スウェーデン、NATO加盟
ついにあの、永世中立の王国スウェーデンが、「もう中立やめますッ!」と、ブチギレてしまった。
- スウェーデンのNATO加盟 全加盟国が承認へ 32か国へと拡大(NHK、令和6年(2024)02月26日(月)19時14分)
無論、ウクライナ紛争の影響によるものだ。
オッサンは生きている。
ついにあの、永世中立の王国スウェーデンが、「もう中立やめますッ!」と、ブチギレてしまった。
無論、ウクライナ紛争の影響によるものだ。
このところ、よくアニメや漫画を見たり読んだりするようになった。若い頃は活字だけでなく漫画もよく読んでいたが、ここ数十年は活字にばかり親しんでいたので、60歳を前にしてまたずいぶん変わったものだと我ながら思う。
アニメや漫画は楽しい。
このところ楽しんでいるのは、「異世界おじさん」「葬送のフリーレン」「薬屋のひとりごと」だ。「薬屋のひとりごと」は単行本は買っていないが、「異世界おじさん」と「葬送のフリーレン」は単行本も全部買って読んだ。
これら3作品のうち、「異世界おじさん」と「葬送のフリーレン」には、「旅」が共通項としてあるが、「薬屋のひとりごと」に旅の要素はない。他方、これら3作品に共通しているのは、いずれも「主人公が相当な変人 “変人落想” の続きを読む
今の会社に雇い入れて貰ったときに給料の相談をした。
会長は私が提出した当時の源泉徴収票などを仔細に検分し、「あなたが今貰っている程度までなら払える」と言った。が、私はあべこべに、慌ててこれを辞退し、「その半分でお願いします」と値切ってのけたものだ。これを私は、前代未聞の珍事だと評価している。給料を貰う側が値切るなんて、実際珍事だろう。
会長も耳を疑ったようで、「ハァ?!何を言ってる。……どういうことだ」と尋ね返してきた。
これには理由がある。自衛官は “給料一件
私は自衛隊にいた40年もの間、
だがしかし、そうやって対人戦を鍛え続ける一方で、自衛隊は常に人ではない他の何かと戦っていて、今もそれは続いている。
思いつくまま挙げれば「ウイルスとの戦い」「牛との戦い」「鶏との戦い」「トドとの戦い」「鹿との戦い」 “自衛隊の戦い” の続きを読む
ともすれば雪交じりの冷たい雨とともに吹く風にすら何やら春めいたぬるみさえ感じられるのは、何も立春だの旧正月だのの声を聴いたからばかりでもあるまい。
実際、気温はじりじりと上がっているようだ。
ここしばらく
位牌を捧げ持って斎場へ向かう。マイクロバスの車窓からふと前を見ると、私が子供の頃住んでいた家の跡のあたりを通り過ぎようとしていることがわかった。
すっかり
私はこの斎場の近くの
育った家のあった場所から数百メートルも離れると、もう今いるのがどこだかすら分からない。子供の行動範囲と言うのは狭く、改めて地図を見ると中学生までの私の行動範囲はせいぜい500メートル四方の枠に収まる
見覚えのある数少ない地物の一つである陸橋をマイクロバスが登っていく。JR阪和線を渡る陸橋だ。陸橋を降りてきて三叉路を
「堺市駅……? どこや、それ」
「ああ、昔の金岡やがな」
「なんや金岡かいな、
なぞという会話を交わしていたものだ。だから、土地っ子は斎場のことを
金岡の焼場は戦前からあった大きな火葬場だ。戦時中の大阪大空襲の時や、近くは阪神淡路大震災の時など大変な稼働であったという。この斎場は私が子供の頃の遊び場でもあった。私は怖がりのくせに火葬場や墓地で遊ぶのが好きという変な子だったのだ。斎場や墓地などと言う薄気味の悪いところに好きこのんで立ち
数十年前、堺市駅の周辺は再開発されてツイン・タワーのマンションが建った。斎場も建て替わり、昔あった場所から少し西側に移された。今は壮麗な大施設になっている。無論、昔のように子供が入り込むことなど無理である。
