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4月 |
イチゴの苗を買って来て植える。 イチゴの植えつけは本来秋にするものだが、 園芸店やホームセンターではなぜか春に苗を売っている。 こうした苗にはいくつか花も咲いているし、植えれば実もつくが、 この苗からは多くの収穫は期待できない。 それよりも、その春夏シーズンにこの苗を大きく育てて親株にし、 そこから子株を取ることを目標にしたほうが良い。 地面に植えるなら、土を深さ30センチほども耕せばよかろうか。 30センチほどの穴を掘り、底に元肥を施し、掘った土に苦土石灰をまぶす。 苦土石灰をまぶすのは酸性の強い土を中性に保つためのものである。 園芸の参考書や、タネの袋などに書いてある簡単な作物の育て方を読むと、 必ずと言って良いほど苦土石灰を施せと書いてある。これは、 日本の土壌は酸性に傾きやすく、まずアルカリ性に傾けることで間違いがないからである。 苦土石灰を施した土をほぐし混ぜながら穴に埋め戻す。 私の場合は、この時、園芸店で買い求めた用土に化成肥料(マグァンプ)を用量どおり混入し、 元の土にそれを加えて土のかさを増した。 買ってきたイチゴの苗は、おそらく黒くてペラペラの「ポッド」に入っている。 ポッドから苗を出し、耕した場所に移植ごてで穴を掘り、そこに植える。 浅過ぎても深過ぎてもダメだ。浅ければ苗が倒れ、 深ければ芽が出ない。苗の中央にある、若い芽が萌え出ている部分、王冠のような形をした 「クラウン」がちょうど地上に出ている深さが良い。この部分に土がかぶっていると、 芽が出ず成長しない。
2リットル入るジョウロで、1株に付き1杯づつ、毎日休まず水をやる。 |
5月 |
花が咲く。 毛の柔らかい丸筆で、花の中央の部分を撫で回す。人工受粉である。 意外とうまく行く道具が竹の耳掻きの、あの耳クソ払いの羽毛部分らしい。 うまくやると形の良い大きな実がつく。やらないとヘンな形の実がつく。 農家では蜂を放ったりするらしい。蜂で受粉すると、非常に形の良い実がなるそうな。 この頃、「ランナー」とて、蔓が伸びはじめる。実を取ることを第一に考えるなら、 このランナーは摘んでしまう。栄養がそっちにばかり取られてしまうからだ。 しかし、今年は子株を取る、ということなら、そのまま伸ばしておけば良い。 |
6月 |
実がなる。子株を取るのが目的でも、一応いくつか実がつく。実が根元まで赤くなったら、 朝のうちに取り入れる。これは実にうまいものだ。ビタミンCが豊富に含まれているらしい。 この甘い実の敵はナメクジである。実に穴をあけて貪られる。 ナメクジを駆除するには、薬品のほか、 ビールを鉢などに入れて適当な場所に置くのが良い。 容器がなければ、ペットボトルの胴を底近くで横に切ったものでもよい。 ナメクジはビールの匂いが好きで、その鉢に入っていって、あげく溺れて死ぬ。 それを集めて焼却するなり、適当に処分する。 ナメクジはけっこう病害を媒介するらしく、適切に駆除する必要があるらしい。 広東住血線虫などというものは、ナメクジ・カタツムリの類からうつるらしく、 注意が必要である。もっとも、そう多い例ではないらしいが・・・。 集めたナメクジは、ガストーチなどで焼尽すればいいのではないかと思う。 |
7月 |
ランナーがメチャクチャに伸び、増殖最盛期になる。 イチゴは、ほうっておけば1つの株から30株ほどに増える。 我が家ではたった1つの株が50株にもなった。 |
8月 |
7月と同じだが、暑さで枯れることが考えられる。水をたくさんやり、追肥をほどこす。 水をたくさんやると言っても、昼間に水をやってはいけない。地面に日が当たり、 やった水が湯になって、根が煮えてしまうのだ。したがって、水は朝やる。 朝にやれなかった時は、夕方にやる。 また、朝にも夕にもやればいいというものではない。 湿りっぱなしにすると、カビが生える病気にかかるのだ。 カビが元になる病気には、うどんこ病、灰色カビ病などがある。 水は朝にたっぷりとやる、これが基本である。 |
9月 |
