日曜日

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 昨日の雨はカラリと上がり、今朝は真っ青な空になった。気温は22℃ほど、爽やかだ。

 冷房を止め、窓を開け、久しぶりに熱いコーヒーを()れる。トーストにバターとチョコレート、ジャムを添えて朝食にする。

 YouTube Musicで機嫌のよい音楽を聴く。「涙のアベニュー」「ラチエン通りのシスター」。

 最近、Google Play Music が「近々サービスやめるから、アップロードした mp3 やなんかは YouTube Music に移行してくれ」みたいなことを言ってきて、ワン・クリックの移行(マイグレーション)サービスを推奨(リコメンド)してきた。まあ、音楽ビデオも時々YouTubeで楽しんでいるので、それと一緒に楽しめるならこれは結構なことであるとも思う。これからはコッチを使うとしよう。移行はボタンをクリックしてしばらく待つだけだ。さっさと移行し、最近買った「Google Pixel 4a」にも、YouTube Music アプリをインストールした。

 妻とシリアスな話をし、そのあと一緒に庭の百日紅(サルスベリ)を見に行く。

 この百日紅は8月末の土曜日に植えた。もう花は終わっていたのだが、先週の日曜日、チラリと一つ、花をつけた。見守っていたら、1週間でこんなに咲いた。

 百日紅の花季は(さん)()九十日、今はもう立秋も遠く過ぎて秋も半ばであるから、今時分にこんなに咲かせるのは良くないかもしれない。もう少し涼しくなったら(こやし)をやってほめてやらねばならないだろう。

 秋と言えば、植木の植え替え時である。

 近くのホームセンターへ行って、日向(ひなた)むけに久留米(クルメ)躑躅(ツツジ)をひと鉢、日陰むけに馬酔木(アセビ)の白花のものと桃色のものとを、それぞれひと鉢ずつ、買ってきて、植えた。

 久留米躑躅の品札には「(ちく)()(べに)」、桃色の馬酔木には「クリスマスチェアー」と品種が書かれている。白い馬酔木はそのまんま「白花あせび」と書いてある。

 庭の南東角の花壇に久留米躑躅を、2段になった中央の花壇の下のほうに桃色の馬酔木を、南西角の花壇に白花の馬酔木を、それぞれ植えて、柄杓に2杯ずつ水をやった。

 あちこちにチラホラ顔を出す藪枯(ヤブガラシ)(ドクダミ)に、霧吹きでグリホサート剤をチョイチョイとかけて回る。先週かけたところは黒く、あるいはすっかり薄茶色に枯れて、ところによっては消滅している。

 昼めしに焼きそばを食べる。青海苔と妻の手作りの紅生姜がたっぷり乗っている。妻によると、最近、蒸し麺の使い方に得るところがあったそうで、安物の麺なのに味も(コシ)も良い。キャベツの歯応えもよく、鮮やかな味で、旨い。

 近所のスーパー「ビッグA」に行ってウィスキーとジンを買う。ウィスキーは久しぶりに「ブラック・ニッカ リッチブレンド」を1本と、いつもの「ティーチャーズ」を1本。それぞれ979円と889円。ジンはニッカの「ウヰルキンソン・ジン」、こっちは799円。ジンは実は妻の飲み(しろ)である。

 熱い風呂を沸かすのも浸かるのも面倒(めんど)(くさ)い。給湯器のスイッチを切り、冷たい水で早々と行水を使う。汗と(あぶら)がすっかり流れ、涼しく気分が良い。

 冷蔵庫から氷の塊を取り出し、かち割りをたくさん作る。普段、氷は製氷皿ではなく、手頃な大きさの樹脂製密閉容器で氷塊を作り、アイスピックで割り削っている。このほうが飲み物がよく冷えるし、旨い。先日、妻が冷蔵庫の自動製氷装置の内部を観察したら、うわっ、と悲鳴を上げてしまうくらい汚れており、しかも手入れの出来ない手の届かないところだったため、自動製氷機能を使うのを止めてしまった、ということもある。

 一杯。ブラック・ニッカをほどほどに注ぐ。先日亡くなった中学校の同級生のことを想う。

Android 11

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 先日買った「Google Pixel 4a」。ニュースなどで「もうすぐPixelユーザから優先して、最新のOS『Android 11』が配信される」とアナウンスされていた。

 帰宅後、「システム アップデート」のメニューを見てみたら、Android 11にアップデート可能との表示があったので、さっそくアップデートした。

 便利な機能が色々と追加されているようだ。

 ホーム画面の使い方がわずかに変わり、ユーザが使いそうなアプリがリコメンドされてくるようになった。これはなかなか良い。他に、Google HOMEなどのデバイス・コントロール機能が強化されているようである。

Google Pixel 4a 届く

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 先週9月4日の金曜日の夜に注文したGoogle Pixel 4a。今日帰宅したら届いていた。平日だが、さっそくうきうきと開封し、セットアップする。

 まず、SIMのサイズが違うところからだ。今私が所有しているSIMはOCN「モバイルONE」のマイクロSIMだが、今日届いた Pixel 4a に適合するのはナノSIMだ。サイズ違いなので、買っておいたSIMカッターでペキッと切り縮めるわけである。SIMはサイズ交換を契約先に申し込むと数千円かかるし、だからと言って解約して買い直すとそれもまた数千円かかり、電話番号も変わってしまう。MNPで番号を引き継ぐやり方もあるけれど、これは手続きに手間暇がかかる。しかし、SIMカッターは数百円~千円ほどであるから、このほうがよほど安いわけだ。唯一の心配は切り縮めるのに失敗することだが、失敗すれば解約して買い直せばよろしい。そして、失敗することなんて、まず、ない。

