スウェーデン

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スウェーデン、NATO加盟

 ついにあの、中立の王国スウェーデンが、「もう中立やめますッ!」と、ブチギレてしまった。

 無論、ウクライナ紛争の影響によるものだ。

 勿体(もったい)ない。スウェーデンは、実は戦闘機を含め、優れた武器を大量に自力生産してきた軍事国家なのだが、中立をやめるとそこにもアメリカの支配が及んでしまう。

 アメリカの軍事支配。これに世界中の多くの人々がよりかかって日々の平和な生活を享受しており、特に今の日本にはなくてはならないものなのだが、どっこい、私としては内心、全然面白くない。

 そんなことから、「ソ連のバカー!」……などと私もブチギレるわけだが、若い頃、長い間ソ連と向き合ってきた私は、つい当時の調子で「ソ連」と書いてしまい、それだとウクライナも入ってしまうので、大失敗である。せめて「露助」か、少し真面目に「ロシア」と書くべきか。

スウェーデン国王の思い出

 さておき、スウェーデンのことだ。

 昔のこと、32〜33年くらい前だったか、私が旭川の特科連隊にいた頃のことだ。突然、スウェーデン国王カール16世グスタフ陛下が、日本国政府を通さず、直接旭川市を来訪されたことがあった。旭川市で開かれる「バーサースキー大会(当時の名称)」の応援に来られたのだ。

 バーサースキー大会は、400年前の伝説の英雄、スウェーデン国王グスタフ1世バーサーが国難に()い、ノルウェー王に救援を求めるためスキーで長駆した故事に由来するものだ。

 異例の賓客(ひんきゃく)だから、市も接遇に目の回る思いをしたことだろう。だが、現地の自衛隊は国王陛下が来られようが来られまいが大変だった。すなわち、自衛隊は慣例でこの大会の支援をすることになっており、私たち下っ端自衛官たちはコース整備やそのための雪運びなど、土方仕事の重労働をしなければならないからだ。面白いものではないし、雪運びをしたからって日本の防衛に役立つわけでもない。人々の役に立つことで自衛隊への理解を得るという名目はあったが、そんなの、上の方が勝手に考えただけの、いわば「人気取り」でしかない。人気取りのために下級の自衛官たちはアゴで指され怒鳴られてさんざんにコキ使われるのだから、嫌な思いしかしない。しかも、「一般の方々が不安に感じるといけないから」というので、できるだけ目立たないように私服などを着て支援しなければならず、つまり表向き「自衛隊なんかいないことになっている」わけである。これでは「理解を得る」という名目すら立たず、なんの意味もない。徒労でしかなかった。

 大会が終わり、国王臨席のもとレセプションが開かれた。表向き外務省を通していないから、旭川市の当局も大変だったろう。しかし、いつにかかって、国王が闊達(かったつ)な方だったから、その点でかなり救われたと聞く。

 以下は多くの人が知るところ。

 国王陛下が「それにしても、この規模の大会の開催には人手も多く必要で、苦労も多いことでしょう」と一同をねぎらうと、市長がまた、バカにした調子で「ああ、こんなのは全部自衛隊がやりますんで」などとほき捨てたものらしい。

「はて、……では、その、陸軍……?の方々は今どこに……?」

 「ああ、どこかそのへんにいますよ」と市長の取り巻きが(アゴ)でもしゃくって見せでもしたかどうか、まあ、そこまででもなかったろうが、その程度ではあったろう。実際、公私にわたって莫大な労力を提供したにもかかわらず、自衛隊関係者はレセプションにはほとんど招かれておらず、ただ師団長だけが申し訳程度に末席を占めていたに過ぎない。

 師団長は1万人の自衛官を率いる極官の将軍で、階級章は陸将、昔でいえば大将だ。官職は指定職、昔で言う勅任(ちょくにん)官の国家公務員であるから、そこいらの自治体の局長風情(ふぜい)にナメられるような格ではない。しかし、書くのも(シャク)だが、昔の自衛官なんぞ師団長でもこんなありさまの扱いであった。

