じゃかましいわ、この糞アカが

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 じゃかましいわ、この糞アカが、テロリストの、人殺しめが!!

 (つぶ)れてしまえ、この非国民の、似非(エセ)政治家どもめが……などと悪態の一つもつきたくなるが、しかしまあ、()狂惨盗(きょうさんとう)といっぱ、昔からこのとおり一貫してスジは通している。ずーっとこの調子だもんな。

 共産主義者たるもの、これからも永久にこういうアホンダラな反対を続けてくれ。そうでないと日本の国柄の多様性、懐の深さや冗長性が薄れてしまい、まるでつまらない沈滞国家に腐り下がってしまう。

 こういう連中もいないことには、面白くない。

狼狽連合

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 「希望の党」こと小池新党の、条件付き民進党議員受け入れで連合が慌てている。

 面白(オモシレ)ぇ。

 「おかしい」(神津里季生)も何も、そんなもん、小池の勝手だろうよ、ハッハッハ。もっとやれ、エエぞ小池。暴れろ。

 ひょっとするとこれは、巡り巡って「連合潰し」に繋がるかもな。

 昔、国鉄の民営化で国労組はとどめを刺されてズタズタになり、その功績をもって中曽根康弘は後に大勲位となった。

 いやまあ、共産主義者や社会主義者だって多少はいていいけど、あいつらはちょっと力をつけると、ロシア・中国・北朝鮮なんぞと通謀(つうぼう)して悪事を働きだすからなあ。雑草みたいなもんだから、潰してしまうくらいでちょうど適度に生き残る。だから、連中は弱れば弱るほどいい。それが国のためだ。労組が結局のところ共産主義へ傾くことは、どうしたって否めないんだからさ。アカなんざ人殺しと一緒だ。

 かたやの小池百合子は、ちょっと前、防衛事務次官を大(ナタ)で切り捨てるという荒業を見せつけたものだったが、まず、それぐらいの力があるな。しかもクビにしただけじゃない、刑事裁判に引きずり出して犯罪人にし、返す刀で守屋武昌の女房や娘までズタズタに葬り去ってしまった。官僚一人クビにしただけだろ、と言ってしまえばそれまでだが、いやいや、相手は普通人じゃあない、政治家なみの、指定職の官僚だからね。さればこそ、小池百合子の力量たるや。

 連合潰しで名をはせるのは、ハテ、誰でしょうなア。小池氏本人か、そこへ繋がる後の歴史か。キシシシシ……。

まあ、怒らせれば勝ち、みたいなことか

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 ……あー、なるほど。こういう奴ね……。ウラを感じる癖のついている私は、新聞に出た時から所詮はこういう方向だろう、とは思ってたけどな。

 まったく、ブン屋はまだしも、「ジャーナリスト」なんて連中にロクなのはいない。都知事選で晩節を汚した鳥越何某(なにがし)なんてのだって自ら称して「ジャーナリスト」なんだから。むしろ鳥越何某なんてのは「タレント」と言った方がいいし、この西中何某など、記者などとは言うも愚か、「活動家」でしょ。

 まあ、大臣も、ウブというか、御気の毒ですよ、ついこんなカスの挑発に乗っちまって声を荒げた、ってのは。ここはスルーしてほしかったなあ。馬鹿にまともに向き合ったってダメなんだから、ホント。忠実で言いなりの官僚に取り巻かれて日々を過ごしてると、全能感が出てきてしまって、「声を荒げりゃアイツなんか馘首(クビ)」みたいな感覚が身に付いちゃってね、こうなっちゃうんですよ。老人は特に、ね。

 思うに、カメラ回ってる時には何を言われようと柳に風というのがいいんでしょうね。何重にもチェックされた文章やデジタルメッセージで発信していくというのが、まあ、安全で新しいかもしれない。

 つくづく、今日び、ライブの言葉のやりとりなんて、もう、ダメだと思うな。不毛だよ。記者会見なんか、ブログでいいよ、もう。

 テレビ屋が切り刻んで編集しまくった映像だって、まるで今村大臣を不要物か害毒みたいに見えるような嫌な感じにしてるでしょ。

 まあ、吹けば飛ぶようなゴミ活動家にとっては、凱歌の上がる「勝ち」でしょうねえ、今回は。

リベラル

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 リベラル、というのは本来自由で物にこだわらない、闊達な立場の事を言うはずだったが、この言葉の日本的な定義はもはやガタガタに変質してしまっている。

 いまやリベラルというのは、それを標榜する人々の高齢化に伴い、コチコチに我流と狂信に凝り固まり、裏から工作し、決して異論を受け付けぬ老朽性格、全体主義的性格、独裁礼賛者の定義になり果ててしまった。

 もはやリベラルの中には自由もなにもあったものではなく、ただただ、ひたすらに屈従するだけの奴隷的人生のみが残滓(ざんし)となって浮きつ沈みつしているに過ぎない。

図書館の(そば)でデモすんな!

