清濁、金胎、理と慈悲

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 土木技術者であり医学者であり、また自らも体と心を(さいな)む修行者であった弘法大師空海は、既に一千年の(いにしえ)、「理」と「情」を分かち並び立たせて論じていた。

 これ(すなわ)ち、「金胎両界曼荼羅」である。

 (しか)るにこの一千年、人になんの進歩があったか。新型コロナウイルス「COVID-19」の蔓延(まんえん)猖獗(しょうけつ)にあって、この(てい)たらくはなんとしたことであるか。

 学術的かつ医学的な対処と、人々の訴えに応えて優しく差し伸べる手の、両様のバランスこそごくあたりまえの「両界」とは言えないか。

 疫病に狼狽(うろた)え恐れ遅疑逡巡(ちぎしゅんじゅん)、見苦しく商品を買い(あさ)り、他への誹謗(ひぼう)侮辱讒謗(ざんぼう)など、見るだに無様(ぶざま)で、残念というほかはない。

 おそらく、微生物禍は克服できる計算が成り立つだろう。しかし人の心はそれを(がえ)んじ(がた)く、依怙地(いこじ)で頑固なものだ。

 (みにく)く依怙地で頑固で自分勝手で他者を差別して小馬鹿にする、そんな、人間というものを丸ごと認めてこそ、落ち着いて日々を経過できるものである。

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