誕生日所感

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 今日は自分の誕生日である。昭和41年、丙午生まれ、43歳。

 立派な心がけで送っている人生ではない。二・三の憎しみや気がかりはいつもある。だが、多分、私などかわいらしい部類に入るだろう。

 私は若い頃のほうが寛容で善人であった。その理由ははっきりしている。経験不足を呪って抹香臭い本など読みすぎたからだ。そのために随分損をし、侮られる原因を自ら招いた。汚れた世の中を呪って無軌道に走るのは若者の特権らしいが、若い頃の私は狂った笑顔を面貌に貼り付け、世の中は美しいと言い、勝手な自制と規律の中にいた。

 人間、年を経れば世の中が美しく見えるようになるものらしいが、今の私は逆である。はっきりと汚れた世の中を憎むことが出来る。臆することなく人を憎み、そのうちの3人か4人など、死ねばよいと思っている。しかもその理由が理由になどなっていない。嫌いなだけなのだから、実に気分が良い。

 30歳は大人の10歳、40歳は大人の20歳であるという。我ながらまったく幼い23歳であることだ。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.62

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 練習に緊張感を入れるため、ビデオにとり、Youtubeに上げて遊ぶ。

 少々ミスタッチが多いが、まあいいや。更に練習ッ。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.61

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 休みである。

 家内は朝から出かけている。

 「エリーゼのために」を練習する。

 次女のピアノの先生に教わった「『部』ごとに反対向きに練習」をやって、2回ぐらい弾いた。その2回目。

 ミスがみるみる減ってきた。

年号の表記がわかりにくい

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 先ほどニュースを読んでいたら、
  ↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090929-00000080-mai-bus_all

 ・・・文脈中に

「HVを持たないマツダはガソリンエンジンの燃費性能を追求。「清」をベースにした小型車を10年代前半までに発売する方針だ。」

などと、平気で書いてある。どうも最近こういう記事が増えてきた。ナニがおかしいかって?「10年代」ですよ、10年代。約10年前の平成10年からの10年間のことかと思った。先だってなどは、別の何かの記事で「9年度」とあって、一瞬とまどった。

 もちろん、「ああ、『10年代』と言うのは、おそらく2010年代のことであろう。無論、『9年度』というのは2009年の年度であろう。」と想像はつく。この程度ならまあ、寛容しよう。だが、簡単に想像がつかない記事もたまにある。以前など、昭和30年代の話と、太平洋戦争前の世界恐慌の話がゴッチャ混ぜに書かれた新聞のコラムを読んで、反吐が出そうになった。西暦の30年代と昭和30年代が、なんの断りもなく記事中に混在するのである。

 日本は元号を用いる国だ。新聞やマスコミも、基本は元号で年号を記すべきだ。

 「2010年」に「西暦」を冠せよとまでは言わない。だが、2バイト文字で「10」なんて書くなら、「2010」だって嵩は同じはず。だいたい、4月始まりのいわゆる「会計年度」なるものは、元号を使用するべきではないか?

 結婚式を教会でやるなとか、そんな偏屈なことを言うのではない。西暦は宗教色が強いなどと言えば「そんなことを言うなら、元号だって国家神道の総本家、皇室・皇統がよりどころでしょ」と反駁されることもよくわかっている。いや、でも、キリスト教なんてものは侵略宗教なんですがね。おっと、脱線しちゃいかん。

 ややこしいでしょうと言いたいのだ。

 西暦で書きたいときは、よりわかりやすくするため、4桁で書くべきである。百歩譲って、和暦で書くときは必ず元号を接頭する、としてもよいが、もしそうするなら、西暦で書くときは必ず「西暦」と接頭しなければならない。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.60

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 次女のピアノの先生に教わったとおりに何度か練習した。(前回のエントリ参照)

 そうして5回目くらいの演奏がコレ。

 多分ミスタッチしなかった、と思う。

 やった!! 

