飛燕とダイバーシティ

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 あることへの、ある人の感想がやり玉に挙がっている。

 上の記事に対する、まあ、どうでもいいような無名の人の、ボソッとしたツイートが右なのだが……

 これがもう、えっらい炎上っぷりである。

 私は頭の悪い好戦右翼だが、しかし、どうも、この「きむらとも @kimuratomo 」なる炎上元の人を叩く気にはなれない。

 この「きむらとも」という人に、何か、未熟で(かたく)なな、小学校高学年の生意気な女の子のような感じを覚えるからだ。

 この人が唾のように吐いて捨てた感情は、「人間は戦争をする。だから人間は気持ち悪い、許せない。人間など滅びてしまえばよい。諸悪の根源だから」というのとかなり近いと思う。

 だが人間は、間違ったことをしながら良いことをする。人殺しが慈善活動をする例、篤志家が人を殺す例、そんなものは掃いて捨てるほど世の中に転がっている。

 悪事を働きながら、罪を犯しながら、だがその一方でまた人を思いやり、愛する、恋する、それが人間というものだ。人間は両極性を持っている、(など)と述べたのは確かユングであったか。両極性と言ってしまえばとらえやすいが、その実、極と極の間には、分別のないグラデーションのような中間帯があり、これはすべて連続している。無限の多様性が一人の人間の中においてすら、捉え切れないほど、ある。

 そんな多様性を持つ一人の人間が、1億、10億、50億と束になればどうだろう。彼らは、虐殺しながら、戦争をしながら、原爆を開発して炸裂させながら、それにもかかわらず、もう一方の手で人を愛し、神を畏れ、徳を磨き、世界を発展させるのだ。その多様性はもはや評価も批判も拒絶していると言わざるを得ない。

 大日本帝国が戦争の末期近くなって開発・投入した、この「三式戦闘機・飛燕」だって、現代の私達から見れば人殺し機械の相貌を持っていながら、実は一方では無辜の民を殺戮する悪魔の重爆撃機・B-29を打ち払ってくれる愛の帚木(ははきぎ)だったかも知れず、また同時に、立場を逆にすればその真反対、愛する夫や父が正義のために操縦するB-29に楯突く、悪魔の機械であったかも知れない。同じ機械が愛でもあり悪魔でもあるのだ。人間それ自身が善と愛であり同時に悪と罪であるように。

 言っては何だが、この人のツイートは言葉のアヤみたいなもので、どうやら医者らしいが、このダイバーシティ礼賛の世の中、医者ともあろうものが人間のそうした多様性を深く考えたことがないなどと言うはずはあるまい。きっとそういう思考を深刻に経てきた人であることは間違いない。

 むしろ医者として、これから大成するよう祈る。

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