日常雑々

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ブルース・ハープ

 若い頃からハーモニカは好きだ。同音が上下2列になった所謂(いわゆる)「クロマチック」で舌を使って伴奏を付ける吹き方など “日常雑々” の続きを読む

動画漫覧

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玉川勝太郎の石松金毘羅代参

 珍しい、三代目玉川勝太郎の石松金毘羅代参~石松三十国船道中。

 在りし日の勝太郎が木馬亭でかけた演目だ。

 これはこれで面白いが、やはり虎造節を聴きなれた者には、少々物足りないところもある。

本職料理人系

 本職の料理人が料理をする動画をよく見る。面白いし、見ていて腹が減る。

 Nara hirokazu 氏という本職の料理人が魚を(さば)いて刺身にしては、いい酒で一杯やる、という動画シリーズがある。

 これはグレを捌く動画だが、皮の湯引きと細造りで呑むところなんか、思わず生唾が湧いてしまう。

迂闊

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 このブログのアクセスログを見ていると、見に来る方の中に、「唄入り観音経」の検索キーワードで行き当たったらしい方が多少おられることがわかる。

 唄入り観音経というと名人・三門博の一世一代の浪曲だ。戦前から戦後にかけての大ヒットである。

 主人公は「()(ねずみ)吉五郎」という盗賊だ。

 ところが私は、この木鼠吉五郎というのは、三門博の創作の、架空の盗賊であるとばかり思っていた。しかし、どうやらそうではないらしく、少なくともモデルとなった実在の木鼠吉五郎というのがいたらしい。

 上のWikipediaの記事を見て驚いた。

 というのも、唄入り観音経とは全く別の分野のこととして、私は岡本綺堂の「拷問の話」という本を読み、江戸時代の拷問が実はそうそう行われるものではなく、老中の許可などを必要とする実に煩雑な司法手続きであった、ということを知ったのであるが、その「拷問の話」に取り上げられているのが「播州無宿・吉五郎」とのみ記された盗賊であった。

 「唄入り観音経」の主人公木鼠吉五郎と、「拷問の話」の盗賊・播州無宿の吉五郎とは、私の頭の中では全く別物になっていて、一致していなかった。

 ところがどうやら、Wikipediaの記事と岡本綺堂の作品を読み合わせれば、これはモデルとしては同じ人物であることは明白だ。私としたことが、これは迂闊であった。20年以上もの間、このことを知らずにいた。

 しかし、いずれにせよ、唄入り観音経の中では改心して得度し、仏道に精進する吉五郎も、実際には太々(ふてぶて)しく27回もの拷問に耐えて同囚の尊崇すら集め、刑死後に名を遺した吉五郎も、どちらも大変な人物であることに違いはない。

「唄入り観音経」の中の観音経

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 ふと自分のブログを見ていたら、昨夕遅く、唄入り観音経ファンの方からコメントがついている。

 浪曲は古い話題なので、めったなことでコメントがつくことなどないが、ありがたいことである。

 さて、この方のコメントにも少し触れられているが、三門博の「唄入り観音経」、題材になっている「観音経」の一節のテキストが、ネット上では少々見つけにくいようだ。

 勿論、昔と違って、観音経のテキストそのものはネット上で簡単に見つかる時代になったが、「<ruby>~</ruby>タグ」で囲ってルビを打ったものはどうやら見つからないようだ。つまり、だから「唄入り観音経」の歌詞を耳で聞いてネットで検索しても、ヒットしにくいのである。

 そこで私が打ち込み直し、ネットに放流しておくことにした。

 経典「妙法蓮華経」は長大な経であり、おいそれとブログに載せられるような大きさではないが、良く知られ、また在家信者の勤行でも読まれることのある「観世音菩薩普門品(ふもんぼん)第二十五」、就中(なかんづく)()」という部分は、この妙法蓮華経の精華(エッセンス)を抜き出したものと言ってよく、短くまとまっている。

 私の宗旨は真言宗で、法華宗門とは異なる。しかし観音経は、実は真言宗でも勤行に用いられるのである。特に高野山真言宗から分かれた豊山(ぶざん)派総本山長谷(はせ)(でら)(私の宗旨は真言宗豊山派である)は本尊が十一面観世音菩薩であり、観音経との縁は深い。

