給料一件顛末(てんまつ)

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 今の会社に雇い入れて貰ったときに給料の相談をした。

 会長は私が提出した当時の源泉徴収票などを仔細に検分し、「あなたが今貰っている程度までなら払える」と言った。が、私はあべこべに、慌ててこれを辞退し、「その半分でお願いします」と値切ってのけたものだ。これを私は、前代未聞の珍事だと評価している。給料を貰う側が値切るなんて、実際珍事だろう。

 会長も耳を疑ったようで、「ハァ?!何を言ってる。……どういうことだ」と尋ね返してきた。

 これには理由がある。自衛官は50代前半で定年退職するため、最も給与が高くなる時期の数千万円を貰い損なう計算となり、生涯所得が大変低くなる。この分かりきった理屈は公開されてもいるから、これでは喜んで入隊しようという人がいなくなってしまう。

 そこで、その分を補填するため、「生活給」の意味合いで退職金のほかに給付金が貰える。これも公開されているので、興味のある方は「自衛官 若年退職給付金 いくら」程度のキーワードで検索すればよろしかろう。

 ところが、この制度には罠がある。

「退職金の一部に見えるがこれは退職金ではない。あくまで生活の扶助のために渡すものだ。したがって、退職後の所得が多い者にはこの金は不要であるはずだ。だから、退職後約1年間の所得は漏らさず国に報告せよ。報告が基準額を超えていたら、超えた分だけ国に金を返せ」

という仕組みになっているのだ。

 阿漕(アコギ)というか、誠に納得しづらい料金システムである。新宿の暴手繰り(ボッタクリ)バーでもこんなことはしない。あんまりである。

 なんとなれば、私のように、辞める前から独力でコツコツと努力し、高給を示されるまでになった者は、かえってお金がもらえなくなるのである。ましてや私は、天下り組などではなく、防衛省への口利きや営業などを期待されているわけでもない。自衛隊とはまったく関係のない仕事をしているのだ。もう退職して縁が切れ、日々会社で働いている者の稼ぎが、自衛隊、ひいては国になんの関係があるというのだ。

 そこで、私は再就職にあたって、給料を値切った。誰が国に金なんか返してやるものか。プラスマイナスや損得なんか関係ない。気分が悪い、それだけだ。

 しかしそのとき、私は上のような事情を会長に説明するとともに、

「つきましては1年後、折を見て、一旦改めてお給料のご相談にあずかりたいのです。そのとき、私の1年間の働きぶりを存分にご検分いただき、そして働きが足りぬ、増額に及ばず、むしろ減額、ということでも、それはそれで納得いたしますし、まあ増額でもよかろうとご評価くださるなら、喜んでそれに従います」

と正直に申し出たのだった。

 そして、今年1月から12月までの1年間の、納税額による所得評価の対象年度が満了した。1年間、辛抱したのだ。

 しかし、「お給料の件、ヨロシクおなしゃーす」みたいな不躾(ぶしつけ)な要求を、どうやって経営陣に言い出したものだろう。どうしたらいいかやり方がわからず、私は頭を抱え込んでしまった。

 もし変な持ち出し方をして叱られでもしたら、全部パアだ。

 それで、住まいの近所の名産品「草加煎餅」の箱詰なんぞを用意し、歳暮挨拶に仕立てて、中に一筆、「寸楮拝呈申上候(すんちょはいていもうしあげそうろう) 益々御清栄乃段大慶至極存奉上候(ますますごせいえいのだんたいけいしごくにぞんじたてまつりあげそうろう) 扨此程(さてこのほど)……」なんぞと、まさかこの通りの候文で書いたわけではなかったが、しかしこの程度には鯱張(しゃちほこば)って書き始めたやつを封入した。これに「近日中いちどお目にかかってご相談申し上げたいこともございますので何卒宜しくお願いいたします」なんぞという文句もさりげなく混入しておいた。

 読み飛ばしてしまわれたら、それはそれで仕方ない。

 ところが会長、さすがは経営者だ。社員のことをよく見ている。過日の忘年会で、

「オイ佐藤さん、この前お歳暮の挨拶状に、なにかご相談を、って書いてたけど、なんだい?」

と、周りにたくさん人がいる中で声をかけてくれた。よく私なんぞの挨拶状を全部読んで覚えてくれていたものだ。私なら読み飛ばした挙げ句忘れてしまうだろう。これが経営者と私の違いと言うものだと恐れ入った。

 が、この質問には答えづらかった。しかし、私の脳は、「こういうときにはごちゃごちゃ能書きを言ってはかえっていかん」と単刀直入フラグを立てた。それで私は、

「ハイっ、お給料のご相談でぃッすッ!」

と、満場環視の中、馬鹿みたいに元気よく答えたものだ。

 流石に会長、一瞬鋭い目で私を見たが、すぐに破顔一笑、いつもの温顔に戻り、

「ハハハ、そうか、そういう話か、わかったわかった。……それで、いくら欲しい?」

と来た。

 今度は私が返答に詰まる番だ。私は周りの人がいくら給料を貰っているのか知らないばかりか、自分の単価がいくら位で、どれくらい儲けが出ているのかも、表向き知らないからである。

 私が返答に窮してモジモジしていると、会長、

「ああ、そりゃ、答えづらいわな。じゃ、今晩か明日あたり、メールに『いくら欲しいです』と書いてよこしなさい、考えるから」

と言ってくれたものだ。

 さて、私の脳からまた指令が出た。曰く「ここは調子をコイてはいけないところだ」。

 そこでメールに次のように書いた。私の不躾な要求を取り上げてくださってありがとうございます、しかし、私は自分がどれほどの儲けを出しているのか、損でも生じているのか、それさえも知らない、ついてはすべてを掌握しておられる会長のご判断に従います、云々……と、こう返した。

 翌朝、会長は肉声電話で、わかったわかった、けれども、それはそれとして、正直のところはいくらほしい、と聞いてくれた。

 ここでも私は「調子にのってはいかん」という自分の脳内フラグを参照した。

「頂けるものでしたらいくらでも頂きたいというのが正直なところですが、反面、私は自分がどれほど儲けの出ている人物なのかもよく知りません、ここは会長のご一存に従います」

 よっしゃわかった、来月の給料から考えような、ところで、前に君が言ってた、退職金の上乗せを返さなくちゃならない件は、もうこれでいいのか?そうか、もう評価期間満了か、よし、じゃ、来月からな、どうだ、ウチの会社はなんでも判断が速いだろう、ハハハハ……

 相前後してメールで今後の金額の目安の連絡がきた。

 こんな顛末で、正直に申し出たら給料を増やしてもらえた。この1年間、給料だけでは少し足りず、退職金の貯金を減らしていたが、これで来月からは生活の計算も成り立つ。真面目に1年間働いてよかった。うれしい。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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