応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.35

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 「エリーゼのために」、週日の練習となると、もう、なんだかムリヤリ弾いている感じである。なかなかうまくもならず、苦しい。今日も録音成果はなし。

 夜、帰宅してみると、次女が半ベソかきながらピアノの稽古をしている。家内にピアノの練習しなさいと度々言われても弾かず、ついに叱られたのだ。しぶしぶ弾き出したものの、家内も忙しいから家事などをしはじめてしまい、それで、家内にピアノを聞いてもらえないのが次女の不満らしい。

 しばらく眺めていると、本当に面白くないらしい。顔に「ピアノ嫌、面白くないッ」と太々と書かれている感じである。しぶしぶと弾くル・クーペの練習曲は、間違いだらけで、音にも面白くない気持ちが滲み出している。

 「お前、本当に、ピアノがイヤなんだなァ」と私。

 次女が身構える。以前に「そんなにイヤなのなら、無理に続けなくっていいッ!教室も辞めてしまえ!そして、一生ピアノなんか触るな!!」と怒鳴りつけたことがあるからだ。だが、今日は怒鳴る気は私にはなく、

「いや、別に『イヤならやめてしまえ』なんて、お父さん、今日は言わないよ。ただ、ホントにお前は、ピアノがイヤで、面白くないんだなァ、ってことが、よくわかったってだけだ」

そう言ったら、

「嫌いじゃないモンッ!面白くないとか嫌いとかじゃなくて、好きとかでもなくて、えっと、『普通』だもんッ」

「・・・ナニを言う。顔におっきな字で『面白くない』『嫌い』って、書いてあるわい。」

「書いてないもん。マジックとか鉛筆とかで書いたりしてないもん」

「ハハハ、顔に書いてあるのは『心の字』だから、マジックで書いたわけじゃないぞ」

「じゃあ、消すもんッ」

次女は強情を張り、棚から消しゴムを取ると、本当にそれで顔をこすりだした。

「あー、顔に書いてある字は消しゴムでは消えんぞ。『心の字』だからな。ホンモノの消しゴムじゃなくて、『心の消しゴム』じゃないと消えんワイ」

「えーっ、そんなあ」

「ふむ、心の消しゴム、か・・・(我ながらなかなかイカすことを言ったもんだワイ、と思いつつ)心の消しゴムはどこにあるかナ、と・・・ああ、あった。お前、お母さんの後ろに行ってみ?」

と、台所で汁なんか煮ている家内のほうを指差す。素直に次女は台所へ行き、家内の後ろに回る。

「お母さんのお尻で顔こすってみ?『面白くない』っていう字が消えるから」

次女は家内のお尻で顔をゴシゴシとぬぐい、家内も次女の小さいやわらかい手でお尻を触られて、少々笑う。

「ほんとうだッ!消えた消えた!」と次女が笑い出した。

 家内はというと、小言のホコ先がチャカされたようで、少々面白くない顔つきになったが、まぁ、こういうひとコマもアリかな、と。

 次女があらためてまたピアノに向かい、テレマンのガヴォットを弾き始めたら、楽しげな音色に一変した。

 「じゃあ、かわるがわる練習しよっか?」と、私も練習を始めたが、一度づつ弾いたところで晩御飯が出来上がり、「御飯よ~」と家内の喫食命令が出たので、練習もそこまでとなった。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.34

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 今日は仕事が休み。

 朝から「エリーゼ」、十数回も練習したが、うまく弾けず、録音成果はなし。

 第1中間部の出口の「ミファミレミシミレミ・・・」というところを間違えて覚えて弾いていたのに気づいた。

「ミファミレミ、シミレミ、シミレミ~」

と弾かなければならないところを、

「ミファミレミ、シミレミ~」

と弾いていた。楽譜と言うのは随時確認しなおすべきものだなあと思った。

 そこを矯正しようと練習したら、気になって妙にギクシャクと全体がヘンになってしまい、必死になればなるほど失敗ばかりして、なかなかツラい練習になった。

 こういうときにそれでも手を抜かず、性根を据えて練習すると、次の日あたりに一皮ムケた感じのサッパリした演奏が出来るのだ。

無題

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 家内が朝早くから掃除やら洗い物やら、コトコトと物音をたてている。それを聞きながらも睡眠をむさぼる。

