早く開票始まんないかな~、と思いつつ、ボンヤリとSNSを見ていたら、Facdbookのウォールにこんな動画が流れてきた。
私は勝間和代氏についてそれほど興味はない。しかし、この論は、なるほどそうだなあ、と思った。
住宅ローンよりも、政府に投じる金額は多い。
オッサンは生きている。
早く開票始まんないかな~、と思いつつ、ボンヤリとSNSを見ていたら、Facdbookのウォールにこんな動画が流れてきた。
私は勝間和代氏についてそれほど興味はない。しかし、この論は、なるほどそうだなあ、と思った。
住宅ローンよりも、政府に投じる金額は多い。
通勤経路の
美しい。
写真にでも撮りたいところだが、他所のお宅の庭なんか写真に撮って、犯罪者だと思われても困るし、向こうでも気味悪くて迷惑するだろうから勝手なことはできず、残念である。
私は農業関係者ではない。しかし、おいしい野菜や果物を食べたいという単純な欲求は持っている。
去年の話題ではあるが、「種苗法」の運用により、自然な農業のなりゆきと感じられるような、例えば「収穫から種を採り、それを分けあって
パッ、と、そこだけ切り取って聞くと、「なんと不自然なことだ。天然自然の農業を歪めるものだ」という感じがしてしまう。上掲は去年の記事だが、この記事のように、「米国の大企業の支配構造に農業を組み入れる暴挙であると同時に、生態系や人間の健康に重大な影響を及ぼしかねない」というようなことを書きたてているところが多いようだ。
しかし、冷静に見ていくと、そういうことばかりではなさそうである。
もともと、苦労を重ねて改良された、日本の優れた農産品が、無秩序に中国や韓国に持ち去られ、勝手に
言われてみれば、苺や柑橘類、米穀などで損害を被る事態になっていることがニュースになっていたのを、深刻に思い出す。
どうも、落ち着いて見ていくと、「米国の支配」云々、ということを言い立てているところは、地方紙など、反社会活動に
何であれ政府や役所のすることは全部間違いだ、などということを言うのが好きな人が多いかのように感じられるよう仕向けて行く、というのは困ったものだ。
企業の経営は苦しいらしく、リストラもよく行われる。本当に企業が苦しいのか、お金を多く儲けようという商売の自然な道理に従っているだけなのかは私にはよくわからないが、こんな記事があった。
この中に、
余った従業員は介護などを手掛けるグループ企業に配置転換し、新卒採用も抑える。
というくだりがある。
これにびっくりする人もいる。
まあ、「余った従業員」という言葉に、労働者の悲哀を
私はどちらかと言うと、記事が乱暴な態度で無造作に書かれているだけではないかと思う。つまり、新聞記者の語彙が低劣化しているのだと見る。
種類の違う話だが、
余談だが、なんと
さておき、その時と同じような痛みを共感すると同時に、私は「余った従業員」という言葉しか書けない新聞記者を哀れに思う。
その新聞記者が悪いのではないのだ。教科書や国語のテストに出てきた言葉しか、彼らは知らないのだ。新聞記者と言うのは学歴が高く、子供時代は勉強に明け暮れているから、余裕のある時を過ごして読書したり人と話したりする機会を持てなかったのだ。しかもなお、光輝ある新聞記者の地位を得てみたら思いの
ほほ~……。
パジェロは官公署、例えば自衛隊などでも採用されているので、何かと波乱がありそうだ。
私も若い頃、パジェロが欲しかったが、それよりやっぱり小粒でイカしたスズキ・ジムニーのほうが好きで、長いことジムニーの幌車に乗っていた。結婚を機に四駆への興味が薄れ、パジェロもどうでもよくなったが、販売終了となるとまた懐古の情がそこはかとなく胸に生じる。
時代に照らして、まあ、そうでしょうねえ……。
