時事漫考

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いや、これは既に2千年もの昔に

 ああ、これ、ねえ。別に「最近」ってことはないんじゃないかな。「『産んでやった』『育ててやった』とか、恩を売るようなことを言うなら、なんで生んだんだ!お前らが勝手にしたことだろ!?」なんてことは、親に反抗する子の常套句で、取り立てて言うほどのことではない。

 それはさておき、出生の否定は人生の否定、ひいては世界の否定でもある。私はキリスト教の回し者ではないし、キリスト教なんか嫌いだが、このことに関する解決の無視すべからざる有力な一方策は、既に2千年の昔、ナザレの大工の息子、ガラリヤの説教師、イエスによって提示されている。

 そのいわく、「世界は悲痛や苦悩でできてはいない。喜びによって満たされている」すなわちこれである。ただ、その根拠について、キリスト教は強引なる(ちから)(わざ)()()せて有無(うむ)を言わせない。つまり「なんとなれば苦悩の根源たる人類のあらゆる罪はイエスが磔刑(たっけい)によって全部負ったから、あとは神の恵みによる歓喜のみが世界に満ち(あふ)れている」()って知るべし、知らば()(こん)より(のち)神の(おん)(ちょう)と光栄に包まれて(しろ)無垢(むく)の幸福そのものとなって()るべし、という破天荒かつ思考停止の論で片付けてしまっているのだ。

 実は仏教も似たり寄ったりのことを別の経路で発見・定義・教示しており、各宗派によってそれは様々なのであるが、悲しいことに我々日本人には中途半端なキリスト教気触(かぶ)れが多いから、当て(こす)ろうと思ってこういうふうに書いてみた。

 ところが、哲学者が(ヨダレ)()らして(くら)い付くこの問題の検討については、欧州では結局キリスト教が上のような一解決を提示して、それが大衆ウケしたものだから停止してしまい、プラトンだのアリストテレスだのの時代からプッツリ断絶、概ね1500年間がところ、ただの一歩も進歩しなかった。

 悪いことに、新教(プロテスタント)(かえ)って古いキリスト教の原理を再興してしまったから、ますますややこしいことになるのであるが、それはまた別の話である。

 結局、欧州で数百世紀にも及んだ図らざる集団的宗教実験はあまり成功していない、などとと吐き捨てるのは急ぎ過ぎだろうが、では他に納得のいく解決の選択肢が欧州の人々に与えられているかと言うとどうも怪しい。まして欧州以外においてをや。「選択肢が与えられているかというと」と書いたが、「与えられる」? 誰から? ……みたいな堂々巡りにもなるだろう。

 いずれにせよ、苦悩の解決に自ら到達する前に、圧倒的大多数の人間は長かろうと短かろうと命が尽きて死ぬわけだ。

 私ですか?

 私なんぞ、誰かに責任をおっかぶせて何かから逃れようなんてことは、とうに、してませんわ。いや、正確に言うなら、そんなことができる状況に、昔ッから、ない。だから幸福も歓喜もヘッタクレも、また苦悩も悲痛もクソも、そんなモン、アナタ(微苦笑)。そもそも誰かに責任をとらせよう、さて誰に責任を取らせよう、なんて選択肢の置かれた岐路自体が、私にはハナっから、ない。

 出生なんて所詮は親の恣意(しい)でどうにでもなる。ということは、この苦悩の始まりの出生や悲痛の連続の人生の責任者は誰だ! というふうに転嫁したい、責任者糾弾をしたい、例えばそれを親に向けたい。つまり人生の否定、出生の拒否なんてものは「ボクの、アタシの苦悩は親がスタートさせたんだ」と言うしょうもない屁理屈と同じこと。自分の悩みの責任を、パパ、ママ、あるいは坊主、和尚、神父、牧師、アッラー、エホバ、仏陀、阿弥陀、大日、観世音、ガースー内閣、アベ政治、麻原彰晃に幸福の科学、(イワシ)の頭、学校、教師、干しニンニクでも投げ上げ菖蒲(しょうぶ)でも心療内科クリニックでも精神病院でも市役所でも警察署でも、ドイツでもコイツでも何でもエエけど、とにかく手っ取り早く誰かにとってもらいたい、結局、ボクの、アタシの責任じゃないんだ! ……せいぜいその程度の、小学校の高学年あたりが顔を真っ赤にして言い立てそうなことだよ。

 餓鬼みたいなこと言ってンじゃねえよ。……あ、文字通りガキか。

 まあ、あくまで私にとっては、ではありますけどね。だからこんな暴論めいた自分流の解決を、自分の妻や子供も含め、誰かに押し付ける気もないですわ。「反出生主義」なるほど、ええ、ええ、結構なことじゃないですかね、おお、ヨシヨシ、オジサンが聴いてあげるよネンネちゃん、ってなモンですわ。

 あんまりにも無残で(すさ)んだ文章の成り行きになってきたから、皆さんがだ~い好きな、イエス・キリストの言と伝わる一句を書きつけて締めておきましょう。

マタイ傳福音書第6章第25節・第26節より引用。ルビは佐藤俊夫による。

 この(ゆえ)(われ)なんぢらに告ぐ、何を(くら)ひ、何を飮まんと生命(いのち)のことを(おも)(わずら)ひ、何を()んと(からだ)のことを思ひ煩ふな。生命は(かて)にまさり、體は(ころも)(まさ)るならずや。

 空の鳥を見よ、()かず、刈らず、(くら)(おさ)めず、(しか)るに(なんじ)らの天の父は、これを(やしな)ひたまふ。汝らは(これ)よりも(はるか)(すぐ)るる者ならずや。

新年御祝儀相場でこんなに下げなら……キッシッシ

 大発会でこれなら、明日以降なかなか期待が持てるな。

「『期待』だと?」

……ええ、そうです。ほぼ全力売り中ですゴメンナサイ。

こんだけデジタルがいろいろあっても

 まあ、そりゃ、そうなんだろうねえ……。

 理由もヘッタクレも、下世話で恐縮だが、若い人には性欲ってモンも、そりゃ、あるからねえ。会わなきゃそれこそ「始まらない……」わけではある。単純(シンプル)そのものの話ですわ。天下の大新聞がンなこと書けやしないだろうけれども。

