嫌な野郎と(ほが)らかな娘

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 平日、仕事している日の昼食には、会社の近所に多くある飲食店のうち、何軒かを順繰りに使っている。

 最近の私は、袖()り合うも他生(たじょう)(えにし)人世(ひとよ)にこそ(なさけ)あれかし、とばかり、入ったお店ではつとめておとなしく迷惑をかけないようにし、店員さんがいらっしゃいませと言えばこちらもこんにちはこんばんは、ごちそうさまにありがとう、なぞとできるだけ言うようにしている。そうしていると店員さんにも人情というものがあり、丁寧にサービスしてくれるようになる。横柄な態度で振る舞ったほうが丁寧に接客するようになるなんてのは銀座あたりの思い上がった寿司屋の大将か歌舞伎町のボッタクリバーくらいなもので、ほとんどの真面目な店は、こちらが丁寧でおとなしいと、店も丁寧にしてくれる。それは私の経験上明らかだ。情というものはこういうものだろう。

 その日も、いつもおなじみのそのチェーン店にお昼を食べに行った。もし以下の話の関係者がこのブログを偶然見て、トラブルになったりしてもいけないので、なんという店かはここでは伏せたい。

 店はいつも繁盛していて、昼どきは店の周りにぐるりと列が(めぐ)る。一人ずつ窓口で注文して料理を受け取り、好みによりセルフサービスでトッピングの副食を取り、カウンターの一番最後にあるレジで料理全部の会計を(あわ)せて済ませ、それから席につく仕組みだ。カウンター内の厨房では店長さんと(おぼ)しい壮年の男性以下、5〜6人ほどの男女が働いているが、愛すべき貫禄をもった大刀自(おおとじ)殿(どの)も多く、ほとんどが中年以上の人に見える。

 そんな中に、たまに若い男女の店員が交じる。その日も、この店の店員さんには珍しく、注文を聞く係は先日から見かけるようになった健康そうで明るく若い娘さんであった。アルバイトなのだろう。

 5分ほど並んだ後、次の次に注文するのは私の番、というところに来た。

 アルバイトらしい娘さんは、私の直前の客に「次のお客様、ご注文をどうぞ」とニコッと笑いかける。

 私の直前の客は、ただでさえ色の悪い渋皮面(しぶかわづら)を不機嫌そうに歪めた灰白髪の男だった。歳の頃は私より5歳か6歳くらい上だろうか。背広を着て、私と同じように首からIDの紐をかけ、会社の外だから、紐の先にぶら下がったIDをワイシャツの胸ポケットに突っ込んでいるところを見ると、この周囲にあるオフィスビルの何処(どこ)かに勤める会社員なのだろう。一見風采が上がらないようにも見えるが、ひょっとすると権力のある人物なのかもしれない。

 注文を聞かれたその男は、(うつむ)いてスマホの操作を続けたまま、アルバイトの娘さんに目も合わさず、ぶっきらぼうに

9−j.,w#$/z/%f

……と、(うめ)きとも(つぶや)きともつかぬ、小さなわけのわからない音を口から押し出した。

「……あの、申し訳ありません、よく聞こえませんでした、ご注文をもう一度お願いします」

 そりゃそうだろう、すぐ後ろに並んでいる私にだって、この渋皮面の出す雑音みたいなものが食べ物を注文する言葉には聞こえなかった。ましてや、カウンターの内側には様々な厨房機器が所狭しと置かれて音を立てており、(かさ)だけ高くて(ジジイ)と言ったほうがいいようなおっさんが(かさ)にも似合わぬ情けない小さな雑音を口から漏らし出したからって、そんなの聞こえる(はず)もない。

9−j.,w#$/z/%fッ!

「あ、あのう、すみません、◯✕(注)を、何でしょうか?」

(注 ◯✕はその店の商品の名前)

9−j.,w#$/z/%ッf!!!

