さて、都知事選は小池氏の当選で決まったようだが、オモロイのが泡沫候補・鳥越
いやもう、バカっぽくて笑えてならないのが、この不埒な因業爺ならぬ淫行爺、こ奴が起こした名誉棄損裁判の行方よの。
自分から訴えを取り下げたりすると、「バーカ、バーカ」って、ムチャクチャ言われンだろうねえ。ケッ。ジャーナリストとは名ばかりのテレビタレント、もう、石田純一みたいに色男ネタでテレビに出て、お笑い芸人と一緒に笑いでも取るしかないんだろうねえ、七十ヅラ下げてさ。キーッシッシッシ……。
オッサンは生きている。
さて、都知事選は小池氏の当選で決まったようだが、オモロイのが泡沫候補・鳥越
いやもう、バカっぽくて笑えてならないのが、この不埒な因業爺ならぬ淫行爺、こ奴が起こした名誉棄損裁判の行方よの。
自分から訴えを取り下げたりすると、「バーカ、バーカ」って、ムチャクチャ言われンだろうねえ。ケッ。ジャーナリストとは名ばかりのテレビタレント、もう、石田純一みたいに色男ネタでテレビに出て、お笑い芸人と一緒に笑いでも取るしかないんだろうねえ、七十ヅラ下げてさ。キーッシッシッシ……。
この男、後藤輝樹のあほうもない映像、ちんこだのまんこだの連発の記念碑的政見放送を見ていて、ふと、先日の狂人による大量殺人事件との関連を思った。
相模原の狂人は、「自分は人のためになることをしたのだ」という。
これが否定されるのは、「この男如き者が独断で刑を執行する資格など、ない」からである。植松何某ごとき狂人には、たとえ自ら正義だなどと理論づけたところで、人を殺す権限などないのだ。
そうすると、である。翻って、放送局やマスコミは、果たして、「法執行機関」なのだろうか?表現の自由をはじめとする基本的人権を保持する個人が発出したものを切り刻み、何を言っているかわからないように強制的に改変することが許されるのだろうか?
否、企業には強制的に法を執行する権限はない。
常識に照らせば、なんだいやらしい、バカじゃねえのか、この後藤何某の映像など一切放送するな馬鹿野郎、という感じはする。個人的にはこれは「×」だろう、とは思う。だが、その主張を強制的に切り刻み、改変したり停止したりする執行権限は、一企業に過ぎない放送会社にはないのではないか?
放送会社は、「この映像はどうすればよいでしょうか」と、裁判所等の令状でもって放送の是非の許可を得るべきではないだろうか。
例えば警察では、覚醒剤をばらまき、人を殺し、物を盗み、詐欺を働くような、誰がどう見たって死んだ方がマシな糞のような奴をしょっ引くのにだって、裁判所に伺いを立てて、令状を取るのだ。
同様に、テレビ会社も強制的な執行をするためには、すべて法執行機関の判断を仰がなければならないのではないだろうか。
特に思想的な面で、人と違った考え方を聞いたりそういう人を見たりすると、すぐに「あなたは変な思想を注入され、洗脳されている」などと言い出す
私は以前から他人にそう決めつけられることが多い。ああ、どいつもこいつも、なんでこうなんだ、と思う。
私はこれを「朝日新聞病」と名づけてみた。私にとってはむしろ
私としては悔しいことだが、朝日新聞はある意味、日本の知性を代表してきてもいるので、朝日新聞を熟読することは知性の指標でもあった。ゆえに、一定程度以上の賢い人は朝日新聞をよく読む。そのため、ほぼ全員が朝日新聞に洗脳され、妙ちくりんな歪んだ思想を持つようになるのだが、逆に彼らから見ると、私のような知性のかけらもない男は、「洗脳された歪んだ思想を持った男」に見えるのである。
私も相手も、どっちも似たりよったりだが、決定的な違いがある。それは、私のような人物は絶えざる批判と蔑視に晒され続けているため、「歪んだ思想を持った偏った男」と呼ばれることを正面から受け止め、自分自身をよく検証し、振り返り、自分をそのように見てみるという経験も多く積んでいるのに対し、アッチではほとんどそんな経験はなく、自分の無邪気で無責任な正義を信じて疑っていないことである。