 下に書き出したのがそれである。無論、著作権は消滅しているから、どうなとコピペ可能である。

妙法蓮華経
観世音菩薩普門品(ふもんぼん)第二十五 ()

世尊妙相具(せそんみょうそうぐ) 我今重問彼(がこんじゅうもんぴ) 佛子何因縁(ぶっしかいんねん) 名為観世音(みょういかんぜおん)
具足妙曹尊(ぐそくみょうそうそん) 偈答無盡意(げとうむじんに) 汝聴観音行(にょちょうかんのんぎょう) 善応諸方所(ぜんのうしょほうしょ)
弘誓深如海(ぐぜいじんにょかい) 歴劫不思議(りゃっこうふしぎ) 侍多千億佛(じたせんのくぶつ) 発大清浄願(ほつだいしょうじょうがん)
我為汝略説(がいにょりゃくせつ) 聞名及見身(もんみょうぎゅうけんしん) 心念不空過(しんねんふくうか) 能滅諸有苦(のうめつしょうく)
假使興害意(けしこうがいい) 推落大火坑(すいらくだいかきょう) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 火坑変成池(かきょうへんじょうち)
或漂流巨海(わくひょうるこかい) 龍魚諸鬼難(りゅうぎょしょきなん) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 波浪不能没(はろうふのうもつ)
或在須弥峯(わくざいしゅみぶ) 為人所推堕(いにんしょすいだ) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 如日虚空住(にょにちこくうじゅう)
或被悪人逐(わくひあくにんちく) 堕落金剛山(だらくこんごうせん) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 不能損一毛(ふのうそんいちもう)
或値怨賊繞(わくちおんぞくにょう) 各執刀加害(かくしゅとうかがい) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 咸即起慈心(げんそくきじしん)
或遭王難苦(わくそうおうなんく) 臨刑欲寿終(りんぎょうよくじゅじゅう) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 刀尋段段壊(とうじんだんだんね)
或囚禁枷鎖(わくしゅきんかさ) 手足被柱械(しゅそくひちゅかい) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 釈然得解脱(しゃくねんとくげだつ)
呪詛諸毒薬(じゅそしょどくやく) 所欲害身者(しょよくがいしんじゃ) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 還著於本人(げんじゃくおほんにん)
或遇悪羅刹(わくぐうあくらせつ) 毒龍諸鬼等(どくりゅうしょきとう) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 時悉不敢害(じしつぷかんがい)