 無事に切り縮めたSIMを挿入して、画面の指示に従ってセットアップを進める。あっという間に終わってしまう。

 Pixel 4a には、古い方の携帯電話と接続して移行するためのケーブルアダプタ(『クイック スイッチ アダプター』という名前になっている)もついてくるのだが、私の古い方の携帯電話は SONY Experia A SO-04E で、Android4.2.2、7年前のの古色蒼然たるものであるせいか、ケーブルをつないでもウンともスンとも言わず、役に立たなかった。しかし、WiFiとBluetooth経由でまったく問題なく移行は終わり、面倒臭いアカウントIDがどうのパスワードがどうのということはまったくなかった。

 キャリア携帯につきものの変なプリインストール・アプリは全くない。そして、Google純正アプリが「本来機能メいっぱい」に使える。

 作動も速い。買って良かったと思う。

 ただ、どうもGmailアプリの仕様で退行したと感じられるところがある。以前はできていた、発信元毎に着信音を鳴り分けさせるということが、どうもできないようだ。これだけは何としても残念である。前の携帯では、職場関係のメールはけたたましく変な音で鳴るようにしてあって、応答しそびれることが防止できていたのだが、これができなくなってしまったのは何としても痛い。

ついに携帯電話を換えることに

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 平成25年(2013)に買った携帯電話、SONYの「Experia A」SO-04E。7年以上もの間愛用してきたが、何やら調子が怪しくなってきた。突然シャットダウンしたり、それで電源を入れ直すと謎の青いメンテナンス・アイコンが出たりする。

 今までのところは、故障もなくピンピンと動き、むしろAndroid OSのバージョンが4.2.2で古く、そのためにセキュアなバージョンのSSLが使えなくなったことや、当節必須の新型コロナウイルス接触確認アプリ「COCOA」がサポート対象外で使えないなど、そういう周囲の変化が問題であっただけで、基本的・基礎的な機能にはまったく不満がなく、壊れないものだからむしろ「早く壊れないかな。壊れたら新しい携帯電話が買えるのに……」なぞと内心思っていたのであった。

 しかし、今日の朝、行きの通勤電車内で、心臓麻痺みたいに突然シャットダウンし、立ち上がらなくなった。しばらく時間をおいたり、AC電源をつなげたり、電池を一旦外したら立ち上がるが、しばらくするとまた突然シャットダウンする。

 こうなったらこうなったで困る。新コロにせよ台風10号にせよ、(いず)れにせよ時節柄随時呼び出しが予期され、そういう時に携帯電話が不通では見識を問われてしまう。

 意を決し、前から欲しかったGoogleの「Pixel 4a」に買い替えることにした。帰宅後、Googleストアですぐにポチ。同時に、Experia AのSIMサイズは「マイクロSIM」、Pixel 4aのSIMサイズは「ナノSIM」で、そのまま挿し換えはできないから、これを切り縮めてそのまま使うべく、AmazonでSIMカッターをポチ。それから同じくAmazonで手帳型の専用ケースをポチ。

 Amazonで買ったものは今日にも届くらしいが、肝心のPixel 4aが届くのは9月8日の火曜か翌9日水曜だという。う~ん、この週末の休みの間に届けばいいのになァ、とも思う。

Fedora 31で自作の株式売買シミュレーションシステムを動かす

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 自宅で10年以上の間、株式の売買シミュレーションシステムを運用してきた。Linux上で作動する。

 以前、このブログでも少し書いたことがあるが、これで多少儲けても来ている。

 このシステムは、株価をネットからダウンロードするプログラムをPerlで、これを格納するRDBはPostgreSQL、シミュレーションはCで、ユーザインタフェースはPHPで、というハイブリッド(笑)なつくりである。プラットホームは古いIntel Cerelon D “Prescott-V” 2.66GHzのマシン上に最初Fedora Core 5をインストール、順次アップグレードし、最後はFedora 9となっていた。

 2年ほど前からだったろうか、株価をネットからダウンロードするプログラムがうまく動かなくなってしまっていた。株価は「Yahoo!ファイナンス」の時系列データから無料で頂戴してくるのだが、これはデータではサービスされておらず、htmlの中から特徴的なタグに正規表現でマッチングさせて株価を取り出してくる仕組みになっていた。なので、うまく動かなくなっていたのは、さしずめYahoo!ファイナンスの仕様が変わり、htmlのフォーマットなどが変わったのだろう、と思っていた。実際、正規表現でマッチングさせて目的のデータを切り出すコードになっているから、わずかでもhtmlが変わると、途端に消化不良を起こすのである。

 原因究明や修理が面倒で、また、しばらく株式も値動きがあまりなくて面白くなかったから売買もしておらず、シミュレーションシステムも放りっぱなしになってしまっていた。

 そんな折も折、ここへきて、新型コロナウイルス蔓延により外出の自粛が推奨される事態となった。ために、やむなく家に垂れこめている。平日は仕事に(いそ)しんでいるからあまり暇はないが、休日などはどうしても無聊(ぶりょう)となる。

 そこで、意を決して上述のシステムを修理することにした。多分、Yahoo!ファイナンスの仕様、就中(なかんづく)htmlのフォーマットを分析すれば、すぐに修理できるだろうと思っていた。

 ところが、その推量は全然違っていた。

 株価ダウンロードプログラムは、htmlをダウンロードするのに、CPANの「LWP」ライブラリ等は使わず、Perl内から「wget」を呼び出して使っていた。そうしないとSSLの部分が面倒だからだ。