一度、朝日新聞の流儀を疑ってみたほうが良い。「私はひょっとして間違っているのだろうか」「私は、もしかして洗脳されたのだろうか」と、深刻に悩んでみるべきである。
早々と入浴してしまう。真っ青な空を背景に、白く輝く入道雲の峰がむくむくと大きくなっていくのが、開け放った風呂の窓から良く見える。写真は風呂の窓からではなく、南向きのリビングの窓から撮ったものだが、なんだか映画「ゴースト・バスターズ」のマシュマロマンみたいな形で、文字通りの入道雲、面白い。顔まで憤怒相の金剛力士像みたいに、怒ったように見える。「ガーゴイル家族」のガーゴイルの顔にも見える。
クーラーをかけて、いつもどおり氷の塊を冷蔵庫から取り出し、カチワリを沢山作る。
いつもの酒、指五本分、ケチケチせずにたっぷり注いでやり出す。至福至福。
なんだか今月は、ブログにどうでもいい文字列を書き殴ることが多く、気が付くと細かいエントリを100個も書いてしまったようだ。
事情により、休日なども家でじっとしていなければならない日が多く、いきおい、読書をするかウェブサーフィンをするか(文字列インプット)、ブログを書くか(文字列アウトプット)、どっちかしか無聊を紛らす楽しみごとがないからである。
不肖私こと佐藤の特技は、意味のない文字列であれば無限に出力し続けることができることだ。
しかし、面白いことを書けとかテーマに沿った論説を書けとか他人の文体を模写しろとか、そういうプロっぽい縛りがあると途端にダメになってしまう。だから、この特技を生かしてライターになるとか小説を書くとか、そういう商売はできそうもない。
恥ずかしながら若い頃、小説の新人賞に応募したことがあったが、箸にも棒にも引っ掛かるものではない。そりゃあ、私は芯から面白い人物というわけでもないので、当たり前である。
さておき、忙しかったとはいえ、今月は映画を二つ(「帰ってきたヒトラー」と「シリア・モナムール」)見に行けたのは
最近は子供たちも大きくなってしまい、子供たちは子供たちで自分の見たい映画を勝手に見に行くようになった。それで、以前のように、私は
昔耽読していたハメットとかチャンドラーなどのことを思い出していると、そういえば、当時のハヤカワ・ミステリの表紙は、昔のアメリカの探偵雑誌の安い表紙の絵柄を再現していて、ギトギトと大味な人物が描かれており、面白かったことも一緒に思い出した。
今はハメットのもチャンドラーのも、こういうアッサリしたシャレたような装丁になってて、これはこれでカッコイイが、昔のギトギトした絵も懐かしいのである。
で、そのハヤカワの表紙がまねていた、「パルプ小説誌」と言われるアメリカの安雑誌、代表格が 「Black Mask」なんていう雑誌だったそうだが、それがコッチだ。
色彩とか表情とかが、もう御馳走さん、って感じで、これが良かったんだよなあ。
ほんと、ギトギトのコテコテですよね、この絵柄。
#kigo #jhaiku #haiku #saezuriha
今回の都知事選、並み居る泡沫候補の数あるうちで、なんと言ってもピカイチのスマッシュ・ヒットは、今やマック赤坂を超越してこのニイチャンが一番強烈である。
チナミに、カットされた音声を本人がニコ動で再現したのがコッチのビデオだそうである。
変なポスター、変な公約、変な政見放送。いやあ、参りました(笑)。
後藤輝樹
なんか、記事見ると意外とシャイなニイチャンなのな。
ふと佐野元春の「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」が、テレビ番組で収録したクリップがそのままPVになった、て話をさっき思い出したのだが、それも、あさるとこのとおり、Youtubeに上がっているのであった。
歌詞はコレ。