若悪獣圍繞(にゃくあくじゅういにょう) 利牙爪可怖(りげそうかふ) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 疾走無邊方(しつそうむへんほう)
玩蛇及蝮蠍(がんじゃぎゅうふくかつ) 気毒煙火燃(けどくえんかねん) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 尋聲自回去(じんしょうじえこ)
雲雷鼓掣電(うんらいくせいでん) 降雹濡大雨(ごうばくじゅだいう) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 応時得消散(おうじとくしょうさん)
衆生被困厄(しゅじょうひこんにゃく) 無量苦逼身(むりょうくひっしん) 観音妙智力(かんのんみょうちりき) 能救世間苦(のうくせけんく)
具足神通力(ぐそくじんつうりき) 廣修智方便(こうしゅうちほうべん) 十方諸国土(じっぽうしょこくど) 無刹不現身(むせつふげんしん)
種種諸悪趣(しゅじゅしょあくしゅ) 地獄鬼畜生(じごくきちくしょう) 生老病死苦(しょうろうびょうしく) 以漸悉令滅(いぜんしつりょうめつ)
真観清浄観(しんかんしょうじょうかん) 廣大智慧観(こうだいちえかん) 悲観及慈観(ひかんぎゅうじかん) 浄願常譫仰(じょうがんじょうせんごう)
無垢清浄光(むくしょうじょうこう) 慧日破諸闇(えにちはしょあん) 能伏災風火(のうぶくさいふうか) 普明照世間(ふみょうしょうせけん)
悲體戒雷震(ひたいかいらいしん) 慈意妙大雲(じいみょうだいうん) 濡甘露法雨(じゅんかんろほうう) 滅除煩悩焔(めつじょぼんのうえん)
諍訟経官処(じょうしょうきょうかんじょ) 怖畏軍陣中(ふいぐんじんちゅう) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 衆怨悉退散(しゅうおんしつたいさん)
妙音観世音(みょうおんかんぜおん) 梵音海潮音(ぼんのんかいちょうおん) 勝彼世間音(しょうひせけんおん) 是故須常念(ぜこしゅじょうねん)
念念勿生疑(ねんねんもつしょうぎ) 観世音浄聖(かんぜおんじょうしょう) 於苦悩死厄(おくのうしやく) 能為作依怙(のういさえこ)
具一切功徳(ぐいつさいくどく) 慈眼視衆生(じげんじしゅじょう) 福聚海無量(ふくじゅかいむりょう) 是故応頂礼(ぜこおうちょうらい)
爾時持地菩薩(にじじじぼさつ) 即従座起(そくじゅうざき) 前白佛言(ぜんびゃくぶつごん) 世尊(せそん) 若有衆生(にゃくうしゅじょう)
聞是観世音菩薩品(もんぜかんぜおんぼさつぼん) 自在之業(じざいしごう) 普門示現(ふもんじげん) 神通力者(じんつうりきしゃ)
当知是人(とうちぜにん) 功徳不少佛説是普門品時衆中(くどくふしょうぶつせつぜふもんぼんじしゅうちゅう) 八萬四千衆生(はちまんしせんしゅうじょう)
皆発無等等(かいほつむとうどう) 阿耨多羅三藐三菩提心(あのくたらさんみゃくさんぼだいしん)

 三門博の「唄入り観音経」では、このうちの何か所かが使われる。

 私の持っているCDのうち、左のテイチクのものでは、以前に書いたこともあるが、最も有名な「本題」の「唄入り観音経」がまったく入っておらず、少し違う話になっている。だが、観音経そのものはところどころに使われており、例えば有名な「外題付(げだいづけ)」の部分に続けて上の「偈」の冒頭部分が低く付け加わる。

〽 遠くちらちら(あか)りが揺れる
あれは言問(こととい) こちらを見れば
誰を待乳(まつち)舫舟(もやいぶね)
月にひと声 雁が鳴く
秋の夜更けの吾妻橋
世尊妙相具(せそんみょうそうぐ) 我今重問彼(がこんじゅうもんぴ)
佛子何因縁(ぶつしがいんねん) 名為観世音(みょういかんぜおん)
具足妙曹尊(ぐそくみょうそうそん) 偈答無盡意(げとうむじんに)
汝聴観音行(にょちょうかんのんぎょう) 善応諸方所(ぜんのうしょほうしょ)

 また、名奉行大岡越前の裁きを受けて改心し、罪を許された木鼠の吉五郎が仏門に入るシーンでは

〽 前非を悔いた吉五郎は
名も西念と改めて
頭丸めて仏門の
()弟子となりて国々を
具足妙曹尊(ぐそくみょうそうそん) 偈答無盡意(げとうむじんに)
汝聴観音行(にょちょうかんのんぎょう) 善応諸方所(ぜんのうしょほうしょ)
弘誓深如海(ぐぜいじんにょかい) 歴劫不思議(りゃっこうふしぎ)
侍多千億佛(じたせんのくぶつ) 発大清浄願(ほつだいしょうじょうがん)
我為汝略説(がいにょりゃくせつ) 聞名及見身(もんみょうぎゅうけんしん)
心念不空過(しんねんふくうか) 能滅諸有苦(のうめつしょうく)

 また別に、美空ひばりも唄った、「本題」のほうが入った戦前の本来の作品の方で、和尚に観音経を教わった百姓の甚兵衛爺さんが、婆さんと唄のように繰り返すのがこの部分である。

或遭王難苦(わくそうおうなんく) 臨刑欲寿終(りんぎょうよくじゅじゅう) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 刀尋段段壊(とうじんだんだんね)

