読書

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 引き続き世界教養全集を読む。

 第28巻の最初「福翁自伝」を、日曜日のファミレス店内でビアンコのフリザンテなんぞを一杯飲みながら読み終わった。

 誰知らぬ者もない、かの福沢諭吉の自伝であるから、また「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへりされば……」と説教臭く来るのかと思ったら(あに)(はか)らんや。全然違っていて、抱腹絶倒と言うくらい面白く楽しい内容だった。

 洋学者の福沢諭吉には、刻苦勉励の学徒のイメージがあるが、大坂の緒方洪庵の寄宿生であった頃には随分と「ヤンチャ」もしていて、読んで楽しかった。

気になった箇所
儒教主義の教育
平凡社世界教養全集第28巻「福翁自伝」より引用。他の<blockquote&gy;タグ同じ。
p.9より

儒教主義の教育

 ダカラ小供を育てるのもまったく儒教主義で育てたものであらうと思ふ其一例を申せば、斯う云ふことがある。私は勿論幼少だから手習どころの話でないが、()う十歳ばかりになる兄と七、八歳になる姉などが手習をするには、蔵屋敷の中に手習の師匠があつて、其家(ソコ)には町家の小供も来る。其処でイロハニホヘトを教へるのは宜しいが、大阪の事だから九々の声を教へる。二二が四、二三が六。これは当然(アタリマヘ)の話であるが、其事を父が聞て、()しからぬ事を教へる。幼少の小供に勘定の事を知らせると云ふのは以ての外だ。斯う云ふ処に小供は遣つて置かれぬ。何を教へるか知れぬ。早速取返せと云て取返した事があると云ふことは、後に母に聞きました。

葵の紋の御威光
p.115より

葵の紋の御威光

些細な事のやうだが、当時最も癪に障るのは旅行の道中で、幕人の威張り方と云ふものは迚も今時の人に想像は出来まい。私などは譜代大名の家来だから丸で人種違ひの蛆虫同様、幕府の役人は勿論、凡そ葵の紋所の附いて居る御三家と云ひ、夫れから徳川親藩の越前家と云ふやうな大名かまたは其家来が道中をして居る処に打付(ぶっつ)からうものならソリャ堪らない。寒中朝寒い時に宿屋を出て、河を渡らうと思て寒風の吹く処に立て一時間も船の来るのを待て居る、ヤッと船が着いて、ヤレ嬉しや此船に乗らうと云ふ時に、不意と後ろから葵の紋の侍が来ると其者が先きへ其船に乗て仕舞ふ、又アト一時間も待たなければならぬ。駕籠を舁ぐ人足でも無人のときには吾々は問屋場に行て頼んでヤット出来た処に、アトから例の葵の紋が来ると、出来た其人足を横合から取られて仕舞ふ。如何(どん)なお心善(こゝろよし)でも腹を立てずには居られない。凡そ幕府の圧制殻威張りは際限のない事ながら、私共が若い時に直接に侮辱軽蔑を受けたのは、道中の一事でも血気の熱心は自ずから禁ずることが出来ず、前後左右に深い考へもなく、唯癇癪の余りに、こんな悪政府は世界中にあるまいと腹の底から観念して居た。

意識せざる差別感覚
p.118より

前にも申した通り私は儀式の箱に入れられて小さくなるのを嫌ふとおりに、其通りに儀式張つて横風な顔をして人を目下(もくか)に見下だすことも亦甚だ嫌ひである。例へば私は少年の時から人を呼棄(よびすて)にしたことがない。車夫、馬丁、人足、小商人(こあきんど)の如き下等社会の者は別にして、苟も話の出来る人間らしい人に対して無礼な言葉を用ひたことはない。

 ……うーん、いや、これは、現代人の感覚でいえば、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」との書き出しで一書をものした稀代の学者とも思えない、「車夫、馬丁、人足、小商人(こあきんど)の如き下等社会の者」に対するひどく差別的な見下しっぷりである。まあ、時代なんでしょうね。

