の試練の季節でもあった。勉強がどうとか宿題がどうとか言うのではない。喘息と鼻炎、これであった。夏に喘息や鼻炎を病むのは知れきったことで、とどのつまり、不潔な家に住んでいたという、理由はただそれだけのことにとどまる。
 どうしてあの苦しい夏を、それでも好きと言って憚らなかったのだろう。兄も姉も夏を好きといい、「もうすぐ夏休みやで」と期待を持たせる言い方で両親もそれを盛り上げ、「夏は好かねばならぬもの」と、少々頭の弱い私にそんな常識ををすり込んだものでもあろうか。
 喘鳴の夏。呼吸という自然な行為がその一つ一つに努力を要する喘息病みの夏。鼻炎による嚔のため、勉強もできぬ夏、そしてそのため怒鳴りつけられ、今にして思うにそんなわけのわからない劣等感にさいなまれて夏を呪う夏。呪うているクセに、皆が夏を好きだから、とて、妙に引きつったような異常な表情で、「もちろん夏休み大好き!」などと大声で言ってみる、腹の底から夏が好きですと自分を信じ込ませようとする子供らしくもない努力を強いる、屈託と精神病的な馬鹿な夏。
 ややあって、それから20年後の私は、「俺が最も嫌いな季節は、夏だ」と、公言して憚らぬようになっていた。真に自由な夏は、この時来た。俺は季節を他人の定義によらず、自分の魂によってようやく評価できるようになったのだ、そんな自由を思うさま吐き捨てることができた。
 今、私は、夏が好きである。理由は簡単である。二人の娘が明るい表情で、額に汗を浮かべて、疲れも知らず遊びまわっているからだ。
 結局こうして、私の夏が好きという感情は、自分以外の官能によって持ち運ばれていく、そういう、どうにもならない情けなさによって営まれていくものなのであろうか。
 二人の娘は、夏が好きなのであろうか。

ブログ人のトラ場 「あなたは夏が好きですか?」