読書

投稿日:

 引き続き平凡社世界教養全集第10巻を読んでいる。3つ目の収録作、「(たん)()(しょう)講話」(暁烏(あけがらす)(はや)著)を行きの通勤電車の中で読み終わった。

 歎異鈔講話の前に収録されているほかの二つの著作(『釈尊の生涯』と『般若心経講義』)とはガラリと違う内容である。というよりも、「浄土真宗って、こんなんだったっけ……?」「南無阿弥陀仏って、こんな偏狭な信じ方なんだったっけ……?」と感じてしまうような、よく言えばひたむき、悪く言えば狂信的、もう、ひたすらひたすら、「南無阿弥陀仏」一直線である。「南無阿弥陀仏」と書かずに南無阿弥陀仏を表現しろ、と言われたら、こんな本になるのではないか、と思われる。

 多分、歎異鈔そのものは、それほど徹底的なことはないのではないか。歎異鈔に向き合う著者暁烏敏が、著作当時はたまたまそういう人である時期だったのではないか、と感じられる。

 実際、末尾の「解説」(船山伸一記)によれば、暁烏敏は戦前のこの著作の後、昭和初年頃から讃仰の対象が親鸞から聖徳太子、神武天皇、古事記などに移っていき、戦後は平和主義を経て防衛力強化是認論者となっていったのだという。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第10巻「釈尊の生涯/般若心経講義/歎異鈔講話/禅の第一義/生活と一枚の宗教」のうち、「歎異鈔講話」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.254より

 六 法然聖人が、親鸞聖人に送られた手紙のなかに「餓鬼は水を火と見候、自力根性の他力を知らせ給はぬが憐れに候」という語がある。これはまことにきびしい恐ろしいようないい方であるが、これはもっとも明白に、自己という考えの離れられぬ人が宗教の門にはいることのできぬということを教えられた親切なる教示である。

 七 今法然聖人の言葉をここにひき出したのはほかでもない。『歎異鈔』一巻はもっとも明白にもっとも極端に他力信仰の宗教を鼓吹したる聖典なるがゆえに、自力根性の離れられぬ餓鬼のような人間たちでは、とうていその妙味を味わい知ることができぬのみならず、かえってその思想を危険だとかあぶないとかいうて非難するのもむりでないかもしれぬ。がしかし餓鬼が水を火と見るように、自力根性で他力の妙味を知らず、この広大なる聖典『歎異鈔』を読みながら、これによって感化を受くることもできず、かつまたこの思想をもっとも明瞭に表白しつつある私どもの精神主義に対してかれこれ非難や嘲弄するのは憫然のいたりである。

 しかし、こうまで書くと、非難・嘲弄とまで言うのは被害妄想であり、度し難き衆生を「憫然のいたり」とまでコキ下すのは、「大乗」ということから言って違うのではなかろうか。

p.273より

すべて哲学にしろ、科学にしろ、学問というものは、真と偽とを区別してゆくのがだいたいの趣旨である。宗教はそうではなく、その妙処にゆくと宗教は真即偽、偽即真、真偽一如の天地であるのだから、けっして科学や哲学を以って宗教を律することはできないのである。

 これは鈴木大拙師や高神覚昇師も似たことを書いていたような気がする。そういう点では違和感はない。

p.294より

 善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世の人つねにいはく、悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや、と。この条一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。その故は、自力作善の人は、ひとへに他力をたのむ心欠けたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども自力の心をひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても生死をはなるることあるべからざるをあはれみたまひて、願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。よりて善人だにこそ往生すれ、まして悪人は、と仰せられ候ひき。

 歎異鈔からの引用である。歎異鈔で最も知られた一節は、この節であろう。「いかなる者も摂取不捨の阿弥陀如来であってみれば、悪人の方が救われる度合いは善人よりも多いのである。」ということが前提になっている。善人よりも悪人の方が救われるというのが浄土真宗の芯と言えば芯ではあろう。

p.299より

 三 陛下より勲章を下さるとすれば、功の多い者にはよい勲章があたり、功の少ない者には悪い勲章があたる。ところがこれに反して陛下より救助米が下るとすれば功の多少とか才の有無とかを問わずして、多く困っておる者ほどたくさんの米をいただくことができる。いま仏が私どもを救いくださるのは、私どもの功労に報ゆるためではなくて、私どもの苦悩を憐れみて救うてくださるる恩恵的のであるからして、いちばん困っておる悪人がもっとも如来の正客となる道理である。

 悪人の方が救われる、ということをより噛み砕いた解説である。しかし、卑俗な(たと)えではある(笑)。

言葉
摂め取る

 これで「(おさ)め取る」と()む。「摂取」という言葉があるが、現代語のイメージでは「栄養を摂取する」というような使い方が一般的であろう。

 他方、仏教用語では「摂取不捨」、仏の慈悲によりすべて包摂され捨てられない、というような意味に使い、この「摂取」を訓読みすれば「(おさ)め取る」ということになるわけである。

下線太字は佐藤俊夫による。p.261より

私は仏の本願他力に助けられて広大円満の人格に達し、大安慰をうるにいたるべしと信じ、南無阿弥陀仏と親の御名を称えて力ある生活をしましょうという決定心の起こったとき、そのとき待たず、その場去らず、ただちにこの他力光明のなかに摂め取られて、いかようなことがあろうとも仏力住持して大安尉の境に、すなわち仏の境界に導き給うにまちがいはないというのが、この一段の大意である。