 朝10時に起き、ウンザリするような暑さの中、大ぶりのグラスにアイスコーヒーを作って飲むのが朝食代わり。

 「エリーゼ」5~6回も練習する。

 長女が近所の体操教室主催のキャンプに行っている。

 三郷にできた「コストコ」へ買い物に行き、スペインワインの白とロゼを買い込んで、冷やして明るいうちからキコシメす。うまい。

 夕刻、三日月。

 近所の公園に櫓が建ち、音頭の太鼓が聞こえる。次女と見に行き、すぐ帰る。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.33

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 「エリーゼのために」、引き続き練習しつつある。

 仕事が終わってからの練習は、自分ではそうは思っていなくても疲労の影響が大であり、うまく弾くことは至難である。

 今日の出来はこんなところ。

かわせみ河原

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 「海の日」の連休の一日、子供たちの同級生つながりの知人どうしであるSさん、Iさん、私佐藤の3家族でキャンプに行った。

 有名な「長瀞」の下流のほうにある「かわせみ河原」というところだ。荒川の河川敷である。Iさんが前から知っていた取って置きの場所だそうで、道路が空いていれば家から2時間弱ほどのドライブで着く。

 近くに「川の博物館」という施設があって、ごく小さな子供でも遊べる。公営の保養施設があり、入浴もできる。公衆トイレがすぐ近くにあるから、女性でも心配がない。

 時間が遅いと混むので、8時前には着くような計画がよい。私たちは5時出発、6時半過ぎには着いたのだったか。

Dvc00169_3 河原の利用には、環境美化協力費として300円ほどかかるだけだ。その費用によりきちんと整備されたゴミ捨て場が利用でき、ゴミの持ち帰りに悩まなくて済む。

 特に区画などの取り決めはなく、広大な河川敷でのびのびと遊ぶことができる。水はわりときれいで、水遊び程度のことには何の支障もない。流れは緩やかで、子供が遊んでも安心である。残念ながら釣れるほどの魚はいないようである。

 川水は飲むには不向きかもしれないが、近くに公共トイレの水道があり、水汲みが可能だ。

 雨の降らない曇り空、蒸し暑くはあったが陽には照られずにすみ、のんびりできた。河原からほんの5分ほども車を走らせるだけで、国道沿いの郊外に出られ、スーパーでもなんでもある。バーベキューの材料などはそこで現地調達が出来るし、忘れ物をしてもホームセンターで買うことが可能だ。

 卵、チーズで燻製を作り、「まる鶏」を2羽、まる焼きにした。

 卵やチーズの燻製は簡単で、私はバーベキューに行くとこれをよく作る。1斗缶を利用した自作の燻製釜を使う。1斗缶の高さの半分くらいのところに1段目の網棚、その上に2段目の網棚を作ってある。下の段には下味をつけたゆで卵、上の段には市販の四角チーズを縦割り半分にしたものを並べる。ホームセンターやアウトドアショップで売っている「スモークウッド」の端に火をつけ、4時間ほど放置すれば、スーパーの安売りの卵やチーズがまるで高級な珍味セットにでも入っていそうな本格燻製に変わる。おいしいので、一緒に行った人はだいたい褒めてくれる。

 意外にも、この燻製作りでいちばん困難を覚えるのが、「角チーズ」を買うことだ。ふた昔ほど前なら、チーズというとこの四角いボール紙の箱に入ったプロセスチーズしかなかったものだ。ところが今では、スーパーマーケットに行くと、カマンベール、エメンタールにミモレットといった本格チーズや、スライスチーズ、袋入りのピザ用チーズはいくらでも見つかるのに、この単純きわまる四角い安チーズが見つからない。たくさんの家族で切り分けるには、この四角いチーズに限るのだが、今は流行らないらしく、手に入りにくいのだ。幸い、近所のディスカウントショップ「ロヂャース」の食料品売り場にはいまだにこれが置かれているので、そこで買っている。

 バーベキューで「まる鶏」を焼いたのは初めてだった。うまく出来るかどうか不安だったが、幸い、食えるものに仕上がった。

 「まる鶏」は、肉屋に言うと仕入れておいてくれる。今回はサムゲタンに使うほどの小ぶりの若鶏2羽である。下ごしらえは前日にする。塩と胡椒とガーリックパウダーを、表とおなかの中にまんべんなくしっかりとすり込み、冷凍してしまう。出発前にクーラーボックスに詰めていけば、保冷剤がわりになるし、ほどよく解凍されて塩味もなじむ。