外国人への不浄感覚
p.125より

 英国王子に潔身の祓

 私が明治政府を攘夷政府と思つたのは、決して空に信じたのではない、自から憂ふ可き証拠がある。先づ爰に一奇談を申せば、王政維新となつて明治元年であつたか二年であつたか歳は覚えませぬが、英吉利の王子が日本に来遊、東京城に参内することになり、表面は外国の貴賓を接待することであるから固より故障はなけれども、何分にも(けが)れた外国人を皇城に入れると云ふのはドウも不本意だと云ふやうな説が政府部内に行はれたものと見えて、王子入場の時に二重橋の上で潔身(みそぎ)(はらひ)をして内に入れたことがある、と云ふのは夷狄の奴は不浄の者であるからお祓をして体を清めて入れると云ふ意味でせう。所がソレが宜い物笑ひの種サ。其時に亜米利加の代理公使にポルトメンと云ふ人が居まして、毎度ワシントン政府に自分の任所の模様を報じて遣る、けれども余り必要でない事は大統領が其報告書を見ない、此方では又ソレを見て貰ふのが公使の名誉としてある。ソコデ公使が今度英の王子入場に付き潔身の祓云々の事を探り出して大に悦び、是は締めた、此大奇談を報告すれば大統領が見て呉れるに違ひないと云ふので、其表書(うはがき)に Prification of Prince of Edinburgh 即ちエッヂンボルフ王子の清めと云ふ可笑しな不思議な文字を書て、仲の文句はドウかと云ふに、此日本は真実自尊自大の一小鎖国にして、外国人をば畜生同様に取扱ふの常なり、既に此程英吉利の王子入城謁見のとき、城門外にい於て潔身の祓を王子の身辺に施したり、抑も潔身の祓とは上古穢れたる者を清めるに灌水法を行ひしが、中世紙の発明以来紙を以て御幣なるものを作り、其御幣を以て人の体を撫で、水の代用として一切の不浄不潔を払ふの故実あり、故に今度英の王子に施したるは其例に由ることにして、日本人の眼を以て見れば王子も亦唯不浄の畜生たるに過ぎず云々とて、筆を巧に事細かに書て遣ったことがある。ソレは私が尺振八から詳に聞きました。此尺振八と云ふ人は其時亜米利加公使館の通弁をして居たので、尺が私の処に来て此間是れ〳〵の話、大笑ひではないかと云て、其事実も其書面の文句も私に親しく話して聞かせましたが、実に苦々しい事で、私は之を聞いて笑ひ所ではない泣きたく思ひました。

同じ外国人でも
p.166より

何故に以前藩に対してあれほど卑劣な男が後に至ては折角呉れやうと云ふ扶持方をも一酷(いっこく)に辞退したか、辞退しなくても世間に笑ふ者もないのに、打て変つた人物になつて、此間まで丸で朝鮮人見たような奴が、恐ろしい剣幕を以て呉れる物を刎返(はねかへ)して、伯夷叔斉(はくいしゅくせい)のやうな高潔の士人に変化(へんげ)したとは、何と激変ではあるまいか。

 ……いや、卑しい者の代表格に「朝鮮人」を持ってきているのだが、まあ、これも「当時」ということか。

言葉
乃公

 本書では「乃公(おれ)」とルビが振ってある。これは音読みでは「だいこう」、訓読みでは本書のように「おれ」「わがはい」などと様々に()むようだ。

p.15より

乃公(おれ)は総領で家督をして居るが、如何かして六かしい家の養子になつて見たい。

執匙

 「しっぴ」である。外科医が手術を担当することを「執刀」と言うが、同じ意味で、薬を処方し病気の療治を担当することを、薬匙を執るということで「執匙(しっぴ)」というのである。

