ユーザ、ユーザー、ドライバ、ドライバー、レーダ、レーダー……伸ばさない・伸ばす

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 標記のことについて少し、経験したことや知っていることをメモしておきたい。

 実は私は、このことについての結論めいたことを知ってはいるのだが、その結論というのが「どっちでもない」という、結論とは言えないものであることをあらかじめお断りしておく。それには、経緯(いきさつ)というものがあるのだ。

実は自衛隊でも論争になったことがあった

 私は自衛隊で40年間働き、一昨年、定年で()めた。

 今の私はIT技術者として口を(のり)しているが、もともとは特殊無線技士で、幹部自衛官になる前の陸曹時代は特殊なレーダの操作や整備をしていた。レーダ。そう、「レー」である。「レーダー」ではない。

 陸曹時代、私の身の回りにあった公的な文書には、それが教範(教科書のこと)であろうと設計書であろうと回路図であろうと仕様書であろうと全部「レーダ」と書かれていたから、正しい表記はこれであると信じ、疑うことなどなかった。

 私は若い頃試験に合格して幹部自衛官になった。幹部自衛官になって少しの間実戦部隊で勤務した後は、一貫してIT分野の技術者として専門部署で勤務してきた。

 それからかなり経ち、実績を買われて統合幕僚監部というところで勤務していた頃のことだ。そこで、ちょっとした論争に遭遇した。ある公文書にレーダについて記載する必要があったのだが、参照する基礎資料には「レーダ」と「レーダー」の表記が混在し、一貫性に欠けていたのだ。

 私はその文書の起案者として責任を持っていたので、記載の基礎となる資料を提供してくれた同僚自衛官たちに「レーダー」という表記を「レーダ」に修正してよいか確認を求め、かつ、なぜそういう表記なのか、説明も聞いてみることにした。公文書というものは、たかが長音一本でも疑義を持たれないよう、一貫性を持った精密な記述が要求されるからだ。特に、国の予算が(から)む場合はなおのことで、微細の点にわたって正確でないと財務省も国会も通らない。

私 「これ、本来『レー』と記載すべきですよね? 修正してよろしいですか?」

甲 「ええっ、『レーダー』でしょう!? 普通伸ばすんじゃないですか?」

乙 「そうだそうだ、自分も『レーダー』だと思うぞ! 特に、外来語の『-er』の語尾は伸ばすものだと決まっている! ……まあ、そうでない場合もまれにあるかもしれないが……」

丙 「ええっ、いやいやいや、逆でしょうが、特に『-er』の語尾は伸ばしたらダメでしょう!? 私は『レー』が正しいと思うが!?」

 聞く人によってまるっきり主張が異なり、(ラチ)があかない。そうやって()めているうち、私はあることに気づいた。

 甲は海上自衛官、乙は航空自衛官、丙は陸上自衛官だったのである。そして私は丙と同じ陸上自衛官だ。統合幕僚監部は、陸・海・空の自衛官と、国公一種・事務官・技官といった様々な官と身分の人が混ざり合って仕事をしているところなのだ。

 私は正しい記載の根拠を調べるための糸口を掴みたいと思い、一般の書籍として売られている「自衛隊装備年鑑」という本をめくった。これは一般の書籍ではあるが、長い間刊行され続けていて一定の権威を持ち、信頼が置けるものだ。そうしたところ、いろいろなレーダの表記が、陸海空で違うということがわかってきた。海・空では「レーダー」であり、陸では「レーダ」なのである。また、空のレーダの一部には「レーダ」と、伸ばさない表記もあることがわかった。古い型のものだ。

 なぜこんなことになるのか、よく確かめた。

 装備品の名称は、例えば陸なら「制式要綱」や「部隊使用承認」という文書で命名され、そこに書いてある名称が正式な名称となり、それ以外の表記は認められなくなる。つまり、その装備の「固有名詞」として決定されるわけだ。これが名称の表記の根拠だ。他にも命名の根拠となる文書があり、海・空でもそれぞれ根拠となる文書がある。それらの根拠文書をざっと調べると、「自衛隊装備年鑑」の表記は、正確にこれら根拠文書に従って書き分けられていたこともわかった。航空自衛隊では「なになに式なになにレーダー」等と名付けられるのだが、非常に古いものの中に、当時「なになにレー」と、語尾を伸ばさない命名がなされたものがあり、こういうものはたとえ後年の文書であっても命名された固有名詞に従って「レーダ」と記載するのである。

 つまり、「一貫性のないのが実は正しかった」のである。しかしそれならばそれで、その都度「この文書はかくかくしかじか、これこれこういう理由でこのような記載になっている」という説明がきちんとできなければならぬ。

