晩めしの
まだまだ雪も降ろうかと言う厳寒の
そんな浮ついた気分で大急ぎ、いつものバランタイン、924円で
まだ日も高いが、せめて光る杯、
オッサンは生きている。
晩めしの
まだまだ雪も降ろうかと言う厳寒の
そんな浮ついた気分で大急ぎ、いつものバランタイン、924円で
まだ日も高いが、せめて光る杯、
晩めしの
蒟蒻のぷるぷる熱々のところに溶き
晩酌はやはり、
私は数年前に「ITストラテジスト」という資格をとった。経済産業大臣が出す国家資格だ。ITに深くかかわる仕事をしていたので、テスト勉強を通じて、ひとつ自分の知識に磨きをかけてみようと思って受験したのである。
なかなか難しかったが無事合格し、関係者コミュニティの「日本ITストラテジスト協会」というところにも顔を出している。日本ITストラテジスト協会に参加するようになったのは、仕事の幅を広げようとも思ったし、定年が近いので、再就職のヒントを得ようと思ったこともひとつある。……年金貰えるまで、働かないと生きていけませんからね(苦笑)。
ところで、以前からWikipediaの「ITストラテジスト」の項目には
引用;
「IT系の資格では唯一、弁護士、公認会計士、医師、技術士等と並び、厚生労働大臣によって「専門的知識等を有する労働者」に指定されており、労働基準法において特例扱いの対象となる。」
……とあって、この資格もなかなか大したモンではあった。ただ、これは旧システムアナリストからの置き換えでそう書かれていたに過ぎないきらいがあり、従来ははっきりしていなかった。
ところが、先日、厚生労働省のサイトを見ていると、こんな告示があった。平成27年3月18日付とあるから、去年の春の告示だ。
これらの告示には、キッパリ「ITストラテジスト」が挙げられている。しかもなお、それこそ唯一、情報処理技術者試験で挙げられているのはこれだけだ。
えっらいこっちゃ……。
医者やら博士やら特許持ちやらと同列になっているではないか。
いやまあ、この告示は、「専門家は非正規でも5年雇ったりもっと長期雇ってもいいよ」という法律の細部定義なので、手放しで「わーい、俺ってすごいや」と喜ぶようなことではないのだが、だがしかし、なんとなく偉くなったような気になるのも一種の人情だ。
すなわち、車検で、近所のトヨタへ愛車ラクティスを預けてあった。それが仕上がったので取りに行った。5年目なのでタイヤに
その帰り、ついでにガソリンを入れに行った。ニュースなどから認識はしていても、いざ自分でお金を払ってみるとあらためて驚く。ガソリン単価1リットル98円。
ここ数年油が高かったこともあって、車の燃料計が下を指していてもどうもさっさと油を入れる気になれず、ついついタンクは空に近いことのほうが多かったのだが、今日は満タンにするのがなんだか嬉しいではないか。得をしたような気になった。
経済専門家に言わせれば原油安は手放しでは喜ぶようなことではないということなのかも知れないが、生活者にとってはモノが安けりゃ単純に嬉しい、というところだ。
珍しく長女が読め読めとすすめるものだから、どちらかというと億劫ながらも、という感じで読んでみたのだが、
「もち……?」というところが最高に面白かった。それから、妄想部の部活動風景が
面白いんだけど、なんっか、地味ぃ~に暗いのと、「ああ、こういう心の動きの時って、俺も中学生ぐらいの頃、あったよなア」などと思わせるところがあり、秀逸だ。
もともとはこの漫画、「トーチWeb」というリイド社のWebマガジンで連載されていたものらしい。物理本の他に、Kindleでも読める。
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha (季語は「日脚伸ぶ」)
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha (季語は「雪女郎」)
文語体で書くときの現在推量の助動詞に「らむ(らん)」がある。
「今まさにこうであろうなあ」という場合に使う助動詞で、私などは俳句を
松茸の土やかの空青むらむ
(https://satotoshio.net/blog/?p=2893)
この松茸のとれたところの、空が今ちょうど、青くなってるんだろうなあ、と思ったので、即吟、そのまま詠んだのだ。ちなみに、似た働きを持つ助動詞に「けむ」がある。これは「過去推量」だ。「多分、これ、こうだったんだろうなあ」という時に「けむ」を使う。
老母さぞ舞ひけむ祇園囃子過ぐ
(https://satotoshio.net/blog/?p=1488)
これは夏に詠んだ句だ。祇園ばやしを昔舞ったものなんだろうなあ、と思ったので、そのまま詠んだのだ。
ところで、過日、憎んでいる人物について文章を綴っていて──いや、私だって、嫌いな奴、許せない奴はいますよ、社会に生きるおっさんですからね──その人物のことを「けしからぬ奴」と書いてから、ふと、筆が止まった。
これは、多分間違っている。
「けしからん」の最後の「らん」は、現在推量の「らむ(らん)」ではなかろうか。
おそらく、「けしからん」は、「
そうすると、最後の「ん」は、否定の「ぬ(ん)」ではなく、「む(ん)」である。音読するときにはどちらも同じ「ん」でも、「ぬ」と「む」では意味が違うのだ。
「けしからん」という言葉で「けしからない(けしからず)・けしかって・けしかる・けしかれば……」などと活用を試みると、これはもう直覚的に「そんな活用はナイ」ということがよくわかる。「けしからない」なんて言い方はないのだから、文語的な「けしからぬ」というのもないはずだ。そこからも、「けしからん奴」の「らん」は、現在推量の「らん」だろう、と思われるのだ。
ただ、ではというので「けしからむ奴」と書いてそれが通るかと言うと、通るまい。こういう書き方も見たことがない。だから、正しいのはやっぱり「けしからん奴」だろう。
他方、池波正太郎の小説など読んでいると、「けしからぬ…」という使い方がよく出ていたように思う。
それで通るなら、まあ、それもアリかな、と思う。大小説家にしてはじめて許される、愛すべき言葉の芸と言える。こういうのは可なのだ。
だがしかし、私にはそれは許されまい。やはり、私如き辺りは、「けしからん奴」と書くのが良い。