 「長くて覚えづらい、ワケがわからない」と訴える無学文盲の百姓甚兵衛に、和尚は「全部唱えずともよい、『念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 刀尋段段壊(とうじんだんだんね)』というところだけでも仏の御利益はある」と教えるのである。

(「唄入り観音経」本題入りの音源の、後半の一部)

和尚  甚兵衛さん良く打ち明けた。法華の大師日蓮上人が由比ガ浜竜の口の御災難の時に唱えられた観音経と言うお経がある。上人はこのお経の御利益によって危うき一命が救われた。この観音経を教えてやるから恩人木鼠吉五郎様のためと唱えておやり、観音経一巻を覚えるには一心不乱に稽古しても四五年はかかるぞよ
甚兵衛 そんなに長くなくって、アッサリ教えて下さいまし
和尚  アッサリとはいかないが、有り難いところ二(くち)(くち)だけ教えてやる。今唱えるから聞き落としのないようによく聞きなされや

……と、(かたえ)にあったる鐘を引き寄せて撞木を握り威儀を正して鐘の縁を力に任せて一つ、

 ごぉ~ん

 その鐘の音色に音声(おんじょう)を乗せ

〽 或遭王難苦(わくそうおうなんく) 臨刑欲寿終(りんぎょうよくじゅじゅう) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 刀尋段段壊(とうじんだんだんね)~……
和尚  どうじゃ、お判りかな
甚兵衛 初めのほうはちっとも判らねえでがす
和尚  中ほどはどうじゃ
甚兵衛 少し判りました
和尚  前の方は
甚兵衛 丸ッきし
和尚  なんだい、それじゃ皆ンな判らないんじゃないか。……お経の意味を覚えなさい。さすればお経に趣味が出てすぐに文句が覚えられる。
〽 「或遭王難苦(わくそうおうなんく)」ということは王難の苦しみに遭うということ
臨刑欲寿終(りんぎょうよくじゅじゅう)」とは刑場で命終わらんとするときをいう
念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」とは観音様の力にお(すが)りをする
刀尋段段壊(とうじんだんだんね)」とは当たる刃物が切れ切れになるということ
和尚  一口に言えば災難のために、刑場で命終わらんとする時に、観音経を唱え奉れば御利益あらたかにましまして、自分の身体へ当たってくる刃物が途中でポッキリ折れて、身体に傷が付かずに命も助かるということを、それ観音経になぞらえて……
〽 或遭王難苦(わくそうおうなんく) 臨刑欲寿終(りんぎょうよくじゅじゅう) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 刀尋段段壊(とうじんだんだんね)~……
和尚  どうじゃ、甚兵衛さんや、お経の有難味が少しは分かったか
甚兵衛 へぇ、有り難すぎて、みんな忘れちまった
和尚  困ったねえ、ではこうしなさい、前ふた(くち)抜いて、後ふた(くち)だけ覚えなさい。『念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 刀尋段段壊(とうじんだんだんね)』……と、このくらいのことは覚えられるだろう
婆さん とっても駄目だい
甚兵衛 なに言ってるだ婆さん、俺がみんな聞いてもすぐ忘れちまうから、お前半分覚えろ。半分ずつッか()ェんなら忘れなかんべ

 幸い婆さんが来ていたから半分後を覚えてもらい、ありがとうごぜえましたと (いとま)を告げて表へ出た

〽 忘れちゃいけない婆さんよ
今教えて貰った観音経を 大恩人のためだから わしが前を半分やるで
お前が半分後から唱えておくれよと

言えば婆さんにっこり笑い

これさ 爺さんよくおきき
今は梅干婆あでも
娘の頃には村一番の声よしで
盆踊りの時などは櫓の上で若い衆と音頭取りしたこともある
さすりゃ昔の杵柄で 歳は取っても歯は抜けてても
声のほうではお前にゃ負けない これさ 爺さんしっかりおいで

甚兵衛 生意気なことをコクなこの婆あ
先に立ったる爺さんが しわがれ声を張り上げて
念彼観音力(ねんぴかんのんりき)
と唱えましたら婆さんが 鉄漿(おはぐろ)だらけの歯を()き出してなんの負けよう爺さん如きに声の方ではひけとらないぞえ
刀尋段段壊(とうじんだんだんね)
甚兵衛 来たなァ、婆あ
〽 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 刀尋段段壊(とうじんだんだんね)