下旬、涼しくなったかな、という頃、株分けをする。 イチゴの子株は、一本のランナーに、太郎株、次郎株、三郎株・・・という具合に、 点々とできる。そのランナーが数本〜十数本伸びる。 これらのランナーを、それぞれの子株のところで切る。 親株側を2センチほど残すが、子株側は根元から切る。 こうすると、「長いほうが親株側」という目印になり、後で斉一な方向に植え付ける助けになる。
普通、植物を植え替えするときは、根に土をつけたまま植え替えするが、 イチゴは少々手荒にする。根から土を落とし、それから新しい土に植え替える。 こうすることで、春に花をつけやすくなるらしい。 一般に植物は、死にそうになると生殖を活発に行なうようになるそうだ。 イチゴは比較的丈夫な植物であるため、なかなか死にそうにはならない。 園芸の参考書などを読むと、「イチゴは冬の寒さに当たらないとうまく実をつけない」 と書いてあるものが多い。このことも、「死にそうになると生殖を活発に行なう」という 植物の性質が現れている現象の一つである。また、イチゴが花芽を出すための科学的な条件は、 「窒素が一時遮断されること」だそうだ。冬に寒さに当たり、肥料に少しばかり飢え、 ストレスが与えられると、イチゴは花芽を出し、実が沢山なるのである。 「植え替えのとき、根をいじめる」と書いてあるものもあるが、 これも植物の「死にそうになると生殖を活発に行なう」ということの表れかもしれない。 とは言うものの、根をブチブチ切ったりすれば、うまく根付かず死んでしまうから、 そこは適度に上手にやることだ。 株分けをし、いつもにも増して水をやり、肥料を与え、 倒れたりしないよう1週間〜2週間ほども見守れば、活着する。根付いて育ち始めるわけだ。 活着したら「中耕」をする。株と株の間を小さい熊手で耕して盛り上げるのである。 これをやると、その部分の雑草が鋤き込まれて死ぬし、通気が良くなるし、水持ちもよくなるなど、 いろいろといいのである。 |
10月 |
うまく活着したら、苗が込んでいるところを整理し、うまく行かなかった苗を取り除くことなども含めて、もう一度植えなおす。「定植」である。 株の下のほうの、枯れた葉や悪くなった葉を取り除く。 株の中心から出ている、若く青い葉を3枚〜5枚ほど残せばよい。これを「葉を掻(欠)く」という。 この頃から水やりの量を減らす。土が乾いていればやる、という程度にする。 |
(執筆時点が10月のため、春に枯れていたらハズカシイから、 これからうまくいくたびに加筆予定(笑))
それにしても近所の猫には困ったものだ。
糞を埋め込むし小便は撒き散らすし、その臭いがひどいのにも閉口する。 花壇に植えたものを掘り返して撒き散らすのも迷惑である。単純なものではない。 半年、一年と、来る日も来る日も丹精したものが猫によって一夜に撒き散らされ千切られてしまうのだ。 その不快感、なんとも堪えがたい。
なにかと猫の寄りつかぬ工夫はしているのだが、ある種の工夫をしても、効き目があるのは2週間ほどだ。慣れるせいか、しばらくするとまた来る。
ホームセンターに行くと猫よけの薬剤が売られている。 植栽を傷めない(=花壇にも撒ける)タイプのものはひと瓶\2,200と結構な値段である。 これは、猫がいやがるほどに徹底的に撒くと、概ね2回分ほどになる分量である。 3日や4日に一度は撒かねばならないから、ひと月に5本ほども空になってしまう。 1万1千円。平然としておれる経費ではない。
私は猫が憎いタイプの人間ではない。がしかし、 自分がかわいがっているわけでもないよその家の外飼い猫が、ウチの庭にばかりウンコをしに来るというのは釈然としない話だ。私はそれを笑って納得していられるほどのお人よしでもないのである。
なにか話のタネにでも、とWebサイトを検索すると、同じように猫糞に悩む人たちが沢山いることが解った。
そういえば、猫を捕まえて虐殺する様子を写真に撮り、インターネット掲示板などに公開した男が法に触れて逮捕されたのは今年のいつ頃だったか。その時は「なんて非道な男だ。頭がおかしいのではないか?こんな奴は畳の上では死ねんぞ」と思うばかりで、自分の庭の被害とその男の出現の背景が結びつくことはなかった。