 ところが。

 国王陛下はすっと立つと、末席に私服でかしこまらされていた師団長のところへ行き、その手を取って自席のそばへ招き寄せ、自衛隊の働きをねぎらい、自らの先祖の名を冠したこのスキー大会がスウェーデンの国難を記念したものであり、国家防衛と密接不可分のものであることなどを持ち出し、「この大会がかくも盛会()に終始したのは貴将軍のお働きによるものであったか、よくぞよくぞ」と感心され、暫時(ざんじ)師団長と親しく懇談の上、くれぐれも下級の自衛官たちを(ねぎら)うよう要望されたものだという。

 私はその場にいたわけではなく、以上は当時の伝聞に過ぎないが、多くの人が上のことを知る。

 尚、これらの思い出の多くは伝聞が中心である上に、想像による付け足しを遠慮なくしているから、事実と異なる点があろうことは()いて付記しておく。

 スウェーデン国王カール16世グスタフ王陛下は在位が長く、今も健勝でいらっしゃる。わが皇室、とりわけ今上陛下との交わりも深く、昭和天皇、上皇陛下、今上陛下と、三代にわたる親しいお付き合いであるという。

スウェーデンの武器

 スウェーデン国王陛下からの連想で、もうひとつ、思い出したことがある。

 陸上自衛隊で採用している強力な対戦車火器「84mm無反動砲」はスウェーデン製で、威力・精度とも申し分ない北欧流の芸術的逸品だ。しかも、対戦車榴弾(りゅうだん)だけでなく、時限信管付き榴弾や照明弾など様々な弾薬が使用できる汎用(はんよう)火器で、一射よく敵を(ほふ)る。他に類を見ないその高い性能をもって長年にわたり日本の陸上防衛を支えている。

 ところで、この火器の世界的に通用している製品名は、84mm無反動砲などという無機質なものではなく、スウェーデン王国軍人最高位たるの地位を堂々と有する国王陛下への尊崇(そんすう)を込めて「カール・グスタフ無反動砲(Carl Gustaf Granatgevär)」と名付けられている。その命名の覚悟たるや、一砲敗るるはこれ即ち国王の名を損ずることならん、との、スウェーデン王国軍人の気迫を示して余りある。

 自衛隊でも「ハチヨン」と呼ばないときはまれに「カール」と呼ぶこともあった。演習などで、こちらの突撃成功後、逆襲で機動打撃を喰らい敵戦車が出現したというとき、普通は小銃班長が大声に「ハチヨン前へッ!!」と呼ばわったものだが、ここでシャレて「カール!前へ!」と指示する人もたまにいた。

 そんなカール・グスタフ84mm無反動砲だが、ただ、この火器が「だーいすき」……などというような自衛官は、実はあまりいない。この火器を最もよく使用する普通科の隊員は特にそうだ。

 それは、この優れた兵器の唯一の欠点が「クッソ重い……」ことだからだ。日本が購入した型はなにしろ重さ14kg以上もあり、これを前に支えての匍匐(ほふく)前進、ことに夜襲のための「尺取虫の要領」による匍匐前進など、正気の沙汰ではなかった。64式7.62mm小銃が4kg強、62式7.62mm機関銃が10kg強であることを思うと14kgものハチヨンの重さたるや。

 私は特科(砲兵)職種だったからこの火器にはそれほど馴染(なじ)まなかったが、幹部候補生学校では全員が普通科(歩兵)としての訓練を受けるので、この火器を扱う必要があった。私は若い頃に幹部候補生の試験に合格したため、幹部候補生学校では一番歳下で、同期生は皆先輩ばかりだったから、「サトーちゃん、こういうものはさー、やっぱり若い人が持たないとー(はぁと」などと先輩たちから「ハチヨン係」を押し付けられたもので、これを(かつ)いでの行軍など、もう思い出したくもない。ただ、この火器の鬼のような重さを、「こういうのが俺を、ひいては人類を鍛えてくれるんだ!」というふうに受け止めている、糞真面目なマゾヒスト自衛官も一定数いた。私は残念ながら、そういう境地には至らなかったが。