まだ何を言っているのかわからない。ひょっとして、喉や神経器官、あるいは知能など、体に何らかの障害を抱えた人か、ひょっとすると外国人なのかもしれないと私は思った。それならやむを得ない。体が悪いのなら気の毒なことだし、外国人なら言葉が分かりづらいのはあたりまえのことだから、後ろに並んでいる者は多少待たされたとしても、寛容をもって静かに待つのが当節流の(たしな)みというものだ。要は、満員電車内で泣き叫ぶ赤ちゃんの声をどこ吹く風と受け流すようなものだ。ウチの子だってそうだったんだし、それがどうした、子供が泣くのは当たり前だ、病気の人だって外国人だって、伝わりにくいのは当たり前だろ……というくらいのものである。なんなら私がこの前客の注文を聞き取り、店に伝えてやってもよかろう、……そうとまで考えた。

「すみませんもう一度お願いします」

渋皮面の雑音男はスマホから目を離し、カッと顔を上げると、

「『◯✕の大盛りに△□をトッピングで』ッ、て言ったんだよ!!何だお前は!!」

と、店中にハッキリ聞こえるような大きさの、これまた店中の人が明瞭に聞き分けられるような発音で(おめ)き捨てたものだ。

「かしこまりました、『◯✕の大盛りに△□をトッピングで』ですね、少々お待ち下さい」

渋皮面雑音男(しぶかわづらざつおんおとこ)はしかし、しつこかった。黄ばんだ歯と一緒に顔を突き出し、ところもあろうに飲食店のカウンターで(つばき)を飛ばさんばかりにして、

「なんなんだこの店は! こんなことは初めてだ!! お前は日本人か?! 日本人なのか? 名札を見せてみろ!」

アルバイトの娘さんは申し訳なさそうな顔をして名札を示し、

「ハイ、日本人です」

と答えた。

「なんだ、それでも日本人なのか?! 耳が詰まってるんじゃないのか! 耳掃除ぐらいしろよ!!」

それへの娘さんの答えはなかなか秀逸と言えた。

「はい、耳鼻科へ行って()てもらってきます。すみませんでした」

 渋皮面雑音男はまだ何か言いかけたが、ちょうどそこへ、注文した料理が届いた。渋皮面雑音男はそれを乱暴にカウンターから引ったくり、ドンと自分のトレイに乗せた。料理が飛び散ってトレイやそこらが汚れた。

「見ろよ! トレイが汚れちまったじゃないか! 換えろ!」

渋皮面雑音男はまるで投げつけるように娘さんに汚れたトレイを押し付けた。

 私は真後ろで無関係に見ていただけだったが、積み上げられた新しいトレイのすぐそばにいたので、渋皮面雑音男のためにトレイを一つ取って渡してやった。

 渋皮面雑音男は、礼も言わず奪うように私が渡したトレイを取り、何やらブツブツと文句を言いながらレジへ向かった。

 私は真後ろにいたから、渋皮面雑音男が勘定を済ませる様子を、見たくもないのに見ることになった。奴が出しているチケットには「株主優待券」の文字が見えた。渋皮面雑音男はそれに加えて何か他のポイントカードなども使い、その支払いはレジの大刀自殿に「20円でございます」と読み上げられた。

 なんと吝嗇(ケチ)臭い、と私は軽蔑を覚えた。なぁにが偉そうに株主優待だ。このチェーン店の株主だからって思い上がりやがって、多少の小金程度を持っているくらいのことで他人より一段上の立場にでもなったつもりか、若い店員をあんなふうに侮辱して、何様だ、と怒りも覚えた。勘定が20円!? ハハハ、笑わせやがるわ、お前、今、それ小銭で払ったよな、20円! 株主だなんて言ったって、お前なんぞせいぜい1単位ほど口座に置いているだけだろうが、20円小銭で払う貧乏人寸前の屑野郎が! 後生(こうしょう)(おそ)るべしということを知らんのか、若者というのは偉いものなんだ、それを知らんのかこの阿呆馬鹿すっとこどっこい、スマホばっかり見てやがって、キサマみたいな糞初老が必死になってスマホなんか触ったってなんの情報も得られるもんかよこの我利我利(ガリガリ)亡者の馬鹿野郎、と胸の中で毒づいた。アルバイトの娘さんの意趣を返してやるために鼻柱の一つも摘み上げて鼻血でも絞ってやるか、怒鳴りつけてやるか、胸倉を掴んで殴りつけてやろうか、俺の鉄拳をナメるなよ……などと考えてしまった。

 だいたい、大声で「お前は日本人か」とはなんて言い草だ。場所柄で、店の客には中国人や韓国人、欧米らしい黒人や白人もたくさんいる。そんな場所で「お前は日本人か」など、娘さんばかりか、大勢いる外国人客に対しても失礼以外のなにものでもない。

 聞こえない雑音みたいな音を表六玉(ヒョウロクダマ)よろしく黄ばんだ歯の間から吐き出しておきながら、突然怒り出すやいなや店中の人にわかるような明瞭さで注文してのけたではないか。だったら最初からそうしろよ、と思った。