 問題は、このSSL部分にあった。Yahoo!全体の仕様が、TLS1.2未満のSSLを拒絶するよう変更されていたのだ。Fedora 9は、OpenSSL0.9.8までしか対応しておらず、そしてOpenSSL0.9.8はTLS1.0までしか対応していない。

 そこまで確かめて、やっと思い出した。私のシステムが動かなくなった2年ほど前というと、ちょうどSSLのセキュリティホールやSHA-1アルゴリズムの危殆(きたい)化などが取り沙汰され、あちこちのサイトやブラウザがどんどんバージョンアップされて行っていたのだ。

 私はその頃、仕事が非常に忙しく、自宅のPC環境など(かえり)みている暇がなかった。それで、他人事のようにそれらのニュースに接していたのである。

 原因は、wgetとOpenSSLが古い、ひいてはプラットフォームOSが古いことにあった。

 最新のFedoraシリーズのバージョンは「31」になっており、そもそも平成17年(2005)発売のCerelon Dのような32ビットCPUには対応していないから、もう、古いLinuxマシンはそろそろお払い箱だろう。

 私のデスクトップマシンはCore i7 4790K 4GHzにメモリは32GBをブチ込み、ストレージは1TBのHDDから、先日2TBのSSDに換装したところだ。されば、ここはもう、仮想化しかあるまい。

 VMWare Playerをダウンロードしてインストール。非営利であれば無料である。これにFedora 31のisoイメージを本家サイトから貰ってきてインストールする。

 動かしてみてびっくりした。私のような商用のSystem V育ちの者にとって、Linuxの「init」システムは長年慣れ親しんだシステムなのだが、Apache2を動かそうと/etc/rc.d/init.d/の下を覗いてビックリ仰天!何も入っていなくて、空っぽではないか!(笑)

 こ、これは……!とGoogle先生にお尋ね申し上げ、今は「init」は否定の憂き目にあい、「systemd」というものに置き換わっているということを知る。

 「systemctl」というサービス・コマンドの操作を調べ、これでhttpdを動かす。PostgreSQL、PHP、wgetなど必要なものをyum改め、「dnf」で次々とブチ込む。

 それから(おもむ)ろに株価ダウンロードシステムを動かす。……まったく何の支障もなく、プログラムの変更もなく作動するようになった。

 phpで作られたユーザインタフェースについては、POSTやGETの引数を直接グローバル変数として扱うことのできるかつてのPHPの仕様が廃止されてしまっており、そのままでは動かなくなってしまっていたが、そこは彌縫(びほう)的にパッチ当てをした。

 SELinuxを調整しないとPostgreSQLとPHPが協調動作しないなど、多少ひっかかったところもあったが、元の通り株価売買シミュレーションシステムは作動するようになった。

 さすがは Core i7 だ。生マシンから仮想マシンへの移設とはいえ、もはや骨董(こっとう)品に近い Cerelon の生マシンから移設しただけあって、C で書いたシミュレーション部分は、目を見張るような素晴らしいスピードでカッ飛んでいく。

 もともとこのシステムでは、過去5年分の株価データに対し、8900通り×49銘柄の売買シミュレーションを行っていた。Yahoo!ファイナンスに株価の整理値が出揃う20時50分頃から「cron」でこのシステムを起動していたのだが、これだけの組み合わせのシミュレーションを行うと、全部終わるのは23時くらいにはなってしまっていた。

 ところが今回の移設で、それらシミュレーションがなんと10分ほどで完了するようになった。かつて誰かが言っていたが、「稚拙で鈍足なアルゴリズムでも、意外にマシンパワーの進歩で解決されてしまう」ということの実例を目の当たりにした次第である。

 さて、そのようにしてシミュレーション結果を見てみると、やはり、新型コロナウイルスの影響で、相場は鉄火場と化している。大変な勢いで売買指標が出ている。これは大変だ。

 今この鉄火場に飛び込むのは危険である。ウイルス禍が一段落し、上昇相場になったところからが勝負だろう。

なんて不便なドコモ電話帳

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 SONY製・ドコモの古いAndroidスマートフォン「Experia A SO-04E」を使っている。7年も前に買ったもので、最早(もはや)骨董(こっとう)に近い。だが、特段不便はしていないので使い続けている。

 さすがに通信料が高価なドコモのキャリア回線はやめ、安いSIM(OCNモバイルONE)に換えて経済的にしてはいる。ただ、ブラウザやOSのサポートがなくなったり、SSLの最新アップデートがなくなったり、セキュリティが多少心配ではあるので、今はおサイフケータイ等の機能は努めて使わないようにし、機微なパスワードを行使しなければならないオンラインショッピング等はしないようにしている。

 さて、このところ新型コロナウイルス蔓延のせいでメールによる連絡が多く、情報共有のためCC:にかなりの人数を入れてばらまく。家ではPCでメールを使うからどうということはないが、外では上記「骨董スマホ」を用いざるを得ない。

 で、このいわゆる「ガラスマ」、Gmailアプリで返信する際、多くの人にCCをつけようと右上メニューで「コンタクトから追加」を選んでも、「ドコモ電話帳」が出てきてしまい、これがまた、「グループ」の選択をすることができない不便な状態で出て来る。

 Gmailアプリから起動できる電話帳を「ドコモ電話帳」ではなく、グループの選べる「連絡先」アプリに変えようとするのだが、どうしても変えられない。システム全般の「デフォルト」の電話帳を「連絡先」アプリに変更しても、Gmailアプリの「コンタクトから追加」は、どうしてもドコモ電話帳が起動してしまうのだ。

