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居住編 その2Index
我が家も庭に花を植えるなどして、 つつましいながらもなんとか一応、楽しげに生活している感じになってきた。
おしろい花の種をまいたり、イチゴの株を増やしたり、ひまわりを植えたり、 いくらかやったのだが、どうも庭が平板な感じで面白くない。 花を増やせば文字通り華やかにもなるかと思ったが、 庭が南向きであるにもかかわらずどうも日当たりが良くなく、花を増やすにも限界があるのだ。
なぜ日当たりが良くないかと言うと、右のように、裏のお宅との境界に低いブロック塀があるのだが、
そのために日陰ができるからである。家自体は日がたくさん入り、気持ちがいいのだが、
庭の地面は半分ほどは日陰になる理屈である。
そこで、考えたことは、塀沿いに右図のような形の高い目の花壇を積めば、 花壇の上面にはまんべんなく日があたり、なおかつ庭に立体感が出るのではないか、 ということである。
もうすぐこの家に住んで1年になろうかという夏の真っ盛り、意を決して、
子供の頃の夏休みの工作よろしく、花壇作りをすることにした。
庭に出て、地面に線をひき、巻尺で長さを測って煉瓦の個数を見積もる。
普通、きちんと強度を出したいのなら、左のように煉瓦は平たく並べるべきである。
しかし、たかが個人住宅の庭の、せいぜい差し渡し1メートルほどの花壇である。 一端はちゃんとしたブロック塀に依託するんだし、そんなに正しさに拘る必要もあるまい、 というわけで、左のように幅の広い面をタテにして並べ、個数を節約することにする。 そうすると必要な煉瓦は約50個である。 セメントは298円の袋が4袋ほど必要だ。煉瓦は近所のホームセンターで一番安いやつが1個88円。 それから基礎部分用に路盤用の砕石をひと袋。 煉瓦鏝や目地鏝、レベルなどは沓脱石を作ったときに買ってあるから、今回は材料費だけでよい。 これらをエッチラオッチラ庭に運び込む。
まず、作業に先立ち、買ってきた煉瓦をすべて水に漬ける。 こうしないと後でセメントを使ったとき、セメントの水が煉瓦に吸われて固まらない。 セメントは乾いて固まるのではなく、水分によって化学変化を起こすことで固まる。 したがって、乾かしてはいけないのである。 普通のバケツには、煉瓦をせいぜい4つも入れればいっぱいである。 「たらい」やドラム缶、樽などが用意できればよりよい。 私は樽など持っていないから、ゴミ用の大きなポリバケツ(40リットル)をキレイに洗い、 それを利用した。 煉瓦はそういう具合にして水に漬けておき、その間に他の準備をする。 煉瓦は泡がでなくなる程度まで水に漬ければ良い。 それはせいぜい15分程度のことなので、もしたらいや樽などなくても、 小さなバケツでかわるがわる漬けてもよい。
そうして煉瓦を水につけている間、あらかじめ地面に直接引いておいた設計図に従い、溝を掘る。 溝の幅は煉瓦の幅の2倍くらいで充分である。 耕してしまわないよう、移植鏝やシャベルを使い、うまく土を切る。切ったら、砕石をひいて叩き固める。
それが終わったら、水平具合を確かめる。角材とレベルを使う。
煉瓦を仮に置いてみて、低ければ砕石を足し、高ければ削る。
煉瓦を置くところ全部について水平を見る。
もちろん、この時にはそれほど神経質にやりすぎる必要はない。だいたいでいいのだ。 なぜかと言うと、この上に更にセメントを置き、 そこへ煉瓦を置くからで、この時神経質にやりすぎても、どうせ後で狂ってしまうし、また逆に、 後で修正もきく。
基礎の水平が取れたら、セメントをバケツで練る。 煉瓦用の鏝を使い、バケツの底からすくい上げるようによくこねる。 これを沢山やると、けっこう手首の筋力が付く感じである。 一度に水を入れすぎると柔らかくなりすぎたりして困るから、 じょうろなどから少しづつ入れると良い。固さはソフトクリームぐらいの固さ、 鏝の上にセメントを載せると、流れてしまわずに山になるくらいの固さが良い。
