射撃に関する落想

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 定年で自衛隊をやめてしばらく経つ。

 体力練成なんか今更真っ平やりたくないし、野球もサッカーもバレーも、スポーツなんか全部嫌いだから、そういうものから解放されて毎日実に快適でラクチンだ。

 だが、時々、射撃がしたいな、とボンヤリ思う。クレー射撃なんかは銃の所持許可を得ればできるけれども、銃所持許可取得は数年前に理由があってあきらめてしまった。この先も多分取得しないだろう。

 それに、いわゆる「長物(ナガモノ)」はまだしも、拳銃の射撃は国内では公務員か、推薦を受けたスポーツ選手などでないとできない。

 旅行して韓国とかグアム、ハワイなんかの射撃場でぶっ放してくればいいようなものだが、残念ながらそこまでヒマでもない。第一、射撃だけのためにパスポートを取って外国旅行にいくなぞ、無駄遣いそのものだ。

 よくよく考えてみると、自衛隊では拳銃から小銃から機関銃から、無反動砲にロケット発射筒、榴弾砲やら地対空ミサイルやら、いろんなものを撃ったものだ。変わったところでは当時まだ国際的に容認されていた対人地雷の実爆もやった。他に対戦車地雷の実爆、プラスチック爆弾の実爆、破壊筒の実爆、プラスチック爆弾を使用しての不発弾の破壊などもやった。手榴弾も投げたが、これだけは実弾ではなく、破裂して煙を吹く模擬弾薬で、ほんのたしなみ程度のものだったが。

 そうした火器や弾薬で現実に人を殺すことは結果としてなかったけれども、それらには、人を殺す以外の機能はまるでなかった。

 国民の生命と財産を守る、……などと、有名人が知ったかぶって色々な綺麗ごとをヌカすけれども、そんなのはたわごとだ。武器なんてものは全部、素気なく言えば人を殺す以外の機能なんかないし、むしろそれ以外の機能は全部無駄だ。拳銃や小銃であろうと戦闘機であろうと護衛艦であろうと、全部そうだ。BMDは敵国の人殺しミサイルを撃ち落とすだけで直接敵国人は殺さないけれども、それは巡り巡って人を殺すことにつながっていることは、考えれば子供でもわかることだ。

 40年も自衛隊にいて、よくこそ、これまで人殺しをせずに済んだものだとありがたく思う。調べてもらえばわかるが、よその国では軍歴を40年も数えて一人も人を殺していない将校がいるなんて、そんな国はあまりない。

 世の中は政府を糞味噌にこき下ろす人が大多数を占めているが、私は、私が人殺しをせずに済んだというその一点だけをもってして、日本国政府はなかなかどうして大したもので、優れた平和主義を保っていると思うのだ。

 「武器は人を殺すためでなく、人を守るために買っているんです」ということを、武器が人を殺す以外の機能を持たず、それ以外の機能をすべてそぎ落とした恐ろしいものだと冷厳にわかったうえでそれを言っているのかどうか、そこのところが空説を弄んでいるだけのおめでたい人か、実を説こうとしている本当の思考力を持った人か、違いが現れるところだろう。

 私が子供から青年の頃までの政治家の多くには軍歴があり、人の一人や二人は殺したことのある人がやっていた。中曽根大勲位はガダルカナル上陸作戦で弾雨をくぐっていたし、戦時中陸軍刑務所に放り込まれていた吉田茂だって社会主義者の片山哲だって、戦闘はしていなかったかもしれないが兵役には行っていた。だから、思想の左右によらず、誰も彼もその言に「実」というものがあった。

 米国大統領の人気が軍歴の有無に左右されるというのも、自らが生死に膚接してものを考えてきたかどうかを米国民が評価判断するからだと思う。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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