 カールグスタフ無反動砲に比べると、その前の世代の対戦車火器、米軍からの供与をルーツとする「89mmロケット発射筒」は軽く、たった7キロ弱しかなかった。機関銃よりも軽かったのである。

 この火器はカールグスタフ無反動砲より口径が大きく、大威力を誇り、米軍ではその名も(しる)く「スーパーバズーカ」と呼ばれていた。カールグスタフ無反動砲と比べるとそんなに様々な弾薬を扱えるわけではなく、対戦車戦闘一辺倒の火器ではあったが、無反動砲とは違ってロケットを発射するものなので、発射筒自体は簡素なつくりで、むしろ弾薬のほうに妙味があった。弾薬そのものに高威力の特徴があり、当時の政府はソ連の大機甲部隊が北海道に上陸することを恐れていたから、自衛隊の教範(教科書)にはこのロケット弾薬だけを木の股に(とい)(ささ)え付け、電線を使った罠で発火・発射させる「対戦車ブービートラップ」の作り方まで載っていたものだ。

 私は10代から20代前半まではこの、軽量の89mmロケット発射筒で訓練を受けていたので、幹部候補生になる直前に導入された84mm無反動砲で幹部候補生学校の訓練を受けたときには、その重さに本当に辟易(へきえき)した。

 スウェーデンの国名をネット上に見ると、国王陛下の名と昔の思い出を、そんなふうに際限もなく思い出す。

無反動砲の怖さ

 「ハチヨン」こと、カール・グスタフ84mm無反動砲について、「唯一の欠点はその重さだ」などと書いたが、他に、この種の対戦車火器に共通の欠点も勿論あることを忘れていた。「後方爆風」(バックブラスト)と呼ばれるものがそれだ。

 戦車のような強敵を撃破するには、高速の弾丸をぶつけて撃ち抜くか、火薬の高熱噴流や爆発の衝撃を応用した特殊な弾頭で破砕するか、大容量の地雷で爆砕する、あるいは火炎瓶などの手段で外部の装備やエンジンルームを焼き払うか、丸太などを履帯(キャタピラ)に突っ込んで動きを止め、肉薄して主砲の砲口に手榴弾を突っ込むなど、相応の戦い方をしなければならない。高速の弾丸をぶつける方法だと大がかりな砲が必要で、歩兵が担いで持ち歩くことはできない。特殊な弾頭を用いる場合はロケットやミサイルによって発射するか、ここでいう「無反動砲」で撃ち出すかだ。無反動砲というのは、前方に特殊な弾丸を発射する際の反動を、後方に同エネルギーのガスを噴出することにより相殺し、歩兵が携行したり、ジープや小さい装甲車に積んで発射できるようにしたものだ。

 砲の後方に致死的なガスが噴出することは、対戦車ミサイルでもロケット発射筒でも全部同じなのだが、無反動砲のそれは特に強い。「無反動」というが、これは「リコイルレス」という言葉の直訳であって、全然無反動ではなく、実際に射つとガツンと肩に来るし、発射音もすさまじい。とりわけ後方爆風の強さは並大抵ではない。

 どれくらい強いかと言うと、後ろにいる人が、死ぬ。

 「そんな大げさな」と思うかもしれないが、本当に死ぬ。

 その昔、わが盟邦大韓民国陸軍がカール・グスタフ84mm無反動砲の導入を検討するため、供試購入したものによる試射を行った。北欧の名兵器を仔細に検分するため、熱心な大将がそばでよく見ようとすぐ後ろに立っていたそうである。

