「
雑貨や身の回りの手入れに
御存じない方に説明すると、エナメル靴でもなんでもないごくありふれた靴を、顔が映る程ピカピカに磨き上げることだ。
左の写真は、私が普段、今の会社への通勤に使っている駄靴だ。「ホーキンスAL IT5 プレーン」という型番で、本革ではあるが高価なものではなく、1万円以下の普及品だ。リンク先を見て貰えばわかる通り、
だがしかし、冒頭の写真を見て貰えば、履き
駄靴でも、よく手入れするとこのようになる。
なんでこんな
昨日で、40年勤めた自衛隊を定年退官してから、丁度半年経った。
実のところ、もうあの糞自衛隊のことなんぞ、すっかり忘れて思い出したくもない、キッパリ縁を切りたいというのがやまやまなのであるが、さすがに40年も居てそこそこの偉さの階級章を付けていた身ともなれば、忘却など不可能である。
自衛隊には、一般の方からすると「ハァ……!?」とその意味を反問してなお
自分の靴だけではない、昔は先輩や上司・上官の身の回りの世話をするのがごく普通の事だったから、そういう
教育隊や学校を修了した後配属される一般の実戦部隊では、そういう生活上のあれこれはかなり緩くなっていて、靴磨きなどそこまではやらないのだが、それでも、駐屯地の門の所で武装して警備をする「警衛」や、規律の維持の他各種の常続的事務に当たる「当直」などにつくと、教育隊を修了して以来ダラけ気味の一般部隊の隊員でも、背筋に
だから、もし一般の方が何かの用で陸上自衛隊の駐屯地の前を通りかかることでもあったら、大抵の駐屯地では門の付近に、銃を肩に吊り、実弾の弾倉を腰に巻いた警備の自衛官がいるはずだから、その様子を観察してみると良い。この門番のような者を『
見て貰いたいのは、門哨の靴の爪先だ。できれば警衛が交代したばかりのお昼前あたりがよかろう。その門哨が自衛隊のメシの数――何回自衛隊の食堂で飯を食ったか、という意味で、経験年数のことだ――をしっかりとこなしてきた者であるなら、彼の靴の爪先が異様に光っていることをそこに見ることができるだろう。
勿論、みんながみんなそうではなく、ダレた野郎が門哨についていると、この靴の磨き方がまるでなっていない。
一般の方に言わせれば、「靴が光っていようと光っていまいと、射撃をして敵を倒したり警備をしたりする能力には関係ないのでは?」ということになるだろう。ところが、どうしたわけか、靴の汚い奴は仕事や訓練もいい加減で何かと
だから逆に、「俺はこれくらい頑張って仕事もやりますよ」という自己アピールのため、ちょっと向上心のある自衛官は、月曜から警衛に上番だ、ともなれば血眼になって土曜日曜の休み時間を注ぎ込み一日中靴を磨いたりするのである。
このあたりのことは、最初から幹部自衛官の地位を約束された防衛大学校出身者や大学出身の一般幹部出身者はあまり言わない。今と違って昔は彼らエリートも入隊当初さんざん上官や先輩の靴は磨かされたものだったのだが、昔でもそれはせいぜい10代か20代前半の頃の1年か2年の間のことで、その後、そんな下らない仕事などしなくてよくなるし、営内生活などしないから、靴磨きなんぞに甘苦い思い出などあるはずはないのだ。たとえあったとしても、通り一辺、数回の「オサワリ経験」に過ぎないものであって、ドップリそれに
実のところ、私も入隊したばかりの頃は、こんな馬鹿々々しい、戦闘能力とは関係のないことに
実際の軍隊を見るのとは違うが、アメリカ映画などで軍隊の営内のシーンなどが描かれることがある。そうすると、やたらと掃除をしたり靴を磨いたり、教官殿に身