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 昨日、国会図書館で調べものをした。

 昼過ぎ、突然、図書館のすぐそばで政治活動のデモが始まった。図書館の窓ガラスがビリビリ震えるような大音量だ。国会図書館は国会議事堂と道路を挟んで北隣にあるから、モロに響いて来るのだ。

 迷惑である。うるさい。絶叫しているから音が割れて内容なんかわからないし、しかもそれが延々と続く。

 閲覧室で静かに調べものをしている人たちの間から、嫌なため息が出はじめた。誰に文句を言う事もできない。窓のそばの人たちは耳をふさいでいる。

 外に出てみたら、大きなコーン型のスピーカーを、こともあろうに図書館の窓に向けて、ガミガミと何か訴えている。

 政治的なことを訴えるのに、なんで図書館にスピーカー向けるんだ。

 デモの内容は何か、現政権を許さないとか「アベ死ね」とかそういうことで、私の気持ちにはなじまない。だが、それはいい。何を言おうが、主張しようが、それは自由と言うものだ。私のような右翼のオッサンと考えが違うことは、問題ではない。むしろ、どんどんいがみ合っていきましょう、とすら思う。そのほうが意見がぶつかり合って、十分議論が尽くされ、世の中が良くなるとも思うからだ。

 だが、こっちは整斉粛々と投票に行って、代議士に法律を作ってもらっているわけだ。それを、力と勢力で、しかも図書館に大きなスピーカーを向けて、勉強したり、調べものをしたりしたりしている人たちに不愉快・不快な圧力をかけ、騒音で耳をそばだたせようなどと言うのは、迷惑以外の何物でもない。

 うるさいので、「迷惑だ、うるさい」という気持ちの方が勝ち、腹が立つものだから、彼らが主張する内容にはまったく興味が向かない。参加団体の幟が乱立していたが、なんだか、よく知らない、いかにも暴力活動集団みたいな文字列が染め抜かれていたので、見たら因縁を付けられるのではないかと思い、見ないようにしたから、よくわからない。

(帰ってから確かめると、どうも、このデモだったようで、立っていた幟は何かの労組関連の幟だったように見えたが、よく覚えていない。)

 デモをするなら、もっと南側の、溜池に近い方でやればいいじゃないか。両院議長公邸や、官邸、総理府だって、ソッチにあるでしょうが。そういうことは政治家に言えよ。図書館の窓にスピーカーを向けて怒鳴り立てるなんて、非常識だろ。

 図書館を出て、赤坂の蕎麦屋へ行こうと思って議事堂前を通ろうとしたら、警備中の警察官に「議事堂前はデモで混雑していまして……。遠回りで申し訳ないですが、行って途中で引き返すことになるというのもお気の毒ですので、迂回していただいたほうが結果的に速いと思いますが……。」と言われた。デモに自分の普段の行動を邪魔されたわけで、それでますます腹が立った。

 これでは、「考えが違っても、ひとつ、聞いてみてやろう」という気になんか、ならないではないか。この連中も、「私たちの言う事を少し聞いてみてください」と、ハナっから思ってないのと同じではないか。話を聞いてもらえるような行動と態度を全くとっていないではないか。聞いてほしければ、聞いてもらえる行動をすべきなのじゃないのか。少しも聞いてもらおうという態度をとっていない者が、あべこべに「アベ一派は人の意見に耳を傾けようとしない!」などと、一体なんの戯言(たわごと)だと思って、無性に腹が立った。

飛燕とダイバーシティ

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 あることへの、ある人の感想がやり玉に挙がっている。

 上の記事に対する、まあ、どうでもいいような無名の人の、ボソッとしたツイートが右なのだが……

 これがもう、えっらい炎上っぷりである。

 私は頭の悪い好戦右翼だが、しかし、どうも、この「きむらとも @kimuratomo 」なる炎上元の人を叩く気にはなれない。

 この「きむらとも」という人に、何か、未熟で(かたく)なな、小学校高学年の生意気な女の子のような感じを覚えるからだ。

 この人が唾のように吐いて捨てた感情は、「人間は戦争をする。だから人間は気持ち悪い、許せない。人間など滅びてしまえばよい。諸悪の根源だから」というのとかなり近いと思う。