 私は文書の作成を終え、決裁を貰うために上司にその文書を対面提出し、内容を説明した。私の直接の上司は航空自衛官だったが、今回の説明相手のその上司は更に一段階上の上司で、この人は陸上自衛官だった。ひとわたり私の説明を聞いたあと、上司はさっと文書に目を通した。文書をチェックする者の常として「表記のゆらぎ、一貫性」はすぐに目につくから、その上司も当然

「佐藤1尉(当時)、これ、『レーダ』と『レーダー』が混在しているじゃないか、どっちが正しいんだ? 正しいほうに統一しなさい、文書は一貫性がないといかん」

と言ったものだ。

 前述のように十分調査していた私は、「ここだっ!」とばかり、段ボール箱に入れて足元に置いていた制式要綱その他のコピーをドバッと開陳に及び、滔々(とうとう)とまくしたてた。そして、「これは、一貫性のないのが一貫性をなしていて、実はバラバラの表記が正しいのであります」と結論付け、荒い息を吐いてのけた。その上司は闊達かつ真面目な人で、頑固に押し通す人ではなかったから、私の説明を聞いて感心してくれたものだ。「なぁ~る、ほど……。それにしてもしかし、佐藤1尉、よく調べたなあ」という調子であった。

 統合幕僚監部ならではのことではあった。陸上自衛隊ではこんなことで()めたことなど、全然ない。陸では全部「何々式なんちゃらレーダ」と、「伸ばさない」命名で統一されていたからである。

伸ばさないの? 伸ばすの?

 自衛隊ではそんなことがあったが、この件、世間一般では事情が異なる。

 「カタカナ3文字以上の語尾の長音をどうするか」ということは、実は以前からだいぶ混乱している。その混乱には事情がある。

日本工業規格 JIS Z 8301

 上の小見出しの「JIS Z 8301」は、「規格票の様式及び作成方法」という件名の規格で、言わずと知れた国定規格である。以前は、この規格の中で「カタカナ3文字以上の語尾の長音は省く」と国の権威でもってバチッと明確に決められていた。「以前は」と条件を付けたが、この「以前は」というのがこれから述べることのポイントだ。

 さておき、社会では長らくこの国定規格に準拠して文書が作られていた。マニュアルや仕様書、設計書など、技術的な文書では特にそうだった。官公署などは基本的にすべてこれに従い、また、大手電機メーカーなども製品名や説明書の文書などではこれに従っていた。いわく、「ユーザ」「ドライバ」「セミコンダクタ」と表記する(たぐい)である。

 今もマニュアルなどの文書を作るとき、従来からの習慣でこれを固守する人も多い。ところが、最近になって事情が変わったのである。

マイクロソフト

 20年ほど前から、マイクロソフトの製品の画面の表示は、「ユーザー」「ドライバー」と語尾を伸ばすようになった。その前は伸ばしていなかった。以前の日本では、例えば日本語版MS-DOSとか日本語版Windowsは、当時パソコンの主流だったNECのPC-9801シリーズで使うことが普通で、それらの日本語版への移植やマニュアルの作成は当然NECが中心になって行っていた。NECは官公署への納入実績などが豊富な大会社なので、国定規格にしっかり準拠して「ユーザ」「ドライバ」と記載していたのだろうと思われる。これは私の想像で、確認していないが多分そんなところだろう。

 ところが、市場が変化しパソコンやそのOSについては外資系企業の独擅場(どくせんじょう)となった。外資系はデファクトスタンダードなどには敏感だが、日本国ローカルの規格などには無頓着で、けっこう自由にやっているように思う。その自由っぷりをもって、マイクロソフトはある頃から画面やマニュアルの表記を全部「ユーザー」「ドライバー」に変えたのだと思われる。

 困るのは、ほかの会社や省庁でシステムの画面の操作マニュアルなどを作成する時だ。Windowsの設定の説明のため、ダイアログのキャプチャ画像を撮るとする。ダイアログは、例えばおなじみの左の画像のように「アカウント>ユーザーの情報」と表示されている。この場合、画像の下の説明に「ユーの情報」などと書くと、どうも一貫性のない記述ということになってしまう。

 これも「ルールを決めてそれに従っていればいいのでは?」という意見が当然主流である。私の今の勤め先もルールが決まっている。すなわち、「一貫して『ユーザ』の表記の例により、語尾は伸ばさないこととする。但し、製品の画面の説明の場合で、製品画面の表記が『ユーザー』となっている場合は、その引用説明には『ユーザー』を用いる」となっているのである。