と 唱えながらに行くのをば 村の若い衆が 耳にして

「野郎、お(めぇ)

「なんだ茂十」

(しも)の甚兵衛、婆アと掛け合いで変なこと言ってくが、アリャ何だ」

「わかったぞ、この(あいだ)、甚兵衛、村の使いで江戸さ行ってきた、その時覚えてきた、ありゃ大方、江戸の流行唄(はやりうた)だべ」

「流行唄?……へぇ~、面白ェ唄だな、半分づつ掛け合いだ、唄に囃子がネェと仕ッ方ないから、囃子ィ付けてやるべ、調子を外すと聞きづれェから、しっかり来いよ、始めるぞ」

 村帰りと見えて鍬を一丁づつ担いでいた、その鍬の柄を叩いて拍子を取って

〽 茂十が先に歌い出す
さあさ 出したぞ ヨ~イヤナ~
念彼観音力(ねんぴかんのんりき)
と唄い出したら次郎兵衛が
それに調子を合わせまして
刀尋(とうじん)~ キタコラ エ~ 段段壊(だんだんね)ッ、あァ~コ~ラショっと……

「こりゃいいやィ」

……そうして、あとはご存知、お経の一節をすっかりお囃子か唄か何かと勘違いした若者たちの口から口へ、ついには観音経が奥州一円のヒット・ナンバーとなり、子守りの女の子が赤ん坊を寝かしつける子守唄にまで「観音経アレンジ」が入ってしまう、という筋書きである。その子守歌こそ、三門博一世一代、美空ひばりの幻のナンバーでもある「唄入り観音経」である。

唄入り観音経・本題

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 唄入り観音経と言うと()題付(だいづけ)の「〽 遠くちらちら明かりが揺れる……」というところが知られている。

 だが、唄入り観音経の本題はこれではない。奥州一円で観音経がヒット曲になるという、可笑(おか)しくも悲しい、ケレン味のあるエピソードが本題だ。ところがどうしたことか、「唄入り観音経」の本題は、三門博の最も新しいテイチクの録音には入っていない。はっきりとはしないが、戦前の大ヒット浪曲「唄入り観音経」を、戦後吹き込み直した時に大幅に改作したものと見受けられる。そのため、間違われてしまうようだ。

 私はその辺は知っていた。ところが、ふとネットを渉猟していたら、美空ひばりがハリー・ベラフォンテに唄って見せたというエピソードの残るこの唄入り観音経、外題付の方とどうやら間違って書いているらしいブログ記事などがある。

 ハテこれは、というので更に渉猟していたら、「唄入り観音経の歌詞がわかりません」というような質問が、Yahoo知恵袋などにあり、そのベストアンサーがいい加減で間違っていたりする

 これはいかん。ここに書き記しておかないと、名曲・唄入り観音経が消えてしまう。

 美空ひばりもカバーした唄入り観音経の歌詞は次の通りである。

(……観音経とは知らないから
それからそれへと真似をして
果ては奥州一円は
観音経で持ち切りです
乳母(おんば)子守に至るまで
子供を寝かせる守唄(もりうた)に)


〽 泣くな よしよし ネンネしな

坊やの母ちゃんどこ行った
あの山越えて里行った
里のお土産(みや)に何(もら)
でんでん太鼓に(しょう)の笛
鳴るか鳴らぬか吹いてみな
いい子だ いい子だ お宝だ
ひとつ唄ってやるほどに
(イェ)泣かずにネンネするのだよ
さあさあ出したぞ(ヨーイヤナ)
念彼観音力(ねんぴかんのんりき)(エー)
刀尋(とうじん)(キタコラ エェ~)段段壊(だんだんえ)
(アァ)ネンネせェ
眠るどころか(アァ)目が()める

無駄に買う浪曲

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 思わず買う。

 実は「唄入り観音経」、テイチクのをはじめ、3つくらい持っているのだが、どれも語りが違い、しかもテイチクのは肝心の「唄入り観音経」が入ってない。

 この話は主人公の西念が出家してからの話のようだ。

Catwalk浪曲

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 通勤時には大抵読書をしているが、本も高いので、手元が品切れ気味になっている。

