気晴らし

投稿日:

 昼に行きつけの蕎麦屋、新越谷「SOBA満月」で蕎麦前に山梨の銘酒「七賢 風林美山」を一合、天婦羅を肴に冷やで飲み、生粉打ち十割の盛蕎麦を手繰る。今日の粉は鹿児島・川辺町産の「春のいぶき」。

 その後越谷レイクタウンのイオンシネマへ行き、予約してあった話題の映画「すずめの戸締まり」を見た。案外に面白かった。

 晩めしに黒毛和牛のしゃぶしゃぶを鱈腹喰って、レイト・ショウの映画をもう一本見た。「ラーゲリより愛を込めて」。名作映画と言えた。これもよかった。

漫録多少

投稿日:
SOBA満月の人気と行きずりの知らない人と

 行きつけの蕎麦店、新越谷駅南側にある「SOBA満月」の表に並んで待っていると、人品卑しからぬ年配の男性が駅の方からやってきた。その人は表に何人か客が並んでいるのを見て、「あらー……随分並んでますねえ、このお店は “漫録多少” の続きを読む

庭の沈丁花と梅林公園の梅見

投稿日:

 春だ。

 自宅の庭の沈丁花が咲き始めた。

 今日はよく晴れている。青空が広がり、微風が心地よい。(そぞ)ろ浮足立つ気がして、そうだ梅見頃だな、と思い立つ。

 私の住む “庭の沈丁花と梅林公園の梅見” の続きを読む

一杯

投稿日:

 はや晩春となった。まさしく風光る候、窓から入る風も心地よい。

 朝から庭の手入れをし、余った土の始末などする。

 昼、晴れた空の下、行きつけの蕎麦店「SOBA満月」へ行く。蕎麦前は山形県・冨士酒造の銘酒「栄光冨士 煌凛(こうりん)」を大桃豆腐の湯葉刺しで。

 いつもの「生粉打ち」十割の「盛り」、今日は鹿児島の粉であるそうな。蕎麦は九州はあまりよくないと聞くが、いやいや、なかなかどうして、香り、舌触り、のど越し、申し分なし。

 帰宅し、玉葱と明太子の和え物で更に一杯。

アスファルト敷きや灯油や

投稿日:

 休みなので、細々(こまごま)と用事をする。

 ネットで靴を買う。今履いている Hawkins の「Traveler」は4年弱ほど前に買ったものだ。天然皮革で、履きやすいので気に入っている。が、さすがに4年弱も毎日毎日通勤に使っていると、穴が開き、踵もすり減り、内張もボロボロだ。同じものを、と思ったが、さすがに廃番のようだ。それで、これから背広を着ることが増えそうなことも考え、Traveler のようなカジュアルはやめ、ビジネスでもなんとかゴマかして履けるような、同じHawkins のプレーン・トゥで、「エアライト Air Light ALIT5 PLAIN5 HB80150 SL/BLACK」という型番のものを買った。年内には届くだろう。

 それから、灯油を始末する。先日、自宅の暖房を都市ガスのファンヒーターに替えたので、使わない灯油が余ったのだ。自宅に置いていても無駄だし、何より危険である。

 4ℓほどの油缶を買ってきて、洗浄や油拭きなどに使う最低限の量だけ少しばかり取りわけ、残り10ℓほどを行きつけのガソリンスタンド「イハシエネルギー」で引き取ってもらうことにした。不要の燃油はガソリンスタンドで引き取ってくれるのだ。残念ながら買い取ってはくれないが……。

 初老の店員が相手をしてくれたのだが、「あ~あ~、勿体ない。だからね、こういうのはシーズンオフに使い切って残りを持ってくるといいんですよ。すごく無駄じゃないですか。2月頃まで置いとくのがいいんですよ。今度からそうするといいですよ」などと教えてくれるのだが、あのなァ、やかましいワイ。お前に教わらんでもそんなこたァ分かっとるわ。だいたい、何が「今度からそうするといいですよ」だ馬鹿。今度からウチは灯油は買わねェんだよ!

