ザマぁ見やがれ(笑)

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 今朝は女梅雨(おんなづゆ)のぐずつく中、早々と参議院の投票を済ませた。

 開票が進みつつある。

 だいたい自分が内心していた通りの投票結果となり、やや胸がすく。

 思うに、選挙期間にSNSその他でいろいろなことが言える人は、実は少ない。多くの人は職場、職務、義務などに縛られ、政治活動を厳しく制限されているから、SNSに刺激的なことなど書けないのだ。会社勤めの人、公務員、公共の仕事をしている人の多くは皆そうだ。

 恐らくそういう「何も言うことができない人」は、感覚的なものではあるが有権者の過半数を超えているだろう。ざっと7割5分はいるのではなかろうか。

 逆に言えば、選挙期間にワァワァ言ったり書いたりできる騒がしい人と言うのは、「残り2割5分のどうでもいい連中」である。

 選挙前には反社会的・左翼主義的な言説が増え、そうでない言説はピタリと止むが、それは前述の如く「どうでもいい人たち」だけががなり立ててよい仕組みになっているからである。私などの右翼乃至保守的な人物にとっては悔しく腹の立つことではあるが、しかし、多くの人に平等な発言機会が確保された理想的な民主主義であるとは言える。

 いずれにせよ、何かを言うことが許されていない多くの人たちが、騒がしくてどうでもいい世迷言を垂れ流す人たちなぞ無視し、現実の精髄たる一票によって国を選ぶことができるのだ。実に優れた民主主義である。

 しかし、一部、山本何某如き騒がしい政治家もどきとその一党が案外な得票をしてのけたのは、これはまあ、許容せられるべき範囲のポピュリズムというものであって、そういう余白というか、冗長性と言うものも国にはなくてはならないのだから、やむを得ない。とは言え、山本何某本人は落選してしまったようだが。

 ま、さんざん愚弄された私如きマジョリティにして、このくらいの表白(ひょうびゃく)も許されてよかろう。選挙は終わったんだし。

なるほど、これは確かに。

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 早く開票始まんないかな~、と思いつつ、ボンヤリとSNSを見ていたら、Facdbookのウォールにこんな動画が流れてきた。

 私は勝間和代氏についてそれほど興味はない。しかし、この論は、なるほどそうだなあ、と思った。

 住宅ローンよりも、政府に投じる金額は多い。

食い物差別

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 まことに単純極まる話であるが、犬が駄目なら豚も牛も駄目であり、魚も貝も鯨もすべて駄目である。では狂信的菜食主義者(ヴィーガン)にでもなればよいのかと言うとさにあらず、山川草木はおろか、細菌などに至るまで、全てにかけがえのない愛おしい命があることに論を容るる余地などない。

 結局これらは命がどうとか知能がどうとかではなく、「私にとって気持ちが悪い」という好き嫌いの問題、通じやすい言葉で書くなら「エゴ」の問題でしかない。

 エゴ。差別意識である。野菜を喰らう者は魚を喰らう者を蔑み、魚を喰らう者は獣を喰らう者を蔑む。獣を喰らう者は獣を喰らう者の中でまた、牛を喰らう者は豚を喰らう者を、豚を喰らう者は犬を喰らう者を蔑む。

 人間は醜い差別によって社会を維持しようとする。いがみあい、蔑み合う。呵々大笑、未来永劫止むことはあるまい。

未来と言うよりも現代は素晴らしい

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 ツイッターのタイムラインで、こんなビデオが流れてきた。

 本当に、私は驚くべき時代に生きている。

 私は以前から、翻訳・通訳に携わる人たちが知的な職業であることに疑いをいれる余地はないかのようになんとなく考えてきた。

 しかし、最近なかなか精度の良いポケット翻訳機などが発売され、テレビで明石家さんまが宣伝しているのを見るにつけ、なにやら風向きが変わってきたな、と感じるようになってきていた。

 そのぼんやりとした感じが、前掲のビデオを見て鮮明になり始めた。

 遠からず、翻訳者・通訳者までもが機械的な作業に携わっているだけであるとされ、いずれAIに駆逐されてしまうという幻影が垣間見えるのだ。語学に通暁した者は、もはやAIに学習させるための教師や、翻訳ロジックを記述する仕事でもするより他はなくなるかも知れない。