ただ、まあ、「職場のことをネットに流すなッ!」というのは、若い人には、折に触れ教育しておかなくてはいけない。警察官が取り調べ中の事件のことをツイッターに書いたり、銀行員が有名人の貯金残高をFacebookに書いたり、メーカーの人が開発中の新商品のことをYouTubeで流したり、そんなこと、法律や社規以前に、常識で判断したってダメですからね。
一方、「今日、叱られて落ち込んだ」とだけ、ポツリとTwitterに書いたとして、それは、今時、責められぬ気はする。暑苦しい人間関係を避けることが望まれる昨今、その受け皿はSNSだったりするんだろうし。
産業振興などにつながるならそれも
昔、三菱重工が「F1戦闘機」を開発した頃は「日本、『ゼロ』から『1』へ」などと海外メディアに書かれたものだそうだ。
なんとなく連想するのは、ヨーロッパなどは第1次大戦や第2次大戦で、ドロドロの国際関係を持っていて、むしろその昔の第1次大戦の時代の方が、自国以外の兵器、ともすれば敵国の兵器で戦っていたりするのだ。
ドイツ製の火砲をフランスが重宝していたりしたと聞いたことがある。いつぞや読んだ本によると、第2次大戦中のスイスなんか、中立国だが、ドイツのメッサーシュミットを買って領空侵犯機を叩き落としている。
余談だが、中立国であるスイスの上空をアメリカの戦闘機が領空侵犯したため、スイスはこれを撃墜した。戦時下だから、アメリカ・イギリスだろうとドイツだろうと、どの国に対してもそうしたのである。ところがこれに激昂したアメリカは報復の挙に出た。国もあろうにスイスにB29を差し向け、都市無差別爆撃を敢行したのだ。この爆撃で、スイスの一般市民にはおびただしい死者が出た。あまり知られていないがこれは史実で、アメリカ側にとっては思い出したくもない汚点となり、スイスとのしこりともなって今も残っている。
話がそれたが、仮に国産で戦闘機を作ったとして、部品の多くはやっぱり米国製で、サプライ・チェーン上、もはや国産がどうとか論ずること自体が無意味なのではないだろうか。
私の生まれ育ちは大阪の堺市だ。その近くの岬町に昔からある「みさき公園」が閉園するのだという。
私なども子供の頃、何度か行ったものだったが。しかし、うんと小さい頃だったものだから記憶は遠い。確か伯母も一緒だった。陽光の中、青い芝生の中で遊び疲れ、土管のような大きな遊具に入って楽しんだような気がする。追憶、と書けば的確だ。その伯母も先頃亡くなった。……まあ、私にとっては
まあ、そりゃあ、当時と違って今は子供も減っているし、どうしたって子供相手の場所であることを否定できない遊園地が赤字になるのは、これはもうしょうがないわなあ……。大人、
……
私は会社の経営のことなどサッパリわからないが、Facebookみたいな、なんとなく「若者の企業」みたいな感じのするところが、口に出して言うとおっさん集団の代表みたいな響きの感じられる「経団連」なんてところへ、入るもんなんだなあ。
他にも、GoogleもAppleもAmazonも、み~んな入ってる、などと書いてあって、へぇ~……、と思う。
う~ん、どうなんだろ。
「言葉に痛みを覚える」ということには私は共感する。人間に対して「その他」とは、雑な書き方だなァ、とも思う。
が、しかし、「その他」以外、どうにも書きようがないだろ、こんなの(苦笑)。
「男 女 性的マイノリティ」なんて書いた方がよっぽど無残な書き方になっちゃうし。
あ~、この映画、やっぱりイソ子関連なんだ。
でも、イソ子も悪いと思うよ。官房長官にハラスメントみたいなことするからだよ。
なんか、生まれる場所や状況が違ってたら、すごい才能を発揮したのかもしれんな。職人とか、名人とか。
以前、知人との馬鹿話をネタとして書き留め、このブログで紹介したことがある。「供養」という題で、10年ほど前のエントリだ。
ところが、朝日の記事を漫然と見ていたら、似たような供養を本当にやる住職が現れたというので、笑ってしまった。
「仏教の大義」て……(笑)。
キラッキラッな文章で核心ついてて笑う pic.twitter.com/xmPs0xNNKN