 こいつを炭の熾きたバーベキューグリルにのせ、初めは焦がさないようせっせとひっくり返して表を焼く。1時間ほども貧乏人のようにせかせかとひっくり返しておれば焦げない。そのうち炭が静まってくるから、そうすると今度はグリルにふたをして蒸し焼く。5分に一度はふたを開け、ひっくり返す。3時間ほど焼くとこんがりと焼き締まり、うまい丸焼きになる。あっという間に食べてしまい、3家族12人に2羽では少々量が少なかったようである。

 Sさんが近所の木材店に臆せず入り、焚き木にする材木の端切れをたくさん仕入れておいてくださった。ダメもとで「焚き木にするようなものが欲しいのですが・・・」と材木店の親方に言ってみたら、「ああ、そこらへんにあるヤツ、いくらでも持ってきナ」と快い答えで、タダでくれたそうな。蒸し暑い真夏とはいえ、川でびしょ濡れになって遊ぶと冷える。子供たちはSさんが用意したありがたい焚き火で尻をあぶって喜んでいた。

 奥さんたちが大騒ぎしながらそうめんをゆでて冷やし、みんなですすり込んだ。花火をし、ビールを飲み、子供たちを寝かせたあと、Sさんが別に買った薪を火に補って、大人6人でキャンプファイヤーを囲んだ。のんびりと話をし、楽しかった。夏の夜空は星がたくさん出ていた。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.32

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 「エリーゼのために」、変わらず練習に励む。

 弾きなれてきた気はするが、ミスタッチをなくすことがなかなかできない。

 次女は併願していたピティナのコンペの2回目に出た。前回よりうまく弾けたように思い、これはひょっとして、と思ったものの、意外と採点は辛く、前回より悪かった。少々残念である。親馬鹿は気持ち半分にするようにしよう。

 明日はキャンプに出かける。

トムラウシ山のこと

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 前回の記事で、たまたまトムラウシ山のことを懐かしく思うことを書いたところ、今日の大量遭難である。

 お亡くなりになった方々に哀悼の意を表する。

 私自身は、トムラウシ山には7回か8回くらいも登ったろうか。そのうち4~5回はクヮウンナイ川からの登山だった。残念ながら、冬のトムラウシは知らない。

 トムラウシ山の山容は温和で、日本アルプスや日高山系のような痩せ尾根や岩場の山ではなく、標高もさして高くはない。

 だが、アプローチが異様に長く、新しい登山口の帯広側からは日帰りも可能ではあるものの、従来はどうしても片道1日以上を要し、野営が必要であった。歩行距離も長く、体力も消耗する。私がよく訪れたクヮウンナイ川などは落石・滑落でしばしば遭難者があり、登山禁止が長く続いた。

 70歳にもなろうという素人の老人が物見遊山がてらに気楽に登る山ではない。

 大雪山系は一般に火山性の山であるためなだらかで、標高もそう高くはないが、緯度が高いために、天候、特に気温は、本州の山と比べる時には1000メートルを足すのが適当とも言われる。

 昭和62、3年か、平成元年ごろだったろうか、私も大雪山随一の高峰旭岳で、8月半ば頃に吹雪に遭ったことがある。高峰とは言えど、ロープウェイで気楽に遊びに行ける山だ。だが、ロープウェイを頼みにして、薄着、手ぶらなど、油断をすると大変な目に遭う。

 その時は、みぞれのような横殴りの氷雪に叩かれ、用意のゴアテックス雨具の上にガラスのような薄氷が張った。私は、真夏の日帰り登山であったにもかかわらず、ウールのセーターをリュックサックの底に収め、ツェルトザックにレスキューシート、燃料、水、甘味品など、十分に用意をしていったから特に怖くはなかったが、周囲にいた観光客には恐怖体験だったかもしれない。十分に用意をするということは、そのまま重い荷物を担ぐということと同義であり、それには鍛えた肉体が必要になる。体力のない者は、物質面で油断のない用意をしておくことができないというその点で、既に山に登る資格がない。