 ドコモ電話帳をアンインストールしてしまえば済むような気がするが、これが評判の悪い「キャリアアプリ」というやつで、消すことができない。

 ああでもないこうでもないと半日頑張った挙句、あきらめて、水色帯封筒アイコンの「Eメール」アプリにGmailアカウントと自分のプロバイダメールアカウントとをセットアップした。このアプリだと「連絡先」アプリが起動し、楽に大量の「CC:」をばらまくことができるのであった。

 しかし、こんなことに時間をつぶしているなら、ピュアAndroidのスマホでもさっさと買えよ、と人からは言われそうだ。

 ASUSのスマホが手頃で、2万円台からあり、安くていいのだが、主力商品「ZenFone」は5GHzのWiFiに対応したものがない。私はBluetooth機器を多用しているので、2.4GHzのWifiだと混信が激しく、特にBluetoothキーボードが全く使い物にならなくなってしまうので、どうしても5GHzを使いたいのだ。実に残念だ。この点、今使っている「Experia A SO-04E」は、骨董スマホにもかかわらず、当時の最上級機種だったためか5GHzのWiFiに対応(IEEE802.11a)しているので、これは買って良かったと思っている。

 2.4GHzのIEEE802.11b/g/nに加え、5GHzのWiFi、すなわちIEEE802.11a/ac等も使えるものをASUSで選ぶと、突然10万円を超える「ROG Phone」になってしまうのである。まったくのところ、これがASUSの、(たま)(きず)というか、残念なところだ。

 だからと言って、なにやら胡散(うさん)臭いHUAWEIだのXiaomiだのは買いたくない。

 iPhoneはもっと高い。ハナッから眼中にない。

 キャリアの「月々負担がどうとか」という結局「月賦・ローン」でしかないような見かけだけ安いのなんか、今更()(ぴら)御免(ごめん)である。

 我慢して5万円くらいまでを視野に入れてみると、俄然「Google Pixel」が視野に入ってくる。Googleの製品は好きだから、これはいいかもしれない。今日現在、Pixel 3aは税抜き\49,500-.ほどで、Amazonで胡散臭い白ロム新古品を探すと\38,500-.~\39,000-.くらいである。

 う~ん、無駄遣いはしたくないし、どうしよう。

広告出したらアクセス減った

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 このブログ、もともと広告を出していた。Google Adsenseを使っていたが、いつぞやからか、少し仕組みが変わったようなのを放置していて、広告が出なくなってしまっていた。

 先日、改めてGoogleのテキストをよく読み、広告を出し直したのだが、なんだかよくわからないが、出し直した瞬間から日々のアクセスが三分の一くらいになってしまった。

 う~ん……。アッチコッチに広告貼り過ぎたかなあ。

 ちょっと広告入れるところを減らしてみようと思う。

国際結婚の斡旋(あっせん)

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 Google adsenseのポリシー変更の連絡メールが来た。いろいろと「アレはダメ、これもダメ」と書いてある。

 まあ、だいたい(うべな)える。「犯罪サイト」「絶滅危惧動物斡旋サイト」等への広告表示はお断りする、というのなど、これはまあ、当然だろう。他のいろいろな例も、ま、そりゃそうだろうなあ、と頷けるものばかりだ。

 しかし、最後の方に「国際結婚斡旋サイト」というのがあり、なんで国際結婚を斡旋したらアカンねん、と疑問を覚えた。

 だが、こうして書いているうちに、ははあ、国際結婚を隠れ蓑に、人身売買をしたり犯罪者の逃亡を助けたり、亡命したりといったことが行われているのだろうな、と想像がついた。

 それにしても、国際結婚に掣肘(せいちゅう)を加えるようなことは、米国の「DNA」にはかつてないことなのではなかったか。

 ま、どうでもいいけどね、俺は米国人ではないから。

 昨今国際結婚する日本人も多いが、本来日本人は、国際結婚の意識は希薄で、大した問題でもない。

読書

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 引き続き60年前の古書を読んでいる。平凡社の「世界教養全集」だ。目下3冊目の「第3」を読んでいる。

 「第3」には収載作品が五つある。その内、倉田百三の「愛と認識との出発」、鈴木大拙の「無心ということ」、芥川龍之介の「侏儒(しゅじゅ)の言葉」の三つを読み終わった。

 「侏儒の言葉」は、子供の頃にこの本で一度読んだことがある。その頃は皮肉な感じが好もしく感じられたが、今はそれを、あまり魅力とは感じられなくなっている。子供の頃の読後感に比べると、どうしても、自殺直前に書かれたという作品の性格の方が、皮肉さよりも気になってしまう。

 作品の後半に向かって「芥川龍之介が堕ちていく感じ」が、大人になって芥川龍之介の自殺のことを、子供の頃よりも深刻な事件として再認識している私には、何やら薄ら恐ろしく感じられ、寒々とした荒涼を覚えざるを得ない。

言葉
綵衣(さいい)

 「美しい模様のある衣服」とか「種々の色で模様を施した衣」等と辞書等にはある。

 しかし、どうやらそれだけの意味ではないようだ。漢籍に「綵衣(もっ)て親を(たのしま)しむ」などとあり、これはある人が老年になっても親を楽しませるために子供の服を着て(じゃ)れて見せたという親孝行の故事である。

 そこからすると、この「綵衣」という言葉には、「幼児が着る明るい色の衣服」というような意味合いがあるようだ。

筋斗(きんと)