— なおすけ (@naosuke110337) November 24, 2017
Twitterでこういうリツイートが流れてきて、なるほど、まったくだなあ、と思った。
若いのに、私なんかよりもよっぽど苦労してるなあ、とも思うのだった。
そりゃ、そうだよな。ネットで思ったことなんかズビズバ言ったり書いたりして、いいことなんか何にもないワイ。
……こういうことってのは、ネットでもリアルでも同じだ。お偉い政治家先生でも、いまだにこんな人だっているしな……。
こんなの、「言っていいこと、悪いことを弁える」という、そういうごく簡単な話に過ぎないのだが、やってしまうわけだ。この人は古い政治家だから、よっぽど色んな辛酸を舐めている筈だと思うのだが、しかし、つい、こういうことを言ってしまう。この人、最近も確か、「学芸員はガン」ってなことを言ってしまってマスコミにそこだけ切り取られ、さんざん叩かれていたが、まだ懲りないと見える。多分ご本人は文字通り「少しブラックなジョーク」を閉じたグループの中で効かせただけだと思っているのだろう。
「原爆落とされたのなんて自業自得」というふうに読まれてもしょうがないゴタクを無駄に多い文字数で並べ立てているこの人物も、まあそれと同断だろうなあ。
この兄ちゃん、ちょっと前には「人工透析受けてる腎臓病患者なんか公費の無駄だから放置して死なせてしまえ!」みたいなことを言ってボロカスに叩かれてたんだよな……。ほんと、性懲りがないよなあ……。こういう人って、自分の身近にも、まあ、いるけどね……。
「もう少し、戦争の原因と結果について、自分が出たという御立派な大学へでももういちど入学し直して、しっかりと勉強し直した方がいいのでは」と学のない私などは思うが、まあ、言うだけ無駄だし、こういう人物にはそれを容れるような懐もあるまい。すべて無駄だ。だから、本人が死ぬまで黙殺放置するしかない。
本人たちに言わせれば、「いや、俺は違う」ってなものなんだろうけど、私から見ると、どっちも同じ、言語中枢に異常をきたしたバカモノにしか見えない。
だからこういうことに関するセンスってものは、若い、年取っている、地位が高い、低い、そういうことには関係ないんだなあ、と思うのである。
他山の石、っちゅうかね。私もよく心得ておき、発言や書くことを慎もう。
一昨年からFacebookには「いいね」「超いいね!」「うけるね」「すごいね」「悲しいね」「ひどいね」の6種類の気持ちをワン・クリックで表明可能なボタンが設けられた。
その前は長い間「いいね(Like!)」のみであった。それが、ユーザの要望によって6種類に増やされたのである。私も最初はこれを歓迎した。
だがしかし、これでは足りない。中途半端な拡張だと言わざるを得ない。
Facebookでは意外に病気や怪我の報告をする人が多いが、これには「お大事に」という気持ちを送信したい。だが、アメリカ人には「お大事に」という心は理解不能らしい。
また、訃報を表明する人もある。これに対して「悲しいね」の一択というのも、いかにもアメリカ人らしい。「ご愁傷さまでした」という気持ちと「悲しい」という気持ちは違う。また、満中陰の忌明けの人に贈るべき気持ちは「悲しいね」ということのみではない。
災害などの困難をようやく切り抜けた人へ「大変でしたね」と見舞いの心を贈るのも、日本人にしかわからないらしい。こういう人に「すごいね」はないし、ようやく生活を再建しはじめた、という局面に「悲しいね」もない。だが、アメリカ人は「すごいね」で済むのだ。It’s Great、というところだろう。
「ひどいね」などというボタンも、いかにもアメリカ人らしい。このボタンでは