p.30より

病は診て遣るが執匙(しっぴ)は外の医者に頼む。

御幣担ぎ

 「ごへいかつぎ」だが、これは縁起かつぎのことを言う。「御幣」にせよ「縁起」にせよ、神仏の顕現である。

p.48より

 同窓生の間にはいろ〳〵な事のあるもので、肥後から来て居た山田(やまだ)謙輔(けんすけ)と云ふ書生は極々の御幣担(ごへいかつ)で、()の字を言はぬ。

竊に

 「ひそかに」と訓む。音のとおり、こっそり、ひそかに、という意味である。

p.75より

私は其取次をして独りに感服した。

上圊

 「じょうせい」であるが、こんな漢字も単語も、めったなことでは使うまい。これは屎尿(しにょう)の「汲み取り」のことである。「圊」の音読みは「せい」あるいは「しょう」、訓読みはこれで「かわや」と訓み、「(かわや)」と同じ意味である。

p.105より

又或る時江戸市中の下肥を一手に任せて其利益を政府に占めやうではないかと云ふ説が起つた。スルト或る洋学者が大に気焔を吐て、政府が差配人を無視して下肥の利を専らにせんとは、是は所謂(いはゆる)圧制政府である、昔し〳〵亜米利加国民は其本国英の政府より輸入の茶に課税したるを憤り、貴婦人達は一切茶を(のま)ずして茶話会の楽しみをも廃したりと云ふことを聞た、左れば吾々も此度は米国人の(ひん)に傚ひ、一切上圊(じゃうせい)を廃して政府を困らして遣らうではないか、此発案の可否如何とて、一座大笑を催したことがある。

擯斥

 「ひんせき」である。のけ者にすることをいう。

p.108より

 全体今度の亜米利加行に就て斯く私が擯斥されたと云ふのは、何か私が独り宜いやうにあるけれども、実を申せば左様でない、

都て

 「すべて」である。

p.115より

当時日本国中の輿論は都て攘夷で、

況して

 「まして」である。

p.128より

顧みて世間を見れば、徳川の学校は勿論潰れて仕舞ひ、其教師さへも行衛が分らぬ位、況して維新政府は学校どころの場合でない、

纔に

 「わずかに」と訓む。

p.128より

昔し〳〵拿破翁(なぽれおん)の乱に和蘭国の運命は断絶して、本国は申すに及ばず印度地方まで悉く取られて仕舞て、国旗を挙げる場所がなくなつた所が、世界中纔に一箇所を遺した。ソレは即ち日本長崎の出島である。

  •  (漢字ペディア)
風声鶴唳

 「ふうせいかくれい」である。風の音、鶴の鳴き声である。少々のことに驚くことのたとえに使う。

p.137より

私が暗殺を心配したのは毎度の事で、或は風声鶴唳にも驚きました。

加之ならず

 「しかのみならず」である。「そればかりでなく」というところ。

p.137より

売買の約束をした以上は当然に金を払はぬこそ大きな間違ひだ、何でも払はんければならぬ。加之ならず、マダ私が云ふことがある。

鄙劣

 「ひれつ」である。「卑劣」と同じと思ってもいいだろう。

p.166より

本来私の性質がソレ程鄙劣とも思はない、

姑く

 「しばらく」である。意味はそのまましばらくおくことである。

p.185より

其遺臣論は姑く擱き、

  •  姑く(漢字ペディア)
消光

 そのまま「しょうこう」だが、時間を経過することである。時間のことを「光陰」というから、「光」を潰すことだ。

p.196より

世を渡るに左までの困難もなく、安気に今日まで消光して来ました。

 次は同じ第28巻の「ある心の自叙伝」(長谷川如是閑著)を読む。以前、この全集の第6巻「日本的性格」で長谷川如是閑の評論に接したことがある。今度はどういう作品だろうか。

投稿者: 佐藤俊夫

 50代後半の爺。技術者。元陸上自衛官。2等陸佐で定年退官。ITストラテジストテクニカルエンジニア(システム管理)基本情報技術者

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