軈て

 「(やが)て」と訓む。

p.329より

其の上人の心は頓機漸機とて二品に候也、頓機はきゝて軈て解る心にて候。

設ひ

 「設ひ」で検索すると「しつらい」というような訓みが出て来るが、ここでは「(たと)()」と訓む。ネットの漢和辞典などにはこの訓みは載っていないが、私の手元にある大修館新漢和辞典(諸橋轍次他著)の「設」の項には、「もし。かりに。たとい。仮定のことば。『仮設・設使・設令・設為』などもみな、「もし・たとい」と読む。」と記されている。

p.340より

 設ひ我仏を得んに、十方世界の無量の諸仏、悉く咨嗟して我が名を称へずんば正覚を取らじ。

咨嗟

 直前の引用で出てきている。「咨嗟(しさ)」と読み、検索すると「嘆息すること」と出て来るが、仏教用語としては「ため息をつくほど深く感動する」というようなポジティブな意味で使われる。

p.340より

 設ひ我仏を得んに、十方世界の無量の諸仏、悉く咨嗟して我が名を称へずんば正覚を取らじ。

炳焉

 「炳焉(へいえん)」である。「炳」は「あきらか」とか「いちじるしい」などの意味がある。「焉」は漢文でいう「置き字」で、読まなくてもいいわけではあるが、断定の意味がある。あえて訓めば「あきらかならざらんや」とか「(いずくん)ぞあきらかならんや」とでもなるかもしれないが、「我関せず(えん)」というふうに断定を強めるために「(えん)」と読むこともある。

p.343より

私どもはこの「案じ出したまひて」とある一句のうちに、絶対他力の大道の光輝の炳焉たるを喜ばねばなりません。

牢からざる

 「(ろう)からざる」でも「(かた)からざる」でもどちらでもよいようである。しかし、「(ろう)からざる」と読む時は、音読するとすると「ろう、からざる」と、一呼吸置くような読み方になるだろう。

 「牢」という字は「牢屋」の牢であるが、別に「かたい」という意味がある。よく使われる「堅牢」などという言葉は、「(かた)く、(かた)い」という意味であるから納得がいく。他にも「(ろう)()として」というような言葉もある。

  •  (漢字ペディア)

p.349より

是に知りぬ、雑修の者は執心牢からざるの人とす、故に懈慢国に生ずるなり。

 次は、「禅の第一義」(鈴木大拙著)である。鈴木大拙の著作はこの平凡社世界教養全集では第3巻にも出ていて(『無心ということ』読書記(このブログ))、2作目である。

読書

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 引き続き、約60年前の古書、平凡社の「世界教養全集」を読んでいる。第10巻の途中だ。キリスト教一色であった前第9巻から打って変わって、第10巻は仏教一色である。

 昨夕、帰りの電車の中でこの巻二つ目の収載作「般若心経講義」(高神覚昇著)を、解説だけを残して読み終わった。今朝の出勤時の電車の中で、解説も読み終わった。

 著者の高神覚昇師は戦前から戦後にかけて、仏教の普及に最も功績のあった一人として知られ、真言宗智山派の名僧である。真言宗のみならず、大谷大学に国内留学して浄土真宗にも縁を持ち、華厳宗・三論宗をも論じた。そのため、この本のみならず、密教や空海・最澄に関する著書など、多くの著作がある。

 高神師は戦前、ラジオで「般若心経講義」という番組を放送して好評を博した。その後、放送内容をまとめて出版したものが本書である。終戦後再版したようだ。既に著作権が消滅しており、青空文庫にも収められている。

 内容は般若心経の一節一節を逐条的に、かつ、誰にでもわかりやすく、そしてまた、著者の西洋哲学や西洋文学に関する該博な知識と理解をも開陳しつつ講義していくものである。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第10巻「釈尊の生涯/般若心経講義/歎異鈔講話/禅の第一義/生活と一枚の宗教」のうち、「般若心経講義」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.125より

因縁の真理を知らざることが「迷い」であり、因縁の道理を明らめることが「悟り」であるといっていい。

p.150より

何事によらず、いつまでもあると思うのもむろんまちがいですがまた空だと言って何ものもないと思うのももとより誤りです。いかにも「謎」のような話ですが、有るようで、なく、無いようで、ある、これが世間の実相(すがた)です。浮世のほんとうの相です。

p.189より

 草履取りは草履取り、足軽は足軽、侍大将は侍大将、それぞれその「分」に安んじて、その分をりっぱに生かすことによって、とうとう一介の草履取りだった藤吉郎は、天下の太閤秀吉とまでなったのです。あることをあるべきようにする。それ以外には立身出世の秘訣はないのです。五代目菊五郎が、「ぶらずに、らしゅうせよ」といって、つねに六代目を戒めたということですが、俳優であろうがなんであろうが、「らしゅうせよ」という言葉はほんとうに必要です。

言葉
審か

 「(つまびら)か」である。

下線太字は佐藤俊夫による。p.138より

「博く之を学び、審かにこれを問ひ、慎んで之を思ひ、明かに之を弁じ、篤く之を行ふ

熟する

 全然難しい()みではなく、そのまんま「(じゅく)する」であるが、用法が面白かったから挙げた。

p.171より

いうまでもなく惑とは、「迷惑」と熟するその惑で、無明、すなわち無知です。

 「熟する」というと、普通は「この柿はよく熟してるなあ」というように、十分に時期が来て、よくこなれていることなどを言うのに使う。他方、「熟語」という言葉がある。この「熟語」という言葉には、 2字またはそれ以上の漢字で書かれる漢語という意味もあるが、「慣用によって、特定の意味に用いられるようになった語句」のことも言う。

 これを踏まえつつ、「熟する」という単語を調べると、「ある新奇な言葉が多くの人に使われ、一般に通用するようになる。」との意味があることがわかる。

 そうすると、「『迷惑』と熟する」とは、「迷惑、という言い慣わし方があることからも分かる通り」というほどの意味と言ってよかろう。

おもやすめども

 これが、調べてもサッパリわからなかった。Googleで検索すると、この「般若心経講義」のテキストばかりヒットする。

p.178より

娘をなくした母親を慰め顔に、「まあ、極楽へ嫁にやったつもりで……」といったところで、母親にしてみれば、それこそ「おもやすめども、おもやすめども」です。なかなか容易には諦めきれないのです。

 文脈から恐らく「そのように思ってはいても」というような意味ではあるまいか。また、本書の他の部分で、浄瑠璃や義太夫などからの引用と思われる、著者独特の下世話に馴れた、洒落(シャレ)た言い回しもあることから、なにかこういう台詞や歌詞、筋書きの、芸能のひと(ふし)があるのかもしれない。