 ついでに車にガソリンを入れ、それからイハシエネルギーの隣のロイヤルホームセンターでアスファルト補修材を2袋買う。前から気になっていた家の前の舗装の沈下を補修するのだ。アスファルト舗装の(かさ)が減って沈んで(へこ)み、水を流したり雨が降ったりすると水溜りになって通行にも不便であった。家の前は袋小路でまるで私道の様相を呈してはいるが実は公道で、だから本来は役所に届け出るべきものなのだろうが、役所の工事なんか待っていてもどうせいつまでたっても着手なんかしないだろうし、勝手に補修したからって悪いことをするわけではないのだから、文句なんかどこからも出るまい。

 微妙にお隣の家の前にもかかるので、一応(ことわ)ってから作業を始めようとお隣の呼び鈴を鳴らしたが、どうもお留守のようである。なに、お隣だって自分ちの前が水溜りにならないにこしたことはないだろうから、多分文句なんか出ないだろう。勝手に補修しちまえ。

 小一時間かかってアスファルトを敷き終わり、力を込めて踏んづけ、()らす。

 それから、汚れっぱなしになったままの自動車を洗う。

 いつもだと、自宅前で車を洗うと、その水がお隣の家の前のアスファルトの凹みへ流れ込む。お隣の人に文句を言われたことはないが、なんだか迷惑がかかっている気がして、毎度毎度ばつが悪かった。しかし、今日はしっかり凹みが補修されたので、お隣に水は流れず、実にいい感じに仕上がった。

 それから着替え、行きつけの蕎麦店「SOBA満月」へ蕎麦を手繰(たぐ)りに行く。蕎麦前に野菜の天婦羅、それから福井の銘酒、純米吟醸「福千歳」が入っていたので、それを冷やで一合。天たねは蓮根、馬鈴薯、舞茸、茄子、春菊。いつもながら、ここの天婦羅は本当に上手で、旨い。

 微醺の心地よさ。それから「花まき蕎麦」を生粉打ち十割で頼む。花まきを頼んで一番楽しみなのは、蒸らしのためにしてある蓋を取った時の、ぱあッと広がる海苔の香ばしさである。(つゆ)と海苔、蕎麦を交々(こもごも)、少しずつ(すす)り、手繰る。香り、歯ごたえ、味、のど越し、どれをとっても申し分なし。

 帰りに新越谷VARIEの無印良品へ行って、アクリル製のティッシュボックスをもう一つか二つ買おうとしたが、なかった。「蓋」だけ棚にあり、本体の「箱」がない。店員さんに聞いてみると在庫がなく、入荷の予定もないという。「在庫のある店舗からお取り寄せできますが」と店員さんは言うが、いや、そこまでして欲しい品物でもない。別に本のカバーに使える手帳カバーと、バッグ・イン・バッグに使う黒いポーチを買った。プラスチックのバックルで巻き留めるようになっており、中の網袋はスナップで取り外せる仕組みになっていて、なかなか良い。手帳カバーは、ジーンズの尻に付けるエンブレム用の素材で作られたもので、以前は同じ素材の文庫カバーがあったのだが、今は廃番になってしまった。気に入っていたので残念である。だいたい、無印良品で私の気に入る商品がすぐに廃番になってしまうのは一体何故なんだ(苦笑)。

 それから蒲生のダイソーへ行き、マスクを作るための黒布だとか布ゴムバンド、家事に使う磁石、この前からだいぶ使い減らしてしまった黒いミシン糸の補充を買った。

 明日はガス工事で荒らされた家の東側の砂利の下の、防草シートの施工をやり直そう。

今週のSOBA満月

投稿日:

 依然(いぜん)、新型コロナウイルス「COVID-19」は猖獗(しょうけつ)を極めており、世相は増々(ますます)紛糾・沈滞・遅疑(ちぎ)・不信・我執(がしゅう)(おもむき)を加えつつある。企業は休業、役人・司直は徹夜、株価は急落、日本はそれでもまだましな方で、欧州でのこの微生物()は、もはや歴史的水準(レヴェル)を超えようとしている。

 そんな折にあっても、春は深まり、梅も桃も桜も咲く。

 微生物禍などどこのことだとでも言いたげな快晴、暖かな風の吹く青い空の下、読みかけの本を持ってお気に入りの蕎麦店「SOBA満月」へ行く。

 街の八百屋さんやスーパーの店先には春野菜が出ているから、今日のSOBA満月では、天婦羅を頼めば何かおいしい春野菜が揚がっているかな、と思ってメニューを見ると、季節メニューで「蛍烏賊(ほたるいか)の酢味噌()え」が出ている。これは是非注文しなければ。天婦羅は来週のお楽しみにしよう。