 こういうことはたびたびある。こんな時には大体、音楽を聴いている。

 Google Play Musicは便利なもので、自動的に似たような音楽を選んでくれる「インスタント・ミックス」の機能もある。普段あまり聞かないアルバムの収録曲を「再発見」するようなこともよくあり、面白い機能だと思う。

 先日もマル・ウォルドロンの「Catwalk」に似た曲を自動選曲したミックスがリコメンドされてきたので、それを聴きながら通勤した。

screenshot_2016-10-13-18-08-25 そうしてしばらく聴いていたら、である。

 突然、渋い太棹、高い艶声の(おんな)浪曲がかかった。ええええっ!?

 なんと、二葉百合子の「一本刀土俵入り」である。

 なんで、マル・ウォルドロンの「Catwalk」と二葉百合子の「一本刀土俵入り」が「類似している」という判定になるのか、誠に理解に苦しむが、ある意味、浪曲は「ジャパニーズ・ブルース」だし、短調の渋い感じや太棹三味線の爪弾きの音がミュート・コーンをつけたコルネットのソロに似ていなくもない。

 しかし、そのまま二葉百合子に聴きほれてしまうという私もどうなんだという感じだし、そもそも、「なんでそんな曲を持っているんだ?」と聞かれれば、そりゃあ買ったんですよ、好きだから、という(笑)。

唄入り観音経の冒頭

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いつか紅葉の色に出て
苦労の種の蒔き直し
義理も世間も上の空
流れの水に任すにも
宵の深酒転寝(うたたね)
()めて枕の色恋し
水面(みのも)を伝う爪弾きや
浮名を流す大川の
雨が降るなら水も時々曇るのに
誰が付けたか隅田川
九十六(けん)掛け渡し
花の武蔵野と下総(しもうさ)
仲を取り持つ両国の
渡ればそこは回向院(えこういん)
鼠小僧の次郎吉さん
商売繁盛願うのか
香を手向(たむ)けてお百度踏んで
祈る素足の吾妻(あづま)下駄

川を気まぐれ

投稿日:

 昨日の金曜日から泊まり込みだった。盆明けとは言え、まあ、こうなってくると、精霊のみならず人間様も木仏石仏金仏(きぶつせきぶつかなぼとけ)みたいな扱いである。いやはや。

 土曜日の今朝終わって、ヤレヤレと帰りかけた。曇り空、天気図には台風が三つも太平洋上を(うごめ)いている

 ともかくも帰宅しようと電車に乗る、すると、ようやく中央線秋葉原まできたかな、と言う辺りで沛然(はいぜん)たる豪雨。稲妻、雷鳴。もとより徹夜でくたびれ切ってしょげかえっているところへこれはなかなか辛い。コーヒーでも飲んでいくか、とJR秋葉原「atre(アトレ)」の3・4階にあるスターバックスでアイスコーヒーなんか飲んでいるうち、あんなに不機嫌だった空が、まったく無邪気に晴れ出した。

 まず、「女心と秋の空」とはよく言ったものだ。怒らせちゃアいけませんよ女の人は、ええ、ええ。

IMG_4178 さておき、既に11時くらいにはなってしまっていたから、じゃあ気晴らしに好物でお昼にしよう、と神田の「やぶ」へ行き、火災以来建て替わってからできた、窓際のカウンター席に陣取る。

IMG_4180 とりあえず、菊正宗を一合、それから焼き海苔をとる、酒を頼むと蕎麦味噌がついて来るからそれで半合飲んで、それからホカホカのパリパリに乾いた焼き海苔でもう半合飲む、そうすると、ささくれ立つどころかもうトゲなんか全部抜けちまってハゲみたいにつるつるになった陰惨な心が、ほんわりとピンク色にあたたまって、気持ちよくなってくるでしょ。