 「筋斗(きんと)」と聞いてすぐに思い浮かぶのは西遊記だ。孫悟空が乗る自由自在のエア・ビークルが「筋斗雲(きんとうん)」である。

 しかし、今「筋斗雲」で検索すると、大ヒットアニメ「ドラゴンボール」に関することばかりが出てくる。

 「ドラゴンボール」については、私はよく知らないから話を戻す。

 単に「筋斗」という場合は、これは筋斗雲のことではない。

 「筋」というのは「觔」の別字だそうな。筋斗雲も本当は「觔斗雲」と書くのが正しいらしい。で、この「觔」というのは、木を切る道具のことだそうである。「頭が重く柄が軽い道具」らしい、ということまではネットでわかるが、どのような形のどういう物かまではよくわからない。

 さておき、この道具は頭が重いために「くるくるとよく回る」ものだそうである。回して使う物なのかどうかもよくわからないが、ともかくそういうものだそうだ。そう言えば、頭が大きくしっぽが小さいオタマジャクシのことを「蝌斗(かと)」と書くが、このことと関係があるかも知れぬ。

 ともあれ、上述のようなことから、「とんぼ返りを打つ」ことを「筋斗を打つ」と言うそうな。「筋斗」とだけ書いて「とんぼ」と()ませる例もあるようだ。

(『侏儒の言葉』(芥川龍之介)から引用。他のBlockquoteも特記しない場合同じ。)

 わたしはこの綵衣(さいい)(まと)い、この筋斗(きんと)()(けん)じ、この太平(たいへい)を楽しんでいれば不足のない侏儒(しゅじゅ)でございます。

 文脈から推し測るに、「侏儒(しゅじゅ)」というと辞書的には「こびと」とあるが、ここで言う「侏儒」は、お祭りや盛り場で軽業(かるわざ)を見せて生業(なりわい)にしているような道化者、ピエロとか芸人などのことを言っているようだ。これが派手な「綵衣」を着て、「筋斗の戯」、つまりとんぼ返りなどの軽業を見せているわけである。「綵衣」にせよ、子供のような面白おかしい服、というような意味合いを含めているのだと思われる。

 更に前後の文脈を読むと、要するに芥川龍之介は志も何も持たない鼓腹(こふく)撃壌(げきじょう)太平楽(たいへいらく)の「賤業の者」の代表として「侏儒」を選んでいるように思う。

 そして、作品を「侏儒の言葉」と題しているのは、もちろん反語的皮肉であろう。

管鮑(かんぽう)の交わり

 これは学校の国語で習うから、確認は無用だ。次のサイトさんに詳しい。

……(いにし)えの管鮑(かんぽう)(まじ)わり(いえど)破綻(はたん)を生ぜずにはいなかったであろう。

啓吉の誘惑

 文中にも菊池寛の作品であることは触れられている。

 しかし、この「啓吉の誘惑」なる作品のあらすじは、ネットでチョイと検索したくらいでは出てこず、また作品も青空文庫等にはない。無料(タダ)では確認できないような感じがする。

 しかし、ご安心あれ。「啓吉の誘惑」は、「国会図書館デジタルコレクション」を使えば、無料で読むことができる。

 「啓吉の誘惑」は、上の「啓吉物語」の後ろの方、401ページから収録されている。「コマ番号」は全245コマ中第207コマから229コマまでだ。

 短編で、すぐ読める分量だ。私もたった今読んでみた。

 なるほど、触れられている通りの作品である。題名からだと啓吉という人が誰かを誘惑した物語であるように感じられるが、そうではなく、啓吉が誘惑を感じる、あるいは誘惑される、という筋書きで、むしろ「啓吉の『誘惑』」と括弧つきで題するか、単に「誘惑」とのみ題するか、どちらかが相応(ふさわ)しいような内容だ。

 以下「啓吉の誘惑」のあらすじ(ネタバレ注意)

 作家の啓吉は妻と幼児の三人家族で暮らしている。育児も手がかかって大変であるため、かねがね女中を雇い入れたいと考えていた。

 そこへ啓吉のファンであるという美しい女が雇ってほしいと訪ねて来る。地方から上京してきたその女は妻とも打ち解けて仲良くなり、歓迎されて啓吉の家の女中となる。やがて、啓吉はその女の無邪気さに心惹かれてゆく。

 女は妻にも気に入られているため、啓吉は妻公認で女を連れて浅草へオペラを見に行くことになる。その際、女の着物が地方から着てきたままのみすぼらしいものだったので、妻は快く女に着物を貸す。

 オペラの帰り、女と夜の隅田川辺りを歩いた啓吉は、夜のムードもあって恋愛の感情が女に対して高まるのを覚える。しかし、女の着物が妻からの借り着であるのを見、妻のことを考え直して自制する。

 やがて女は地方へ帰ってしまう。

 しばらく経って、風の噂に、その地方では女の評判は好ましくなく、「高級淫売」ではないかとの推測もあることを啓吉は聞き、嫌な後味を感じるとともに、女の誘惑に乗らず、自制してよかったとも思うのであった。

 (ちな)みに菊池寛はこの啓吉という人物が登場する作品をシリーズで残しており、ファンはこれを「啓吉もの」と称するようである。

 少なくとも女人の服装は女人(にょにん)自身の一部である。啓吉(けいきち)誘惑(ゆうわく)(おちい)らなかったのは勿論道念にも依ったのであろう。

庸才(ようさい)

 「凡才」と読み替えても差し支えない。

 しかし、「凡庸」などという言葉などもあるものの、「凡才」というほどには馬鹿者・愚か者的な蔑視感はなく、なんとはない才能もなくはないが、全然人並みだ、というようなニュアンスを含めて「庸才」と言っているように思う。