 当然、部下の将兵たちは、「閣下、危険ですから、どうか横の離れたお席でご監督下さい」と(いさ)めたのであるが、大将閣下は「やかましい!」と一蹴(いっしゅう)したそうな。

「甘く見おって、キサマら弱兵どもにアレコレと指図をされるようなワシではないわっ! 朝鮮戦争以来、ワシの体には今も7カ国の弾丸が入ったままになっておるのだッ、ワシは不死身じゃ! この胸に輝く保国勲章統一章は伊達(ダテ)ではナイッ!! これしきの対戦車砲の後方爆風など、屁でもないわッ!!」

 ……などと言ったかどうかは私の脚色だから本当のところは定かではないが、旧日本陸軍の直系の子孫と言われるほど厳しいことで知られる大韓民国陸軍であるから、上官の言うことは絶対で、まして将官ともなればその(げん)は神託にも等しい。だからこれくらいなやり取りは多分しただろう。

 やむなく、そのままの態勢で、試射の指揮官が「撃て(テッ)!!」と号令した。

 対戦車榴弾は狙い(あやま)たず前方の標的を爆砕し、後方の大将閣下もまた、即死あそばされた。

 まあ、これはだいたい本当の話だ。

 別談。私は幹部候補生学校の演習で敵戦車の逆襲に()ったことがある。84mm無反動砲手を(つと)めていた私に、小銃班長役の同期が間髪を入れず「ハチヨン前へ! 前方空際線(くうさいせん)手前を横行(おうこう)する敵戦車、距離300、対戦車榴弾1発、各個に撃てッ!」と立て板に水の命令を下したものだ。私も素早く立て膝となってハチヨンを構える、弾薬手が「装填(そうてん)よーし!」と叫びながら合図に私の鉄帽(ヘルメット)を軽くど突(ドツ)いて腰に抱き着く。砲手の腰に弾薬手が抱き着くのは、照準を安定させ、また衝撃で転倒して怪我をしないようにするためだ。無論、演習だから弾薬は実弾ではないが。

 班長が「そこの後ろの奴ら、さっさとどけーッ」と怒鳴る、私が命令を復唱して「リード2ッ!!」と付け加え、カチリと引金を引く、1尉の教官が横からのぞき込んで照準が正しいことを確かめ、「命中、敵戦車炎上停止ッ」と状況を付与する。私も班長も、やった、と(つか)の間安堵(あんど)したのだが……。

 教官は、ニヤリと笑って(おもむろ)に後ろを向き、「なんだお前ら!! そこにいる連中、全員戦死だっ!! お前もじゃ、お前もお前もっ!! なにやっとんじゃああ!」

 班長がどけと命じたのに、弾込めも射撃のタイミングもあんまりにも速かったものだから、全員逃げ遅れ、そこに伏せただけだったのだ。

 私達の班はほとんどが「無反動砲の後方爆風による戦死」と判定され、罰として腕立て伏せ100回と、銃を肩に乗せてのかがみ跳躍を50回ほどもやらされた挙句、さんざんに怒鳴られたのだったか。勿論(もちろん)、心ならずも騒ぎの原因になってしまった無反動砲手の私は、銃の何倍もの重さがあるハチヨンを肩に(かつ)がされてのかがみ跳躍だ。死ぬかと思った。

 その後、攻撃発起位置(スタートライン)まで下がって、攻撃のやり直しをさせられた。キツかった。

 無反動砲のバックブラストは、それぐらい、キツい。

スウェーデンのYouTuber

 前に、スウェーデンのYouTuber、トービョルン・オーマン氏のチャンネルについて書いたことがある。

 スウェーデンは新コロの惨禍がことのほか(ひど)く、苦労したものらしい。そこへこの政治や軍事の大変化だ。一般の人々はどうしようもなくそれらを受け入れざるを得ないことだろう。ましてスウェーデンは徴兵制の国だ。

 人々の幸福を祈っている。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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