セメントができたら、いよいよ1段目から始める。 適当な量のセメントを基礎の上にポンと落とし、その上に煉瓦を揉むように置く。 置いたら、レベルを当て、高いところをハンマーでコンコンと優しく叩いて水平にする。 次の煉瓦を置くときには、煉瓦のコバにもセメントを塗りつけてなじませる。 隣同士の煉瓦の間隔は、目地鏝の幅よりちょっと大きめに開ける。 こういう間隔を空けても大丈夫なようにセメントの固さを上手に調節しなければならない。 まっすぐな直線状の花壇であれば、水糸を張ってそれに合わせて煉瓦を置いていくわけであるが、 こういう曲線の花壇であるから、それはムリ。その代わり、隣同士の煉瓦の肩を合わせながら、 1個1個の煉瓦の水平をレベルで取れば、ちゃんとまっすぐに花壇を積むことができる。
半円形のカーブに煉瓦を積むわけであるから、 煉瓦の内側のかどをディスクグラインダーやタガネなどで切って落としておかなければならない。 (れんがの切り方などは「外構・庭など」参照)。 二つの煉瓦をうまく切るには、図のように所望の角度をつけて煉瓦を置き、 開いた方のおのおののカドから平行に線を引き、その線に沿って煉瓦を切れば良い。 そうすると望みの角度でピタリと合う煉瓦ができる。
2段目以降も同じようにしてどんどん煉瓦を積んでいく。煉瓦と煉瓦の間をうまい具合に取る。 この時、セメントの塗りつけ具合が難しく、写真のようにセメントがかなりはみだすし、 また煉瓦も相当汚れる。 が、これはあまり気にする必要はない。このはみ出したセメントは、後で削り落とすからである。 セメントが固まるには何時間もかかる。少々固まったところでちっとも心配はいらない。 はみ出したセメントの、表面の水分が光って見えないな、という程度まで乾いたら、 はみ出したセメントを鏝で掻き落とす。この時には鏝のカドを使って、比較的ていねいに作業をする。 目地の形を整え、目地鏝ですうーっと押しつけ、きれいにする。この時にセメントの具合が丁度良いと、 本当にキレイな目地になる。 全部の煉瓦を積み終わったら、一時間ばかりセメントを固める。最後に煉瓦をきれいにする。 バケツにたっぷりきれいな水を汲み、スポンジに水を含ませて、 煉瓦の表面のはみ出したセメント汚れなどをこすり落とす。 この時、スポンジを一方向に一方向に動かすと良い。 また、じょうろで水をかけながら、洗車ブラシやたわしでキレイに洗い落としても良い。 全部の作業が終了したら、セメントのついた道具などはきれいに洗う。 バケツや鏝のセメントが固まると、ザラザラして非常に使いづらくなってしまうからだ。 積んだ花壇は慌てて土を入れず、次の日曜日までガマンして放っておく。セメントを固めるためだ。 次の日曜日になったら、ワイヤーブラシで汚れているところをもう一度キレイにする。
それから土を入れるわけだが、この時忘れずに考えておかなくてはならないのは「水はけ」のことである。 花壇には暗渠を埋めるなどいろいろな水はけが考えられる。 この花壇は高さが60センチほどあるのだが、私の場合は、 底から10センチほどのところにインパクトドリルで写真のような穴を5箇所ほど空けた。 それから花壇の底に15センチばかり粗い川砂利を敷き、その上に土を入れることで水はけにした。 庭から取った土に苦土石灰と枯れた葉っぱなどを混ぜ、それを下のほうに入れ、 また1週間ほどなじませ、元肥を施す。 ホームセンターで残りの分の土を買う。25リットル入りの土が398円程であった。 それを5袋入れて、やっと花壇の出来上がりである。
庭にはイチゴを植えた。 ウチには小さい子供もいるし、実のなるものを喜ぶだろうと思ったからだ。 イチゴの育て方は、概ね次のようなものである。
(執筆時点が10月のため、春に枯れていたらハズカシイから、 これからうまくいくたびに加筆予定(笑))
それにしても近所の猫には困ったものだ。 糞を埋め込むし小便は撒き散らすし、その臭いがひどいのにも閉口する。 花壇に植えたものを掘り返して撒き散らすのも迷惑である。単純なものではない。 半年、一年と、来る日も来る日も丹精したものが猫によって一夜に撒き散らされ千切られてしまうのだ。 その不快感、なんとも堪えがたい。 なにかと猫の寄りつかぬ工夫はしているのだが、ある種の工夫をしても、効き目があるのは2週間ほどだ。慣れるせいか、しばらくするとまた来る。 ホームセンターに行くと猫よけの薬剤が売られている。 植栽を傷めない(=花壇にも撒ける)タイプのものはひと瓶\2,200と結構な値段である。 これは、猫がいやがるほどに徹底的に撒くと、概ね2回分ほどになる分量である。 3日や4日に一度は撒かねばならないから、ひと月に5本ほども空になってしまう。 1万1千円。平然としておれる経費ではない。 私は猫が憎いタイプの人間ではない。