しかし改めて調べると、自分の庭の被害と、自分の怒りと、自分と同種の悩みを持つ人々の気持ちと、そんな人たちが世の中には沢山いることと、そういう気持ちをインターネット上で共有した一連の現象と、その渦中でエスカレートした猫虐殺男の関係がなにやら腑に落ちた。
新聞紙上では、猫殺し男は徹底的に膺懲されるばかりなので、そんな立ち入った背景までは解らない。猫嫌い、ペット嫌いのコミュニティらしきものが確実に世の中にはあって、思いを共有していて、しかもそれは隠れたかなり大規模なものであるらしいのだ。
猫は自分の餌場を荒らさない。餌をやる家のそばでは糞をしないそうだ。もちろん全ての猫がそうではなく、家の中で糞をして飼い主に叩かれる始末の悪い猫もいるが、多くの猫は野生の呼び声そのままに、習性にしたがって自分の餌場を荒らさないそうだ。さもあらん、ネズミやモグラ、その他小動物を捕食する猫のこと、節操もなくあちこちに糞をすれば、自分の獲物がその匂いなどを警戒して寄りつかなくなる。何千万年と言う進化の過程で、そうした野生が猫という種を永らえさせてきたことであろう。
だから、野良猫をかわいがる家の人は猫糞の迷惑をそれほどには感じないのだ。猫の糞害に悩む人は、逆に猫が糞をする場所で猫に餌付けをすればよい、そうすると糞害がなくなる、などといういかにも肯えそうなまことしやかな話もある。つまり、餌付けをするとその猫はよその家の庭で糞をするようになる、というのだ。
更に調べると、2ちゃんねるの某板などでは、「『猫捕り箱』の作り方」なるものまで紹介されている。日曜大工でも簡単に作れる木箱であって、ちょっとしたトラップになっている。安く作ればおそらく500円もかかるまい。「この箱で猫を捕って遠くに棄てることを繰り返せば、次第に地域の猫は少なくなり、糞害もそれに比例してなくなっていきます」みたいな解説が書かれている。遠くに棄てると言うのはまだジェントルなほうで、昔の鼠の始末のように箱ごと水に漬けて鳴かなくなったらゴミと一緒に出すとか、残酷なことも少々書いてある。
自宅の庭の猫糞の始末と、猫に掘り返されて千切られ、枯れてしまった花の始末を10回ほどもやった後でそういう文章を読むと、読みながら猫箱の作成方法やかかる値段、必要な工具、猫を棄てるとしたらどこへ棄てよう、などとかなり具体的な方法を頭に思い描いてしまう。合板は丈夫だが、100円ショップの反り返った集成材でもいいかな、その時はクギの頭は潰しておかなくちゃな、罠線はタコ糸じゃなくてテグスだな、すべりがいいからな、高速道路を使ってよその県に猫を棄ててくるとすると、途中箱の中で小便されたりしたら厄介だ、大きいビニール袋を用意しとかなくちゃ、などと結構具体的にものを考えているのだ。
そこまで考えたり、調べたりして、一息ついて頭を冷静にする。
私は、猫箱を作ることも出来る。明日、ほんの半日ほどかけて箱を作り、実際に焼き秋刀魚でも仕掛けて、2回か3回の試行錯誤でもすれば、私の住む町の猫など、ひと月もしないうちに全ていなくなってしまうだろう。否、それよりも、人間と言う生き物は恐ろしい生き物なのだ。改めていうまでもないが、人間が本当に本気になれば、猫などという種を絶滅させてしまうことなど造作もないことだ。実際、人間が責め滅ぼした生き物が何百種類あることか!。
町に住むほんの一個人である私が、ちょこっと働くだけで町の猫は全滅してしまうのだ。
そう考えたら、今度はなにやら猫が哀れになってきた。 しなやかな体毛や、脅かすとびっくりして逃げるしぐさなどを想像すると、今度は猫がいとおしく弱い保護物のように思えてくる。子供の頃、母猫が縁の下の暗がりに隠れて子猫に乳をやっていた。今思うと、猫には「雄猫の仔殺し」といって、雄猫が仔猫を襲う習性があるそうだが、母猫は仔を守るために暗がりに隠れて育てていたのだろう。
私には娘がいて、猫のぬいぐるみが大好きだ。仔猫のぬいぐるみをいつもそばに置いてかわいがっている。