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.59

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 休みであるから、朝からせっせと練習に励み、都合31回、ビッチリと練習した。だが録音を残すような成果は得られず。

 月曜は次女のピアノのレッスン日である。今日は月曜、私が休みであるので、レッスンへは私が連れて行った。

 これは幸いと言うものだ。レッスンが終わってから、次女のピアノの先生に聞いてみる。すなわち、

「ワタシは今年の春から徹底、『エリーゼのために』を練習している。もうカレコレ半年はこればっかり弾き続けている。500回か600回は通し練習をしているハズ。だが、どうしても2~3のミスタッチがなくならない。スロースピードで弾いたり、いろいろやってはいるのですが。どうしたらいいでしょうか。何か良い練習方法はないでしょうか。」

 得たりと先生、実によい助言を下さった。

  •  逆から練習

 間違えるところの原因は、間違えるところの前にある。間違えるところから初めて、フレーズごと、あるいは小節ごとに、逆向きに遡って引いてみるのが良い。また、音符を逆から弾いてみるのも研究になる。ただ音符逆向きはいささかむずかしいが・・・。

  •  間違えるところを中心に練習

 間違えるところ1小節を弾き、次にその前後の小節とあわせて3小節ほど弾く。同様に前後の小節を増やしていきながら弾いていく。間違うところが重点になって、この練習は効く。

  •  後ろのページから練習

 後ろのページから曲の区切りごとに逆に弾く。これをやると、曲の後のほうに重点がいき、たとえば本番で弾くときに、後に近づくほど得意なところになってラクになるという効果がある。

  •  音名で歌う

 間違うのは結局正確に記憶していないことが原因の一端にある。そこで、音名で歌うことを繰り返すと間違いは減る。実際、間違うところを音名で歌おうとすると、歌えないことが多い。
 (但し、『ゲッ、私、ほとんど全部、音名なんて覚えてないッス』と言ったら、『あー、大人の人はそうなっちゃうんですよねえ。やむをえないですけどね』とのこと。)

 ・・・なぁ~るっほっどっ・・・さすがはプロの先生ッ。コレだっ。

 帰り際、「近いうち一度、単発で稽古をお願いしたいのですが」と申し出ると、笑って「じゃ、親子割引で」と快諾くださった。

 帰宅して早速、曲の区切りごとに逆に弾いたりなどしてみた。ぬぬぅ、これは効くぞ!!

サイボクハム

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 埼玉県日高市にある「サイボクハム」というところへ家族で行った。高速を使えば、私の家からは遵法運転で1時間半ほどだ。私は民主党なんか嫌いだが、高速道路の安いのにはすっかりお世話になって恥ずかしくもない俗人だから、ありがたく高速で行く。

 「サイボク」とは埼玉と牧場の略であるらしい。看板やパンフには「埼玉種畜牧場」とある。豚肉を中心とした食肉加工業である。

 ハムやベーコンの直販と、米・野菜などの農産物の販売をやっている。激安と言うほどではないが、なかなか品質が良い。今はもう牧場は他所に移転したらしく、やっていないようだが、子供公園で3頭ばかり、豚が飼われていて愛嬌を撒いており、少し頭をなでてやるくらいのことはできる。大きな食堂ではかなりボリュームのある豚焼肉が食べられる。私のように、夫婦と小学生2人の4人家族なら、3人前でちょうど良い。また、広い敷地内にはパークゴルフ場や陶芸教室があり、多くの人が楽しんでいる。

 なにより、移転した牧場の跡に清潔な温泉場がある。昼飯を食べたりフロに入ったり買い物をしたりで、まず半日は楽しく過ごすことが出来る。

 サイボクハムから車で12~3分のところ、入間市内にアウトレットモールがある。つくりが以前に行ったことのある佐野市のに似ているから、同じ企業が運営しているのだろうか?そこに立ち寄り、ブランド品をひやかして帰った。

酒が旨いのも如何なものか

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 よく飲む。

 酒量を誇ってうれしい歳でもない。むしろ酒量を控えたり、「カミサンに酒を隠されちゃいましてね」などと言ってみたりするほうがチト滑稽なシブいめの自慢になるだろう。

 だが旨いものは仕方がない。

 こう虫の声が響くと、夜が長くなってくると、どうしようもないのだ。

 昔持っていた開高健の「シブい」というハードカバーの初版本には、「まれにウィスキーを冷蔵庫に冷やしておくと言う仁を見かけるが、あれは大変聡明なやりかただ」というようなことが書いてあったように記憶する。