 新潟の銘酒「鶴齢(かくれい)」の純米吟醸がメニューにある。無論酒はこれにする。二合。

 旨い。蛍烏賊の香り、歯ごたえ、軽い味。「鶴齢」を含みつつ、交々(こもごも)箸をのばす。鶴齢の甘からず辛からず淡麗な飲み口に、この肴はぴったりである。

 酢味噌の味噌は濃い味付けに調えられている。

 なにより、付け合わせの「菜の花」の程よい茹で加減、歯ごたえ、香り、申し分なしである。

 飲みかつ喰い、持ってきた本を10ページばかり読む。

 仕上げに生粉(きこ)()ち・十割の「もり」。

 香り、歯ごたえ、味、のど越し、何をとってもこのお店の生粉打ちは旨い。

 帰り、自宅を通り過ぎて、小一時間ばかり歩く。自宅の東の方にある「谷古田(やこた)用水河畔(かはん)緑道(りょくどう)」の桜を見ようと思ったからだ。

 桜は六分咲き、今が一番見頃であろうか。

 青天白日、桜を見上げながらゆっくりと歩き、SOBA満月で飲んだ鶴齢の微醺(びくん)を楽しむ。

 世間の騒ぎをよそに、私の家の周囲は、かくも静謐・平和である。

SOBA満月

投稿日:

 山梨の銘酒「七賢」の「おりがらみ」という季節限定を出しておられたので、蕎麦前はそれを冷やで一合。今日は日本酒を注文すると、島根の銘酒「玉櫻」の濁り酒を一杯味見サービスしてくれました。

 肴は御新香。彩り、歯応え、味、酒によく合います。

 蕎麦は「花まき」を生粉打ちで。春寒のこの頃、熱い汁掛け蕎麦はこたえられません。

SOBA満月そば(蕎麦) / 新越谷駅南越谷駅蒲生駅

昼総合点★★★★★ 5.0

SOBA満月~早春

投稿日:

 読みかけの本を一冊持って、行きつけの蕎麦処「SOBA満月」へ一杯やりにいく。

 今日は蕎麦前に、牛蒡(ごぼう)と海老のかき揚げで、新潟の銘酒「吉乃川」のぬる燗を二合。

 この店は本当に揚げ物も上手で、このかき揚げだけでなく、野菜や穴子の天婦羅も本当においしい。天婦羅の盛り合わせもあり、これは旨いだけでなく、二人で食べても丁度良いくらいのボリュームがある。天婦羅の種物(たねもの)蕎麦には海老と野菜の2種類が、冷たいのと汁掛けのそれぞれにあり、どちらも旨い。

 ゆっくりとのんでから、生粉打ち・十割の「もり」を手繰る。いい香り、舌触り、喉越し、申し分なし。

 いい気分で帰路を拾った。

 今日は青空の広がる良い天気ではあるが、まだまだ寒い。だが、ご近所の植栽の梅はもう満開になっている。

 その梅の枝に、今年初めて目白が花蜜を啜りに来ているのを見た。梅の香り、尺を引く目白の声。今年の立春は去る2月4日、旧暦正月十一日である。既に暦は春ともなれば、さもありなん、というところか。

SOBA満月

投稿日:

 このところ天候が不安定である。今日は晴乃至(ないし)曇だったが、明日の関東は所により雪が降るという。

 まだまだ寒い。しかし、通勤時、皇居外濠の桜の芽が色づき、ぷっくりと膨らんで芽吹きそうになっているのを見ると、間もなく春かな、と思う。靖国神社の梅など、気の早いものはちらほらと咲いている。

 今日も自宅近くの蕎麦店、「SOBA満月」へ、読みかけの本を一冊持って一杯やりに行く。ここ最近、大の気に入りの蕎麦店である。

 この店は本当に美味しい。酒はいいものを選んであり、肴もシンプルで飽きのこないものがいろいろある。

 今日の蕎麦前は新潟の銘酒「吉乃川」をぬる燗で二合、肴に「穴子の天婦羅」を頼んだ。この店の天婦羅は先代が揚げていて、年季が入っている。

 対馬~長崎の穴子で、身がしっかりしているのに固くなく、旨い。

 天(つゆ)に漬けてしまう前に、塩を少しつけて食べる。穴子の身の滑らかさと脂、香り、揚がり方も申し分なし。生姜おろしと天汁を交々(こもごも)つけて、やおら吉乃川のぬる燗を(あお)れば、至福と言うほかはない。付け合わせのししとうも(いろど)り鮮やかで、良いアクセントである。