さておき、この「靴をピカピカにする」のを、自衛隊では「膜張り」と言っていた。靴の爪先の表面に「被膜」を張り、ピカピカにするとの意である。「膜」などと、なんだか「粘膜」みたいで、ニクヅキの部首がナマナマしくて嫌らしいが、さておき、何を使って靴の
「膜張り」などと呼んでいたのは私が過ごしてきたいくつかの部隊だけかもしれない。しかし、自衛隊では、冒頭に記したような、一般の方が良く言う「鏡面磨き」という言い方は、私自身は聞いたことがない。
陸上自衛官が履いている「
ところが、自衛隊の「メシの数」が多くなってくると、いきおい、度重なる訓練や演習のため、靴の爪先もすり減って凸凹がなくなる。そういう履き古した靴を普段から丁寧に手入れしていると、顔が映り込むほどの艶が出るのである。
さてこそ、そこからがおかしなところで、「俺は自衛隊のメシの数はちょっと喰らってるぞ」とベテランぶりたい若年隊員は、どこかで色々な番手のサンドペーパー、300番から1500番くらいまでの奴をひそかに買い込んできて、
そうした若者の行動に目くじらを立てるような者などおらず、むしろ逆に
「おう鈴木、日曜なのに靴の手入れか。感心感心、精が出るな。明日は警衛上番か?」
などと、自衛隊生活25年と言った年恰好の、年配の付准尉あたりから褒められたりもするのである。だいたい、付准尉の靴の爪先だって、さすがは自衛隊のメシの数を
実は、外国の軍隊にも似たようなことがあるそうだ。かの
いわく、フランス陸軍の制帽は、目も
それが上層部からは、あんまりにもムダなことにうつつを抜かしているように見えるわけである。そこでやむを得ず、ケピ洗濯に血眼になっている外人兵たちには一律「真っ白なケピ」が支給され、ケピ洗濯色抜き競争は終止符を打ったのだそうである。
休題。
梨子地仕上げの爪先をサンドペーパーで剥ぎ落したあと、どうするのかを書いておこう。
軽く梨子地の凸凹を落とせばよいものを、バック・スキンのブーツみたいにはぎ取ってしまうと、これはなかなか光らない。何度も何度も靴墨を塗りこむしかない。自衛隊では、今の黒い半長靴とは違う昔の茶色い半長靴の頃、大缶入りの「保革油」というものが補給されていた。これは皮革によく染み込み、皮革の硬いところが軟らかくなる優れたものではあったが、油っぽくて艶はあまり出ない。これを使って爪先を光らせるには、靴磨きの上手な者は缶の蓋を開けたまま2週間くらい放置し、油っ気を蒸発させて少し硬くしてから使ったものだったが、そんな七面倒を嫌うせっかちな若者は、手っ取り早く「KIWI」銘柄の茶色の缶を使って靴を磨いた。これはブランドの靴墨で
中には、模型用のラッカーを吹き付けて手早く済ませる要領者もいたし、どこから入手してきたのか、漆を塗る
さてこの、油ッ気を抜いた保革油か、KIWIの大缶かを爪先に塗り込む。1回2回ではあっという間に皮が靴墨の蠟分を吸ってしまい、ダメである。塗っては乾かし、塗っては乾かし、丸1日かけて3回4回は塗らねばならぬ。
もう爪先が靴墨の蠟分を吸わないな、という頃合いになったら、今度は普通に靴を磨く。全体にまんべんなく、薄く靴墨を塗る。
ここにポイントがある。昔から自衛隊でよく言われていた秘訣というか要諦だ。すなわち、
「下手糞な奴は沢山つけてちょっとしかこすらない。上手い奴はちょっとしかつけずに沢山こする」
というのである。すなわち、靴墨は必要最小限、ほんのちょっとだけ塗るのがよい。そして、靴ブラシを幅広の横向きに片手の親指と小指で支え、靴をこする。こすってこすって、コスり抜く。こすり終わったと思った頃が辛抱のしどころで、その程度ではこすり終わっていないから更にこする。その後、まだこする。それが終わったら、なおもう一度こする。最後に仕上げ、もうひとこすり。終わる前に駄目を入れて、最初のこすりから靴墨をつけるのだけを抜いてすべて全部こすり直す。これぐらいこするのである。
