読書

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 引き続きゆっくりゆっくり、岩波の「北槎聞略」を読み進めている。通勤電車内の楽しみだ。

 もうこの本も終わりのほうに近づいてきたが、次のような面白い部分があった。引用し、現代語訳を付してみる。

北槎聞略(岩波文庫、ISBN978-4003345610)p.248~249より引用

 帝号を称する国をイムペラルトルスコイといひ、王爵の国をコロレプスツワといふ。彼邦(かのくに)にて他邦の者どもおち合、(たがい)其許(そこもと)の国は何国(いずく)にて何爵ぞと(とう)とき、コロレプスツワなりといへばとり(あう)者もなし。イムペラルトルスコイなりといへば席中(せきちゅう)形を(ただ)し上座を(ゆず)ると也。世界の(あいだ)四大部洲(しだいぶしゅう)にして其(いる)る所の諸国千百に下らず、其内帝号を称する国(わずか)に七国にて、皇朝其一に居る。されば光太夫等何方(いずかた)(ゆき)ても少しも疎略にせられざりしなり。

現代語訳(訳:佐藤俊夫)

 「なになに帝国」という国のことをロシア語では「империя(インペリア)」と言い、「なになに王国」という国のことを「королевство(コロレフストフォ)」と言います。

 ロシアで外国人同士が寄り集まって、「あなたの国はどこですか、王様の位は何ですか」と尋ねあうような場合、「なになに王国です」と答えると、誰も相手にしてくれません。

 ところが、「なになに帝国です」と答えると、集まった外国人達は姿勢を正し、上座を譲ります。

 世界、つまりヨーロッパ、アジア、アメリカ、アフリカなどの中には、数え切れぬほど多くの国々がありますが、そのうち「帝国」を称する国はたった7か国しかありません。わが日本はその7か国のうちの一つに入っています。

 そのため、大黒屋光太夫らは、ロシア国内のどこへ行っても、少しもぞんざいな扱いを受けることはなかったのだそうです。

同じく北槎聞略(岩波文庫、ISBN978-4003345610)p.249より引用

 キリロおよび今度来れる蕃使(ばんし)等が説に、日本国国体(こくてい)風教(ふうきょう)、礼儀、衣服、制度に至るまで(こと)全美(ぜんび)にして議すべき所あらず。そのうへ軍事、武備(ととのお)り、武芸の精練なるに至りては諸国のおよぶべきにあらず。刀剣弓矢(とうけんきゅうし)の制作器械の良好なる、実に万国に(かん)たり。(しか)るに外洋(がいよう)の諸国を畏怖し(おそれ)、我魯西亜(ロシイヤ)をも(おそ)(はばか)らるゝと(きき)およべり。大に(いわ)れなき事といふべし。これしかしながら和蘭(オランダ)国人等久しく貴国に通商し、その貨物(しろもの)を諸国に市易す。もし諸国より貴国に通信互市(ごし)の事あらば其()を失はむ事をいめる根なし(ごと)より(おこ)りしなるべし。これ其(もと)外洋(がいよう)人たゞ支那と和蘭のみ通商を許されて其他諸国の(ふね)(いれ)られず、また外邦(がいほう)へ舶をも出されず、外国の形勢、事理、情実を(つまびらか)にせられざるよりしてさのごとく畏怖せらるゝなるべし。貴国人物制度の全備(ぜんび)もとより外国の軽侮(かろんじあなどる)をうくべからざる事は(かみ)にいふ所のごとし。足下国に帰るの後よく此事理(じり)をもて貴国の人々に告知(つげしら)しむべしといひしとぞ。

現代語訳(訳:佐藤俊夫)

 今回、大黒屋光太夫たちを送り届けてきたキリロ・ラクスマンらロシア帝国の使者たちは、我が国を評して次のように言っています。

 「貴日本国は、国のありよう、教え、礼儀、服装や制度など、あらゆるところがよく整っており、文句をつけるような部分がまったくありません。刀剣や弓矢などの武器を作る技術や道具も優れており、これは世界のほかの国々と比べてもトップクラスです。