がしかし、 自分がかわいがっているわけでもないよその家の外飼い猫が、ウチの庭にばかりウンコをしに来るというのは釈然としない話だ。私はそれを笑って納得していられるほどのお人よしでもないのである。 なにか話のタネにでも、とWebサイトを検索すると、同じように猫糞に悩む人たちが沢山いることが解った。 そういえば、猫を捕まえて虐殺する様子を写真に撮り、インターネット掲示板などに公開した男が法に触れて逮捕されたのは今年のいつ頃だったか。その時は「なんて非道な男だ。頭がおかしいのではないか?こんな奴は畳の上では死ねんぞ」と思うばかりで、自分の庭の被害とその男の出現の背景が結びつくことはなかった。 しかし改めて調べると、自分の庭の被害と、自分の怒りと、自分と同種の悩みを持つ人々の気持ちと、そんな人たちが世の中には沢山いることと、そういう気持ちをインターネット上で共有した一連の現象と、その渦中でエスカレートした猫虐殺男の関係がなにやら腑に落ちた。 新聞紙上では、猫殺し男は徹底的に膺懲されるばかりなので、そんな立ち入った背景までは解らない。猫嫌い、ペット嫌いのコミュニティらしきものが確実に世の中にはあって、思いを共有していて、しかもそれは隠れたかなり大規模なものであるらしいのだ。 猫は自分の餌場を荒らさない。餌をやる家のそばでは糞をしないそうだ。もちろん全ての猫がそうではなく、家の中で糞をして飼い主に叩かれる始末の悪い猫もいるが、多くの猫は野生の呼び声そのままに、習性にしたがって自分の餌場を荒らさないそうだ。さもあらん、ネズミやモグラ、その他小動物を捕食する猫のこと、節操もなくあちこちに糞をすれば、自分の獲物がその匂いなどを警戒して寄りつかなくなる。何千万年と言う進化の過程で、そうした野生が猫という種を永らえさせてきたことであろう。 だから、野良猫をかわいがる家の人は猫糞の迷惑をそれほどには感じないのだ。猫の糞害に悩む人は、逆に猫が糞をする場所で猫に餌付けをすればよい、そうすると糞害がなくなる、などといういかにも肯えそうなまことしやかな話もある。つまり、餌付けをするとその猫はよその家の庭で糞をするようになる、というのだ。 更に調べると、2ちゃんねるの某板などでは、「『猫捕り箱』の作り方」なるものまで紹介されている。日曜大工でも簡単に作れる木箱であって、ちょっとしたトラップになっている。安く作ればおそらく500円もかかるまい。「この箱で猫を捕って遠くに棄てることを繰り返せば、次第に地域の猫は少なくなり、糞害もそれに比例してなくなっていきます」みたいな解説が書かれている。遠くに棄てると言うのはまだジェントルなほうで、昔の鼠の始末のように箱ごと水に漬けて鳴かなくなったらゴミと一緒に出すとか、残酷なことも少々書いてある。 自宅の庭の猫糞の始末と、猫に掘り返されて千切られ、枯れてしまった花の始末を10回ほどもやった後でそういう文章を読むと、読みながら猫箱の作成方法やかかる値段、必要な工具、猫を棄てるとしたらどこへ棄てよう、などとかなり具体的な方法を頭に思い描いてしまう。合板は丈夫だが、100円ショップの反り返った集成材でもいいかな、その時はクギの頭は潰しておかなくちゃな、罠線はタコ糸じゃなくてテグスだな、すべりがいいからな、高速道路を使ってよその県に猫を棄ててくるとすると、途中箱の中で小便されたりしたら厄介だ、大きいビニール袋を用意しとかなくちゃ、などと結構具体的にものを考えているのだ。 そこまで考えたり、調べたりして、一息ついて頭を冷静にする。 私は、猫箱を作ることも出来る。明日、ほんの半日ほどかけて箱を作り、実際に焼き秋刀魚でも仕掛けて、2回か3回の試行錯誤でもすれば、私の住む町の猫など、ひと月もしないうちに全ていなくなってしまうだろう。否、それよりも、人間と言う生き物は恐ろしい生き物なのだ。改めていうまでもないが、人間が本当に本気になれば、猫などという種を絶滅させてしまうことなど造作もないことだ。実際、人間が責め滅ぼした生き物が何百種類あることか!。 町に住むほんの一個人である私が、ちょこっと働くだけで町の猫は全滅してしまうのだ。 そう考えたら、今度はなにやら猫が哀れになってきた。 しなやかな体毛や、脅かすとびっくりして逃げるしぐさなどを想像すると、今度は猫がいとおしく弱い保護物のように思えてくる。子供の頃、母猫が縁の下の暗がりに隠れて子猫に乳をやっていた。