係陸曹が私のところへ来て、
「佐藤3佐、明日は銃の手入れ日ですが、今月からは拳銃の方の手入れをお願いします。」
と言った。
続けて、「佐藤3佐の古い小銃は、系統を通じて返納しますので、よろしくお願いします」と係陸曹は言う。
……そうか、私の銃が、古い64式小銃から拳銃に変更になったのだ。陸上自衛隊では、一般に佐官の銃は小銃ではなく拳銃と決められているからで、3佐への昇任が遅かった私は、50歳を過ぎた今更、装備火器が拳銃に代わったわけである。
なにやら少し、感傷する。
私は入隊以来、35年にわたって64式小銃を持ち続けてきた。私がこの銃を受け取ったのは35年前の少年時代、15歳の頃のことで、入隊してまだ幾日も経ない日のことであった。人差し指で引金を引けば人ひとりが死んでしまう、そういう威力を持つ物、また究極的にはそれ以外の目的がまるでない物を任されるということ、その責任に身が引き締まったものだ。
その後、第一線部隊は新しく開発された89式小銃を装備するようになったが、私のように第一線部隊ではないところに所属する自衛官は、いまだに多くが64式小銃を装備しているのだ。
64式小銃は、古銃とは言えまだまだ機能を発揮し、大口径による威力と凝った工作精度によって現役銃としての十分な力を持ち続けている。のみならず、プラスチックなど使わず、黒い鋼鉄と木で構成された、四角張ったその姿形は、私のような古参に愛着をすら抱かしめるに足る、一種の魅力をも
今日という今日、この長年の相棒が取り上げられてしまったのだ。別れを惜しむ間もない。部隊の補給管理手続きを通じるのみの、なんとも事務的な別れである。
私は幹部自衛官となってからも、また、技術的な業務に
30代の頃は練度も相当熟達した。射撃特級・1級と言ったランクを保持し、胸にそれを示すバッヂを付けていた。これは、スコープなどの器具を一切使わずに、裸の照準具だけで、300メートル離れた人間の頭に9割以上の弾丸を叩き込むことができる腕前である。技術的な部署で勤務する者としては珍しい練度でもあった。50歳を過ぎた最近は、さすがに腕前が衰えてきて、そうはいかなくなっていたが……。
日本では法律で基本的に銃の所持が禁じられており、狩猟やスポーツなどのごく限られた用途にだけ限定的に許可される。許可内容も、連発は3発まで、全自動小銃・機関銃は禁止、拳銃はオリンピック競技など以外全部禁止である。したがって、20連発の全自動小銃、つまりアサルト・ライフルである64式小銃を個人的なノスタルジーや記念を理由として、私的に購入・所持することは不可能である。
つまり私は、35年来の友人と、ついに永久の別れを経てしまったのである。もう二度と持てない。
35年間、私は64式小銃を人に向け、殺すことはまったくなかった。これを命ぜられることも、ごく一部の警備任務などを除いては、一切なかった。
言うならば、この銃は結果として私にとっての「ピースメーカー」であったのだ。
ずしりと重い鋼鉄の銃身の冷たさは日本の厳しい意思ともなって、これまでの私にとって、そしてなおまた、私にそれを扱う責任を持たせている、一般の人々の平和の礎となってもくれたのだ。
さらば64式小銃。