随分前のことだが、娘が持っているその仔猫のぬいぐるみそっくりの仔猫が、通勤途中の私の足元をじゃれながらついて来たことがある。踏んづけそうになるし、かわいいし、どこまでも付いてくるしで閉口したのだが、駅の裏通りあたりでようやく離れた。その日の夜、帰りが23時ごろになったのだが、人通りも絶えがちな駅裏通りの路上でその仔猫が死んでいた。外傷もなく、どうして死んでいるのかわからない。今になって調べると、仔猫はまる一日飢えるだけで、体も小さいためにか、低血糖となり死ぬそうだ。その仔猫も、母猫からはぐれて、帰れないほど遠くに来てしまい、餌もなく、たった一日で死んだ。その時、本当に猫という小動物は哀れなものだ、かわいそうになあ、と思い、昔覚えた真言を心中ひそかに唱え、猫のために祈ったものだ。もし私が、猫の仔のために哀れを感じなければ、私が自分の子を亡くすようなことがあった時、バチがあたって誰も私の子のために祈ってくれなくなるに違いない、と素朴な気持ちを持ったのだ。
そんな哀れで弱い小動物である猫に本気になって牙を剥くのは、なんだか万物の霊長たるの鷹揚悠然に欠けるような気がするのである。
子供のいるところで「猫憎し」発言ばかりしていては、子供の教育にもおそらく良くはあるまい。
人間の怒りは、それがほんのちょっとした怒りでも、小獣である猫にとってみれば生命をも奪われかねぬ程の力を持っている。その強い怒りの矛先が猫に向けられるのは、誤りである。 アナタの、私の怒りは、アホな飼い主や無責任に餌付けをしているような人に向けられるべきなのだ。弱く哀れな猫に怒りを向けるのは、弱いものいじめである。
これも以前の話だが、近所で小学校高学年くらいの男の子たちが、喚声を上げながら走り回っていたことがある。ほう、今時珍しいな、けっこうけっこう、と思ってよく見ると、手に手にエアガンを持って走っている。猫を追い掛け回していたのだ。これは怪しからん、と感じたが、猫がある屋敷に逃げ込んでいき、少年たちはあきらめて去った。
今そのことを思い返してみるに、少年たちのエアガンは、猫に向けられるくらいならその飼い主に向けられるべきであった。もちろん、エアガンなどは人に向けてはいけない。弱者である猫に向けるくらいなら、強者である飼い主に向けよ、それが出来ないならやめてしまえ、ということを私は言いたいのだ。飼い主にエアガンを撃てば、飼い主は怒り狂って、場合によっては警察ぐらい呼ぶだろう。が、警察を呼ばれたところで、少年たちの命にはなんの別状もあるまい。反面、猫は強力なエアガンで撃たれれば、場合によっては命を落とす。これは釣り合わぬ。
少年たちが猫を追ったのは、もしかしたら周囲の大人たちが「ああっ!またクソ猫がクソしやがった!畜生!」などと日常言っているのを聞いていて、ああ、あれは害獣だから少々ひどい目にあわせたところで許されるんだ、などと無意識に納得していたのかもしれない。
恐ろしいことだ。私にはその少年たちが、浮浪者をなぶり殺しにするハイティーンの少年たちとダブって感じられる。エアガンで猫を狩る少年は、周りの大人たちが同じ口調で「・・・ったく、不潔な浮浪者だぜ、役立たずのクセしやがって。死んでしまえ」などと呟きつづけておれば、おそらく浮浪者をも狩るだろう。
弱いもの、哀れなものをいじめるのは良くない。本来、人間に向けられるべき怒りを、「でも俺、あそこの猫飼いババアに恨まれたくないもんなあ」とか何とかいうような、結局は自分がかわいいだけの理由で猫に向けるのは間違いだ。人間は賢く身体も大きいのであるから、「うらまれたくない」という、所詮その程度の理由での怒りの転嫁でも、それを猫に向ければ猫は死ぬ。アナタは、ワタシは、弱い猫をいじめるのではなく、飼い主に怒りをぶつけるべきである。猫を殺すんなら飼い主を殴れ!
だがしかし、ですよ。
だからと言って、ウチの庭に糞してほしいわけではないぞ。
つまり、なんとなく猫がウチの庭をよけるようになってくれれば、それが一番なのである。
ネット上をうろつくと、さまざまな How to がある。いわく、
猫よけ剤の中でも、タバコの葉を原料にした「キープアウト」という商品はかなり良く効くというウワサ。
…ま、どんな方法でも猫は慣れるらしい。
安いやり方として、今度は煙草の葉を試してみようかと思っている。