どだい、コミュニケーションに必要な「気持ちの表明」を世界通用標準に類型化しようなんてことは、ムリなのである。アメリカ人には「悲しい」という気持ちはあっても「ご愁傷さま」なんていう気持ちは、理解不能なのだ。逆に、戦地から帰った軍人に凱旋おめでとう、何人殺した!?……などと問いかけて祝い、「超いいね!」ボタンをクリックする気持ちなど、我々日本人には到底理解不能で、悪魔民族としか思えまい。
だから、FBのボタンは一つに戻したらいい。そして、そのボタンはもとの「いいね Like」ではなくて、「心が動いた」という選択だけにしたらいい。他の「超いいね」とか「うけるね」なんて、不要だ。
なるほど、なあ……。今度は指紋か。デジカメもおっそろしく高解像度化してるもんな。
今まではネットに写真を出すのに、人の顔が写り込んでいたらモザイク消しにしたりするのが一つのたしなみでもあったが、今度は手の写り込みにも慎重にならなくてはいけなくなってきたわけだ……。
スマホの内蔵カメラは言うに及ばず、先頃私が購入したコンデジ「IXY 190」などもそうだが、これくらいの普及価格のコンデジですら、カメラからサクッとクラウドに繋がり、ヒョイヒョイSNSに写真を上げることができる。勿論Exif情報にはGPSデータ付きだ。今時Facebookなどの無料SNSでも、顔はパッパッと認識され、ビシビシとタグ付けされる。Facebookでは手動で許可しなければタグ付けされないが、これが仮にクラウドの向うで全部自動顔認識されていたとしても、こちらにはそれを確かめる術はない。
「ピースサインから指紋が盗まれる」らしいので、こちらに順次切り替えていったらいいんじゃないでしょうか。 pic.twitter.com/NGbezALG4N
— tadataru (@tadataru) January 8, 2017
ま、だからと言って、コレは如何なものかと思うが(笑)。
あと、この人なんかもうかれこれ10年くらい顔認識できないようになってますよ。
そのうち、何か分光分析のようなことで画像から血液型までわかるとか、そんなことにならんだろうねえ。あるいは、極端な高解像度化により、画像からDNAまでわかる、とか。千年くらいかかるかなあ、そうなるには。……いや、意外と100年とか、50年でできるかも?
去る11月頃からであったか、子供の算数のテストの、ちょっとした回答に×を付けたのなんのと教師非難や学校教育批判をしているネット風説が見られるようになった。いわゆる「9.0の件」だ。
姪っ子の小3算数テストの採点結果。.0の有効数字に意味があるというのに全く訳がわからない。 pic.twitter.com/dOUIOYzUg5
— kennel (@kennel_org) November 16, 2016
発端は、この、一般人のツイッターへの投稿なのだが……。
だいたい、自分の子でもない、親類の子のテスト答案だ。御本人も「姪」と明記している。
私にも、自分の子供もいれば甥、姪もいる。甥、姪に対する責任感と自分の子への責任感の軽重など、簡単に想像もつく。また、甥、姪はいたが自分の子供はない、という時代も私は経てきているから、そういう状態でどれほど子供の教育について責任を持った発言ができるかも、おおよそ察しはつく。
このツイートをした御本人は、その子の教育・養育に厳しい責任を負うているわけでもないのだろうと思われる。つまり、それが悪いとかどうとかいう事ではなく、このツイートそのものが、まあ、単なる「話題
そう思いたいから、実はこの話題に触れるのも馬鹿々々しく、これについて考えることもしたくなかった。だが、こうも長い間引っ張られ、SNSのタイムラインに延々
私は、多くの人が言っている傾向、「日本の学校教育はおかしい」「この教師はおかしい」「このテストは『○』で間違いない!!」……という傾向には、反対だ。
指導上のルール、規範、ガイドラインというのも当然ある。だが、それだけではあるまい。一つのテストには何問も設問があって、そのテストも、一人の子が何度も受けることを考えると、年間にわたって、自然、その子供の指導上の傾向と言うものが出てきて、教員は当然これを考慮するはずだ。