この堺のはずれの地域を代表する大きなものとして「仁德天皇陵」もさることながら「大阪刑務所」を忘れてはならないだろう。かつての大阪刑務所は明治時代に建てられた煉瓦造りの見事な建築だったが、40年ほど前に取り壊され、近代的な建築になった。父はその刑務所の職員だった。私が田出井町で育ったというのも大阪刑務所の官舎がそこにあったからである。今の斎場のある辺りも昔は刑務所の敷地で、野球のグラウンドやごみの廃棄場、仮出所前の懲役囚が働く農場や豚小屋があった。
15歳頃までの年月は長く感じる。私も随分長いことこのあたりで暮らしたように感じている。しかし、亡くなった母が田出井町で暮らしたのは、私が生まれる前後から15年ほどのことに過ぎない。私は中学校を出ると自衛隊に入り、堺を離れた。その後間もなく家族は
母の遺体を炉室へ送る。昔は日暮れから焼き始め、一晩かかったものだというし、私が若い頃も5~6時間はかかったので、骨上げの前に一旦帰宅したり葬祭場へ引き上げたりしたものだったが、今の火葬場は高性能で、せいぜい2時間ほどしかかからない。弔問客のほとんどはそのまま斎場の待合室に来て骨上げまで付き合ってくれるから、その間の時間は精進落としを食べるのにちょうどよい。
精進落としの数をどこでどう間違ったか、ひとつ少なく注文してしまい、慌てて私の分を弔問客に振る舞った。適当にその場を誤魔化し、用事でもしているふりをして出入りし、弔問客に気をつかわせないようにした。人々もどうやら「喪主ってのは忙しいのだな、食べている暇がないみたいだ」と思ってくれたようである。実際、忙しかった。
しかし、母は高齢で亡くなったから、伯父伯母も同時に高齢であり、残念ながら葬儀には来られない人ばかりだ。そのため弔問客はさして多くない。たかだか十数名程度の食事の数を間違えているようでは、私は大人失格だ。とは言うものの、姉と二人でそれぞれ別に弔問客の名簿を作成し、精進落としを注文する際に二つの名簿を突き合わせてダブルチェックにかけ、間違いないことを確かめてあったのだがどうも腑に落ちない。待合室で食べている人々の顔を一人一人しげしげと見て確かめたが、欠けている人も多い人もない。
後に、全部終わってから姉と二人で、なんで精進落としが足りなかったのか名簿を突き合わせて確かめたが、何度数えても間違いがないのにやっぱり一人分足りない。そのうち、姉が「いやっ、怖い!」などと言いはじめ、私も何か香典泥棒のような者が紛れ込んででもいたか、まさか「妖怪葬式あまり」などというお化けが出て食ってしまったのかなどと思って少し怖くなった。だが、なんのことはない、自分の
昔なら故人に「
斎場の様子は様変わりしたが、周辺の雑木林などは昔のままのものが部分的に残されているようだ。ブラインドを開けてもらって外を眺めると、紅葉黄落が眺められた。
雑木林の木々の間に美しい黒猫が物憂げな香箱を作っている。
会社員になったので、毎日背広を着るようになった。
会社員になる直前は、「背広を毎週クリーニングしてたらお金がかかってしょうがなくなるのではないか」などと要らぬ心配をしていたのだが、入社する前、イオンの背広売り場へ勤め用の背広を買いにいくと、「ウォッシャブル」の背広がたくさん売られており、それを買ったので、自宅で洗濯ネットに入れて洗えばよく、心配するほどのことはないことがわかった。
これまでいた自衛隊では “雑感日常” の続きを読む
行きつけの蕎麦店、新越谷駅南側にある「SOBA満月」の表に並んで待っていると、人品卑しからぬ年配の男性が駅の方からやってきた。その人は表に何人か客が並んでいるのを見て、「あらー……随分並んでますねえ、このお店は “漫録多少” の続きを読む
私は、自分が幸せな男なのではないかと思う。否、正確な表現ではない。自分が幸せだと思いやすい傾向をもった男なのではなかろうか、……こう表現すると正確かもしれない。
と、言うのも……。
私は先月、9月30日の金曜日に、陸上自衛隊を定年で辞めた。ちょうど “幸せ男” の続きを読む
以前のように、自宅のローカルサーバでやってたら、ちょっと嬉しかったかなあ……。私が借りているレンタルサーバには普通にRDB入ってるし……。