 私は男の目線がこちらに少し向いたときに睨みつけてやりはした。しかし、因縁をつけたり暴力を振るったりはしなかった。社会人なのだから、想像はしても、我慢するに決まっている。

 それにしても、アルバイトの娘さんの対応は見事と言えた。娘さんに落ち度はない。渋皮面雑音男が悪い。それはそばで見ていた私が保証しうるし、その場にいた誰もがそう思うはずだ。そしてなお、娘さんは怒るでもなく朗らかでしかも丁寧な対応に終止し、その直後でも明るく接客を続けていた。これがもし私なら、怒りや不機嫌が態度に出てしまい、無関係の他のお客さんに嫌な思いをさせた挙句、自分自身はガッカリと落ち込んでしまうだろう。だが、娘さんはそうではなかった。

 しかしそうは言うものの、外面的には客を怒らせてしまったことに違いはないから、ひょっとすると、後で娘さんは店長に注意されるかもしれない。

 食べ終わって店を出、会社への帰り道を歩きながら考えた。あの渋皮面雑音男に絡んで懲らしめることなんか想像するより、アルバイトの娘さんを褒めてあげよう。そのほうがずっといい。そう思った。

 アルバイトの娘さんは毎日出勤ではないらしく、また、私も毎日その店で食事をするわけではないから、一週間ほど娘さんを見なかった。一週間経ってようやくカウンターの向こうの調理場に娘さんを見つけた。私の注文を聞いた娘さんは、にこにこしながら私がいつも注文する無料のものを出して、「今日もこちらでよろしいでしょうか」と愛想よくしてくれた。

 彼女を褒めてあげるのはここだ、と私は思った。

「あなたは、偉いねえ。先週の、ほら、なんだか変なお客さんがいたでしょう、あなたのあしらい方は立派なもんでしたよ」

「あっそうか、お客様、あの時後ろにおられたんでしたよね。覚えていてくださったんですね」

「覚えていますとも、いや、あなたこそ私をよく覚えていてくださいましたね。あなたは、あんな嫌な客に、落ち着いて立派に対応してました、あなたは偉い、私がこのとおり褒めてあげます」

私がそう言うと、娘さんは照れて顔が赤くなり、少し目が潤んで「ありがとうございます」と言ってくれた。

 何分(なにぶん)にも、カウンターで料理を受け取り、後ろの人の迷惑にならないよう、レジへと進みながら一瞬の間に交わす会話のことだし、娘さんも仕事中のことだから長く話すわけにもいかず、たったそれだけのことだったが、娘さんには「見ている人は見ている」ということを伝えることはできたと思う。

 以上のことは旧臘(きゅうろう)か、先々月くらいのことだったが、その後も娘さんは愛想よく朗らかに接客をしていて、相変わらず週に1回か2回顔を合わせる私には、無料のサービスメニューを「いつものとおりでよろしいでしょうか?」と気を利かせてくれていた。

 そうして春になった。

 今日もその娘さんが調理場にいた。私の顔を見て注文をとると、娘さんは、

「お客様、もうお会いできないかと思ってましたけど、お会いできました」

と切り出した。続けて、

「今日、私、このお店は最後の日なので……」

と言ったものだ。

「おっ、そうですか、今日最後ですか……。そうするとつまり、春ですから、この、何か……? めでたいこと?」

「はい、私、大学4年生なんです。卒業したものですから」

「おお、それはそれは、おめでとうございます。……そうすると、あなたは私の次女と同い年でしょうね。ウチも卒業でしてね」

「あ、そうなんですね」

「なにしろ、おめでとうございます。おめでとう、おめでとう」

 今度も、レジに向かう間の短いやり取りだから、そんなことぐらいしか言えなかった。もう少し、あなたならどこで働いても活躍できますよ、頑張ってね、とか、どうかお体を大事にしてね、お元気でね、とか、何か少しお愛想(あいそ)を言ってあげればよかったと思う。

 いずれにせよ、私とアルバイトの娘さんとの間には、こうした心の通い合いがあった。その心の通い合いによって、あの嫌な渋皮面雑音男の存在は、娘さんの心の中でも私の心の中でも超越され、どうでもよいことになった。ざまあみやがれ、いい歳こいて、無視同様に超越される意味しかないんだ、貴様なぞ。

 私は、どこの誰とも知れない、名前も定かに覚えていない、またこれから会うこともないであろうその娘さんの健康と幸福と活躍を祈っている。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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