今思うと、猫には「雄猫の仔殺し」といって、雄猫が仔猫を襲う習性があるそうだが、母猫は仔を守るために暗がりに隠れて育てていたのだろう。 私には娘がいて、猫のぬいぐるみが大好きだ。仔猫のぬいぐるみをいつもそばに置いてかわいがっている。 随分前のことだが、娘が持っているその仔猫のぬいぐるみそっくりの仔猫が、通勤途中の私の足元をじゃれながらついて来たことがある。踏んづけそうになるし、かわいいし、どこまでも付いてくるしで閉口したのだが、駅の裏通りあたりでようやく離れた。その日の夜、帰りが23時ごろになったのだが、人通りも絶えがちな駅裏通りの路上でその仔猫が死んでいた。外傷もなく、どうして死んでいるのかわからない。今になって調べると、仔猫はまる一日飢えるだけで、体も小さいためにか、低血糖となり死ぬそうだ。その仔猫も、母猫からはぐれて、帰れないほど遠くに来てしまい、餌もなく、たった一日で死んだ。その時、本当に猫という小動物は哀れなものだ、かわいそうになあ、と思い、昔覚えた真言を心中ひそかに唱え、猫のために祈ったものだ。もし私が、猫の仔のために哀れを感じなければ、私が自分の子を亡くすようなことがあった時、バチがあたって誰も私の子のために祈ってくれなくなるに違いない、と素朴な気持ちを持ったのだ。 そんな哀れで弱い小動物である猫に本気になって牙を剥くのは、なんだか万物の霊長たるの鷹揚悠然に欠けるような気がするのである。 子供のいるところで「猫憎し」発言ばかりしていては、子供の教育にもおそらく良くはあるまい。 人間の怒りは、それがほんのちょっとした怒りでも、小獣である猫にとってみれば生命をも奪われかねぬ程の力を持っている。その強い怒りの矛先が猫に向けられるのは、誤りである。 アナタの、私の怒りは、アホな飼い主や無責任に餌付けをしているような人に向けられるべきなのだ。弱く哀れな猫に怒りを向けるのは、弱いものいじめである。 これも以前の話だが、近所で小学校高学年くらいの男の子たちが、喚声を上げながら走り回っていたことがある。ほう、今時珍しいな、けっこうけっこう、と思ってよく見ると、手に手にエアガンを持って走っている。猫を追い掛け回していたのだ。これは怪しからん、と感じたが、猫がある屋敷に逃げ込んでいき、少年たちはあきらめて去った。 今そのことを思い返してみるに、少年たちのエアガンは、猫に向けられるくらいならその飼い主に向けられるべきであった。もちろん、エアガンなどは人に向けてはいけない。弱者である猫に向けるくらいなら、強者である飼い主に向けよ、それが出来ないならやめてしまえ、ということを私は言いたいのだ。飼い主にエアガンを撃てば、飼い主は怒り狂って、場合によっては警察ぐらい呼ぶだろう。が、警察を呼ばれたところで、少年たちの命にはなんの別状もあるまい。反面、猫は強力なエアガンで撃たれれば、場合によっては命を落とす。これは釣り合わぬ。 少年たちが猫を追ったのは、もしかしたら周囲の大人たちが「ああっ!またクソ猫がクソしやがった!畜生!」などと日常言っているのを聞いていて、ああ、あれは害獣だから少々ひどい目にあわせたところで許されるんだ、などと無意識に納得していたのかもしれない。 恐ろしいことだ。私にはその少年たちが、浮浪者をなぶり殺しにするハイティーンの少年たちとダブって感じられる。エアガンで猫を狩る少年は、周りの大人たちが同じ口調で「・・・ったく、不潔な浮浪者だぜ、役立たずのクセしやがって。死んでしまえ」などと呟きつづけておれば、おそらく浮浪者をも狩るだろう。 弱いもの、哀れなものをいじめるのは良くない。本来、人間に向けられるべき怒りを、「でも俺、あそこの猫飼いババアに恨まれたくないもんなあ」とか何とかいうような、結局は自分がかわいいだけの理由で猫に向けるのは間違いだ。人間は賢く身体も大きいのであるから、「うらまれたくない」という、所詮その程度の理由での怒りの転嫁でも、それを猫に向ければ猫は死ぬ。アナタは、ワタシは、弱い猫をいじめるのではなく、飼い主に怒りをぶつけるべきである。猫を殺すんなら飼い主を殴れ! だがしかし、ですよ。 だからと言って、ウチの庭に糞してほしいわけではないぞ。 つまり、なんとなく猫がウチの庭をよけるようになってくれれば、それが一番なのである。 ネット上をうろつくと、さまざまな How to がある。いわく、
…ま、どんな方法でも猫は慣れるらしい。 安いやり方として、今度は煙草の葉を試してみようかと思っている。 |