 もしその日が夏日であれば、日帰りに似つかわしくない私の大荷物は、他の登山客には奇異に見えたことだろう。だが、普段奇異に見られることを営々と持続し、百回千回のうちのたった一度に役立たせることこそ、「備え」というものである。

 真冬に同じ旭岳で、偶然ガイドにはぐれた登山客を発見し、これを助けて下山したことがある。その人は防寒具、食糧など、すべてをパーティ頼りにしていたために、手ぶらに近かった。反面、その時の私は危険と言われる単独行であったが、逆にそのために周到に準備し、夏シーズンに目をつぶっていても歩けると言えるほどに同地に通い、それから決行した冬山行であった。単独行であるからこそ、重い荷物に耐えられる体を作り、十分な物資を携行して臨んでいた。一人で遭難すれば、何年も行方不明になってしまう。だから、気楽に構えず、覚悟して冬山行をした。

 老人には、自分と言うものの位置・地位をよく見極め、軽率な行動をしないように自戒してもらいたい。ガイドに頼りたい気持ちもわかるが、山で他人に頼れば、はぐれれば丸裸である。

 他人に頼る心は、何もなければ人と人との信頼や、美しい愛にも転化できようが、山はそんなことを考えてはくれない。非情なのだ。ガイドに頼らなければ行けない山になど、最初から行かないことを意見したい。

行楽の支度等

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 今日はあまりピアノの練習はせず。

 次女はピティナのコンペティションを二つ併願しており、ひとつは先週惜しい点数で終わったが、来週の土曜日にもうひとつ出願している。どうも練習に身が入らないようだが、あと0.何点ごとき、マグレか何かで運良く稼いで地区予選を通過しないものかと期待している。親馬鹿もいい加減ではある。

 それが済んだら、知人同士3家族でキャンプに出かける予定である。仕事がチョイと忙しいのだが、無理やり休暇を申請した。今日はその支度をしていてあまりピアノを弾かなかったのである。

 越谷「イオン レイクタウン」の「SPORTS AUTHORITY」で、コールマンの4~5人用のテントを中心にいろいろ入った6点セットが2万9千800円。お得感があったので買い。ディスカウントショップへ行って、その他、炭やら燻製チップやら花火やらを買い込む。丸焼き気分を楽しもうと、肉屋には「まる鶏」を一羽、注文してある。

 20年以上前の若い頃にしばらく北海道に住んでいて、仕事が休みの度に大雪山系を跋渉した。トムラウシ山やクヮウンナイ川の景色が、肉体の苦しさの記憶とともに懐かしく今も瞼裏に五体に蘇る。周りの若者が皆街へ出て女の尻を追いかけるのに余念のなかった時、私はそれらの友人たちと一線を画して山通いばかりしていて、変わり者だと言われたものだ。仕事が忙しくなったこと、また結婚したことで、危険を避けるべく山には行かなくなり、アイゼンだのハーケンだのザイルだの、数多くの山行き用具は他人にやってしまった。山行きの記憶は封印してしまい、アウトドアとも縁遠くなった。北海道のすばらしい自然に親しんだことがあれば、関東・関西の自然になど何の魅力も感じなくなるということもある。

 それがまた、家族のためにテントなど買い込むことになろうとは。わからぬものだ。

 流しの蛇口が気に入らないと家内が言うから、システムキッチン用の手頃な水栓を三郷のホームセンターで買い、脂汗流して取り付け作業をする。業者に頼めば6千円も取られるが、自分でやればタダだ。

 ずいぶん買い物をしてしまった。給料がだいぶ減らされているから、支出が多いと不安を覚える。家計はなんでも家内任せにしていて、家にいくら金があるかすらも私は知らない。だが、家内は真面目な女だから心配はない。給料は減ったものの、定額給付金と新車購入の補助金でプラマイ零くらいにはなっているだろう。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.31

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 一杯飲んでご飯を食べて、まだしつこく練習している。弾けば弾くほどいいということには違いはあるまい。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.30

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 「エリーゼのために」、ホントに今日もよく弾く。

 さて、そろそろ練習やめて、酒でも飲むか。梅の砂糖漬けがよく漬かっている。安焼酎に混ぜれば暑気によい。