思いついたシャレ(笑)

 本書を読んでいる最中にフッと思いついたのだが、データモデリングに使うER図の要素を仏教の術語(ターム)に当てはめると、下のようになるのではないか。

DM的仏教術語の理解(笑)

 ……い、いや。冗談なんで、軽く受け流してください(笑)。

 引き続き第10巻を読み進める。次の著作は「歎異鈔講話」(暁烏(あけがらす)(はや)著)である。

読書

投稿日:

 約60年前の古書、平凡社の世界教養全集全38巻のうち、第10巻を読み始めた。第10巻には「釈尊の生涯」(中村元)、「般若心経講義」(高神覚昇)、「歎異鈔講話」(暁烏敏)」、「禅の第一義」(鈴木大拙)、「生活と一枚の宗教」(倉田百三)の5著作が収められている。今度は前の第9巻とは違って、全編これ仏教一色である。

 一つ目の「釈尊の生涯」を行きの通勤電車の中で読み終わった。

 全編キリスト教一色であった前第9巻の中の「キリストの生涯」と似た趣きの著作で、宗教的な超能力や奇跡よりも、歴史上の人物としてのゴータマ・ブッダの生涯を、パーリ語の古典籍などから丹念になぞり、分析して述べたものである。一般的な仏教信者が依拠する「仏伝」をもとにすると、どうしても信仰上の超人譚や奇跡伝説が織り込まれてしまうが、本著作はそれを避け、できうる限り「スッタニパータ」等のインドの古典籍に取材している。

 元々、(たい)()浩瀚(こうかん)の学術研究書「ゴータマ・ブッダ(釈尊伝)」があり、その中の「第1編ゴータマ・ブッダの生涯」から更に一般向けの部分を摘要したのが本著作なのであるという。

気になった箇所
平凡社世界教養全集第10巻「釈尊の生涯/般若心経講義/歎異鈔講話/禅の第一義/生活と一枚の宗教」のうち、「釈尊の生涯」より引用。
他の<blockquote>タグ同じ。p.7より

 だからこの書は仏伝でもなければ、仏伝の研究でもない。いわゆる仏伝のうちには神話的な要素が多いし、また釈尊が説いたとされている教えのうちにも、後世の付加仮託になるものが非常に多い。こういう後代の要素を能うかぎり排除して、歴史的人物としての釈尊の生涯を可能な範囲において事実に近いすがたで示そうと努めた。

p.57より

 修行者が木の下で木の陰に蔽われながら坐して修行するということは、印度では古くから行われていて、原始仏教聖典にもしばしば言及されている。とくにアシヴァッタ樹(イチジク)のもとで瞑想したということは、意味が深い。インドでは古来この木はとくに尊敬されていて、アタルヴァ・ヴェーダの古歌においても不死を観察する場所であるとされている。「不死」とは天の不死の甘露を意味するが、また精神的な究極の境地をも意味する語である。この木はウパニシャッドやバガヴァッド・ギーター、その他インドの諸文芸作品において、葉や根が広がるという点でふしぎな霊樹であると考えられた。だからゴータマ・ブッダが特にこの場所を選んだということは、仏教以前からあった民間信仰のこの伝承につながっているのである。そうして釈尊がこの木の下で悟りを開いたから、アシヴァッタ樹は俗に「ボダイジュ(菩提樹)」と呼ばれるようになった。

 上の部分を読んで「アレ?はて……??」と思い、Wikipedia等を検索してみた。「菩提樹って、無花果(いちじく)のことだっけ?」と感じたからだ。

 私が怪訝に思うのもそのはずで、日本ではシナノキ科シナノキ属である菩提樹が寺などに植えられているが、同じ「菩提樹」という呼び名でも、インドの「インドボダイジュ」はクワ科イチジク属の木で、全くの別物だそうである。

p.63より

 このように悟りの内容に関して経典自体の伝えているところが非常に相違している。いったいどれがほんとうなのであろうか。経典作者によって誤り伝えられるほどに、ゴータマのえた悟りは、不安定、曖昧模糊たるものであろうか? 仏教の教えは確立していなかったのであろうか?

 まさにそのとおりである。釈尊の悟りの内容、仏教の出発点が種々に異なって伝えられているという点に、われわれは重大な問題と特性を見出すのである。

 まず第一に、仏教そのものは特定の教義というものがない。ゴータマ自身は自分の悟りの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に応じ、相手に応じて異なった説き方をした。だから彼の悟りの内容を推し量る人々が、いろいろ異なって伝えるにいたったのである。

 第二に、特定の教義がないということは、けっして無思想ということではない。このように悟りの内容が種々異なって伝えられているにもかかわらず、帰するところは同一である。

同じく

 第三に、人間の理法(ダルマ)なるものは固定したものではなくて、具体的な生きた人間に即して展開するものであるということを認める。実践哲学としてのこの立場は、思想的には無限の発展を可能ならしめる。後世になって仏教のうちに多種多様な思想の成立した理由を、われわれはここに見出すのである。過去の人類の思想史において、宗教はしばしば進歩を阻害するものとなった。しかし右の立場は進歩を阻害することがない。仏教諸国において宗教と合理主義、あるいは宗教と科学との対立衝突がほとんど見られなかったのは、最初期の右の立場に由来するのであると考えられる。

言葉
日暹寺

 「暹」という漢字が難しい。「セン」と読むそうで、そうすると「にっせんじ」なのだが、「日暹寺」で検索すると「日泰寺」のホームページが出てくる。

 あれっ……?と思うが、この日泰寺のホームページを見ると、理由がよくわかる。昔、シャム王国から真仏舎利をもらい受けた際にこれを記念して創建されたのがこの寺で、当時はシャムの漢字表記が「暹羅(せんら)」であったので、日暹(にっせん)()を号したものだそうだ。

 しかし、その後シャム王国は太平洋戦争前に国号を「タイ王国」に改めたため、この寺も「日泰(にったい)()」に改号したものなのだそうだ。

下線太字は佐藤俊夫による。p.116より

 右の遺骨は仏教徒であるタイ国の王室に譲りわたされたが、その一部が日本の仏教徒に分与され、現在では、名古屋の覚王山日暹寺に納められ、諸宗交替で輪番する制度になっている。