そこからして、ひょっとすると、この小学校の先生の採点には、ルールの遵守ということに加えて、何らかの事情や、指導上の流れがそこにあったのかも知れないではないか。なぜ、そう考えないのだろうか。どうして、そういう状況、教師と生徒、また保護者と言った当人たちの間でしかわからないコンテキストが全部切り外されているということに着目しないのだろうか。しかもなお、その採点をした時の、そうしたなんらかの事情や状況をよく確かめようとか斟酌しようと言うのでなしに、その部分だけ持ってきて
などという極端な方向へ、いい年こいた大人が気炎を上げている。変じゃないだろうか。それが、テストで×のついた、その部分だけを撮影した一般人の与太
哀れや、小学校の先生は槍玉に挙げられ、衆はまるで鬼の首でも取ったような勢いである。衆をもって個を囲み、叩く。いわばネットスクラムの状況とはこれだ。発端の一般人は「おじ」であって、その子供の保護者でも何でもなく、局外者に過ぎないのだから、小学校からのこの件に関する抗議めいた照会は届くまい。
こんなバカな話、ネットで盛り上がっているだけなのであれば微笑ましいくらいのものだったが、それが、テレビや雑誌まで参入し、学校教育批判を繰り広げるとなると、ますます話は異様だ。どうでもいいタレントが何か少しコメントでもするというくらいならまだしも、高名な教育者や大学の教授、著名な数学者まで、知性も教養もある大の大人、斯界の権威者連が血眼になっている異様さは、これは一体、なんだ。
その権威者たちがおかしいわけでもないだろう。実はその権威者御本人たちもこんなことを評論するのは馬鹿々々しいと思っているのだろうが、テレビや新聞に引っ張り出されれば、「世間様は多分こういう答えを期待するだろうな」という、そういう
だいたい、その権威者たちだって、「.0」を消して、澄まし返った答案を出すようないけ好かん「お利巧馬鹿」だったからこそ有名大学に入って威張ることができているのである。彼らは、世界に冠たる日本の学校教育システムの、いずれ劣らぬ寵児達なのだ。彼らがポピュラー受けを狙って言いそうな、「こういう学校教育の悪弊はすぐ改めろ」なんてことをすれば、それは巡り巡り、繋がり繋がって、「去年の大学入試では合とされた回答が、今年は否とされる」という時系列的な不公平を惹き起こす、ということだって考えなくてはならないだろう。すなわち、自分の今日の地位はたまたまテストで○×式に判定されて得たもので、実は過去○だったが現在は×である、したがって自分の今の権威と名声は「×」であって、テレビや新聞で高説を垂れ流すような資格なんぞ実はまったくありません、……なんてことにもなりかねないのである。
テストの学問的な内容だけが採点されるべきだというなら、「テストに名前が書かれていなかったら0点」なんてのもおかしいということになる。答案を集める時に席に順番があるのだから、どれがどの子の答案かなんて、誰でもわかる。内容だけを採点すればよい。それでも名前は書かせる。それは、「ルール」なのである。「.0」を消すようなものだ。
まったく、多くの
人々は本当に、学校の教師、警察官、公務員、ルール、政府、役所、こういうものを心底から嫌い抜いていること、また、そういうものを嫌わせようとする何らかの意図が何者かから働いていることがよくわかる。もはや、「それらをよくしよう、改善しよう」なんて気持ちは全く見られない。「お前らはアホだバカだカスだこんなこともできねえのかクズ」と言う意味のことを誠に丁寧な言葉で言い換えて
不思議なのは、みずから嫌い抜いている職業に我が子を就職させようと血眼になったりすることだ。
普通、嫌いなものからは遠ざかるものだ。なのに、寄っていくばかりではなく、それを求めたりする。マゾじゃあるまいし。「それは不況だから」などと言うのだろうけれども、ゼニカネの問題で公務員になろうなどと言うのは、「高い時に株を買う」ようなもので、馬鹿のすることだ。