 そして数十年を経ると、AIは語学に関して「Bootstrap(ブートストラップ)」し、自らによって自らを立ち上げ、遂に人手を要しなくなるだろう。AIそれ自身によってロジックも高度に仕上がっていく。

 キリスト教徒の所説によれば、その昔、バベルの塔を積み上げて自ら神たらんとした人間たちは神の怒りに触れ、人々の言葉は相通ずることなきようバラバラにされたという。塔の建設はそのため中断し、言葉の通じなくなった人たちは世界中に分かれてしまい、話すことができなくなったのだ。旧約聖書には「(この)(ゆゑ)(その)()はバベル(淆亂(みだれ))と呼ばる」とある。つまり、人ぞ知る「バベルの塔」の名は、塔の建設が中断した後で名づけられた格好だ。

 全地(ぜんち)(ひとつ)言語(ことば)(ひとつ)(おん)のみなりき

 (こゝ)人衆(ひとびと)東に移りてシナルの地に平野を得て其處(そこ)居住(すめ)

 彼等(かれら)(たがひ)(いひ)けるは去來(いざ)甎石(かはら)を作り(これ)()(やか)んと遂に石の(かはり)甎石(かはら)()灰沙(しっくひ)(かはり)石漆(ちゃん)を獲たり

 又(いひ)けるは去來(いざ)(まち)と塔とを建て(その)塔の(いただき)を天にいたらしめん(かく)して我等(われら)名を(あげ)全地(ぜんち)表面(おもて)に散ることを(まぬか)れんと

 ヱホバ降臨(くだ)りて(かの)人衆(ひとびと)(たつ)(まち)と塔とを()たまへり

 ヱホバ(いひ)たまひけるは()(たみ)(ひとつ)にして(みな)(ひとつ)言語(ことば)(もち)ふ今(すで)(これ)()し始めたり(され)(すべ)(その)(なさ)んと圖維(はか)る事は禁止(とど)め得られざるべし

 去來(いざ)我等(われら)(くだ)彼處(かしこ)にて彼等(かれら)言語(ことば)(みだ)(たがひ)言語(ことば)を通ずることを得ざらしめんと

 ヱホバ(つひ)彼等(かれら)彼處(かしこ)より全地(ぜんち)の表面に(ちら)したまひければ彼等(まち)(たつ)ることを(やめ)たり

 (この)(ゆゑ)(その)名はバベル(淆亂(みだれ))と呼ばる()はヱホバ彼處(かしこ)に全地の言語(ことば)(みだ)したまひしに(より)てなり彼處(かしこ)よりヱホバ彼等(かれら)を全地の(おもて)(ちら)したまへり

 いかにもキリスト教らしいおとぎ話ではあるが、これを奉ずる白人たちはAIやクラウドにより再び一つの言葉を手に入れようとしている。彼ら白人は彼ら自ら信ずるところを否定して前に進む。キリスト教徒にとってキリスト教は、もはや雰囲気を愛でるための詩以下でしかない。

蝙蝠(かわほり)

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ゆっくりと歩こう

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 梅雨だ。

 まことに梅雨らしい梅雨で、長引いているように感じられる。しかし、実は長引いているわけではなく、気象庁の統計によれば関東甲信越の梅雨明けは平年7月21日頃とあるから、ごくごく普通の季節の流れとは言える。

 (そぞ)ろ歩きで帰宅する。

 今夜のようにまた低気圧が近づいてくると、雨の匂いがする。子供の頃からこの匂いを感じると、「あ、雨が降る」と言ったりして、この匂いにあまり感じない人に「へえ、よくわかるね」と驚かれたこともある。

 しかし、それが雨や水の匂いだとは思いの外、先日、ふと興味を持ってネットで検索してみたら、前線が通過して気圧が急に下がる時、下水道から空気が吸い出されて臭いがするものなのだそうだ。水ではなく、硫化水素まじりの悪臭だったわけである。実際、よく振り返ってみると、この匂いは街なかで感じるもので、田舎や山ではしない。