 (ちな)みに、日泰寺のサイトによれば、上引用の「輪番」は3年交代だそうである。

 たしか「龕燈(がんどう)」という、昔のサーチライトみたいなものがあったが、この「龕」って字、訓読みがあるのかな……?と思って調べてみたが、どうもこれはそのまま「ガン」でいいらしい。仏像などをおさめるもののことである。

p.117より

 「これはシャカ族の仏・世尊の遺骨のであって、名誉ある兄弟並びに姉妹・妻子どもの(奉祀せるもの)である。」

 上サイトでは一応、「ずし」との()みも掲載されているが、「龕」と「厨子」は同じものと考えてよいからだろう。

 次は二つ目の著作、「般若心経講義」(高神覚昇著)である。

清濁、金胎、理と慈悲

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 土木技術者であり医学者であり、また自らも体と心を(さいな)む修行者であった弘法大師空海は、既に一千年の(いにしえ)、「理」と「情」を分かち並び立たせて論じていた。

 これ(すなわ)ち、「金胎両界曼荼羅」である。

 (しか)るにこの一千年、人になんの進歩があったか。新型コロナウイルス「COVID-19」の蔓延(まんえん)猖獗(しょうけつ)にあって、この(てい)たらくはなんとしたことであるか。

 学術的かつ医学的な対処と、人々の訴えに応えて優しく差し伸べる手の、両様のバランスこそごくあたりまえの「両界」とは言えないか。

 疫病に狼狽(うろた)え恐れ遅疑逡巡(ちぎしゅんじゅん)、見苦しく商品を買い(あさ)り、他への誹謗(ひぼう)侮辱讒謗(ざんぼう)など、見るだに無様(ぶざま)で、残念というほかはない。

 おそらく、微生物禍は克服できる計算が成り立つだろう。しかし人の心はそれを(がえ)んじ(がた)く、依怙地(いこじ)で頑固なものだ。

 (みにく)く依怙地で頑固で自分勝手で他者を差別して小馬鹿にする、そんな、人間というものを丸ごと認めてこそ、落ち着いて日々を経過できるものである。

東寺展

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 先日から東京国立博物館で「特別展 国宝 東寺――空海と仏像曼荼羅」というのをやっていて、(かね)てから見たいなあ、と思っていた。丁度上野は花見時だ。今年の東京の桜は、今週の火曜頃に満開になりだしたところである。

 しかし、花冷えで天気はもうひとつ、行こうかどうしようか、と逡巡しないでもなかった。

 そんな(おり)、旧知のI君が、「佐藤さん東寺展を見に行く予定は?」とメッセージして来た。

 I君は私と同年配で、凝り性の趣味人だ。最近は仏像に非常に()かれるようになったという。そこで、こりゃもう、行きましょう、と私も勢いが付き、一緒に見ることになった。おっさん二人で仏像デートという、なかなかシヴい行楽である。

 朝から上野へ行き、I君と待ち合わせをした。

 上野公園は満開の桜で、朝の8時過ぎからたくさんの人がブルーシートを広げて花見の場所取りをしていた。今日の東京の朝の気温は7℃、曇天で日も差さず、夜からは雨もぱらつこうかという天気で、大変寒かった。震えながら鼻水を垂らして場所取りをしている人が少し気の毒でもある。

 そんな花見客を横目に上野公園を通り抜け、国立博物館へ行った。

 「東寺」は言わずと知れた世界文化遺産で、数々の国宝を蔵する大伽藍である。入唐(にっとう)・帰朝した弘法大師空海が嵯峨天皇から賜った国立の戒壇(かいだん)院であり、高野山が空海の拠りどころとするなら、東寺は空海の役所とでも言えるだろうか。

 今回の特別展では、その東寺から、国宝11、重要文化財4、あわせて15もの至宝至尊の他、数々の名宝が展示された。

 私としては「風信帖」「伝真言院曼荼羅」などに非常に興味がある。このうち「風信帖」など空海の真筆については、7年前の平成23年(2011)に一度、「空海と密教美術展」というのが同じ国立博物館で開催されたことがあって、その展示で見たことがある。だが、「伝真言院曼荼羅」については見たことがなく、予々(かねがね)見たいものだと思っていたのだが、念願(かな)って今日はその実物を拝することができた。

 I君は最近仏像趣味が昂じてきているので、是非とも東寺展は見なければならぬ、と思ったのだという。そんなI君が喜んでくれるのではないかと思い、若い頃買った「梵字の書き方」という釈家向けの教科書を携えていった。

 「(しゅ)()曼荼羅」という、尊像の代わりに梵字を配した曼荼羅があるが、これを見る時にこの教科書を交々(こもごも)引きながら見ると、興味興趣が倍増するというわけである。

 仏像では国宝の「帝釈天(たいしゃくてん)騎象(きぞう)像」がポスターなどで話題になっており、また、この仏像は撮影が許可されている。私も愛用のコンデジで、男前の横顔を撮ることができた。左の写真がそれだ。

 I君とお互いに蘊蓄(うんちく)を交換しつつ、たっぷりと拝観することができた。

 帰りは新橋まで行って、「虎ノ門・大坂屋砂場」で蕎麦前を一杯やり、趣味のことなど語っては天婦羅蕎麦を手繰ったことだった。

 誠に眼福・口福の土曜日であった。

ついにこんな寺も現れようとは(笑)

投稿日:

 以前、知人との馬鹿話をネタとして書き留め、このブログで紹介したことがある。「供養」という題で、10年ほど前のエントリだ。

  •  供養(オッサンとバイエル、ピアノ等、平成21年(2009)08月24日(月)17時50分)

 ところが、朝日の記事を漫然と見ていたら、似たような供養を本当にやる住職が現れたというので、笑ってしまった。

 「仏教の大義」て……(笑)。

投稿日:

 今日は盆である。

 日本は夏中「盆の連続」である。そのことは、以前このブログにも書いた。

  •  (このブログ、平成29年(2017)08月13日(日)08時34分)

