さっき、トラックにはねられた。
怪我はなかった。
朝から
なんぞと、一句降っても来ようというもの。そのまま綾瀬河畔を越谷市まで進んで、国道4号線バイパスに出た。
これからいつもの蕎麦屋のパトロールだな、などと
あ、ちょっとこの運転手、こっち見てないな、と思いつつも、なかなかトラックが発進しないから、私はトラックの前へ出た、同時に運転手、まったく左を見ず、右を見たままで左折の敢行に及んだものだ。
私はトラックの左側に衝突してはね飛んだが、転びもせず立っていた。しかし自転車はトラックに轢かれてベリバリと壊れた。
運転手は若い男で、慌てて降りて来るや
「だ、だだだ、大丈夫ですか、お怪我は、……ああ、自転車がっ、べ、弁償します、ごめんなさいっ」
……と、すぐにポケットから財布を抜き、万札をつかみ出した。
私はびっくりしたために冷や汗をかくばかりで、そのせいか怒りの感情は湧かなかった。
それよりもむしろ、運転手の素朴だが誠意のある態度に少し
見たところ、この人は私と違って、土曜日でも脇目も振らず働いているではないか。そして、逃げはしなかった、謝ってもいるではないか、弁償すると即断しているではないか、なにより表情も全身も、恐縮し切っているではないか。
よし。俺も男だ。私は
「ああ、いやいや、いいですよ、弁償してくれるなら、怪我もないんだし、住所も名前も聞かない、名刺もいらないです、これっきりでいいですよ」
と言ってやった。
「あ、ありがとうございます……」
「しかし、でも、まいったな、壊れた自転車、どうやって運ぼうかな」
「ああ、私のトラックに載せて下さい、近くの自転車屋さんに行きましょう」
「そうですか、それなら、近くに『サイクルベースあさひ』がある、そこへでも」
「承知しました」
工員らしい運転手は、なにか仕掛かりの請負いものを運ぶ途中だったようで、荷台に壊れた自転車を担ぎ上げ、私に助手席を勧めた。
なんだか、はねた運転手とはねられたおっさんの間柄らしくもなく、車の中で雑談をし、運転手は多少の身の上話までした。
サイクルベースあさひへ着いた。運転手は店に飛び込み、さっそく店員さんと交渉をはじめた。しかし、自転車はほぼ全壊していて、修理は無理との見立てだった。
運転手は私に「本当にすみません」と、さっきの何万円かに加えて、「これはお見舞いですから、なにか美味しいものでも食べてください」と更に5千円を出した。
「少なくってごめんなさい」
「いやいや、あの自転車は1万いくらの安物だし、もうかれこれ5年は乗った中古ですよ、頂いた金額で十分です」
「ほんとうにすみませんでした」
「じゃ、これで。名前も聞きませんけれども、またどこかで」
「はい、どうもすみませんでした」
そう言って別れたことだった。
「サイクルベースあさひ」には、残念ながら値段の折り合うような自転車がなかった。それで引取りだけしてもらい、南越谷駅前のイオンの自転車売り場へ行った。もともと今日の事故で壊れた自転車を買った店だ。
自転車が新しくなった。
私は単純に迷惑をかけられただけなのだが、不思議に運転手の今後の幸せを念じてさえいる。