 私も若かったから、当時それをそのままマネしたものだ。だが、あまり旨いと思わなかった。青二才だったから、水で薄くなったウィスキーじゃないとダメだったのだ。氷にぬるいウィスキーを注げば、氷が解けて中途半端な水割りみたいな味になる。そのほうが旨いと思っていたのだ。

 ひとりの頃は、分不相応に高い酒をマズい飲み方で飲むようなアホなことばかりしていた。味も分からぬクセに、恥ずかしい自分だったと思う。ワイルドターキーだのメーカーズマークだの、中曽根内閣からあと、税制が変わる前、1本1万円もするようなものを、怪しいスナックで不味い氷に注いでもらって、今思えば爆笑もののツラで呷っていた。

 今ドラえもんかSFか魔法か、なにか天変地異でもあって、当時の酒場に突如降り立つことが今の私に許されたなら、そして都合よく私の手にコルトかスミスアンドウェッソンでも握らせておいてもらえたなら、躊躇なく全装弾数を若い自分に撃ち込むだろう。

 自宅の冷蔵庫で冷えているのは、無論そんなエエカッコシイの酒ではない。近所の薬局兼スーパーで買いこんできたものだ。小遣いで買ったに決まってますよ、ええ。サントリーに決まってるでしょ、問うまでもなく。いや、普通角瓶か「富士」でしょ。・・・角瓶買うくらいの見栄はまだワタシにもありますよ。

 それにしても、なんでこんなに角瓶は旨いのだ。

ピアノの練習を始めて3年が経過した。

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 ピアノの練習を始めて3年が経過した。

 この時ちょうど40歳である。

 1年後にはバイエルを概ね8割ほど弾き終わっている。だが、ここからが長かったなあ・・・。

 2年後に最終曲、バイエル106番に取り掛かっている。その後、1ヶ月ほどかかってこの曲を弾き終わった。

 それにしても、その後1年間、新しく弾けた曲のなんと少ないこと。ちゃんと弾けたのは「トルコ行進曲(連弾用)」「半音階のポルカ」の2曲のみ、今弾きかけている「エリーゼのために」を入れても3曲だ。

 以前にもましてますます練習は強化しているのだが・・・。上達度がさながら対数関数状に頭打ちになっていく。

 だがそれでメゲる私ではない。

 時間が私に味方をする。私は時間を味方に付けることができるようになった。困難だったり出来なかったりしたら、時間をかけて何度でもやればよい。

 子供の頃や若い頃は、時間は私の敵だった。永遠の長さに思えるような時間が行く手に横たわっており、それはさながら、地平線の果てに吸い込まれて消える、北海道東部地方の道のように感じられた。歩き始める前に見ただけでため息が出てしまう。嫌なことや出来そうもないことを延々と我慢し続けることは、苦痛以外の何ものでもなかった。

 そんな時はとりあえず目標を無視して歩き始め、そして歩みをやめずに続ければいい。小さい頃から誰でもがウサギとカメのイソップ寓話を聞いて育っているはずだ。ところがどうしたものか、私の周りの大人たちは、やっと歩き始める決意がつきかけた私の前髪をぐいと引っ張り上げ、ムリヤリ目標を見せ付け、そして、「目標のない者などクズだ!」と叫んで、やっとこさつくかつかないかの私の決意の芽を粉砕してしまうのだった。

 今の私は、目標のない者がクズなら、歩き始めていない者はクズ未満、カスかウンコであることを理解している。時間を味方に付けたいなら、前を見ず、足元を良く見て、まず歩き始めてみることだと思っている。遠すぎる目標に嫌気が差すなら、目標なんか持たないことだ。

応用曲「エリーゼのために für Elise」その0.58

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 休暇が始まったばかりである。

 朝から「エリーゼ」の練習に励んだが、なかなか気に入った演奏はできない。今週は仕事で4日ほど家に帰らなかった。練習できなかったのは、そのたった4日ほどに過ぎないのだが、あっという間に練度が低下してしまう。

 朝からバイエルのおさらいをしつつ23回「エリーゼ」を弾いた。その20回目くらいのがコレ。

 ・・・う~ん・・・3回ほど前のエントリの演奏のほうが、ちょっとマシかなあ?・・・。

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