 だが人間は、間違ったことをしながら良いことをする。人殺しが慈善活動をする例、篤志家が人を殺す例、そんなものは掃いて捨てるほど世の中に転がっている。

 悪事を働きながら、罪を犯しながら、だがその一方でまた人を思いやり、愛する、恋する、それが人間というものだ。人間は両極性を持っている、(など)と述べたのは確かユングであったか。両極性と言ってしまえばとらえやすいが、その実、極と極の間には、分別のないグラデーションのような中間帯があり、これはすべて連続している。無限の多様性が一人の人間の中においてすら、捉え切れないほど、ある。

 そんな多様性を持つ一人の人間が、1億、10億、50億と束になればどうだろう。彼らは、虐殺しながら、戦争をしながら、原爆を開発して炸裂させながら、それにもかかわらず、もう一方の手で人を愛し、神を畏れ、徳を磨き、世界を発展させるのだ。その多様性はもはや評価も批判も拒絶していると言わざるを得ない。

 大日本帝国が戦争の末期近くなって開発・投入した、この「三式戦闘機・飛燕」だって、現代の私達から見れば人殺し機械の相貌を持っていながら、実は一方では無辜の民を殺戮する悪魔の重爆撃機・B-29を打ち払ってくれる愛の帚木(ははきぎ)だったかも知れず、また同時に、立場を逆にすればその真反対、愛する夫や父が正義のために操縦するB-29に楯突く、悪魔の機械であったかも知れない。同じ機械が愛でもあり悪魔でもあるのだ。人間それ自身が善と愛であり同時に悪と罪であるように。

 言っては何だが、この人のツイートは言葉のアヤみたいなもので、どうやら医者らしいが、このダイバーシティ礼賛の世の中、医者ともあろうものが人間のそうした多様性を深く考えたことがないなどと言うはずはあるまい。きっとそういう思考を深刻に経てきた人であることは間違いない。

 むしろ医者として、これから大成するよう祈る。

ハフポスト

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 「ハフィントン・ポスト」は朝日と連携して日本では非常に浸透した。

 もともとハフィントン・ポストは、米国の保守系サイト「ドラッジ・レポート」に対抗するためにリベラルの人が立ち上げたらしい。

 これを朝日新聞が非常に支持して日本語版を盛り上げているので、まずれっきとした信頼のおけるニュースサイトになっている。

 が、その相手の「ドラッジ・レポート」に相当するものは、日本にはないなあ。ひょっとして「2ちゃんねる」か?いや、別にそれで一向にかまわんけどさ。

目的と手段など

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 災害時に大切なことは、作業着を着こみ、額に汗をして働き、困っている人を助けるということである。

 只々(ただただ)只管(ひたすら)、救助これあるのみである。

 屁理屈や不平、非難、誹謗、批判などは全く必要でない。もっと言うなら、駆け引きも人気取りもいらいないし、スーパースターのようなものは出る幕ではない。

 しかるに、そうした悪しき色彩のなんと濃く見えることか。

 災害は決して政治的な表現の場などではない。また、SNSやツイッターで政治的な発言をして楽しむお祭りなどでは、断じてない。

 自分が考えたことを発言するならまだしも、「政治的な発言をリツイートしたりシェアしたりするだけ」というような行動に首肯することは、私はできない。

 例えばある人がSNSにログオンしたとする。その画面がこうした政治的鬱屈に塗りつぶされて見えるのは、そういう性向の人ばかりフォローしていたりFBフレンドであったりするからだと思う。類は友を呼び、さながら陰々滅々のシナジーとなって黒いわだかまりが増殖していくのであろうことは容易に想像しうる。

 常々思うのだが、人間、偉くなってくるとだんだんと手段というものを軽んずるようになる。両手を使って薄汚れて働くよりも、情報だ企画だ管理だと言いたがるようになる。大工より建築士が偉いとするようなもの、基本情報技術者よりITストラテジストが偉いとするようなものである。

 極端な話、実際上もそうなのだが、建築士だけがいても家は建たない。だが、大工だけがいる場合、家は建つ。

 指揮者ばかり5人も6人も集めると、「音楽論」はできるかも知れないが、音楽を奏でることはできない。しかし、バイオリニスト一人いれば、指揮者がいなくても美しい音楽を奏でることができる。指揮者の目的は人が聴く音楽にあるのだが、指揮者だけでは音が出ないのである。