 そういうことを思い知らされるような夜は、漫ろ歩くに限る。

 雨の匂いのする中、もし今、齷齪(あくせく)と歩けば、汗まみれの忙しい様子になって恰好(かっこう)がつかない。乾いた肌と湿った(ひろ)やかな気持ちで、木槿(むくげ)凌霄花(のうぜんかずら)芙蓉(ふよう)の咲いたベッドタウンの路地をしのび歩こう。

暴力団、やくざや半グレ

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 妻子がつけっぱなしにしたテレビを見るでもなし聴くでもなしに眺めていると、お笑い芸人が詐欺師グループの宴会などに出演した件、いわゆる「宮迫 闇営業」の話ばっかりやっている。

 しかしそれにしても、テレビはもうかれこれひと月ぐらい、先月からずっとこの話ばっかりしてないか?

 もちろん、いわゆる半グレ、あるいは犯罪人集団、やくざ、暴力団など、そんなものが跳梁跋扈するような世の中では困る。社会への影響力も大きい有名芸能人が大手を振って犯罪人と付き合うようではいけないことは当然だ。

 しかし、所詮は芸能人である、と言えばそれもそうではなかろうか。こんな話をいつまでも公共の電波に乗せて引っ張り続けるというのはいかがなものかと思う。40~50年前の昔なんて、興業なんてものは多かれ少なかれ「地元の親分さん」なんてものが仕切っていたもので、芸能人とやくざなんて一緒くた、下手すりゃやくざ兼業みたいな芸能人、映画俳優とどっちが本業だかわからないような親分だっていたわけである。安藤昇とかね。

 芸人と犯罪人との関係なんぞ、しかるべく吉本興業なりそれぞれの芸能事務所なりでキチッと処分してだな、公器は他にもっと論ずるべき大事なことを論ずるべきだ。

 テレビはこんなニュースをがなり立てることで、何かをごまかそうとたくらんでいるように思う。

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 盆である。

 「ウソ()くんじゃねえ、盆は来月だ!」などと噛みつかれそうだが、嘘は吐いていない。

 その辺の理屈は、このブログの2年前のエントリでまとめて書いておいた。

  •  (このブログ、平成29年(2017)08月13日(日)08時34分)

 夏は盆がたくさんあるのである。無論、言うまでもないが、真の盆は一つだけだ。しかし、前掲の記事に書いたように、明治の改暦以来(このかた)、混乱してしまったわけだ。

 前掲のエントリには一昨年の日付が書いてある。新暦は変わらないが、旧暦は毎年ずれる。

 そこで、今年の盆について、下に整理しておきたい。

各盆 日付 旧暦
盆(新暦旧盆・旧盆) 7月15日(月) 六月十三日
地蔵盆(新暦旧地蔵盆・旧地蔵盆) 7月24日(水) 六月廿二日
盆(月遅れ盆) 8月15日(木) 七月十五日
盆(旧暦盆) 8月15日(木) 七月十五日
地蔵盆 8月24日(土) 七月廿四日
旧暦地蔵盆 8月24日(土) 七月廿四日

 例年だと、旧暦七月は新暦9月頃になることが多いのだが、今年はたまたま、旧暦七月と新暦8月の日付が一致しており、月遅れ盆と旧暦盆の日付、地蔵盆と旧暦地蔵盆の8月の日付も偶然同じである。

海の日

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天皇陛下万歳

 祝日「海の日」である。玄関先に国旗を掲げ、拝礼する。

 我が国は四面環海で、海なくしては文物も人も往来しない。

 そのことを暗示してか、日本書紀では、神武天皇の祖母の豊玉姫(とよたまひめ)海祇(わだつみ)の娘で、火火出見尊(ほほでみのみこと)と結婚し、はるばる海の国から日本にやってきて、神武天皇の父の葺不合尊(ふきあえずのみこと)を生んだのだ、ということになっている。何分神代(かみよ)の昔のことであるから、多分に詩的であって、おとぎ話のようでもある。

 さておき、日本を囲む海は広い。遠くアラビア、アメリカ、ヨーロッパにまで海はつながる。そのことを一日、記念しよう。