 蕎麦は今日も「生粉打ち」十割の「もり」にする。繊細に打ってあり、香り、歯応え、味、喉ごし、どれをとっても申し分なく、優しい味の蕎麦(つゆ)によく合う。

 この店独特の濃い蕎麦湯をゆっくりと飲むと、本当に満足する。

薬喰(くすりぐい)~SOBA満月~読書

投稿日:

 薬喰(くすりぐい)」で一句詠んだりなぞしていると、何やら今晩、肉でも食ってみようかという気にもなる。

 薬喰と言えば無論、冬の牡丹(ぼたん)鍋に紅葉(もみじ)鍋、桜鍋あたりの肉料理のことである。その昔、肉は表向き禁忌で、喰うなら隠れて喰うべきものだったそうだが、山鯨(やまくじら)だの(かしわ)だのと言う隠語も公然として、もはや人目を(はばか)るということ自体が形式でしかなかったようである。

 だが維新後、明治大帝におかせられては「ひとつ(ちん)が文明開化の手本を」とて肉をお召し上がりになり、これを契機に肉食が大いに普及した。日本はそんな時代から、まだ百数十年かそこらしか経っていない。

 ともかく、薬喰は冬の季語とて、今日も寒い。高校3年生は今日センター試験であるという。このところ毎年のことだが、センター試験と言えば東京周辺は雪と決まったもので、今日も雪交じりの冷たい(みぞれ)が降った。

 読みかけの古書、平凡社の世界教養全集第5巻「幸福論/友情論/恋愛論/現代人のための結婚論」を携えて、行き付けの蕎麦店・南越谷駅傍「SOBA満月」へ足を運ぶ。

 今日の蕎麦前は、新メニューの「白子ぽん酢」に新潟の銘酒「吉乃川」をぬる燗で2合。「白子ぽん酢」は昨日から始めたばかりの肴メニューなのだという。この店で魚介の生ものは珍しい。新鮮でみずみずしくクリーミーで、紅葉おろしと(あさつき)の、なんと合うこと。付け合わせに和布(わかめ)と胡瓜の飾り切りが入り、さっぱりする。

 読書しつつ酒を飲み、飲み終わったら蕎麦にする。今日は寒いから、「卵とじ蕎麦」にする。

 熱々のかけ蕎麦に、フワフワのとじ卵がたっぷりかかり、三つ葉と葱のアクセントがおいしい。ふうふう吹きながら手繰り込み、半分ほど食べて、やおら七味唐辛子を効かせると、寒さなどどこへやら、芯からホカホカと温まってくる。

 飲み喰いしつつ、本を読む。

 「現代人のための結婚論」は、結婚ということそのものについては勿論のこと、結婚後の夫婦の日常生活についても多く言及している。それが、夫婦間だけではない、職場の人間関係などにも大いに参考になる、強く共感を覚える示唆を沢山(たくさん)含んでいて、意外に納得感の強い読書となっている。私にとってこの評論は、同じ巻の他の評論に比べて、最も共感が強く、理解もしやすい。

気に入った箇所
平凡社世界教養全集第5巻「幸福論/友情論/恋愛論/現代人のための結婚論」から引用。
他のblockquoteタグ同じ。

p.438から

 そこに相互性のない愛情を私たちは愛情と呼ばないことにしよう。たとえば、私はイヌを愛する、なぜならイヌも私を愛しているから、という場合はよい。けれども、私は着物を愛するという場合には相互性がない。だが、これだけでは愛情の規定としては充分でない。親子間、夫婦間、恋人間の愛情は相互性をもってはいるが、この相互性ということだけで、「私は愛情のために結婚した」という場合の、愛情の性質を説明することはできない。愛情は人間がちがえばちがった事がらを意味する、というのは、その人々の生活の背景や経験や年齢によって愛情の意味がちがってくるからだ。

p.457から

成熟した人間は服従をとおして真の自由を見つけ出す。ところが未成熟な人間は不服従によって自由をかち取ろうとする。

p.461から

成熟した人間はその行動をコントロールする。

 これはわかりきったことだ。だが、たいへん重要なことだ。自分をコントロールするとは、手っ取り早く言えば、将来のために現在の苦痛や不満を我慢するということだ。自分の現在の欲望や衝動だけを行動の原理とする人間は成人になっていないわけだ。子どもというものは現在の欲望をコントロールすることができないからだ。多くの学生結婚はこうした未成熟の結果であることが稀ではない。彼らは待つことができなかったのだ。自分をコントロールするとは、「待つ」ことができるということだ。