 ヘッドクォーター不要論を唱えようというのではない。指揮者や企画家、経営者でも政治家でもなんでもいいが、そういう者は、自分の活動が何によって支えられているかと言うことを忘れてはならぬということが言いたいのだ。

 トルストイは「イワンのばか」で、「頭を使って働くことが大切だ」と主張する悪魔を頭を下にして塔から転落させて見せた。無知蒙昧な農民たちは、ゴツンゴツンと頭を打ってひどい目にあう悪魔をさして、「ああ、頭を使って働くって、こんなひどい働き方なんだ、俺はごめんだね」というのである。愛あるトルストイは、頭を使って働くことこそ至上であるとするような考え方の愚かさを、文学上こうやってこき下ろして見せた。

 こう筆に従っていくと、さながら共産主義者めいてくる。どっこい、私は共産主義者ではない。トルストイの貧者へ注ぐまなざしのやさしさは、しかし、彼が実は貴族の息子であるということもあずかって大きく影響している。だからあそこまでコテンパンに悪魔を痛めつけてみせることが、自虐として許されたのだ。

 ともあれ、災害をネット祭りみたいな変なもののタネに使うのはよした方がいい。文字列には力があるが、文字列だけでは頭を使って働けと言ったトルストイの悪魔と同じだ。トルストイが悪魔に仮託した自虐によって表現したように、偉い人、企画家、管理者、政治家、経営者、そういう者にしてはじめて許される自虐によってこそ、手段のない、働きのない無為の知性が防がれる。

ローマの休日

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 先週家族と買い物に行ったとき、最近よくある著作権切れ映画の激安DVDが本屋のワゴンに並べられており、見るともなしに見ていたら定番「ローマの休日」もそこにあった。

 いつもならスルーなのだが、290円と言う値段もあり、なんとなくヒョイと買った。

 パッケージをぼんやりと眺めていたら、「脚本:イアン・マクラレン・ハンター、ジョン・ダイトン、ドルトン・トランボ」とある。

 えっ、なんだって?トランボ!?

 トランボというと、反骨の脚本家で有名だ。共産主義者だから私とは相いれないが、だが、その廉直と苦労の人生にはとても魅力がある。もうだいぶ前だが、週刊「ヤング・ジャンプ」連載の漫画、「栄光なき天才たち」に載っていたから知ったのだったか。だがたしか、その頃、名作「ローマの休日」の脚本家がトランボだとは、聞いたことがない。

 ググッてみると、なんと、トランボ死後およそ20年も経ってから、実はローマの休日の脚本はトランボが書いたものだと判明し、名誉を回復されるとともにアカデミー賞が贈り直されたのだと言う。平成5年に判明したというから、私が知らないのも無理もない理屈だ。

 のんびりと見始める。オードリー・ヘップバーンの美しさ。

 15分、窮屈な儀礼に泣き出してしまい、御用医師から鎮静剤を打たれたものの、一世一代大冒険、トラックの荷台に跳び乗って逃げ出す王女。

 18分、睡眠薬でグダグダの王女と新聞記者の出会い。

 24分、困惑するタクシーの運転手と新聞記者。

 27分、だいぶきわどい新聞記者と王女。

 30分、あくまで紳士の新聞記者(笑)。そして皇室は騒動。

 32分、ウソがマズいことになる新聞記者。

 37分、編集長に難詰されるうち、真相に気付いて大慌てする新聞記者。

 57分、けっこう楽し気に下町をうろつく王女。あとをつけつつ、逆にオロオロしはじめる新聞記者。スイカ持て余してるのが変。美容院。

 70分、ライター仕込みのカメラ。コロシアム。

 75分、王女様バイクで暴走。警察騒ぎ。

 78分、真実の口。

 83分、船上パーティ。

 88分、黒づくめ殺到、乱闘騒ぎ。

 91分、ビショ濡れ、チュー。

 94分、カワイイなあ、ヘップバーン。

 98分、お別れ。

 106分、傑作写真の数々。

 116分、立ち尽くす新聞記者。

ええぞ、言え言えwww

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PHM01_0024 ついにはシロアリ呼ばわり。

 俺も社会主義者や共産主義者なんか嫌いだが、さすがに「シロアリ」とまでは言わんなァ、ぎゃーっはっはっは。嫌われてる者同士、もっと言え、言え、ツブし合えw。