普段の手入れは、これだけやればもう終わりで十分である。これでも、見た目にはもう、普通の街の靴磨きに磨いてもらった程度にはピカピカになっている
だが、警衛上番前とか、特別にゴマをすっておきたい上官の靴とか、将来のため点数を貰いたい教官の靴を磨く場合はここから「膜張り」に移る。
右手に布切れを巻き付ける。靴屋に売っているシリコーン・クロスなら勿論これは上の上だが、こういうものを使うと「良いものを買うだけ買って使わない」に流れる
右手に巻き付けた布に、あらかじめ空き缶などに汲んでおいた水を
ここが両論対抗するところで、古い向きは
「この時布に染み込ませるものは、水ではなく『唾』に限る」
というのである。曰く、
「唾には各種酵素をはじめとする玄妙なる生理的成分が豊富に含まれており、これを靴磨きに用うればえも言われぬ艶が出るのは万人周知の事実、それが証拠に、唾を吐き散らした道路の表面が乾くと、テラテラ光っているではないか」
というのである。なかなかに下品であって自衛隊らしくはある。実のところ、私は唾と言わず、「テラテラ光る」というのなら、風邪ッぴきや鼻が悪い時に袖口で鼻水をぬぐうと、それが乾いてテラテラ光ることから、靴磨きに鼻水やら痰やらを使ってみたこともある。たしかに艶は出る。しかし、なんだかどうも違う気がする。
靴磨きに関する本などには、「ここで水を布に含ませる理由は、靴の皮革に
だが、私自身の経験などから見るところは、ちょっと違う。
ここで布に水を含ませる理由は、「靴墨のワックスを布に吸わせず、靴の方へ効率よく乗せるため」だと私は結論している。
実際、乾いた布を指に巻き、靴墨を布にとると、靴墨のほとんどは布の方へ吸い取られてしまい、布がゴテゴテの靴墨だらけになるばかりで、靴に全然乗らない。一方、布に適度に水を染み込ませると、水と靴墨のワックス成分は馴染まないので布にはさほど吸い取られず、いきおい、靴の方へワックスが乗っていくのだ。
さておき、そういう理由で、布に「靴墨が移らない程度に」水を染み込ませる。尺度的には、右手の人差し指と中指の2本指に布を巻いた場合、両指の第一関節までが
で、靴墨をその布にチョイとつける。この時の分量は、驚くなかれ、「米粒一粒くらいでも多い」と思うと良い。米粒半分か、それ以下をチョイとつけるのだ。私なども若い頃から「KIWI」の銘柄を使っているが、この硬い表面の場合は、布の先で「軽くひと
これを、既に十分綺麗になっている爪先に、半径1cmくらいの円を描きながら、ぐるぐるぐるぐる、塗り広げていく。
途中で手ごたえが変わって、滑りが悪くなる。ここが判断ポイントで、塗っている靴墨にぬめりのようなものがあるなら、少し力を抜いて撫でていく。そうでなく、乾いて「消しゴムのかす」のようなものが出てきそうな感じなら、ごく少量靴墨を布に足し、
そうやって根気よくこすり続けると、ふと気づけば、顔が映りそうな膜(鏡面)が靴の表面に張り始める。膜はある特定の部分から出てくるので、その膜の範囲をだんだんに広げていく感じでこすっていく。こする力はだんだん抜き、艶が出るにしたがってそっと撫でるようなこすり方にする。
鏡面が爪先全体に出たら、そこで
以上が、私が自衛隊時代のノスタルジーだと称する靴の磨き方だ。
それにしても、くだらないことに大切な青春時代を浪費したものだな、と思う。まるで馬鹿だ。いや、「まるで」じゃなくて、正真正銘の馬鹿だ。