IMG_4183 まず、そうしたところへ好きな食べ物をしたためるのはまことによろしい。杯に一口ほど酒の残っている頃おい、(おもむ)ろに「お姉さん、せいろをひとつ」と頼む、実にいい間隔を置いて、神田・やぶの独特の緑色の蕎麦が運ばれてくる。これは新蕎麦の具合をいつも楽しめるよう、青い蕎麦の搾り汁で香りを付けてあるんだそうであるが、それを、やあ、来た来た、とさっそく手繰り込もうとしたら、隣に白人の夫婦が座り込んでしまった。

 東京の名店なので、今の時季、白人の観光客は多い。日本に大いに親しんで貰いたいので、これは結構なことなのだが、蕎麦屋では白人・英語圏の客は困る。なぜかというと、彼らは蕎麦を啜ると文句を言うからだ。以前、上野の籔で気分よろしく「もり」をズゾーッ……と啜ったとたん、隣の白人の女が聞こえよがしに「Ooops!……Headache,disgasting, Oh, Oh……No!」などとつぶやいて見せたことがあり、その時はせっかくの北海道・江丹別産の蕎麦が台無しに思えたことだった。あのなあ、蕎麦ってモンはなあ、ずぞぞぞーっ!!と啜るもんなんじゃい!!覚えとけ夷狄(いてき)めらが。

 その時の気分の悪さを思い出したのだが、そうはいうものの、こっちも別に、遠い国からわざわざやってきた見ず知らずの善良な相手に不愉快な思いをさせて喜びたいわけではない。相手にもうまい物を食って喜ぶ権利があるのだ。そんなコッチの葛藤など知ってか知らずか、隣の白人夫婦はまことに旨そうに釜揚げうどんや蕎麦寿司を食っており、静かそのものであって音なんかもちろん立てるわけではない。それに、神田「やぶ」で蕎麦寿司と菊正宗をオーダーするとは、なかなか趣味のいい白人じゃあないかい。

 ぬぅ……。しかたがない。

 その白人夫婦に気をつかい、あの濃いそばつゆで、名店・かんだ「やぶ」の、あの蕎麦を、無音でちるちる~……と一枚食った私である。

 ああ、こういう、なんだか胸につかえる食い方を強制されたような感じで、蕎麦を食った気がせず、無駄なお金を使ってしまったような気さえした。

 だが、まあ、しょうがない。白人夫婦も行儀のよい知らない日本人のオッサンの隣席で、気分の悪い思いをせずにうまい蕎麦料理を楽しめて、よかったこっちゃ、感謝しやがれ。……コッチはなんだか胸糞悪いが。

 そんなことがあって、だが外に出ると、雨上がりで濃青(のうじょう)の空に、近づく台風の影響か、雲が速く飛び去って行くのがなんともすがすがしい。寝不足で、微醺(びくん)を帯びた五体にはなおさらである。

 なんとなく、隅田川のあたりの、回向院だとか、吾妻橋だとか、そういうところへ行って、「♪遠~く~ゥちぃ~らあちら明かりが揺れるぅ~ぅう~うううう~」と、三門博の一節(ひとふし)、有名な「唄入り観音経」でも唸りたいような、なんだかそういう気持ちになった。いつもならこれで、秋葉原から日比谷線に乗ってまっすぐ帰る。だが今日はなんとなく、JRのほうの改札を再び入り、浅草橋まで乗ってみた。浅草橋の駅は隅田川のすぐそばにあるのを思い出したからだ。

IMG_4184 川べりまで出てみると、繁華な両国の国技館のあたりがチラッと見え、川向うには東京スカイツリーがそびえている。面白そうだなあ、と思ってそっちのほうへ歩いていく。屋形船や観光船が隅田川を上り下りしていて、大きなものの何艘かは接岸して(もや)われている。

 あんなに降っていたのに、嘘のようにケロリと晴れている。

 少し川上へ上って橋を渡り、国技館のあたりへ出てみた。ちゃんこ屋や相撲茶屋が並んでいて、なかなかそれらしい雰囲気だ。向うの方に大きな山門で「回向院」とある。

IMG_4189 山門の脇に立札があり、「旧蔵前国技館より前の、旧々両国国技館は回向院の境内にあり、1万3千人を収容できる壮大なドーム型の建物だったが、戦前戦後にかけて紆余曲折を()、戦後は取り壊された」という意味のことが書かれている。それとともに、「このすぐ後ろの、マンションの中庭に円形の枠取りがあるが、それが旧々国技館の土俵跡だ」みたいなことが書かれてあった。