 いわば、今日が盆のスタートである。今日については、盆・新暦旧盆・旧盆と、いろいろと呼び方もあり、ややこしい。

 もともとの盆は旧暦七月十五日だ。今年の旧暦七月十五日は新暦8月25日の土曜日にあたる。だからまだまだ先のことではある。

 酷暑の一日が暮れかかる。月は三日月。烈日をそっと追いかけてゆく。都会に限らず、低い空を(さえぎ)る建物が込み入った街では、いまや三日月を見ることも難しい。

 盆とはいえ、また、仏教徒を僭称しているのにもかかわらず、自宅に仏壇をしつらえているわけでもない私は、ともかく飲酒に及ぶ。ウィスキー。オンザロック。

 神道ならば清めに酒を用いもしようが、仏教にそれはない。無理やり、神仏習合を強弁して、酔う。

「唄入り観音経」の中の観音経

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 ふと自分のブログを見ていたら、昨夕遅く、唄入り観音経ファンの方からコメントがついている。

 浪曲は古い話題なので、めったなことでコメントがつくことなどないが、ありがたいことである。

 さて、この方のコメントにも少し触れられているが、三門博の「唄入り観音経」、題材になっている「観音経」の一節のテキストが、ネット上では少々見つけにくいようだ。

 勿論、昔と違って、観音経のテキストそのものはネット上で簡単に見つかる時代になったが、「<ruby>~</ruby>タグ」で囲ってルビを打ったものはどうやら見つからないようだ。つまり、だから「唄入り観音経」の歌詞を耳で聞いてネットで検索しても、ヒットしにくいのである。

 そこで私が打ち込み直し、ネットに放流しておくことにした。

 経典「妙法蓮華経」は長大な経であり、おいそれとブログに載せられるような大きさではないが、良く知られ、また在家信者の勤行でも読まれることのある「観世音菩薩普門品(ふもんぼん)第二十五」、就中(なかんづく)()」という部分は、この妙法蓮華経の精華(エッセンス)を抜き出したものと言ってよく、短くまとまっている。

 私の宗旨は真言宗で、法華宗門とは異なる。しかし観音経は、実は真言宗でも勤行に用いられるのである。特に高野山真言宗から分かれた豊山(ぶざん)派総本山長谷(はせ)(でら)(私の宗旨は真言宗豊山派である)は本尊が十一面観世音菩薩であり、観音経との縁は深い。

 下に書き出したのがそれである。無論、著作権は消滅しているから、どうなとコピペ可能である。

妙法蓮華経
観世音菩薩普門品(ふもんぼん)第二十五 ()

世尊妙相具(せそんみょうそうぐ) 我今重問彼(がこんじゅうもんぴ) 佛子何因縁(ぶっしかいんねん) 名為観世音(みょういかんぜおん)
具足妙曹尊(ぐそくみょうそうそん) 偈答無盡意(げとうむじんに) 汝聴観音行(にょちょうかんのんぎょう) 善応諸方所(ぜんのうしょほうしょ)
弘誓深如海(ぐぜいじんにょかい) 歴劫不思議(りゃっこうふしぎ) 侍多千億佛(じたせんのくぶつ) 発大清浄願(ほつだいしょうじょうがん)
我為汝略説(がいにょりゃくせつ) 聞名及見身(もんみょうぎゅうけんしん) 心念不空過(しんねんふくうか) 能滅諸有苦(のうめつしょうく)
假使興害意(けしこうがいい) 推落大火坑(すいらくだいかきょう) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 火坑変成池(かきょうへんじょうち)
或漂流巨海(わくひょうるこかい) 龍魚諸鬼難(りゅうぎょしょきなん) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 波浪不能没(はろうふのうもつ)
或在須弥峯(わくざいしゅみぶ) 為人所推堕(いにんしょすいだ) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 如日虚空住(にょにちこくうじゅう)
或被悪人逐(わくひあくにんちく) 堕落金剛山(だらくこんごうせん) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 不能損一毛(ふのうそんいちもう)
或値怨賊繞(わくちおんぞくにょう) 各執刀加害(かくしゅとうかがい) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 咸即起慈心(げんそくきじしん)
或遭王難苦(わくそうおうなんく) 臨刑欲寿終(りんぎょうよくじゅじゅう) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 刀尋段段壊(とうじんだんだんね)
或囚禁枷鎖(わくしゅきんかさ) 手足被柱械(しゅそくひちゅかい) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 釈然得解脱(しゃくねんとくげだつ)
呪詛諸毒薬(じゅそしょどくやく) 所欲害身者(しょよくがいしんじゃ) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 還著於本人(げんじゃくおほんにん)
或遇悪羅刹(わくぐうあくらせつ) 毒龍諸鬼等(どくりゅうしょきとう) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 時悉不敢害(じしつぷかんがい)