 庸才(ようさい)の作品は大作にもせよ、必ず窓のない部屋に似ている。人生の展望は少しも利かない。

木に()って魚を求む

 意味は簡単で、「手段を誤っていること」だ。

 だが、文中での用法はなかなか反語的で味わい深いというか、理解しづらいところがある。

「この『半肯定論法』は『全否定論法』或は『木に()って魚を求むる論法』よりも信用を(はく)(やす)いかと思います。……

偏頗(へんぱ)

 「かたよること」だ。

 「偏」は「かたよる」だが、「頗」は「(すこぶ)る」とも「(かたよ)る」とも、どちらでも()む。

  •  (漢字ペディア)

 まあ、「すこぶる偏り、(かたよ)ること」で間違いはない。

……『全否定論法』或は『木に縁って魚を求むる論法』は痛快を極めている代りに、時には偏頗(へんぱ)の疑いを招かないとも限りません。

 この難しい「偏頗」なる言葉、「偏頗返済」「偏頗行為」などと言って、債権~債務などにかかわる法律用語である。

陳套(ちんとう)

 「陳」という字は仮名を「い」と送って「(ふる)い」と()み、又同様に「ねる」と送って「()ねる」とも訓む。「(ひね)る」の意ではなく、「()ねる」の意である。従って、「陳腐」というよく見聞きする言葉の意味を言えば、「古くて腐り果てている」という程のことになろうか。

 一方、「(とう)」という字は「外套(がいとう)」「手套(しゅとう)(てぶくろ)」という言葉からもわかるように、覆い、重ねることを言う。こうしたことを踏まえつつ、「常套句」という言葉を味わってみるとわかる通り、「套」という字には、何度も何度も同じように繰り返し重ねるという意味が生じる。そこで、「套」という字そのものにも、何度も同じことを繰り返していて古臭い、という意味を含めるようになった。

 こうした意味・字義から、「陳套語」とは、古くて古臭い、新鮮味もクソもない言葉のことを言う。

……東洋の画家には(いま)(かつ)落款(らくかん)の場所を軽視したるものはない。落款の場所を注意せよなどというのは陳套(ちんとう)()である。それを特筆するムアァを思うと、(そぞろ)に東西の差を感ぜざるを得ない。

雷霆(らいてい)

 「雷」は言わずと知れた「カミナリ」であるが、「(てい)」という字にも同じく雷の意味がある。

……哲学者胡適氏はこの価値の前に多少氏の雷霆の怒りを(やわ)らげる(わけ)には()かないであろうか?

 「雷のような怒り」と書けばよいところをわざわざ「雷霆の怒り」と書くのは、雷よりもなお雷であるところの大きな激しさ、また文学上の誇張・拡張・表現をガッチリと詰めた書き方と思えばよかろうか。

一籌(いっちゅう)()する

 「籌」とは竹でできた算木のことだそうだ。

 「輸」の字の方には、「輸送」という言葉があることから見ても解る通り、「おくる」「はこぶ」という意味があるが、また別に「負ける」「敗れる」の意味があるそうな。

 その心は、(いくさ)などに敗れ、財物をそっくり「もっていかれてしまう」(すなわち輸送されてしまう)というところにある。それで、「輸」という字には「負け」という意味が生じてくる。

 ここで、「一籌を輸する」である。上記を併せて味わうと解るように、「ひとつ、もっていかれてしまう」即ち「一歩負ける」という意味なのである。

 わたしも(また)あらゆる芸術家のように(むし)(うそ)には巧みだった。がいつも彼女には一籌を輸する外はなかった。彼女は実に去年の譃をも五分前の譃のように覚えていた。

恒産(こうさん)恒心(こうしん)

 一定の収入(恒産)のない者は安定した穏やかな心や変わらぬ忠誠心(恒心)を持つことは難しい、という意味で「恒産なくして恒心無し」との故事成語がある。「衣食足りて礼節を知る」と似たような意味であろう。

 (ただ)し、出典の漢籍「孟子」には、「たとえ恒産がなくても恒心を持っているのは立派な人のみであり、一般の人々にこれは無理というものである」というようなことが書かれていて、もう少し複雑な意味のことを言っているようだ。

 恒産(こうさん)のないものに恒心のなかったのは二千年ばかり昔のことである。今日(こんにち)では恒産のあるものは(むし)ろ恒心のないものらしい。

メーテルリンク

 ノーベル文学賞作家。江戸時代~大東亜戦争終戦後くらいまで。

……「知慧と運命」を書いたメーテルリンクも知慧や運命を知らなかった。

新生

 「新生」というのは、ここでは島崎藤村の同題の小説のことを指しているが、芥川龍之介はこれをたった数語で痛烈に批評している。

 「新生」読後

 果たして「新生」はあったであろうか?