 珍しいからそこへ行って写真を撮った。IMG_4187

 なるほど、舗装のデザインが少しずらされており、金属製の枠取りが丸くかたどってある。たしかに、相撲の土俵くらいの大きさだ。

 こういうものを、こういう形で保存した関係者の心を思う。昔を惜しみ、だが、新しい時代へ進んだ、という、そこのところだ。それが大事だ。

 写真の、土俵の丸い形がわかるだろうか。今は自転車置き場になってはいるが、丸く土俵をかたどってあるのだ。

IMG_4192 再び川べりへ出ると、さっき観光船が(もや)われてあったところに行き当たった。これは「水上バス」の乗り場だ。

 これはだいぶ前に聞いたことがあって、一度乗ってみたいものだと思っていたのだ。たしか、幕張とかお台場のあたりまで行く筈だ。

IMG_4203 チケットカウンターは乗り場のそばにあり、そこで聞くと、さきほど昼の便は出たばかりで、次の便は14時10分だという。お台場までいく便で、片道でもいいし、往復でこの乗り場に帰ってくることもできるという。片道なら1,130円、往復なら2,160千円だそうな。

IMG_4210 面白そうだから、近くのコンビニでポケット瓶を一本買い、往復チケットで両国まで戻ってくることにして、乗ってみた。

IMG_4214 船は空いていて、音声案内を適宜流しながら、まずゆっくりと浅草まで隅田川を上る。それから今度は引き返して下る。

 浅草に向かう間、それから引き返す間、例の「浅草ウンコ」やスカイツリーもよく見えて、楽しい。IMG_4205

 隅田川には沢山の橋がかかっているが、それらは江戸時代から同じ場所にかかっている橋もあり、逐次アナウンスしながら下っていく。

 「佃煮」で有名な佃島のあたり、佃大橋をくぐると、「佃煮と言うのは大阪の佃村から江戸へやってきた上方の人々の保存食で、もとは関西由来、今のように甘じょっぱく煮絡めるのではなく、塩茹でが元の姿であった」というようなアナウンスが流れてきて、おうおう、それそれ、ソレよ、と楽しい。

IMG_4248 松尾芭蕉ゆかりの地に建つ芭蕉記念館や、築地の卸売市場、勝鬨橋や浜離宮を通り、レインボーブリッジの下を通り抜ける。

 浜離宮の松林から下手を見ると、東京タワーがすっくと屹立している。スカイツリーの威容ももちろん堂々たる最新鋭だが、今となっては古色もゆかしくもの寂びてさえ見える東京タワーが、かえって確固たるものにも見えてこようではないか。IMG_4284

IMG_4264 お台場のフジテレビの社屋は、観光客、特に白人観光客には大ウケで、みな船の屋上へ飛び出して、「自撮り棒」を取り出しては写真撮影に余念なく、中にはこのクソ暑いのにニッチョリと抱き合ってディープキスをヌチョヌチョとぶちかましている連中もおり、まあ、しょうがないか、と。
 
IMG_4310 そうやってなにやら楽しく帰ってきたら、楽しいのもそのはずで、安バーボンのポケット瓶は、2時間ほどもあったものだから、すっかり空になってしまっているのだった。

 帰りは錦糸町あたりへ回ってもよかったが、通勤定期がもったいないので、両国からおとなしく秋葉原へ引き返す。

IMG_4315 バーボン・ウィスキーがほどよくまわって、ゲラゲラ笑い転げたいような気分で新越谷の駅を降りたら、忘れていた、今日は「南越谷阿波踊り」の初日で、大変な人出だ。私の住む越谷市は、地元名士の建設会社の社長が徳島出身とて、阿波踊りの普及に力を入れており、阿波踊りが非常に盛んなのである。

 帰宅してちょうど日暮れ時、まあ、眠さもあったが、ダラダラと脱力した、楽しい一日だった。