 つまり、自分をコントロールする人間の行動は、苦痛とか快楽とかいったものではなく、むしろいろんな原則に基づいて決定されるわけだ。若い人はしばしば、成人になれば何でもかってにできるのだと考えたがる。言いかえれば、自分の行動を制限するものがいっさいなくなること、それが成人になることだと考える。けれどもそんなふうに考えることは、彼がまだ成人になっていない、未熟であることの証明でしかない。成人とは成人の行動原則を自分に課する人間のことだ。たとえば、子供は他人の思想や行動のプライヴァシイ(私的な性質)をいっさい認めようとしない。だが成熟した成人は他人のこのプライヴァシイを充分認める。

p.474から

とにかく、なぜある人間が現在あるような人間であるのか、このことをもし私たちが理解するならば、たといそのような彼を変えることができなくても、私たちと彼との関係をいくらかでも気持よいものにさせることになるだろう。つまり私たちは彼の行動を変えさせることはできない。しかし私たちは彼の行動について私たちの解釈を改めることはできる。そしてこの事自体、意義のあることなのだ。

 上の部分、実に、職場での人間関係においても適用可能な示唆に富む。

p.477から

 忠告(アドバイス)もむずかしいものだ。相手が忠告を求めていないときに忠告するのは、無用であるどころか、有害かもしれない。それに忠告は命令ではない。だがしばしば、私たちは忠告と命令とをとっちがえる。命令だったら、相手がそれを守ってくれるか否かを見守る必要がある。だが忠告は、相手がこれを受け入れようが受け入れまいが、本当はこっちの知ったことではないのだ。世の中には何かをさせようとこちらから働きかければかけるほど、しりごみする人がいる。劣等感がそうさせるのだろう。こういう人に対しては、こちらが相手にしてやる、あるいは相手を助けてやるよりも、相手をしてこちらの手伝いをさせるように仕むけることだ。相手がこっちのために何かを自発的にするように仕むければ、やがて劣等感という心のシコリはほぐれるだろう。

 この部分も夫婦間ではなく、職場における上下関係などにおいても適用可能な示唆に富む。

p.477から

夫婦は大いに話し合い議論し合った方がいいという意見がある。だが、本当はそういうことはむずかしい。なぜなら、議論というものは表面上は理性と論理の上に立っているように見えるが、じつは感情(エモーション)の上に立っている場合が多いからだ。

P.478から

議論のきっかけが相手の行動や考え方に対する反駁であるとすれば、へたな議論をしないためには、この反駁や反論を中途でやめるというか、「反論はできるのだが、今はしたくないのだよ」という態度を示すことがいい。反対論をしばらく括弧の中にくるみこんでしまう態度、それが「寛容」といわれるものだ。

 上の箇所も前の箇所と同じく。

p.479から

 相手につまらぬことで干渉しないことだ。

 さらにまた、もし諸君が小さなつまらない事がらで相手と意見が一致している、そして一致していることをお互いに気持よく認め合うことができれば、大きな事がらで意見が一致しなくても、諸君は平静にまた効果的に相手を動かすことができる。反対に、諸君が日常の小さなつまらないことでいつも妻と意見を異にしているとすれば、重大な問題で、意見を一致させることはたいへんむずかしくなる。

 上の箇所も前の箇所と同じく。

言葉
暁天(ぎょうてん)の星

 勿論、読んで字の如く、明け方の星のことであるから、「数が少ないこと」を言う。

引用元前記と同じ。下線太字は佐藤俊夫による。

外から与えられるものを素直に受け取って、そのままそれを実行するような従順な、あるいは個性のない人間なんて、いまどき、暁天の星ほどにもおるまい。