焼きが回った

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 今日たかだか、とはいえ、それは相当それなりに気合を入れてではあるが、3kmばかり走ったら、気分が悪くなり、食ったものを全部戻してしまった。

 随分鍛えてもきた私だ。その意味からは、「焼きがまわった」と言ってもいいかも知れない。

 まあ、そりゃあ、若くはない。しかし、これしきで気分が悪くなる私でもないのだ、と言ってしまうと、それは少し過信なのだろう。

 体のリソースは限られているから、残り、ケチケチと大事に使わなくては。しかし、年金破綻、老人総労働のこのご時世、体を大切にして長生きをしてもしんどいことばかりで、生きていても仕方がない、とも言える。健康長寿が呪わしい社会が来てしまったわけだ。

 65歳から5年くらい年金を貰い、70歳くらいでスカッと死んでしまいたいのだが、自殺なんかするとなんだか忌まわしいから、病気などでやむなく、という感じで消えたい。多分、(がん)か何かに(かか)って、痛ェ痛ェ言って苦しみのたうって死ぬのだろう。

 消えるときに、もう、面倒臭いし恥も多いから、私が生きていたあらゆる(あかし)や痕跡を消し、できることなら家族や知人友人の脳からも私の記憶を消去して、私が死んだことすら誰も知らず、私がいたことも誰も覚えておらず、墓もなく、記憶もない、誰も悲しくない、という消え方をしたい。そう願うのだが、人の記憶から消え去ることは難しい。この科学万能の時代に、それしきのことがどうしてできないのかと残念に思う。