ルールや権威に頼らず、自ら考え、行動を律したいというのなら、何もルールずくめ、権威ずくめの、法治国家である日本や米国その他自由主義国でそんなことをする必要はない。アフリカの原野か、北朝鮮の悪名高い教化収容所ででも自由に生きればいい。大学の教授や高名な教育者や数学者、経営者、権威中の権威なんかを引っ張り出してくる必要はないのだ。もっと言うなら新聞やテレビ、Twitterその他SNSすら、自ら是と認めた原理こそ至上とする人には全く必要あるまい。チラシの裏にでも自分の見つけた原理を記して、それを守って生きればよい。新種の教祖にでもなれるのではないか。
私はそうではない。部分部分に少々変なところがあっても、トータルバランスのとれた社会システムの中に身を置く。そうして生きてきたし、その「部分部分の少々変なところ」が、「全体を適正にするためにどうしても必要な皺寄せ」であるなら、それに自らがたまたま大迷惑を被っても、我慢するし、これまでも我慢してきた。それが嫌なら、
昨日、標記コンデジ「IXY 190」を買ってきた。
Wi-FiでスマホやPCと接続し、撮った画像を転送するのみならず、リアルタイムでファインダーの画像を確認し、リモート撮影できる機能もある。これなど、しょっちゅう自撮りをしている私などには大変期待の持てる機能だ。また他に、Wi-Fi経由でカメラから画像を直接クラウド送りにし、各種SNSに載せる機能などもある。
PCからはカメラ内の画像の転送やブラウズがスムーズにでき、非常に便利だ。
だが、この機能のPCへのセットアップに関する取扱説明書の説明がちょっとわかりづらい。多分、取扱説明書だけでこのカメラをPCに接続できる人は、ほとんどいないのではなかろうか。私も、メーカー関係者ではない一般の方がネットに書いた情報を参考にしなければできなかった。
Windows 10でセットアップする例がネット上に見当たらなかったので、ボランティアだと思って、私がここに記しておきたい。
取扱説明書には、次のように書かれている。すなわち、
1 パソコンがアクセスポイントに接続していることを確認する。● 確認方法はパソコンの使用説明書を参照してください。2 設定する
● [スタート]メニュー▶[全てのプログラム]▶[Canon Utilities]▶[CameraWindow]▶[Wi-Fi接続のための設定]の順にクリックします。● 起動したアプリケーションの画面に従って、設定してください。
で、この通りだと、カメラはPCを検索したままいつまで経っても反応せず、PCもウンともスンとも言わない。
実は、カメラ側で「接続先の選択」をして、カメラが接続待ちになったら、PC側で「デバイスの追加」の操作をしないと接続できないのだ。私は当初これがわからず、ハマッた、ハマッた……。
デバイスの追加をするには次のようにする。
ここを通り過ぎれば、あとは、画面に従って適切に進めればよい。そうするとカメラ側の設定も次に進み、PCにカメラを接続して使用できるようになる。
以上の手順の説明がちょっと見た範囲ではどこにも載っておらず、多分、すんなりと進められる人はあまりいないと思うので、世の中への参考のためにここに載せておくものである。
などと言っていたら、今朝の投稿が今頃になって突然ポコポコポコッ、と連続ポストされた。
なんなんだろ。
いずれにせよ、「私の問題」じゃなくて「他人の問題」、他人の問題の中でも「アッチの問題」じゃなくて、「コッチの問題」っぽいな。他のSNS、TwitterやGoogle+も今頃になって投稿されてるから、Jetpackの問題か、wordpress.orgの問題か、あるいはサーバ会社のロリポップの問題だろう。
詳しいログなどがほとんど手に入らないから、調べようがない。