若悪獣圍繞(にゃくあくじゅういにょう) 利牙爪可怖(りげそうかふ) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 疾走無邊方(しつそうむへんほう)
玩蛇及蝮蠍(がんじゃぎゅうふくかつ) 気毒煙火燃(けどくえんかねん) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 尋聲自回去(じんしょうじえこ)
雲雷鼓掣電(うんらいくせいでん) 降雹濡大雨(ごうばくじゅだいう) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 応時得消散(おうじとくしょうさん)
衆生被困厄(しゅじょうひこんにゃく) 無量苦逼身(むりょうくひっしん) 観音妙智力(かんのんみょうちりき) 能救世間苦(のうくせけんく)
具足神通力(ぐそくじんつうりき) 廣修智方便(こうしゅうちほうべん) 十方諸国土(じっぽうしょこくど) 無刹不現身(むせつふげんしん)
種種諸悪趣(しゅじゅしょあくしゅ) 地獄鬼畜生(じごくきちくしょう) 生老病死苦(しょうろうびょうしく) 以漸悉令滅(いぜんしつりょうめつ)
真観清浄観(しんかんしょうじょうかん) 廣大智慧観(こうだいちえかん) 悲観及慈観(ひかんぎゅうじかん) 浄願常譫仰(じょうがんじょうせんごう)
無垢清浄光(むくしょうじょうこう) 慧日破諸闇(えにちはしょあん) 能伏災風火(のうぶくさいふうか) 普明照世間(ふみょうしょうせけん)
悲體戒雷震(ひたいかいらいしん) 慈意妙大雲(じいみょうだいうん) 濡甘露法雨(じゅんかんろほうう) 滅除煩悩焔(めつじょぼんのうえん)
諍訟経官処(じょうしょうきょうかんじょ) 怖畏軍陣中(ふいぐんじんちゅう) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 衆怨悉退散(しゅうおんしつたいさん)
妙音観世音(みょうおんかんぜおん) 梵音海潮音(ぼんのんかいちょうおん) 勝彼世間音(しょうひせけんおん) 是故須常念(ぜこしゅじょうねん)
念念勿生疑(ねんねんもつしょうぎ) 観世音浄聖(かんぜおんじょうしょう) 於苦悩死厄(おくのうしやく) 能為作依怙(のういさえこ)
具一切功徳(ぐいつさいくどく) 慈眼視衆生(じげんじしゅじょう) 福聚海無量(ふくじゅかいむりょう) 是故応頂礼(ぜこおうちょうらい)
爾時持地菩薩(にじじじぼさつ) 即従座起(そくじゅうざき) 前白佛言(ぜんびゃくぶつごん) 世尊(せそん) 若有衆生(にゃくうしゅじょう)
聞是観世音菩薩品(もんぜかんぜおんぼさつぼん) 自在之業(じざいしごう) 普門示現(ふもんじげん) 神通力者(じんつうりきしゃ)
当知是人(とうちぜにん) 功徳不少佛説是普門品時衆中(くどくふしょうぶつせつぜふもんぼんじしゅうちゅう) 八萬四千衆生(はちまんしせんしゅうじょう)
皆発無等等(かいほつむとうどう) 阿耨多羅三藐三菩提心(あのくたらさんみゃくさんぼだいしん)

 三門博の「唄入り観音経」では、このうちの何か所かが使われる。

 私の持っているCDのうち、左のテイチクのものでは、以前に書いたこともあるが、最も有名な「本題」の「唄入り観音経」がまったく入っておらず、少し違う話になっている。だが、観音経そのものはところどころに使われており、例えば有名な「外題付(げだいづけ)」の部分に続けて上の「偈」の冒頭部分が低く付け加わる。

〽 遠くちらちら(あか)りが揺れる
あれは言問(こととい) こちらを見れば
誰を待乳(まつち)舫舟(もやいぶね)
月にひと声 雁が鳴く
秋の夜更けの吾妻橋
世尊妙相具(せそんみょうそうぐ) 我今重問彼(がこんじゅうもんぴ)
佛子何因縁(ぶつしがいんねん) 名為観世音(みょういかんぜおん)
具足妙曹尊(ぐそくみょうそうそん) 偈答無盡意(げとうむじんに)
汝聴観音行(にょちょうかんのんぎょう) 善応諸方所(ぜんのうしょほうしょ)

 また、名奉行大岡越前の裁きを受けて改心し、罪を許された木鼠の吉五郎が仏門に入るシーンでは

〽 前非を悔いた吉五郎は
名も西念と改めて
頭丸めて仏門の
()弟子となりて国々を
具足妙曹尊(ぐそくみょうそうそん) 偈答無盡意(げとうむじんに)
汝聴観音行(にょちょうかんのんぎょう) 善応諸方所(ぜんのうしょほうしょ)
弘誓深如海(ぐぜいじんにょかい) 歴劫不思議(りゃっこうふしぎ)
侍多千億佛(じたせんのくぶつ) 発大清浄願(ほつだいしょうじょうがん)
我為汝略説(がいにょりゃくせつ) 聞名及見身(もんみょうぎゅうけんしん)
心念不空過(しんねんふくうか) 能滅諸有苦(のうめつしょうく)

 また別に、美空ひばりも唄った、「本題」のほうが入った戦前の本来の作品の方で、和尚に観音経を教わった百姓の甚兵衛爺さんが、婆さんと唄のように繰り返すのがこの部分である。

或遭王難苦(わくそうおうなんく) 臨刑欲寿終(りんぎょうよくじゅじゅう) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 刀尋段段壊(とうじんだんだんね)

 「長くて覚えづらい、ワケがわからない」と訴える無学文盲の百姓甚兵衛に、和尚は「全部唱えずともよい、『念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 刀尋段段壊(とうじんだんだんね)』というところだけでも仏の御利益はある」と教えるのである。

(「唄入り観音経」本題入りの音源の、後半の一部)

和尚  甚兵衛さん良く打ち明けた。法華の大師日蓮上人が由比ガ浜竜の口の御災難の時に唱えられた観音経と言うお経がある。上人はこのお経の御利益によって危うき一命が救われた。この観音経を教えてやるから恩人木鼠吉五郎様のためと唱えておやり、観音経一巻を覚えるには一心不乱に稽古しても四五年はかかるぞよ
甚兵衛 そんなに長くなくって、アッサリ教えて下さいまし
和尚  アッサリとはいかないが、有り難いところ二(くち)(くち)だけ教えてやる。今唱えるから聞き落としのないようによく聞きなされや