 島崎藤村は相当にダメな人物で、よりにもよって自分の姪を妊娠させてフランスへ逃亡し、(あまつさ)えそれを小説「新生」に書いて発表し、自分だけ目立ちまくって名声を得、姪の人生はメチャクチャにしてしまった。

 当時、芥川龍之介はこのことを批判して()まなかった。このあたりのことは、当時の文壇では知れ渡った醜聞(スキャンダル)であったようである。

ストリントベリィ

 スウェーデンの変人小説家。ニーチェの影響を受けていた。

 ストリントベリィの生涯の悲劇は「観覧随意」だった悲劇である。

マインレンデル

 ニーチェがむしろ愛しているふしのある、ドイツの哲学家。

 マインレンデル(すこぶ)る正確に死の魅力(みりょく)を記述している。

スウィツル

 「スウィツル」。これがまた、サッパリわからない。

 或日本人の言葉

 我にスウィツルを与えよ。(しか)らずんば言論の自由を与えよ。

 検索してみると、どうやら「スイッツル」というのは古い「スイス」の呼び方のようではあるのだが、だが、もしそうだとして「私にスイスを下さい。そうでないなら言論の自由を下さい」というふうにこの文を理解しても、その真意や背景がまるで判らないので、意味もサッパリ解らない。

ジュピター

 またしても、サッパリわからない。

 いや、ジュピターは言わずと知れた「木星」、ローマ神話の主神「ユピテル」のことではあるのだが、問題はそれが現れる文脈である。

 希臘人

 復讐(ふくしゅう)の神をジュピターの上に置いた希臘(ギリシャ)人よ。君たちは何も()も知り(つく)していた。

 ローマ神話をさかのぼるギリシャ神話で、復讐神をジュピターの上に置いていたのかどうかがわからない。だから、この一節の言わんとするところが全然わからない。

 ともかく、そんなことで「侏儒の言葉」は全部読み終わった。

 目下、次の著作、三木清の「人生論ノート」を読み進めつつある。半分ほど読んだろうか。

時事雑挙

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 通勤経路の他所(よそ)のお宅の庭に木槿(むくげ)が咲いた。

 美しい。

 写真にでも撮りたいところだが、他所のお宅の庭なんか写真に撮って、犯罪者だと思われても困るし、向こうでも気味悪くて迷惑するだろうから勝手なことはできず、残念である。

自然な農業を歪めているのは誰

 私は農業関係者ではない。しかし、おいしい野菜や果物を食べたいという単純な欲求は持っている。

 去年の話題ではあるが、「種苗法」の運用により、自然な農業のなりゆきと感じられるような、例えば「収穫から種を採り、それを分けあって()き、更に収穫を増やして共存する」などということが出来なくなっていくであろう、……というふうに書いているメディアがある。

 パッ、と、そこだけ切り取って聞くと、「なんと不自然なことだ。天然自然の農業を歪めるものだ」という感じがしてしまう。上掲は去年の記事だが、この記事のように、「米国の大企業の支配構造に農業を組み入れる暴挙であると同時に、生態系や人間の健康に重大な影響を及ぼしかねない」というようなことを書きたてているところが多いようだ。

 しかし、冷静に見ていくと、そういうことばかりではなさそうである。

 もともと、苦労を重ねて改良された、日本の優れた農産品が、無秩序に中国や韓国に持ち去られ、勝手に播種(ばんしゅ)栽培、更には増産されて日本に輸入され、平穏な日本の農業需給を荒らすというような、そういうことが問題となったから、種苗の取引に一定の秩序を付与しよう、ということらしい。

 言われてみれば、苺や柑橘類、米穀などで損害を被る事態になっていることがニュースになっていたのを、深刻に思い出す。

 どうも、落ち着いて見ていくと、「米国の支配」云々、ということを言い立てているところは、地方紙など、反社会活動に(くみ)するような、変なところが多いようだ。

 何であれ政府や役所のすることは全部間違いだ、などということを言うのが好きな人が多いかのように感じられるよう仕向けて行く、というのは困ったものだ。

「余っている」

 企業の経営は苦しいらしく、リストラもよく行われる。本当に企業が苦しいのか、お金を多く儲けようという商売の自然な道理に従っているだけなのかは私にはよくわからないが、こんな記事があった。

 この中に、

(引用)

余った従業員は介護などを手掛けるグループ企業に配置転換し、新卒採用も抑える。

 というくだりがある。

 これにびっくりする人もいる。

 まあ、「余った従業員」という言葉に、労働者の悲哀を(かえりみ)ることもない巨大利権構造と政府及び社会の冷酷無情を見て取るか、最近の新聞記者の語彙(ごい)(すさ)み方を見て取るか、それはまあ、人それぞれだと思う。

 私はどちらかと言うと、記事が乱暴な態度で無造作に書かれているだけではないかと思う。つまり、新聞記者の語彙が低劣化しているのだと見る。

 種類の違う話だが、(かしこ)し、()ぐる年、上皇后陛下が「『生前退位』なる新聞やテレビの言葉に痛みを覚えた」と漏らしあそばされたことがあった。

 余談だが、なんと(いきどお)ろしいことに、大新聞・大テレビは上皇后陛下のこのお言葉をすべて無視したのである。新聞・テレビなど、悪しき呪術にも似て、怨念や不安を増大させ、世の中を混乱と恐怖に(おとしい)れようとしているとしか思えない。いっそ天罰でも下るがよいわ。……と言って、私のブログの時事エントリなど、大新聞や大テレビの記事やニュースがなくては表すことができないのだが(苦笑)。

 さておき、その時と同じような痛みを共感すると同時に、私は「余った従業員」という言葉しか書けない新聞記者を哀れに思う。

 その新聞記者が悪いのではないのだ。教科書や国語のテストに出てきた言葉しか、彼らは知らないのだ。新聞記者と言うのは学歴が高く、子供時代は勉強に明け暮れているから、余裕のある時を過ごして読書したり人と話したりする機会を持てなかったのだ。しかもなお、光輝ある新聞記者の地位を得てみたら思いの(ほか)、取材に追いまくられ執筆に追いまくられ社内の雑用に追いまくられ、のんべんだらりと文章を推敲している暇などあるわけもなかろう。自分の貧弱な言葉をひねり出して日々の仕事をこなしていくしかない。生来言葉にいたわりや悲しみ、温かみなど盛り込むことに縁のない怜悧な人物たちだ。だから、人をいたわる言葉が書けず、「余った従業員」だの、場合もあろうに「生前退位」などと記して、しかもその言葉の何が悪いのかもわからないのだ。