 にもかかわらず、外国を恐れ、わがロシア帝国をも恐ろしがり、避けていると聞きました。これはまったく根拠のないことです。

 そのように思い込んでいるのは、おそらく、オランダ人達のせいでしょう。オランダは長年日本と貿易をし、日本からの輸出品を世界中に売って利益を上げています。もし他の諸国が日本に連絡をはかり、相互に貿易を始めると、オランダは日本との独占貿易の利権を失うのです。オランダ人達はそのことを嫌い、根拠のない説を日本に吹き込んでいるのだと思われます。

 このようなことになってしまうのは、日本のほうにも原因があります。日本は中国とオランダだけに通商を許可し、他の国々の船の入港を拒絶し、また日本からも諸外国へ一切船を出しません。そのため外国の形勢や情報、詳しい事情などがよくわからず、むやみに外国のことを恐れる結果となってしまっているのだと思われます。

 貴日本国は、国民も制度もきちんと整っており、もとより外国から侮られるような要素が全くないことは、先に述べたとおりです。

 あなた(訳者注:大黒屋光太夫のこと)が国へ帰ったら、このことを論理的に、よく日本の人たちへ説明してください。」

 使者のロシア人たちは、上のように伝えたそうです。

覚えておこう

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 へぇ~……。

 私の今の身過ぎ口過ぎにはあまり関係のないことではあるが、耳よりな情報だと思う。

 が、PDFの真正性(Authenticity)確保の要領については、若干争いの生じる余地がありそうだな。

猫のハートの纏聞(てんぶん)

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 朝、仕事に出る前、玄関のドアを開けると、半野良猫のハートがスルリとドアの隙間から家に入ってきて、ニャーオ、と餌をねだる。この数年、毎朝のことだ。冷えた体と首回りをさすってやると、尻尾をゆらゆら揺らせながら、体をすりつけてきてニコニコ笑う。猫は笑うのだ。妻がフレーク状の餌を飼ってやると、おとなしく食べる。

 ハートは、5年位前だったか、どこからか私の住む街の一画にやって来た。やってきたばかりの頃、水色のハートの飾りのついた首輪をしていたので、皆からハートと呼ばれるようになった。茶色の縞の、なかなか美しい雌猫だ。

 当時まだ小さかった私の娘たちや、近所の子供たちの話を総合すると、ハートは三、四百メートルほど離れた、築四十年にもなろうかと言う、いわゆる「六坪借家」の群がるあたりで飼われていたらしい。小さい子供は動物と口が利ける。だから、子供たちがハートから聞き出したというその話は、多分本当だろう。

 ハートが私の家の近所に来てしばらくした頃、その「六坪借家群」のあたりは取り壊されて更地になり、土地が売りに出されたりしていたから、概ね子供たちの話と符合する。ここからは完全に想像だが、ハートは多分、年寄りに飼われていたのだと思う。その年寄りは、ほとんどが空き家と化していた「六坪借家群」の、おそらくは最後の住人だったのではあるまいか。

 更地になった「六坪借家群」は私の通勤経路にある。ハートは朝五時三十分頃に家を出ていた私を見つけると、数百メートル離れたその「六坪借家群」のあたりまで、足もとをまとわりつきながらしょっちゅう付いてきていたので、私の想像は多分当たっているだろう。その年寄りは、病気にでもなってどこかへ移ったか、ことによると変事があったのかもしれない。ハートの、どうもおっとりとした、争いの苦手そうな、愛嬌のある物腰も、その想像を裏付けているように思う。

 私の住む街には、少子高齢化とはいったいどこの国の出来事かと思うくらい、高校生から幼稚園児まで、沢山の子供たちが暮らしている。ハートには、「子供たちをお守りしてやっている」という自意識があるようだった。ハートが悠揚せまらざる物腰で子供たちと遊ぶようになると、半分野良猫とは言え、大人たちも無残な扱いはできなくなった。時折、残飯などやったり、たまにはキャットフードの缶詰などを奢ってやるようにもなる。

 ハートはそのようにして私の家の近所に住み着き、今日はお隣、その次は向かい、ある日は私の家、というようにあちこちの軒先で眠り、餌を貰い歩くようになった。

 そんなある年の春頃、ハートはプイと姿を消してしまった。

 しばらく経ったその年の夏前のある日、ハートは妙にほっそりした姿で、何かを(くわ)えて、蹌踉(そうろう)と私の家の前に現れた。それを見つけた家内は、これがうわさに聞く、殺した鼠を御礼に持って来るというアレか、すわ!と身構えた。

