トラックにはねられた!

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 さっき、トラックにはねられた。

 怪我はなかった。

 朝から春風駘蕩(しゅんぷううたいとう)たる晴天、自転車で近所の水辺の桜を見て回り、写真なんか撮り、草加市・綾瀬河畔まで足を延ばした。俳聖松尾芭蕉ゆかりの地とて、数寄屋造りの茶室「漸草庵」で臼茶(うすちゃ)主菓子(おもがし)なんぞ(つま)んで一息。

陽の差さぬ処の桜匂ひけり

佐藤俊夫

なんぞと、一句降っても来ようというもの。そのまま綾瀬河畔を越谷市まで進んで、国道4号線バイパスに出た。

 これからいつもの蕎麦屋のパトロールだな、などと(ほが)らかに自転車を漕ぎ、交差点に差し掛かった。私は対向車線側の歩道、右側からトラック。トラックのウィンカーは左、だから運転手は私のいる左側ではなく、右のほうに注意を集中している。

 あ、ちょっとこの運転手、こっち見てないな、と思いつつも、なかなかトラックが発進しないから、私はトラックの前へ出た、同時に運転手、まったく左を見ず、右を見たままで左折の敢行に及んだものだ。

 私はトラックの左側に衝突してはね飛んだが、転びもせず立っていた。しかし自転車はトラックに轢かれてベリバリと壊れた。

 運転手は若い男で、慌てて降りて来るや

「だ、だだだ、大丈夫ですか、お怪我は、……ああ、自転車がっ、べ、弁償します、ごめんなさいっ」

……と、すぐにポケットから財布を抜き、万札をつかみ出した。

 私はびっくりしたために冷や汗をかくばかりで、そのせいか怒りの感情は湧かなかった。

 それよりもむしろ、運転手の素朴だが誠意のある態度に少し惻隠(そくいん)の情のようなものを覚えた。

 見たところ、この人は私と違って、土曜日でも脇目も振らず働いているではないか。そして、逃げはしなかった、謝ってもいるではないか、弁償すると即断しているではないか、なにより表情も全身も、恐縮し切っているではないか。

 よし。俺も男だ。私は

「ああ、いやいや、いいですよ、弁償してくれるなら、怪我もないんだし、住所も名前も聞かない、名刺もいらないです、これっきりでいいですよ」

と言ってやった。

「あ、ありがとうございます……」

「しかし、でも、まいったな、壊れた自転車、どうやって運ぼうかな」

「ああ、私のトラックに載せて下さい、近くの自転車屋さんに行きましょう」

「そうですか、それなら、近くに『サイクルベースあさひ』がある、そこへでも」

「承知しました」

 工員らしい運転手は、なにか仕掛かりの請負いものを運ぶ途中だったようで、荷台に壊れた自転車を担ぎ上げ、私に助手席を勧めた。

 なんだか、はねた運転手とはねられたおっさんの間柄らしくもなく、車の中で雑談をし、運転手は多少の身の上話までした。

 サイクルベースあさひへ着いた。運転手は店に飛び込み、さっそく店員さんと交渉をはじめた。しかし、自転車はほぼ全壊していて、修理は無理との見立てだった。

 運転手は私に「本当にすみません」と、さっきの何万円かに加えて、「これはお見舞いですから、なにか美味しいものでも食べてください」と更に5千円を出した。

「少なくってごめんなさい」

「いやいや、あの自転車は1万いくらの安物だし、もうかれこれ5年は乗った中古ですよ、頂いた金額で十分です」

「ほんとうにすみませんでした」

「じゃ、これで。名前も聞きませんけれども、またどこかで」

「はい、どうもすみませんでした」

 そう言って別れたことだった。

 「サイクルベースあさひ」には、残念ながら値段の折り合うような自転車がなかった。それで引取りだけしてもらい、南越谷駅前のイオンの自転車売り場へ行った。もともと今日の事故で壊れた自転車を買った店だ。

 自転車が新しくなった。

 私は単純に迷惑をかけられただけなのだが、不思議に運転手の今後の幸せを念じてさえいる。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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