……と、(かたえ)にあったる鐘を引き寄せて撞木を握り威儀を正して鐘の縁を力に任せて一つ、

 ごぉ~ん

 その鐘の音色に音声(おんじょう)を乗せ

〽 或遭王難苦(わくそうおうなんく) 臨刑欲寿終(りんぎょうよくじゅじゅう) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 刀尋段段壊(とうじんだんだんね)~……
和尚  どうじゃ、お判りかな
甚兵衛 初めのほうはちっとも判らねえでがす
和尚  中ほどはどうじゃ
甚兵衛 少し判りました
和尚  前の方は
甚兵衛 丸ッきし
和尚  なんだい、それじゃ皆ンな判らないんじゃないか。……お経の意味を覚えなさい。さすればお経に趣味が出てすぐに文句が覚えられる。
〽 「或遭王難苦(わくそうおうなんく)」ということは王難の苦しみに遭うということ
臨刑欲寿終(りんぎょうよくじゅじゅう)」とは刑場で命終わらんとするときをいう
念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」とは観音様の力にお(すが)りをする
刀尋段段壊(とうじんだんだんね)」とは当たる刃物が切れ切れになるということ
和尚  一口に言えば災難のために、刑場で命終わらんとする時に、観音経を唱え奉れば御利益あらたかにましまして、自分の身体へ当たってくる刃物が途中でポッキリ折れて、身体に傷が付かずに命も助かるということを、それ観音経になぞらえて……
〽 或遭王難苦(わくそうおうなんく) 臨刑欲寿終(りんぎょうよくじゅじゅう) 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 刀尋段段壊(とうじんだんだんね)~……
和尚  どうじゃ、甚兵衛さんや、お経の有難味が少しは分かったか
甚兵衛 へぇ、有り難すぎて、みんな忘れちまった
和尚  困ったねえ、ではこうしなさい、前ふた(くち)抜いて、後ふた(くち)だけ覚えなさい。『念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 刀尋段段壊(とうじんだんだんね)』……と、このくらいのことは覚えられるだろう
婆さん とっても駄目だい
甚兵衛 なに言ってるだ婆さん、俺がみんな聞いてもすぐ忘れちまうから、お前半分覚えろ。半分ずつッか()ェんなら忘れなかんべ

 幸い婆さんが来ていたから半分後を覚えてもらい、ありがとうごぜえましたと (いとま)を告げて表へ出た

〽 忘れちゃいけない婆さんよ
今教えて貰った観音経を 大恩人のためだから わしが前を半分やるで
お前が半分後から唱えておくれよと

言えば婆さんにっこり笑い

これさ 爺さんよくおきき
今は梅干婆あでも
娘の頃には村一番の声よしで
盆踊りの時などは櫓の上で若い衆と音頭取りしたこともある
さすりゃ昔の杵柄で 歳は取っても歯は抜けてても
声のほうではお前にゃ負けない これさ 爺さんしっかりおいで

甚兵衛 生意気なことをコクなこの婆あ
先に立ったる爺さんが しわがれ声を張り上げて
念彼観音力(ねんぴかんのんりき)
と唱えましたら婆さんが 鉄漿(おはぐろ)だらけの歯を()き出してなんの負けよう爺さん如きに声の方ではひけとらないぞえ
刀尋段段壊(とうじんだんだんね)
甚兵衛 来たなァ、婆あ
〽 念彼観音力(ねんぴかんのんりき) 刀尋段段壊(とうじんだんだんね)

と 唱えながらに行くのをば 村の若い衆が 耳にして

「野郎、お(めぇ)

「なんだ茂十」

(しも)の甚兵衛、婆アと掛け合いで変なこと言ってくが、アリャ何だ」

「わかったぞ、この(あいだ)、甚兵衛、村の使いで江戸さ行ってきた、その時覚えてきた、ありゃ大方、江戸の流行唄(はやりうた)だべ」

「流行唄?……へぇ~、面白ェ唄だな、半分づつ掛け合いだ、唄に囃子がネェと仕ッ方ないから、囃子ィ付けてやるべ、調子を外すと聞きづれェから、しっかり来いよ、始めるぞ」

 村帰りと見えて鍬を一丁づつ担いでいた、その鍬の柄を叩いて拍子を取って

〽 茂十が先に歌い出す
さあさ 出したぞ ヨ~イヤナ~
念彼観音力(ねんぴかんのんりき)
と唄い出したら次郎兵衛が
それに調子を合わせまして
刀尋(とうじん)~ キタコラ エ~ 段段壊(だんだんね)ッ、あァ~コ~ラショっと……

「こりゃいいやィ」

……そうして、あとはご存知、お経の一節をすっかりお囃子か唄か何かと勘違いした若者たちの口から口へ、ついには観音経が奥州一円のヒット・ナンバーとなり、子守りの女の子が赤ん坊を寝かしつける子守唄にまで「観音経アレンジ」が入ってしまう、という筋書きである。その子守歌こそ、三門博一世一代、美空ひばりの幻のナンバーでもある「唄入り観音経」である。

理趣経 五秘密極喜三昧耶 百字の偈と漢音

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 漢字の音読には「漢音読み」と「呉音読み」がある。

 多くの仏教用語は「呉音」で読む。一方、私の宗旨は真言宗であるが、真言宗入来当時、中国は唐の時代で、唐では漢字は「漢音読み」であったため、平安時代の流行を映し、真言宗の経文は漢音で読む。一般の仏教用語、例えば「金剛(コンゴウ)」「衆生(シュジョウ)」というのは呉音だが、真言宗では「金剛(キンコウ)」「衆生(シュウセイ)」と読む。これが漢音である。

 試みに、真言宗の常用教典「理趣経」の、神髄中の神髄と言われる標記「百字の偈」を読み方と共に摘記する。普通ではない変わった読み方、仏教用語の読み方と違って、漢字の「普通の音読」をそのまま読んでいっている感じがすることがわかる。

菩薩勝慧者(ホサツショウケイシャ) 乃至盡生死(ダイシシンセイシ) 恒作衆生利(コウサクシュウセイリ) 而不趣涅槃(ジフシュデッパン)
般若及方便(フワンジャキュウホウベン) 智度悉加持(チドシッカチ) 諸法及諸有(ショホウキュウショユウ) 一切皆清浄(イッセイカイセイセイ)
欲等調世間(ヨクトウチョウセイカン) 令得浄除故(レイトクセイチョコ) 有頂及悪趣(ユウテイキュウアクシュ) 調伏盡諸有(チョウフクシンショユウ)
如蓮體本染(ジョレンテイホンゼン) 不為垢所染(フイコソゼン) 諸欲性亦然(ショヨクセイエキゼン) 不染利群生(フゼンリキンセイ)
大欲得清浄(タイヨクトクセイセイ) 大安楽富饒(タイアンラクフジョウ) 三界得自在(サンカイトクシサイ) 能作堅固利(ノウサケンコリ)