 しかし、ハートが口に咥えてきたのは、鼠ほどの大きさもない、ふにゃふにゃの子猫だった。近所の子供たちと家内が、唖然と、しかしともかく、ハートが咥えてきた子猫にかまっているうち、ハートはまたスイと姿を消し、また、別の子猫を咥えてきた。

 そうやって、ハートは半日ほどもかけて、どこか遠くから、自分の子猫を一匹づつ、私の家の前に運んできた。子猫は全部で六匹いた。ハートは、一匹につき三、四十分はかけて子猫を運んだ。

 母猫は雄猫から子猫を守るため、隠れたところで子猫を産むという。時間のかけ方から推し量ると、ハートはずいぶん遠くで子猫を産んだものらしかった。

 ハートは、自分と子猫の食い扶持をどうすればよいか、本能で探り当てたのだと思う。無論、子供たちがかわるがわるハート親子を可愛がったのはいうまでもない。まあ、猫の餌ぐらい、どうにでもなる。

 世の中に野良猫を迷惑がる向きも多い。庭に糞をされるのも迷惑だし、野良猫に餌付けをするなどもってのほかだという。実は私もそうした気持ちの持ち主の一人だった。だが、猫の二、三匹が生きていかれる程度の冗長性が町内になくては、人間様も万物の霊長たるの鷹揚悠然に()くるの(そし)りを(まぬが)れまい。

 アラビアの詩人、オマル・ハイヤームの詠むところに、

 この壷もまた人恋ひし嘆きの姿
 黒髪に身をとらわれの我の如
 見よ壷に手もありこれぞいつの日か
 佳き人の肩にかかりし腕ならめ

というのがある。人は死んで土になる。何千年もたってその土は焼き物になって、壷に拵えられているかもしれない、壷と化した美女を無残に扱うな、と言うのだ。してみれば、庭を荒らす野良猫と言えども、前世は人であったかもしれない。命のあるものだ、大切にするにしくはない。

 子猫は子供たちにずいぶんかわいがられ、大切にされた。ハートは子猫と人間の子供たちを等分に眺めて、眼を細めていた。暑い夜などは袋小路になった私の家のある一画の舗装路にねそべって、子猫に乳を与えていた。

 ある日、ハートたちは近所の愛猫家の目にとまってしまった。

 その愛猫家の中年夫人は、「このままに推移すれば、結局は保健衛生上の決まりもこれあり、可哀想なことになってしまう。そうなる前になんとかしてあげることがこの道の慈悲と言うもの」というのだった。まず、もっともなことである。少し無残なようには感じられるかもしれないが、ハートには不妊手術を施し、予防接種もしてやり、子猫たちにはしかるべく飼い主を探してやるのが結局は一番猫の幸せだ云々。

 このように近所の愛猫家に見つけられてしまってはハートもひとたまりもない。

 それで、気楽な半野良猫のハートはついにとっつかまり、私の家を含む向こう三軒両隣、すなわちハートを可愛がっていた子供たちのいる親たちみんなが金を出し合い、近所の動物病院へ連れて行かれて不妊手術をされてしまったのであった。

 痛い目にあったハートが、しばらく近所の人間どもに寄り付かなくなっていたのは当然のことである。

 ハートの子猫たちは、その愛猫家と近所の子供たちが、新越谷駅前で声を張り上げて貰い手を捜し、6匹全部、無事に猫好きの人たちに貰われていった。

 黒白縞の子猫を貰ってくれたある年配夫婦の家へは、次女が時々、子猫の様子を見に行っていた。年配夫婦はいつも次女を歓迎してくださっていたようだが、最近はちょっと次女も足が遠のいているようだ。

 ハートは相変わらず私の家の前でにゃあと鳴いては、とことこと走り寄ってくる。幸せそうに乳を与えていた自分の子猫の顔を、覚えているのだかどうだか。子猫六匹が周りにいた頃のハートは、本当に貫禄のある、母猫らしい笑顔をしていた。そう、笑顔だ。三日月のように目を細めた笑顔をしていた。