パジェロ販売終了

 ほほ~……。

 パジェロは官公署、例えば自衛隊などでも採用されているので、何かと波乱がありそうだ。

 私も若い頃、パジェロが欲しかったが、それよりやっぱり小粒でイカしたスズキ・ジムニーのほうが好きで、長いことジムニーの幌車に乗っていた。結婚を機に四駆への興味が薄れ、パジェロもどうでもよくなったが、販売終了となるとまた懐古の情がそこはかとなく胸に生じる。

まあ、普通かなあ

 時代に照らして、まあ、そうでしょうねえ……。

 ただ、まあ、「職場のことをネットに流すなッ!」というのは、若い人には、折に触れ教育しておかなくてはいけない。警察官が取り調べ中の事件のことをツイッターに書いたり、銀行員が有名人の貯金残高をFacebookに書いたり、メーカーの人が開発中の新商品のことをYouTubeで流したり、そんなこと、法律や社規以前に、常識で判断したってダメですからね。

 一方、「今日、叱られて落ち込んだ」とだけ、ポツリとTwitterに書いたとして、それは、今時、責められぬ気はする。暑苦しい人間関係を避けることが望まれる昨今、その受け皿はSNSだったりするんだろうし。

ものの作り方も国際的になっていて

 産業振興などにつながるならそれも(むべ)なるかな、と感じなくもない。

 昔、三菱重工が「F1戦闘機」を開発した頃は「日本、『ゼロ』から『1』へ」などと海外メディアに書かれたものだそうだ。

 なんとなく連想するのは、ヨーロッパなどは第1次大戦や第2次大戦で、ドロドロの国際関係を持っていて、むしろその昔の第1次大戦の時代の方が、自国以外の兵器、ともすれば敵国の兵器で戦っていたりするのだ。

 ドイツ製の火砲をフランスが重宝していたりしたと聞いたことがある。いつぞや読んだ本によると、第2次大戦中のスイスなんか、中立国だが、ドイツのメッサーシュミットを買って領空侵犯機を叩き落としている。

 余談だが、中立国であるスイスの上空をアメリカの戦闘機が領空侵犯したため、スイスはこれを撃墜した。戦時下だから、アメリカ・イギリスだろうとドイツだろうと、どの国に対してもそうしたのである。ところがこれに激昂したアメリカは報復の挙に出た。国もあろうにスイスにB29を差し向け、都市無差別爆撃を敢行したのだ。この爆撃で、スイスの一般市民にはおびただしい死者が出た。あまり知られていないがこれは史実で、アメリカ側にとっては思い出したくもない汚点となり、スイスとのしこりともなって今も残っている。

 話がそれたが、仮に国産で戦闘機を作ったとして、部品の多くはやっぱり米国製で、サプライ・チェーン上、もはや国産がどうとか論ずること自体が無意味なのではないだろうか。

へえ、「みさき公園」がねえ……。

 私の生まれ育ちは大阪の堺市だ。その近くの岬町に昔からある「みさき公園」が閉園するのだという。

 私なども子供の頃、何度か行ったものだったが。しかし、うんと小さい頃だったものだから記憶は遠い。確か伯母も一緒だった。陽光の中、青い芝生の中で遊び疲れ、土管のような大きな遊具に入って楽しんだような気がする。追憶、と書けば的確だ。その伯母も先頃亡くなった。……まあ、私にとっては懐古の情(ノスタルジー)の場所ではある。

 まあ、そりゃあ、当時と違って今は子供も減っているし、どうしたって子供相手の場所であることを否定できない遊園地が赤字になるのは、これはもうしょうがないわなあ……。大人、就中(なかんづく)、子供の減少とは逆に増え続けている、退職老人などが日参するような場所にでもなれば別なんだが。

だいぶ前の記事だけど

 ……(こわ)ッ!

 不動産屋(ぢめんし)怖いッ。……私は土地なんか持ってなくて、良かったと思う。私の親も地面の財産なんかないし、貧乏人で本当に良かった。

け、経団連?……て……。

 私は会社の経営のことなどサッパリわからないが、Facebookみたいな、なんとなく「若者の企業」みたいな感じのするところが、口に出して言うとおっさん集団の代表みたいな響きの感じられる「経団連」なんてところへ、入るもんなんだなあ。

 他にも、GoogleもAppleもAmazonも、み~んな入ってる、などと書いてあって、へぇ~……、と思う。

いやこれ、いくらなんでも

 う~ん、どうなんだろ。

 「言葉に痛みを覚える」ということには私は共感する。人間に対して「その他」とは、雑な書き方だなァ、とも思う。

 が、しかし、「その他」以外、どうにも書きようがないだろ、こんなの(苦笑)。

 「男 女 性的マイノリティ」なんて書いた方がよっぽど無残な書き方になっちゃうし。

イソ子

 あ~、この映画、やっぱりイソ子関連なんだ。

 でも、イソ子も悪いと思うよ。官房長官にハラスメントみたいなことするからだよ。

大泥棒がやくざの嫁ってのは、逆に普通な感じすらするな

 なんか、生まれる場所や状況が違ってたら、すごい才能を発揮したのかもしれんな。職人とか、名人とか。