応用曲「半音階のポルカ」 その0.3

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 全音「最新バイエル」の最後のほうにある応用曲、「半音階のポルカ」、けっこうマジメに毎日練習してはいるが、なかなか上達しない。

 今日の出来はこんなところである。

 もう一息でつっかえずに弾けるようになるとはおもうのだが・・・。

応用曲「半音階のポルカ」 その0.2

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 ピアノの発表会で次女と連弾をするためにすっかりお留守になっていた「半音階のポルカ」である。

 去年の10月15日から練習しているわけであるから、もう4ヶ月も経つのだが、まったく弾けていない。いや、ピアノの発表会があってからこっち、じつはコツコツと練習してはいるのだが、発表会が終わった気抜けもこれあり、なかなかはかどっていないのだ。

 今日の出来は下のような具合である。

 ・・・まったく、自分で聞いてみてもイライラする(笑)。

禁煙所感補遺

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 私が煙草をやめたのは、確か平成12年のことだったか。

 一発でやめることができた。それなりに苦心はしたものの、だがその結果、禁煙の苦労ということを1回こっきりしか経験していないということになる。そんな私だから、人に偉そうに禁煙について語る資格はないかもしれない。

 だが、禁煙について書かれていたりすると、つい反応してしまう。

 "zodi"さんの禁煙に関するブログが「ブログ人情報局」で取り上げられていたときも、もう黙っておれない感じで、コメントなどさせていただいた。

 zodiさんという人は寛容な人だ。私は何を書くにつけてもキツい言葉を選んでしまいがちで、相手にされないこともかなり多いのだが、この人は相手をして下さる。それで、2~3度ほど、コメントをした。zodiさんはいい人だから、多分禁煙も成功するだろう。

 さて、先に記した私の記事からあと、禁煙に関してよく他人に語ることが二つほどある。どちらも、私が自分の肉体と精神を通して感じとったことで、多分よそには書いていないことだと思うので、書きとめておきたい。

  •  脳について

 禁煙した人の多くが「煙草を吸う夢を見る」という。私も実際によく見た。また、周囲の人に聞いても、禁煙に成功した人は煙草を吸う夢を見たと言っている。そして、その旨さについても皆が異口同音に言っている。さすがに、私の場合は今はもう煙草の夢は見ない。

 これは私自身の経験だが、禁煙中に夢の中で吸う煙草のうまさを何かに例えるとすると、誤解を恐れずありのままここに書けば、「夢精」するときに似たうまさなのである。これは男にしかわからないと思うが・・・。

 性的な快感は、人間などの高等な生き物の場合、実は肉体的なものではなく、大脳新皮質の働きが大きくあずかると聞く。夢にしても同じで、大脳の不思議な働きの深奥に大きなかかわりがあることは専門家ならずとも想像はつく。

 「夢の中」の「煙草」が、「非常に強い快感」をともなった、ということは、私の大脳が煙草から極めて強い感作を受けていた、ということではなかろうか。

 煙草の成分に目を転ずる。タールについては吸い味や香りに作用するが、ニコチンというのは、これはつまり、植物性アルカロイドであって、向精神作用をもたらすものだ。

 これらのことは、煙草の向精神作用が私の脳細胞にどれほど深い瑕疵を刻み、壊していたかを物語っている。

  •  血液がらみのこと

 煙草をやめてしばらくの間、頭に血が上ることに悩まされた。顔が火照り、赤くなる。こめかみの辺りがとくとくと脈を打ち、しかも怒りっぽくなっていた。

 煙草を吸っていると赤血球が増える。これは煙草からの一酸化炭素の吸引で足りなくなった酸素を肉体が補おうとするためだ。私は100本からゼロ本にハードランディングでやめたので、おそらくは血液の酸素運搬機能が余り気味になったのだろう。

 だがこれは、3ヶ月ほどで治ったと記憶する。

トルコ行進曲(連弾用 田中雅明編曲) その2.0

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 今日はいよいよ本番、次女のピアノ発表会であった。連弾で出る私は、ワキ役とは言え、初めての舞台である。近所に住む義兄夫妻までが見に来てくれた。

 出演する人たちは、四十過ぎの私は別格として、上は高校2年生から、下は幼稚園の年中組の子まで、男女取り混ぜて幅広い。

 次女は小さいせいか、緊張というものを知らない。ソロのプログラムの3人目にショスタコービッチのワルツとケーラーの「バースディマーチ」という曲を続けてサラリと弾いた。バースディマーチは一箇所間違えてしまい、惜しかった。だが、我が子のことで身内びいきながら、ショスタコービッチのワルツはなかなかしみじみとした出来ばえで、上手に弾けていたと思う。

 休憩を挟んでプログラムは連弾に移る。いよいよ私たち父娘の出番だ。今日の出演者の中で、家族で連弾をするのは私たちだけだ。

 出だしで少々呼吸が合わなかったが、次女が合わせてくれた。弾き始めたとたん、細かなことは全部頭からすっ飛んでしまい、ただただ弾くのに夢中になってしまった。ミスタッチはするわ強弱はヒドいわ。はじめはそれほど緊張しなかったのに、なぜか途中から指が震えるような緊張を覚えた。

 それでもなんとかかんとか弾き終えた。ヘタでも、とてもうれしい満足感があった。次女もだいたい満足したようで、うれしい顔をしている。義兄夫妻から花を貰った。四十過ぎたオッサンに花があるとは思いがけないことで、うれしかった。

 何人かの人に誉められたりして、お世辞とわかっていてもうれしいものだ。ピアノを演奏することの醍醐味はこのへんのところにあるのだろう。

 状況さえ許せば、来年もまたやってみたいものだ。