 だが、これでも変にはなる。先の例だと、

ユーの写真を設定するには、『設定』→『アカウント』とクリックし『アカウント>ユーザーの情報』画面で……云々」

などという説明になってしまうからだ。つまりこの場合、「ユーの写真を設定するには……」という前半の説明は、必ずしもWindowsの画面を引用しているわけではないからこうなるわけだが、見た目には一連の文章の中で表記が混在し、事情を知らない人が見るとまるでなってないように見えるわけである。

 「かくかくしかじかの事情があるので弊社ではこういう記載の仕方になっている」ということを知っていて、それをその都度お客様に説明できればいいが、もしそういうルールを知らない者がお客様から「このマニュアルには一貫性がない」などとツッコまれ、説明できずにオタついたりすると、マニュアルの「ユーザ」「ユーザー」についてどちらかに全部揃えるための修正をしなければならなくなり、これは非常に混乱するし、正直言って無駄な作業に工数を捨てることになる。

「外来語の表記(平成3.6.28内閣告示第2号)」と日本規格協会の裏切り(苦笑)

 ところが。

 上のような状況にあったのは、およそ5年ほど前までのことだった。

 5年前、日本規格協会は、前記した「JIS Z 8301 規格票の様式及び作成方法」という規格を改正した。改正前は規格内で「語尾は伸ばさない」と決めていたが、改正後は「外来語の表記は、主として”外来語の表記(平成3.6.28 内閣告示第2号)“による。」と、「外出(そとだ)し」にしてうっちゃらかしてしまったのだ。

 上の「外来語の表記(平成3.6.28 内閣告示第2号)」という内閣告示は、30年近く前に文化庁が担当省庁として発出していた。だいぶ前のことだ。で、その中にどんなことが書かれているかを雑にまとめると、「カタカナ3文字以上の語尾の長音は『ー』を付けて伸ばす。省かない」と書かれているのである。

 実のところ、新聞やテレビなどでは、30年以上も前からこの「外来語の表記(平成3.6.28 内閣告示第2号)」に従って、語尾を伸ばしていた。つまり、数十年もの長期間にわたって、「日本工業規格」と「内閣告示」は乖離したままで、文字通りのダブルスタンダードが国によって放置されていたのである。

 だが、工業製品、就中(なかんづく)規格や仕様書などに関しては日本工業規格に沿わないといけないから、工業上の規格では「伸ばさない」がスタンダードということで推移していた。それが、5年前にガラッと変わったということになる。つまり、製品などに関しても、今までと真逆の表記が正しい、ということになってしまったのだ。要するに、これからは「ユーザー」「ドライバー」「レーダー」が正義の表記だということに、ルールが変わったのである。

 言やァ言うもンの、つまり、日本規格協会の裏切りである。

 しかし、内閣告示の「伸ばすのが正しい」という規定の後には但し書きがしてあって、(おおむ)ね「昔からの慣例などがあってこの例によりがたい場合は、『ー』を省いてもよいです」みたいなことが書かれている。つまり、「≒どっちでも、まあ、いいけど、伸ばすのが本来……?かな?……で、いいですよね(笑)」みたいな、ナマッ(ヌル)い規定である。

なので、混乱も(むべ)なるかな

 そのようなわけで、

「国としては『ユーザー』と伸ばすのが正しいということにしたが、『ユー』と伸ばさないのもアリだから、そういうことでよろしく」

……みたいな、どうしていいやらサッパリわからんことを、こともあろうに国から言われてしまったのだ。

 こうなると、「じゃあ、どうすればいいってのよ!?」ということにもなる。結局「もう、弊庁なり弊社なりで勝手にルール決めるわ」……なんてことになってしまうのは、自然の流路というものだ。そしてますます混乱する。なんとなれば、作り込みによるシステム構築を卒業し、クラウドとCOTSを十分に活用したシステム構築を志向するとき、あるCOTSは「ユーザ」と画面に表示し、別のCOTSは「ユーザー」と画面に表示するのであるから、それをインテグレーションしたSIerが作る設計書やマニュアルは、「ユーザ」も「ユーザー」も、混在表記したものにならざるを得ない。素人がそれを見れば、鬼の首でも取ったかのように表記のゆれを指摘しマニュアルの品質に難癖をつけて()まぬであろうことは目に見えている。

 それが、「ナウ」の状況である。

 まあ、アレだ、長音一つで多様性(ダイバーシティ)を標榜するのも、いいんじゃないだろうか。伸ばそうと伸ばすまいと、自由だーッ!……とでも言おうか。お客様には「……多様性(ダイバーシティ)です。つまり、SDGs(持続可能性)でもあります」と(うつ)ろな表情で呟いてみる説明を試したらどうだろうか。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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